攻撃は最大の防御なり
大東亞戦争またの名を太平洋戦争とも言う。この戦争は、大日本帝国海軍健軍以来の仮想敵国であるアメリカと全面的にぶつかった最初の戦いであった。
史上初の航空機だけによる艦隊攻撃は二次に渡る攻撃によってアメリカ太平洋艦隊の戦艦5隻沈没ないし着底、3隻大破。基地航空機に200機以上撃破の空前の成果をあげた。これが第二次世界大戦の始まりとなる真珠湾攻撃で幕を開けた。
しかし、このパールハーバー作戦は、外務省職員の不手際で、アメリカ政府への宣戦布告通達が、後れ結果として国際法に乗っ取った宣戦布告なしの"騙し討ち"と、捉えられアメリカ人の対日感情は大いに悪化した。
この結果、アメリカは対日強硬姿勢をとらざるを得ず、日本への復讐に燃える事になる。昭和18年前半までは快進撃を続けた日本陸海軍であったが、ミッドウェー海戦やマリアナ沖海戦、その他所戦でアメリカ海軍にぼろ負けし、敗色濃厚となる。
その劣勢を挽回すべく産み出されたのが特攻であり、カミカゼであった。だが、対特攻策を講じられカミカゼは、効果薄であった。最後まで徹底抗戦の日本陸海軍であったが原爆をヒロシマ、ナガサキに落とされ、ゲームセット。それが小野井の知る第二次世界大戦の全てだった。
小野井は、この戦争が不可避であると、世論に押された大本営の暴発だと見ている。
日露戦争で奇跡的な艦隊決戦の末に国力10倍の帝政ロシアに勝ったとは言え、海軍の内部では、次はアメリカだと思う者も少なからずいた。だが、日本とアメリカは象と蟻程の国力の差があり、戦えたとしても2年。後は優勢なままで、早期講話に持ち込む。それが、連合艦隊司令長官山本五十六の描いた理想であった。あくまで対米戦争には反対だった。
そして、もう1つ。小野井は重要な事に気付く。世界史上自分の命と引き換えに作戦を実行したのは大日本帝国陸海軍だけだと言う事だ。
アメリカ海軍は相反的に人材をどんどん入れ換え、戦闘機の防御力は最大限のモノにした。少しでも消耗すれば前線からは下げた。それに何より、パイロットや乗組員の命を最優先した。それは航空機の形状や材質を見れば一目瞭然である。スピードや航続距離、旋回能力を重視した余り防弾性能を怠った零戦と、厚い鉄板や部厚いガラスで防弾性能を重視し、スピードや旋回能力を落としたグラマンF6F(F4F)等はその最たるものだろう。日本軍には、防御の思想がマルでなく、攻撃は最大の防御なりが最大の信条であった。
日本軍の緒戦での戦いは、その一言に尽きるが、決して誉められたものではない。それでも300万人というおびただしい数の日本人の犠牲者から学ぶべき事は沢山あった。と小野井は思った。




