生きる伝説
日浦3佐のメモには、ある人物の名前と住所が書かれていた。無論、その人物と面識は無い。ただ行けと言われれば断る訳にも行かない。軍隊というものは上意下達であり、自衛隊も同じ様なものだった。という性質があるという認識が小野井にはあった。
「橋本八助…ねぇ。古臭い名前だな。」
それは今時の若者の直感であった。
「鹿児島県鹿屋市○×△□。何だよ。何にも無い住宅街じゃないか?」
それが伝説のパイロットの居場所とは知らず。
「あった。この家だな。表札も橋本ってなっているし。」
「ピーンポーン すみませーん!突然ですが八助さんはいらっしゃいますでしょうか?」
小野井に対応したのは80歳以上の高齢者だった。その婆さんは耳が悪いらしく耳元で八助はいるかと問うた。
「どうぞどうぞ。何にも無い所ですが。」
と、話がつけられているかの様に客間に通された。5分程すると100歳近いが背筋がピーンとした老紳士が海上自衛隊の制服姿の小野井に敬礼をした。その瞬間に確信した。この人は元軍人なのだと。今時、自衛隊員が道端を歩いていて敬礼されることはまず無い。世間話もそこそこに、橋本八助はこう切り出した。
「日浦から話は聞いています。あいつは私の甥っ子なんです。偉くなっても可愛いもんでね。」
「で、それはどういう内容でしょう?」
「零戦の事を教えてやってくれと言われました。」
「あ、そうなんですか‼自分も今それについて勉強していた所なんですよ。」
と、答えるのが小野井には精一杯であった。その時ようやくやっと自分が元帝国海軍軍人に話を聞くという日浦3佐の狙いに頭が及んだ。小野井は橋本の年齢を聞いておったまげた。御年96歳という。小野井の祖父と同年代だ。
小野井はあくまで、橋本の体験を好きなように語らせるのが、彼に対する礼儀だと思った。
「私は終戦の2年前に学徒動員で海軍に入隊しました。陸軍よりは飯の旨い海軍の零戦乗りに憧れて海軍を選びました。志願兵士とは異なり、赤紙や徴兵年齢に達した20代前半の若者達は、士気の低い者がほとんどでした。とても、とてもアメリカ、イギリスに勝とうというような空気どころの話ではなく、末端の兵士の願いは、戦争が終わるのをただ祈っていました。勝とうが負けようが、生きていれば故郷に帰れる。そう思っていました。」




