第4話 居場所
もう、どのクラスもとっくに授業が終わっている時間。いつもならもう地学講義室に来ているはずの御船が今日はまだ来ていない。
昨日の体育祭では変な形で目立ってしまったし、心配だ。
——1年の教室を訪ねてみることにした。体育祭の時に知ったが、御船はC組だったはずだ。
ちょうど教室を出て行こうとする3人組女子グループがいたので、その内の1人に聞いてみる。
「あの、少し聞いていいか?」
「はい、何ですか?」
「御船は教室にいるか?」
「え、御船さんですか、えっと、教室にはいないですよ」
「じゃあ、今どこにいるか分かるか?」
「し、知らないですよ。何でそんなこと私に聞くんですか?」
いや、近くにいたから声をかけただけなんだが……。
ちょっと挙動不審だぞこいつ。
何か知ってるのかもしれない。
「本当に何も知らないのか?」
「知らないって言ってるじゃないですか。私、もう行きます」
そいつは待たせている2人と合流して足早に去って行った。
俺を見て何やらヒソヒソ話している。
どうせ悪口だろうが、俺の不良の噂は他学年に広まるほど大きなものでは無いはずだ。
やはり昨日の二人三脚だろうか……。
「黒崎さん」
御船の声ではない。昨日会った武藤だ。御船と同じクラスメイトの女子。
「おう、武藤か」
「御船ちゃんなら裏庭にいると思います」
「裏庭? 何だってそんな所に」
「今日、教室で起こったことが原因です」
武藤はその出来事を話してくれた。
さっき俺が話していた3人組は、いつも御船の親父の悪口を言っている連中らしい。
御船は悪口を言われても、いつも黙ったままずっと我慢しているらしい。
「でも、今日は違ったんです」
「何が?」
「あの人達、黒崎さんの悪口も言ったんです。『不良のろくでなし』だって」
「……それで、御船は」
「その人達に怒鳴ったんです」
「怒鳴った……?」
「はい。お父さんだけじゃなく、黒崎さんのことまで悪く言われて我慢出来なくなったんだと思います」
怒ってくれたのか。
俺なんかのために。
「それで、その後は?」
「私、見たんです。あの人達が御船ちゃんのカバンを持って行ったのを」
「裏庭にか?」
「恐らく、ですが」
なるほど、本当に胸糞悪い連中だ。
「私は、また見ていることしか出来ませんでした……。ごめんなさい。」
「それは、仕方の無いことだろ」
そう、これは武藤が責任を感じることじゃ無い。
俺の責任だ。
「話してくれてありがとな。後は俺に任せろ」
「黒崎さん。御船ちゃんを助けてあげてください」
言われなくてもそうするに決まっている。
友達、なんだから。
——雨が降り始めた。傘は持って来ているが、地学講義室まで戻る時間が惜しい。
一刻も早く御船の所に行かなければ。
「御船っ!」
裏庭に御船はいた。
傘もささずに立ち尽くしていた。
「お前、風邪引くぞ!」
御船に近寄ると、御船の目線の先にある物が分かった。
御船のカバン。
それは花壇の上に置かれていた。
意図的にカバンに土がかけられた形跡がある。
雨で濡れて、それは泥だらけになっていた。
「ひでえことしやがる……」
「……黒崎さん?」
御船の表情は、とても辛そうだった。
震えた声で俺の名前を呼ぶ。
「もしかして、探してくれていたんですか?」
「ああ、心配したんだ」
「そうですか、ありがとうございます」
御船は微笑んだ。
でも、全然笑えていない。
引きつった微笑み。
御船が花壇からカバンを引っ張り出す。
「これは大丈夫です。さすがにショックでしたけど黒崎さんが来てくれたので、もう大丈夫です」
俺は、何となく御船の気持ちが分かった。
親父に拒絶された時の俺と同じ。
泣きたくても泣けない。
泣けなくて苦しい。
そんな微笑みだった。
「御船」
「……! 黒崎さん……?」
御船を抱き寄せる。
今の俺に出来ること。
それは、御船の『居場所』になること。
「泣くところって誰かに見られるのは嫌なんだが、だからと言って1人だと泣けないんだよな」
それは御船だけじゃなく、自分にも向けた言葉。
「だから、俺がこうやって泣き顔を隠してやるから。俺がこうしてそばにいるから」
「だから、泣いていいんだ」
御船は俺の背中に腕をまわした。
ぎゅっと、力を込めた。
そうして俺にしがみついて、泣いた。
「黒崎さんっ……黒崎さんっ……!」
俺は腕に力を込める。
大丈夫、俺はどこにもいかない。
俺はここにいる。
そして、お前はここにいる。
俺はお前の『居場所』。
そして、お前は俺の『居場所』。
やっと見つけた。大切な『居場所』。
だから、お前は泣いていい。
俺も、泣いていいんだ。
——地学講義室。
場所を考えればよかったな……。
制服がびしょ濡れだ。
とりあえずハンカチで拭いたが、ちょっも肌寒い。
「御船、大丈夫か?」
「ちょっと、寒いです」
「じゃあ、こっち来い」
「はい」
2人の人肌同士で暖め合った。
どっちも冷えてるから意味無いと思うが。
「ちょっと、恥ずかしいですね」
「俺はめちゃくちゃ恥ずかしい」
「そんなにですか?」
「女の子と部屋で2人きりでこんな事してたら、そりゃ恥ずかしいだろうが」
「そう言われると、私も恥ずかしくなって来ました」
御船は顔を赤らめた。
こいつもこんな表情するんだな。
何だかとっても……。
「ありがてえじゃねえか……」
「え?」
「いや、何でもない。それより、御船」
