第3話 友達
親父が酒に酔って倒れていた。
部屋中散らかっていた。
親父の手には紙束が握られていた。
宝くじだった。
何枚買ってんだよ。そんな金がどこにあるんだ。
「ただいま」
親父は目を覚ました。けれど、決して俺を見ない。手に持っていた宝くじを俺に見えないように隠す。
「そんなの買っても、当たらねえだろ」
親父は何も言わない。ずっと俯いたままだった。それは、いつものことだ。
「親父」
親父の肩を揺すった。俺は普段こんな事はしない。でも、ひょっとしたら今の俺なら……
……変えられるのかもしれない。
「親父ってば」
もっと強く揺すった。親父は宝くじばかり見ている。
「宝くじなんかに頼るなよ。それよりさ、2人で頑張って……」
俺が親父の宝くじに手を伸ばした時だった。
親父の腕が、俺の手を払った。
親父は俺を見ない。
相変わらず宝くじばかりを眺めている。
「何だよ……」
今まで無視され続けたが、明確に拒絶された事は無かった。
今は通じ合っていなくても、家族なんだから、また分かり合える日が来るって……そう、信じていた。
心の奥底では親父のことを信じていたんだ。
信じていた。
信じていたのに。
信じていたのに!!
「ふざけんなよ!! てめえ!!」
胸ぐらを掴んで壁に押し付けても、親父は手元の宝くじを見たままだった。
頼むからっ、頼むから俺を見てくれよ!
何で頑なに目を逸らすんだよ!
俺はあんたの息子なのに!
あんたは俺の父親なのに!
家族なのに……。
「何でだよ…! 何でなんだよお!! ちくしょお!! ふざけんなよ!!」
変わらなかった。
俺が馬鹿だった。
ここに俺の居場所は無いんだ。
変えられないんだ。
泣きたくても、俺は泣けなかった。
——家にいるのは嫌だ。
でもどこに逃げればいい?
この時間じゃ地学講義室には行けない。高校生で夜を明かせる施設は無い。
困ったな……。
深夜になって、親父が寝るまで待ってから家に帰るしかない。
——さらに困った。迷子の小さい女の子を発見。幼稚園児くらいだ。俺に心休まる時間は無いのだろうか。
まあ、時間つぶしにはちょうどいいかもしれない。
「お前、はぐれたのか?」
急に話しかけたせいか、少し驚いてから女の子は控えめに頷いた。
「最後に一緒にいたのはどこだ?」
女の子は首を傾げた。
「来た道も分からない?」
女の子は頷く。
「え~と、じゃあ……住所とか親の電話番号とかは?」
女の子は何かを思い出したように小さなリュックからメモを取り出す。
番号が書かれていた。
「お母さんのか?」
女の子は首を振る。
「お姉ちゃんの。でも、お電話かけられないの」
初めて口を開いた。
そういうことなら俺が連絡すれば解決だ。
メモの番号に電話をかける。
『はい! 武藤です!』
つながった。電話越しでも、息遣いとか言葉遣いで慌てている様子が伝わる。
「あの、もしかして妹さんが迷子だったりしますか?」
『妹と一緒ですか!?』
「はい、えっと……」
現在位置を伝えようと,目印になるものを探した。
目に見える所に小さな公園があったのでその名前を告げる。
『分かりました! 申し訳ないんですけど、妹と一緒に待っていてくれませんか?』
「構わないですよ」
すぐ行く、と言って電話が切れた。
「あの公園で待ってれば、お姉ちゃん迎えに来るってさ。行くぞ」
「うん」
女の子は俺の後ろをよちよちとついてくる。もし妹がいたら、とか考えてしまった。
——公園のベンチに2人で座って待つ。
「お兄さん、お名前」
「ん、黒崎だ」
「黒崎お兄さん、ありがとうございます」
ペコリと頭を下げる。礼儀正しい子だな。
——おい見ろよ、黒崎じゃねえか?
微かに声が聞こえた。男子生徒が2人。
俺は失態を犯した。この公園はうちの学校の生徒がよく通る道沿いにあった。
制服を着たまま家を飛び出したから、余計に目立つ。
——女の子と一緒にいるぜ
——今日、1年の女子と二人三脚してたよな 年下好きか?
好き勝手言ってくれるな、全く。
——あんな不良がいると本当迷惑だよな
——あの1年もやばいらしいぜ、父親が『犯罪者』だって
——は?
今なんて言った?
御船の父親が、『犯罪者』だって?
あいつ、そんな事情が……。
それでクラスに馴染めないのか……?
