婚約破棄が成功する場合
「エリザベト・エストマン! 君との婚約を破棄させてもらう!」
ここはウオラン王国。その貴族家の屋敷である。
今、怒号を上げたのはジャームズ・エドクン公爵令息といって、この国でも有数の大貴族であるエドクン公爵家の長男で跡継ぎ。一方で婚約を破棄されたエリザベト伯爵令嬢は王国きっての美貌と品格を備えており、【聖女】の名に恥じない人柄と評判の人物である。
よりにもよってジェームズの弟君であるリカルド令息の15歳の誕生日を祝う場でのことである。そしてもうひとつ、リカルドの天職が判明しそれが公表される大事な場でもあった。
「……そんな……ジェームズ様……どうして……」
「どうしてだと!? 覚えがないというのか!?」
ジェームズは眦を吊り上げ怒気を増幅させている。周囲の冷ややかなテンションと反比例するかのようだ。
それもそのはず。この席は本来リカルドの誕生日を祝う席であり、二人は今日の主役ではない。なのにこのような騒ぎを起こし悪目立ちしているのだ。当のリカルドはぽかんとした顔をしていて、理知的で自信にあふれた普段の表情とのギャップが面白いが、それを楽しむものはこの場にいなかった。
また、この場に本来いるはずのエドクン公爵と奥方は偶々席を外しており、他の来賓はエドクン家よりも家格に劣る家の者ばかりで、誰もジェームズを止められるものがいなかった。
そもそも貴族家において婚約とは政略結婚であり、簡単に、本人の一存で破棄できるものではない。これが当主同士の話し合いで決まるのであればまだ受け入れられもするのだが。両者はこの婚約によって何かしらの利益を得ようとしているはずであり、その契約をどちらかが一方的に、それも婚約を破棄する力もないものが破棄しようとしたならば、存在そのものがこの世から破棄される可能性すらある。
──というような理解をジェームズ以外の会場内全員が共有しているので、唖然とはすれど青くなるものは少なく、当事者でもないからニヤニヤ下を向いて笑うものもいるほど。巻き込まれないように傍観者を決め込み、スキャンダルの少ない貴族界に一種の刺激を与えるものとして愉しみつつ距離を置く。概ねこのような雰囲気である。エドクン家とエストマン家には不運だが。
否、事態の馬鹿さ加減に気付いていない様子の者がもうひとりいた。ジェームズの陰に立つサラ・ミドルトン男爵令嬢である。こちらも容姿だけであれば通行人が必ず振り返る程の人物だが、貴族位の中でも最下級の男爵令嬢で、しかも庶子である。母親は貴族ですらない。
好色なミドルトン男爵があちこちで産ませた中で、唯一早世しなかったために一年ほど前に引き取られた曰く付きの令嬢であり、よって貴族たちから白い目で見られていたのだった。
そんなサラ令嬢だがエリザベトを見てはガクガク震え、自分をかばうように立つジェームズを見上げては頬を柔らかな朱に染めている。心なしかその大きな翡翠色の目も潤んでいるように見える。控えめに言ってあからさまな態度だった。
「今すぐ非を認めてサラに謝罪せよ! 君がサラに行ってきた数々の非道、許すわけにはいかない!」
「ジェームズ様……私のことを想って……!」
なぜか盛り上がっているジェームズとサラを残して、来賓は皆、事態の収拾を願って迷惑そうな目をしている。それは婚約破棄を告げられているエリザベトも同様で、普段の柔和な微笑が落ちたような、蔑みすら感じられる雰囲気を醸し出している。不可思議な虹色の宝石をあしらったブローチを光らせて、エリザベトはジェームズとサラに反論した。
「非道と仰いますが私には覚えがありません。加えて、私との婚約はジェームズ様、いえ、エドクン公爵家にとって特別なはずです」
「サラのことを無視したり、物を隠したりするなどしたであろう。階段から突き落とされたとも聞いたぞ」
