フラッシュバック
小野井は日浦3佐から言われていた言葉をふと思い出した。「拡大も縮小もいかん」と。物事は、ありのままに見る必要がある。拡大も縮小もそこには必要ない。
我々は特攻と聞くと、つい感傷的になってしまう。いつも拡大解釈をしてしまうのだ。その事に気が付かずに議論を進めてしまうからこそ、特攻の事について書かれた物の多くは精神論的な文体になってしまうのである。
冷静に作戦として、見た場合には特攻は下の下なのかも分からない。特攻の父大西滝二郎中将の言われた様に特攻は統率の外道なのかも分からない。だが、その作戦に勇気を持って参加し散った約4400人を超えた特攻隊員の死は下の下であるはずはない。
国家国民の為に死をかけてでも守りたかった未来。そして日本という国家国民。その先人の死の上を歩いている現代人が、特攻について無知なのはいささか失礼が過ぎる事であろう。酷い場合には、テロリストの先駆け的な事を言う始末であるから、手に負えないクズ共である。
そういう論議は論外であって、不勉強が過ぎる。そういう愚かな人間には制裁が必要なくらい近現代史について勉強をやり直してもらいたい。
スーサイドアタックと言われた特攻だが、実際には、成功率は約2割。つまり8割は敵艦に突入出来ずに撃墜されているのである。
特攻の初期の作戦での戦果があまりにも大き過ぎた為に、ダラダラと成功率の高くない作戦をやり続けた訳だが、それでも大本営は、他の作戦よりも、比して成功率の高かった特攻を陸海軍に指示し続けた。エリート参謀の出した結論がこの有り様である。帝国陸海軍の末期状態であった。
作戦として、成り立っている方がおかしい。と思われなかったあの時代。金科玉条であるはずのエリート参謀の考えそうな事である。これは、歴史の皮肉と言えた。矛盾の中で飛び出したドラスティックな特攻作戦だった事は、間違いないだろう。
当時の飛行機でも、時速500キロは出た為、もし仮に敵機動部隊や敵艦船に辿り着ければ、相当な衝撃だったと思う。最も抱えていた550ポンド爆弾で跡形もなく吹き飛ぶ。それが特攻であった。
かような作戦を採らざるを得なかった大日本帝国の末路は悲惨なものだった。と、調べた事がフラッシュバックし、そんな事を考えているうちに、一週間ぶりに鹿屋に帰って来た。




