無駄死になどない
絵本の出版直前に、小野井はもう一度靖国神社へ行くことにした。全てをやり遂げてから、まっさらな気持ちで発売日を迎える為である。
小野井は想う。日本人にとって特攻とはどのような意味を持っているのか?近代戦争では最多となる約300万人の国民が死んでいる。その現実に、現代の日本人はあまりにも無関心である。
小野井が特攻に無関心だった様に、多くの日本国民もそうであるに違いない。そのような想いから始めたのがこの絵本製作の原点だった。300万人分の4400人では、戦死者の1%にも満たないかもしれない。
しかし、己の命をかけて国家存亡の危機に殉じた戦士に対して、果たしてそれで良いのだろうか?少なくとも小野井は、国家を守る側の同じ立場にいる以上は、特攻隊員の想いを少しでも知るべきであるし、それを一般国民と共有したい。
おこがましいかもしれない。ただ、同じ日本人が時代は違えど、平和と祖国発展の為に、そのはかない命で、国家の礎となった事は真実である。
だが、特攻戦死者で作戦を完遂させた人間は少ない。特攻成功率は良く見積もって20%(5機に1機)と言うデータが残っている。だとしても、小野井には、どうしても特攻戦死者の失敗した人間を無駄死にだったという、論調には賛同出来ない理由があった。
もし、小野井が特攻を無駄死に、犬死にだったと断定してしまえば、それは自分の毎日の任務を否定するのと同意である。だから、小野井は特攻を否定する事は出来ない立場にある。かと言って100%特攻を肯定する事は出来ない現実がある。
それが小野井には歯がゆかった。何故肯定出来ないのか?答えは特攻が、命の犠牲を無視した十死零生の作戦だからである。小野井は、防衛大学校と広島にある江田島の海上自衛隊幹部候補生学校を卒業しているが、その期間の間、一度足りとも「命の犠牲を前提にした作戦をとれと、TPO次第では有り得る」等と言う様な教えを受けた事は無かった。
それはつまり現代の自衛隊が特攻を否定しているからに他ならない。そもそも自衛隊には、アメリカ軍支援と、自国防衛の為の最低限度の戦力しか持たず、未だにその存在は宙ぶらりんである。
だから、小野井のスタンスとしては半信半否(五分五分)であったのだ。