「まさか。男爵家のサラ様が伯爵家の私と交友をするなど常識外でございますし、まして直接の暴力など考えにも及びません」
それより、とエリザベトはその目の奥に、限られたものにしか見出せないであろう嗜虐心を刹那だが明かした。
「私は恐れ多くも【聖女】の天職に与りナーローン教の担い手として王国のため身を奉じる所存でした。それはエドクン公爵家のジェームズ様にとっても同じことではないのですか?」
「それがどうしたというのだ。【聖女】がなんだ? それはサラへの侮辱を無かったことにする理由にはなりえん」
「何をおっしゃるのですか? ジェームズ様。【聖女】はこの国で魔物が暴れ、国土に被害の出ることのないようにするのが役目。そしてそれをバックアップしてきたのが、ジェームズ様やエドクン公爵家の皆様ではありませんか。エドクン公爵家が先祖代々所有しておられる教会秘具や聖なる庭園がなければ、【聖女】の効果は激減いたします。そして今までも、【聖女】に目覚めてからというもの、私は朝夕に祈りを欠かしたことはありません。そのために、この国は魔物の甚大な被害もなく。いわば【聖女】とエドクン公爵家は一心同体。貴族であれば当然ご存じの事かと思いましたけれど……」
ゆるゆると頭を振るエリザベト伯爵令嬢。サラに初めて視線を合わせて、うっすらと唇の端を持ち上げる。
「貴族と言っても、あるいは男爵令嬢であれば、存じ上げないのも無理は無いかとも愚考いたしますが」
失笑が会場から漏れる。あげつらわれたサラ本人よりも、ジェームズの方が顔を赤く染め色めき立っている。
無作法にもエリザベトを指さし、何か言おうと口を開きかけてはわなわなと震えるジェームズ公爵令息の姿は会場の人々の目にはさぞ滑稽に映ったのだろう。
「ふんっ……。じっ、自分の身分──【聖女】であることに胡坐をかきっ、その上サラへの罪までも否定するとは……。君をしっ、真剣に想っていた過去の自分をっ、なっ、殴り飛ばしたい気分だよ」
やっとのことで絞り出されたセリフは、どもったり噛んだりととても聴くに堪えないものだった。失笑のざわめきが広がる。
先ほどのエリザベトの指摘には納得の表情を浮かべる者も多いが、当のジェームズにはどこ吹く風だった。まるで会話がかみ合っていない。
どこまでも冷静なエリザベトと、口調だけは努めて平静だが目に昏い感情を灯したジェームズ。
誰がどう見ても、ジェームズは『終わって』いた。
「何よりもっ! 何よりも私は真実の愛に目覚めたのだ! エリザベト! 君がいくら僕たちを引き裂こうとも、二人で乗り越えて見せるさ!!!」
拳を震わせ、突き上げるかのような勢いで熱弁するジェームズ。
会場の来賓の方々の鉄面皮も限界突破まで秒読みと言った頃合いだ。あまりに香ばしい。もはや笑いを隠す気のない者も顕在化してきた。
「まあまあ兄上。事情はあとでお聞きいたしますよ」
いつのまにか回復したリカルドが手を叩きながら当事者たちに近付く。余裕そうな、つまりいつも通りの表情に戻っている。手を叩いて近付くのは馬鹿にするような、まるでまずまずの喜劇を見せられた観客のような優雅で皮肉めいた行動にも思える。実際は、会場の外に控える家の兵を呼ぶためのものだったのだが、幾分かは蔑みも混じっていたやも知れない。
リカルドの拍手を聞きつけ、兵士が数人「失礼します」と声をかけながら扉を開ける。何人かの表情筋が緩んでいるのは会話を聞くともなしに聞いていたからだ。
会場に入ってきた兵たちに、リカルドは「兄上とそばにいる令嬢を連れていけ」と命じた。
ジェームズの真正面に立つ兵士長は彼の幼馴染でもあるゲルト。明らかに狼狽とニヤニヤがないまぜになっている兵士たちの中で、さすがは若くして兵士長に収まるだけのことはある。表情を無に抑えじっと会場を見渡していた。視線はジェームズとリカルド、そしてサラとエリザベトの四名に平等に注がれている。
