自爆攻撃と軍神
小野井は全国的に公表する前に、改めて特攻について考える事にした。世に送り込むには、特攻に対するきちんとした理解と認識が無くてはならない。
戦争中武勲を立てて戦死した軍人を神に例えてこう呼んだ。"軍神"と。太平洋戦争(大東亜戦争)で初めて"軍神"になったのは、真珠湾攻撃の際の特殊潜航挺5隻に乗り組んだ10人(一人はアメリカ軍の捕虜となる)が、アメリカ太平洋艦隊の基地内に侵入し、湾内に停泊中の艦隊に攻撃を仕掛けるというものであった。
全長24メートル、2人乗りの魚雷搭載特殊潜航挺通称"甲標的"は、空母による航空隊の攻撃の一方で、水面下からの攻撃を企てるもので、当時の連合艦隊司令長官山本五十六は、乗組員の収容の目処が立たないのでは十死零生の作戦になると、これを拒否したが、大抵の指揮官達はたった10人の命よりも、第一航空戦隊ら日本海軍の虎の子の空母に頭が行ってしまう。
山本五十六連合艦隊司令長官の案じた通り、甲標的は全滅。酒巻和男少尉だけは乗組んでいた甲標的から脱出。結局アメリカ軍の捕虜となる。これが日本軍捕虜第一号となった。戦死した9人は皆"軍神"として、メディアは報じた。以後"軍神"という言葉が世間に定着して行った。
他には軍歌も盛んに歌われた。隼戦闘機隊長の加藤健男、アッツ島玉砕で守備隊長だった山崎保代、神風特別攻撃隊である敷島隊隊長の関行男大尉以下4人の部下が軍神とされている。軍神になると2階級特進ともなった。まぁ、死んでしまえば階級などどうでも良い事だ。
この話は特攻(自爆攻撃)の範となる話である。精神力に傾斜して行った日本人的感覚からすれば、一人で相討ちという感覚は、侍が刺し違える感覚と似ている。効率という意味では良い作戦だったのかもしれない。命さえ惜しまない国民性から、命さえかければ何でも出来るという誤った自信を持っていたか、あるいは自爆攻撃で突破口を開くというのが、日本軍に残された唯一無二の道だったのかもしれない。