「はい?」
「俺が何で授業に出ないか、聞いてくれるか」
御船に全てを話した。
両親の離婚。
親父との喧嘩。
クラス内での俺の立場。
「黒崎さん、大変だったんですね……」
「いや、大変なのはこれからだ」
これまで、俺はただ逃げて来ただけだ。
立ち向かうことを恐れて、目を背けた。
でも、今は違う。
今は『居場所』がある。
帰って来れる場所がある。
だから、どんな辛い事にも立ち向かえる。
「俺達ならきっと乗り越えられる。だから頑張ろうな。俺も、お前も」
「……はいっ!」
——あの日から、色々な事が動き出した。
御船に武藤の事を話した。
御船から話しかければ、きっと武藤は友達になってくれるだろう。
すぐには、上手くいかないかもしれないが。
俺の方は授業に真面目に出るようになった。
親父に毎日話しかけるようになった。
相変わらず何も反応してくれないが、きっといつか前の親父に戻ってくれる。そう信じて頑張るしかない。
——夏になって期末考査も近づいてくる頃。
いつもの地学講義室で、御船は武藤の話をしていた。
あの3人組が教室にいる時は話せないらしいが、仲良くやれているようだった。
俺も親父の話をした。
この前、俺に相槌を打ってくれた。
たったそれだけのことを、誇らしげに御船に話した。
——夏休みになっても、学校が開いている日はここで会った。
時々、外に2人で出かけた。
プール。花火大会。夏祭り。
色んな思い出を作った。
御船の親父が出所したらしい。
これから大変だろうが、家族みんなで支え合っていくと御船は言った。
俺の親父は、少しだけ返事をしてくれるようになった。
『ああ』とか、『おう』とか。
ただ、それだけ。
でも、嬉しかった。
——文化祭が終わった11月頃、俺は1年の時に生徒指導で世話になった『丸井』先生に相談に行った。
1年の時ほとんど授業に出なかったから、色々と気がかりだった。
「俺って進級出来そうですか?」
「そうだねえ、2年になってからはちゃんと授業に出てるし、進級は問題無いと思うけど……」
「やっぱ、何か問題あります?」
「内申書で出席状況見られるから、受験で少し響くかもね。推薦だと特に見られると思うよ」
受験か……。
「推薦狙わないなら特に問題無いと思うけど」
「一応、気になりますね」
「そうか、だったら……生徒会に入ってみるのはどうかな?」
「生徒会ですか? 俺が?」
「うん。最近の黒崎君は真面目だけど、まだ信用していない先生もいるからね。ちゃんと更生したってアピールにはなると思うよ」
そういう訳で、生徒会に入ることにした。
任期は1年だから来年の受験とも被ってしまうが、何か1つくらいこの学校に貢献したいという気持ちもあった。
生徒会長と副会長は投票で決めるが、その他役職は、その役職の立候補者の中から生徒会長が決めるらしい。
今年の生徒会長は異例で、2年連続同じ生徒会長の『星輝介』。
春に少し揉めてしまったあいつだ。
まあ、完全に俺が悪かったわけだが。
俺を入れてくれるだろうか……。
——地学講義室で御船にその事を話した。
「黒崎さんが遠い人になってしまいます……」
「生徒会入るくらいで大袈裟だな」
「かくなる上は、私も入ります!」
「マジかよ」
「マジです」
俺は会計、御船は書記で立候補した。
——あっさり採用された。
星会長曰く『いやー、人がいなくて困ってたんだよねー』だった。
会長は案外軽い感じの奴だった。
春の事を謝った時も、あっさり許してくれた。
あの時の言葉は本当に純粋な善意だったのだろう。でも、あの時の俺は周りのものが全て敵に思えて拒絶してしまった。
今こうやって仲直りして、一緒に活動出来るのも御船がいなければ出来なかったことだろう。
俺1人じゃ、たどり着けなかった。
いくら感謝しても足りない。
それから色々仕事をした。
会計は委員会とか部活の予算管理をしるのだが、これが結構楽しい。
普段から倹約心掛けている俺の腕の見せ所。
会長には『ケチ〜』とか言われるけど。
仕事を通して、御船以外の生徒と話す機会も増えた。
クラスにも段々と馴染んで来た。
——風邪を引いてしまった。
学校に連絡を入れて休むことにする。
親父はいつの間にか仕事に出かけていた。
今日は朝の挨拶、出来なかったな。
時間感覚がよく分からない。
でも、眠っていたようだ。
腹減ったな。
お粥でも作るか。
部屋のドアが開いた。
俺が起き上がる前に勝手に開いた。
「親父……帰ってたのか」
親父が手に持つお盆の上には一杯のお粥があった。
黙って俺の隣に座って、俺のそばにお粥を置いた。
「親父が作ったのか?」
「……ああ」
親父がスプーンでお粥をすくう。
「口開けろ、良平」
「親父……」
「……美味いか?」
「ちょっと、水多過ぎたんじゃねえか?」
「……泣いているのか、良平」
「見りゃ、分かるだろ」
「……なあ、こんなダメな親父を、許してくれるか?」
「バカ、当たり前だろ、家族なんだから」
「良平、もっと食べろ」
「ああ」
「まだ、泣いてるのか?」
「親父も、泣いてる」
「そうかな」
「そうだよ」
「ほら、もっと食べろ」
「ああ」
なんて事のないやり取り。
なんて事のない当たり前の家族の時間。
俺は、ずっとこの当たり前のために頑張って来た。
辛くても、苦しくても、御船と一緒にずっと。
俺達は、また家族になった。