他の兵たちは、主人の次男が主人の長男を連行させるという状況にやはり戸惑いを見せたが、数秒の逡巡の後、ゲルトがジェームズを取り押さえるのをきっかけに、諦めた様子で首を振ってジェームズとサラを会場外へと引っぱり出した。
ジェームズが激しく全身に怒りを見せるが、会場の誰もが目を反らし、関りになりたくないというオーラを前面に展開している。サラについても似たようなもので、こちらは喚き続けるジェームズとは対照的に、兵士たちの姿が見えた時点で俯き表情をストンと消していた。
「離せ! 僕を誰だと思っている!」
「…………」
往生際悪くジェームズが喚くが、その声は次第に遠ざかり、観音開きの扉が元通り閉じられてすっかり聞こえなくなった。
こうして二人が連れ去られるなり、リカルドは手をパンパンと叩いた。多少無作法な気もするが、狙い通り注目を集める──今度の拍手はその意図だった──には最適だ。
「みなさん、お見苦しいところをお見せしました。大変申し訳ありません」
慇懃に一礼する。兄とそっくりだが、兄を柔和とすればこちらは怜悧な、と形容できる微笑を浮かべて言葉を継いだ。
「どうぞ歓談の続きをお楽しみください。本日は、僭越ながら私リカルド・エドクンが【聖騎士】の天職を授かった記念の式です。【聖】を司るエドクン公爵家の一員として、皆様におかれましてもどうぞ宜しくお願いいたします」
兄のことなど始めから無かったかのような挨拶に、会場の貴族たちは顔を見合わせ、恐らく新たにエドクン家の当主となるであろうリカルドに次々挨拶に伺っていった。
「エドクン家は公爵家だが、歴史の古さや家格の高さだけではない。ひとつ、先祖代々受け継いだ重大な役目がある。この国を魔物の信仰から遠ざけ、また住まう魔物を排除しつつ国民の安寧を図る──ナーローン教の教会の枢機卿を代々務める家柄でもあるのだ。最も重要な天職は【聖者】そして【聖女】であり、第三の選択肢としては【聖騎士】で、これも【聖女】の盾として考えられるから役不足ではない。それゆえジェームズがエリザベト──エリザベト様と婚約され、【聖女】を引き入れることは必至だった。リカルド様が【聖騎士】と判るまではね。一方でジェームズの天職は『無し』ということになっている。庶民ならばいざ知らず、貴族の血を引く者が天から何も授からない──これは大変珍しい。普通は貴族位と天職のレベルは比例する。低位の天職であっても、なんらかのものは授かるはずだ」
「ええ、半分だけが貴族の血の、それも名ばかり貴族家の私ですら天職持ちです。しかも高位の【魔術師】という……」
「君の家はまだ100年ほどしか歴史がないものね。それくらいの家柄なら、高位の天職持ちは突然変異という奴だろうね」
「そうですね」
口調は丁寧だがオブラートに包まない発言だ。あけすけな表現だが不快に感じた素振りは無く、彼女は頷いた。
そしてその翡翠色の大きな目で、柔和に笑う男を直視して疑問を発した。
「しかし、エリザベト様のエストマン伯爵家にはエリザベト様を嫁がせる利点は無いのでは? この一件の結果として、評判を落とすのはエストマン伯爵家よりもエドクン公爵家の方でしょう? 確かにエドクン公爵家は名家であり、この国唯一認められた枢機卿ではありますが、醜聞のあった家にわざわざ嫁がせたいのでしょうか?」
「三つほど理由が考えられる」
彼は指を三本立てた。
「一つは、エドクン家はまだまだ宗教的求心力を失っていないということ。国民の8割はナーローン教徒だ。反乱の組織などされたら目も当てられない。エストマン伯爵家領地は特に領民の信仰の厚い地域だ」
「次に、エストマン伯爵家領が昨年大規模な飢饉に見舞われたということ。年平均の三割ほどらしい。領民の税金を元手にしている貴族家にこれは痛い。そこで、エドクン家だ。家は布施などで金銭的蓄えが豊富なんだ。エストマン伯爵家にしてみれば、支援を受けられるし。むしろ醜聞に乗じたために支援を切られる方が痛手と計算してもおかしくはない」
