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黄色い花の正体

 正式名称はオオキンケイギクという菊科の外来種の植物が、あの黄色い花の正体だ。

 何でも、戦時中に南方戦線に進出していた大日本帝国海軍航空部隊の軍人が内地に戻って来た時に、飛行服に引っ付いていたこの花の種子が、プロペラの風で吹き飛ばされて、鹿屋航空基地の滑走路脇で新しい生命(いのち)の息吹を吹き返した。

 戦時中は、日本各地から帝国陸海軍の航空部隊が外地に行っては、戻って来たがこのオオキンケイギクが鹿屋航空基地にしか根づかなかったのには、理由(わけ)がある。

 元々、温暖な所にしか咲かないオオキンケイギクは、南方と気候が似ており、本土で鹿児島県にしか生息しなかったのは、そう言う理由であった。

 そして、小野井はもう1つ重要な事があると彼は気付く。ここ鹿屋航空基地は、帝国海軍一の特攻機の出撃基地で、知覧には陸軍の特攻機の出撃基地があった。そこでしかオオキンケイギクは咲いていないという事実であった。

 その為、オオキンケイギクは外来種の植物でありながら、"特攻花"として、専門家の中では認知される事になる。知る人ぞ知るという事なのであろうが、小野井は調べて初めてそれを知った。防大時代の小野井は特攻について懐疑的だった。素人同然の知識しかなかった事は、小野井にとって恥ずべき事であった。

 それではいかん。と気付かせてくれたのが、このオオキンケイギクという花であった。

 小野井はまず、特攻の実態から調べてみる事にした。真珠湾攻撃の際に用いられた甲標的という特攻兵器に始まった大日本帝国海軍の特攻の歩みを調べてみた。無論帝国陸軍にも特攻部隊はあったが、今回は海軍の特攻について調べてみた。

 有名な所では人間魚雷"回天"や"桜花"と言った特殊性のある特攻兵器から、零戦によるオーソドックスな体当たり攻撃についても、成功率から何まで、とにかく調べ尽くした。

 流石に防大を浪人せずストレート入学し、卒業しているだけの事はある。知識の吸収はお手のものだった。日々の業務に慣れるよりも、特攻の知識を得る事の方が早かった。

 特攻の父とも言われた大西瀧二郎中将の事や、とにかく、鹿屋航空基地にある書物は大体目を通していた。

 特攻が始まったのは、敗色濃厚になった昭和19年10月下旬から昭和20年8月の敗戦の前後までてある。大本営発表では、海軍兵学校出身の関行雄大尉が零戦によるカミカゼアタックを決め艦船を沈めた大戦果となっているが、関行雄大尉の前に出撃し戦死した特攻隊員もおり(スペア=予備士官出身の法政大学学生久納好附中尉)、そこは諸説ある。ただ、初回の神風特別攻撃隊が大戦果を上げたのは間違いない。

 という様な事をノートにメモして自分なりの知識をまとめる作業を続けていた。そこから分かったのは、学校教育の中で正しい特攻の教育がなされていない事であった。カミカゼ=テロリストという間違った左翼的思想が今尚日本国にはびこっているのは、紛れもない事実である。

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