特攻で亡くなった者が残したもの
小野井にはこの絵本を出す狙いは、記憶の風化を避けたいという狙いがあった。第二次世界大戦終結から75年。流石に戦争の記憶は、風化してきているのが現実だ。
物理的には戦争経験者の高齢化。精神的な面でも記憶の中の戦争は風化している。小野井が危惧するのは、その精神的な風化である。この絵本はそれを防ぐ為に作られている。
特攻という日本人が忘れてはいけないテーマに挑戦した為、重くなりがちであるが、そうではない。軽さの中に有効打となるパンチのある文章とイラストが、いくつも散りばめられている。
勿論、それだけでは記憶の風化を止める事は出来ない。そこで絵本という媒体にしたのである。幅広い年代の目につきやすくする事で、精神的な記憶の風化を避けようとしたのだ。
何故、特攻という一部の狂った自爆作戦にここまで固執するのか?その疑問は、小野井がこの絵本を作っている間ずっと考えていたテーマであった。ひょっとすると、絵本を作り終えた今もまだ明確な答えは無いのかもしれない。
命以上に守るべきものは何か?それはきっと愛する人間の為以外に他はない。自分の命を犠牲にする事で成り立つ作戦というものが特攻な訳であるが、人類史上これほどの組織的な自爆攻撃をとった国民国家は、無かっただろう。その意味を我々は深く考える必要があるのではないだろうか?
小野井は思う。今後そのような作戦を取らなければならない状況が来るかもしれない。それは分からないが、結果として陸海軍あわせて7000人以上の人命が失われた結果として何が残ったか?答えは冷酷だが、何も残らなかった。全ては大日本帝国の面子の為に成功率のあえて低い作戦を実行したに過ぎない。
300万人の日本人が第二次世界大戦では亡くなっている。その総数から見れば特攻の戦死者など、とるに足らない紙屑のようなものかもしれない。だからと言って特攻の戦死者の死が無駄だったとは、小野井にはどうしても思えなかった。いや、思いたく無かった。
その答えを世間に問うたのが、特攻花という絵本だった。彼等の死が後生の我々に、何を伝えたかったのかその点だけはきちんと答えを出したかった。7000人以上の人命が国家の為に散って行ったという現実は重く受け止めるべきである。
その現実から目をそらさない事は、何よりも大切な事である。特攻というものが国家国民に与えた衝撃は日本人の価値観をも変えるのかもしれない。