「最後に、枢機卿を輩出する名家を途絶えさせてはいけないという国王以下伝統的価値観からの要請かな」
「以上の理由から、エドクン家とエリザベト・エストマン伯爵令嬢の婚約は恙なく行われると見立てることができる。何かしらエストマン伯爵家に便宜を図る可能性は高いけれど。そしてエドクン家の男は確実にリカルド──我が弟だ。【聖騎士】であることは内々で分かっているし、そうでなくても野心家だ。僕を追い落とそうと虎視眈々だよ」
順に指を折り、拳になった手を引っ込めるジェームズ・エドクン。向き合うのはサラ・ミドルトン。密会現場でかつ現行犯であり、見つかればやはり顰蹙ものだ。
まだ婚約破棄を衆目の前でパフォーマンスするほんの少し前のことだった。
サラは慣れない貴族のドレスのあちこちを手でさわりながら、これからの手順を確認する。ある程度は【星詠み】ヴィンヒルデの予測通りにいくだろうが、一大事でありやはり緊張する。互いに大根役者でないことを祈るばかりだ。
「それにしても──」
とサラは緊張をごまかすように会話の端を発する。ん? とジェームズが続きを促す。
「それにしても、私はよかったですよ? クソ種馬の家から離れられて。これで家の名誉失墜の上、あいつに私の行方を気にかけられる心配もしなくていいですから」
これで心置きなくギルドに専念できますし。とサラ・ミドルトン改め【魔術師】サラ・アステロアは言う。
彼女は『カルペ・ディエム』という冒険者の属するギルドの魔術師であった。ギルドは冒険者の拠り所で、ある程度の治外法権が許されている。中でも『カルペ・ディエム』は隠密性が高く、所属メンバーも明らかにされていない部分が多いというギルドだった。ミドルトン男爵も娘がその構成員であったことは知らない。
「『カルペ・ディエム』を見つけ出し依頼を出したあなたはおかしい。良い意味で、ですが。うちは秘密主義を売りにしているんです。後で聞いてとても驚きました。あなたが来た時に私はいなくて、ヴィンヒルデとピーちゃんだけが対応したらしいですね。バロガーもいなかった、と。ヴィンヒルデはあまり感情を露わにしませんけど、驚いていたでしょう」
「そうだったね」
ジェームズは穏やかな微笑を浮かべ続ける。
「驚いていたよ。『カルペ・ディエム』を見つけられるものがいたとは、って」
「でしょうね」
サラは深く頷いた。
「依頼内容もまた、わざわざうちに頼むだけあるなって感じでしたよね」
サラの言葉に、ジェームズは遠い目をする。
「ドラゴンを討伐し、その体内の宝玉を入手して来てほしい。ただし極秘で」
どちらともなく呟く。
「ドラゴンの討伐は本来違法行為ですからね。あまりにも危険なので、先代の王の時代に禁じられた……」
「ウオラン王国で唯一、討伐の禁じられた魔物。それがドラゴンだったね」
記憶がよみがえったのか、苦笑をありありと浮かべるジェームズ。
「エリザベトのわがままにも困ったものだ。何より、それに唯々諾々と従っていた僕自身にも驚きを覚えるよ」
ジェームズが『カルペ・ディエム』に依頼したのは、彼自身がエリザベトから懇願──という名の命令──を受けたからに過ぎない。そうでなければ、わざわざ危険を冒すものか。
「エリザベトの機嫌を損ねると面倒だという思いが強くてね。【聖女】だと判った日からエリザベトとの婚約は決定事項だったし、エドクン家のくせに次代に【聖】属性を持つ者がいないから両親の『エリザベトを何としても繋ぎ止めよ』という重圧もあった。エリザベトもなまじ狡賢くて、少しでも気に入らないことがあると『お父様にお願いして、婚約を解消させてもらうんだから』と言うんだ。今にして思えば、よく彼女の相手が務まったもんだ」
ジェームズが自嘲するような笑みを浮かべた。
「ドラゴンの宝玉だって、手に入れられないことはエリザベト自身解っていたはずなんだ。本物を見たことがないんだから。虹色の綺麗な宝石だってことくらいしか情報は無い。結局、ブローチに加工したみたいだね」
「とにかく、ジェームズ様を困らせてやろうとしたわけですね」
「まあそこはさすがに、僕の親や自分の親には言ってなかったみたいだけどね。限度を見極めていたんじゃないかな」
だから僕も拒めばよかったのに、下手に思い詰めてしまって……とジェームズは後悔するような口ぶりだ。
「一度依頼をしたギルドには偽物を掴まされかけた。あの時初めて天職が役に立ったと思ったよ。……別に偽物でよかったのに」
「あはは、真面目なあなたらしいことです。まあ【盗賊】は鑑定能力を持ちますからね。うちで使えるのはヴィンヒルデだけで、そのヴィンヒルデは本来は内務担当ですからね。鑑定を現地で使わせている時点でよくなかった」
「それで僕がスカウトされたってわけだ」
「ヴィンヒルデが推したんですよ。ジェームズ様は『カルペ・ディエム』に必要なお方だと。そうですね。でもそれだけじゃないですよ。私もバロガーもピーちゃんも、あなたが他の【盗賊】持ちとは違うことが分かりましたし」
「他を知らないからピンと来ないんだよね」
「そうは言いますが、対大型魔物で役に立つ非戦闘職なんて相当希少です。ヴィンヒルデすらその辺りは不得手で、自分の身を守るので精一杯なのですから」
「『【占い師】の上級職の【星詠み】にそこまで期待するのはそもそもおかしい』と、以前ヴィンヒルデさんは言っていたような……?」
「そ、それはともかく」
ゴホンと咳ばらいをわざとらしくして、
「『偽物を掴まされないように』なんて言ってジェームズ様が私たちに同行なさったのが依頼を受けてから二日後の事でしたね」
「そうだったけか」
サラは勢い込んで頷く。
「戦闘の経験のないジェームズ様の動向が拒まれなかったのはヴィンヒルデが推したからです」
実際それは間違いありませんでした、とサラは回想を続ける。
「見事な腕でした。マッピングに隠密化、弱体化魔法と、【盗賊】に求められる仕事は全てこなしていただけましたし、弱点を的確に突き、ドラゴンのバランスを一瞬で崩す素早い動き、どれをとっても初陣とは思えなかったです」
特に目を狙って正確に麻痺投げナイフを投擲された技術には感心しました、とサラは語る。実はこれを語るのは何十回目の事である。
褒められ慣れていないジェームズは何度聞いても照れてしまう。
「私たちも仕事を果たしましたし、ドラゴンの中でもまだ若い個体を狙いましたけど、あそこまで苦戦しないとは思っていませんでした。ピーちゃんが手持ち無沙汰になるのは珍しくて面白かったですよ」
「……そのピーちゃんにはお世話になった」
自分が褒められるのはやはり慣れない。会話の切れ目でジェームズは強引に話題を変えようとした。
「この計画もピーちゃんがいなければ実現しなかっただろうね。家人も、夜な夜な僕の部屋にトリが飛んできて、それで外部と密通しているとは思いもよらなかっただろう。軟禁状態にあった僕が」
「伝書鳩ならぬ伝書鸚哥ですね。ピーちゃんは厳密にはインコとは違いますけど」
そう言ってどこがおかしいのかサラはコロコロと笑った。
「普通のトリとは全然違いますからね。あなたを勧誘したり、私の相談に乗ってもらったり、逆に相談を持ち掛けられたり……。手紙の内容が意外と私たちに好意的で、ギルドで面食らっていたんですよ?」
「実は、ヴィンヒルデさんから注意を受けていてね。曰く、エリザベトの言動に僕はすっかり委縮して、それが彼女を増長させているのではないかと。何をやっても会うたびにため息をつかれて何かしらに文句を言われる。蔑ろにするような態度。自分より下だと思った相手には横暴だった。そうだろう? サラ・ミドルトン男爵令嬢」
敢えてその名前でジェームズがサラを呼べば、サラも「その名前で呼ばないでください」と軽く顔をしかめながらも発言内容自体は認めた。
「婚約者のあるジェームズ公爵令息に近付いたのです。演技とはいえ。『はしたない行為』『慎むべき』などの苦言は理解できますが、暴力、たとえば息のかかったものに事故に見せかけて階段から突き落とされそうになったり……。あとは暴言もこっそりと……。『庶民上がりの下賤な女のくせに』『売女の娘はやっぱりふしだらなのね』など……。母はクソ種馬に手籠めにされたのです。決して売女なんかじゃない! 母を侮辱するのは許せなかった……!」
「つ、つらい記憶を呼び起こしてしまった。すまない」
それまで概して穏やかな表情だったサラの顔が崩れ、悲しみと怒りに満ちた形相を見せる。
ジェームズは失言を詫びるとともに、急いで話題を変えた。
「とにかく、今まで当然だと思っていたことが『変だ』と言われて、そうかもしれない、と。ゲルトにもそれとなく聞くとやはりエリザベトの言動はおかしいと思うというんだ。それで、まあリカルドが【聖騎士】だと判ったりと色々あって、エドクンの名を捨てて生きる道が最良だと思い、今回ちょっとしたパフォーマンスに至ったわけだ」
ジェームズが差し出したハンカチで涙で潤んだ目を抑えながら、サラは改めてこの後遂行する婚約破棄の段取りを反芻した。
この計画は、ジェームズとサラ自身、二人の家からの絶縁イベントでもあるのだ。重大で、失敗は許されない。
ジェームズが、懐中時計を取り出して時間を確認した。パーティーまであと30分……。
「じゃあ、そろそろ行こうか」
「ええ」
いつも通り穏やかな微笑を貼り付けたジェームズと、翡翠色の目がまだ少し潤んでいたサラは、一見するとふしだらに、しかし実際は緊張と戦意をもって、手をつなぎ、指を絡めた。
そして今。
時間軸を婚約破棄直後、ジェームズとサラが会場を追い出されたところに戻す。
「もう大丈夫かな? ありがとうね、ゲルト」
ジェームズがゲルトだけに聞こえるようごく小さな声で言うと、ゲルトもまた、頷くともなしに了解の意を発してみせた。
ゲルトは「あとは俺が片付けておく。お前たちは会場の警備に戻れ」と部下の兵士に告げた。兵士たちが持ち場に戻り、廊下の陰に消えると、ゲルトはサラとジェームズの拘束を解いた。
「じゃあな、兄弟。達者でな」
ゲルトは短く告げる。不愛想だが、その顔には幼馴染への友情が感じられた。
次いでゲルトはサラに向き直り、軽く頭を下げる。
「サラさん。ジェームズをよろしくお願いします」
「いえいえ。こちらこそ、後処理を任せて申し訳ないです」
「すまないね。何から何まで世話になりっぱなしだ」
サラとジェームズも礼を言う。もちろん小声だ。万が一にも、【盗賊】を天職とするジェームズが情報を外部に漏らすわけはない。
「ゲルトがリカルドの暗殺計画を教えてくれなかったら、僕は大人しく殺されていたかもしれない。助かったよ」
「俺が大ケガした時に治してくれたのはジェームズだろう? いや、正確にはピーちゃんって言ったか、あのインコだってのはわかっている。でもジェームズのおかげだ。礼には及ばん」
ジェームズは無言で右手を出した。
ゲルトも手を出し、やはり無言で握手を交わす。
数秒の無言。
「元気でな」
どちらともなく手を解いて背中を向けた。
ゲルトはエドクン家の兵士長として勤めを全うするのみ。
そしてジェームズは、サラを伴って屋敷を後にした。
【盗賊】の隠密化能力でジェームズとサラの気配を消し、『カルペ・ディエム』の拠点に戻った二人は、メンバー二人と一匹から熱烈な歓迎を受けた。
「おかえりなさい」
たおやかにほほ笑むのは【星詠み】ヴィンヒルデだ。表に名を出している唯一の構成員であり、このギルドのリーダーを務めている。見た目は貞淑な淑女と言った感じで、腰まで伸ばした黒髪と、柔和な目元の奥の黒い瞳は夜空の闇を連想させる。
「無事だったか」
と筋骨隆々とした暑苦しい見た目の【戦士】バロガーが声をかける。こちらは彫りの深いワイルドな顔立ちに人懐っこい笑みを浮かべた巨漢で、細身のジェームズの優男っぷりとはまるで異なる。見た目は居る中で最も年上に見えるが、実はヴィンヒルデより年下であり、まだ30にもなっていないとのことである。
「オカエリ! オカエリ!」
インコの姿のピーちゃんが部屋中を飛び回りながら連呼する。こう見えて知恵のある魔物──半聖霊で、巨大化することができる。身体に纏い身体を構成する炎には再生能力がある。ところで魔物であろうが半聖霊であろうが、ウオラン王国では飼育は厳禁だ。魔物を仇なす存在と位置付けるナーローン教の影響を強く受けているためだ。
「ただいま」
「どうも」
サラが慣れた様子で手近な椅子に腰かけ、まだ慣れ切れていないジェームズは曖昧な返事になる。ゲルトを除き、対等な立場で挨拶を貰ったことがないジェームズにとって、この空間は少しむず痒いのだ。
これを言うと、サラは「……慣れですね!」と微妙な表情を吹っ切るように歯を出して笑い、ヴィンヒルデは「あらあら」と困ったように微笑み、バロガーは「これからは俺たちを家族と思ってくれていいからなっ!」と今にもジェームズの涙腺がはじけそうな声色で言った。
天職が判明したのが幼少だったから、エドクン公爵家に相応しくなくてかつ人聞きの悪い天職持ちだったジェームズは、割合に早くから家族にも鬱陶しく思われていたのだ。天職無しとされていた理由も外聞を気にしてのものだ。リカルドなど、本気で天職無しだと勘違いしていた可能性が高いとジェームズは踏んでいた。
平均して13歳、遅くて15歳の誕生日、早ければ生まれた時から──ひとりにひとつ。生涯定められた天職が判明してから、それがジェームズの半生に与えた影響は大きかったといえる。
「首尾は上々ですよ。多分ね」
サラがヴィンヒルデとバロガーに対して自慢するように胸を反らす。
ジェームズは深く頭を下げた。
「おかげさまで。エドクンの家からもリカルドからも逃げられそうですし、エリザベトのわがままに付き合わされることももうありません。ありがとうございました」
「気にすんなって! もう俺たちは仲間なんだ! 敬語じゃなくてもいいんだぜ!?」
バロガーが人懐っこい笑みでジェームズの背中をバンバンと叩く。胸が苦しい。ジェームズは顔をゆがめた。
「痛いですよ」
「そうですよバロガー。あなたは馬鹿力なんだから」
「おお、すまんすまん」
「バカヂカラ、バカヂカラ!」
サラがたしなめ、バロガーが笑い、ピーちゃんは部屋の天井近くを飛び回っている。快い騒がしさに、ジェームズは自分でも気づかないうちに、心からの自然な笑顔をのぞかせていた。
「では、あらためまして……」
にぎやかなメンバーを眺めて、ヴィンヒルデは穏やかに微笑み、優雅な動作で紅茶に口をつけた。
ジェームズ、サラ、バロガーがヴィンヒルデを見、ピーちゃんはヴィンヒルデの右肩にそっととまった。
「ジェームズ……ギルド『カルペ・ディエム』へようこそ。これからよろしくね」
お読みいただきありがとうございました。
なんとなく続きそうな終わり方をしていますが、続編の予定はありません。とするとオチが弱いかも?
もし続きの希望があれば書くかもしれませんので感想でいただければと思います。
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☆はひとつだけでも構いません。数字に表れることが嬉しく、モチベーションになります。よろしくおねがいいたします。