——マジかよ、そりゃ黒崎みたいなのと一緒にいるのも頷けるな
何だよ、それは。
父親が犯罪者で、一緒にいるのが不良で、ただそれだけだろ。
御船は俺と違って、ちゃんと授業に出ている。
体育祭だって頑張った。
俺と一緒にするなよ。
——きっとそいつ、碌な奴じゃないな
俺のことはいい。
でも、御船のことを悪く言うな。
言わないでくれ。
「悪口が言いてえなら、堂々と言えよ!!」
こんなことしても面倒事が増えるだけなのに、俺は我慢できなかった。
男子生徒はどっちも非力で、胸倉を掴んだ俺の腕を振りほどけないでいる。
「は、離せよ!」
「お、落ち着けって、黒崎……」
落ち着けないからこうしてるんだろうが。
ふざけやがって、どいつもこいつも。
「言ってみろよ、御船がどんな奴だって!?」
「あ? ミフネ? 誰だよそいつ、お前おかしいぞ!?」
「ちっ、どっか行っちまえ!!」
手を放してやると、しりもちをついた後、一目散に逃げ出して行った。
本当に胸糞悪い連中だ。
「黒崎お兄さん」
すぐそばに女の子が来ていた。
怖がらせてしまっただろうか……。
「黒崎お兄さんは、悪い人なの?」
「あいつらが『不良』だって言っていただろ? だから、悪い人だ」
「でも、黒崎お兄さんは助けてくれた」
「俺はあいつらを怖がらせたんだ、悪い人に違いないだろ?」
「でも……助けてくれた」
頑固だなこいつ。
「お前から見れば良い人かも知れないけど、大多数の人からすれば悪い人なんだよ」
「それって、変」
「そういうもんなんだよ」
周りの人間は俺とは違いすぎる。
みんな普通に両親がいて、仲間がいて、居場所があって……。
俺とあいつらは理解し合うことが出来ない。
この子だって、俺の一部分だけを見て良い人だと言っているだけだ。
誰も俺のことは理解出来ないし、俺も周りの奴ら理解出来ない。
でも、御船。
あいつは……。
——10分くらい経っただろうか。
「本当にすみません!! 妹がお世話になりました!!」
お姉さんが迎えに来た。やっぱ姉妹って似るんだな、とか思った。
「あの、もしかしてあなたは……」
姉が何か言おうとしていたが、妹が遮った。
「お姉ちゃん、お腹空いた!」
「まったく、この子はもう……」
微笑ましい姉妹だ。
——ギュルルルル……。
お恥ずかしいことに俺の腹の虫が鳴ってしまった。
「黒崎お兄さんも、お腹空いてる?」
「よかったら、ご一緒しますか?」
「いや、それはさすがに……」
——ご一緒することになってしまった。
妹の方が俺を離さなかったのだ。
実際、お腹空いていたし行く当ても無いから助かるが。
「妹が食いしん坊なので、両親が帰ってくる前にいつも2人で先に食べるんです」
そう言って、姉の方は俺の分の飯も用意してくれた。
俺がいつも作るのよりも少し豪勢だった。
「あの、御船ちゃんの友達ですか?」
こんな所で御船の名前が出てくるとは思わなかった。
私服姿だから気付かなかったが、同じ学校なのか。
「友達っていうか、腐れ縁っていうか」
「二人三脚に出てましたよね、制服姿で」
「う、記憶から抹消してください……」
思い出しただけでも恥ずかしい。
「あの、御船ちゃんは元気ですか?」
「元気……ではありますね、特に今日は」
「笑ってますか?」
「笑ってましたけど、あなたは一体?」
「あ、申し遅れました。1年の『武藤桜』です」
1年……御船と同じクラスの生徒だろうか。
「2年の『黒崎良平』です」
「あ、先輩だったんですね。でしたら、タメ口で結構ですよ」
「ああ、そうだな」
電話越しに敬語で会話したから流れでそのまま喋っていたが、正直言うと敬語は苦手だ。
「少し、聞いてもいいか?」
「はい」
「御船はクラスでは、どうなんだ?」
さっきのあいつらの言葉が気になっていた。
父親が犯罪者。それは2年生のあいつらにも伝わほどの噂だ。
クラスに広まっていないということはないだろう。
「……その、実は」
言いにくいことなのは察しがついた。
俺の想像通りで無いことを祈る。
「いじめられているんです」
一番聞きたくない言葉だった。
「クラスのみんなからではなく、一部のグループなんですけど……」
「……続けてくれ」
「その子たちが、御船ちゃんのお父さんの悪口を言うんです。わざと、御船ちゃんに聞こえるように」
「そいつは、胸糞悪いな」
妹さんの前でこういう話はどうかとも思ったが、食べるのに夢中で聞いていないようだ。
俺は話を続ける。
「お前は、御船の友達なのか」
「そう、なりたいんですけど……」
自分もいじめの標的になる。
それは当然の恐怖だ。
「御船ちゃんが辛そうにしているのを見ていることしか出来なくて、私も黒崎さんみたいに助けてあげられたらいいのに……」
「それは、仕方ねえよ」
仕方の無いこと。
理不尽なこと。
御船も、俺と同じだった。
自分ではどうすることも出来ないことに苦しんでいる。
そうやって苦しんで、あの場所に来たんだ。
居場所を求めて。
俺は、もしかして御船の居場所になっているのか。
だとしたら、それは嬉しい。
何でかはよく分からないけど。
「これからも、御船のこと心配してやってくれよ」
「……はい。私にはそれくらいしか出来ないですから」
「じゃあ、飯美味かったよ。ご馳走様」
「今日は本当にありがとうございました」
「黒崎お兄さん、ばいばい!」
「おう、ばいばい」
——制服姿で夜にうろつくわけにもいかない。とりあえず、家に戻るしかなかった。
親父が起きていないことを祈る。
まだ夜の8時だが、親父はもう寝ていた。
自分の部屋に戻って鍵をかける。
御船のことが気になった。
あいつの事情を知って、俺はこれまで通りにあいつと接することが出来るだろうか。
俺との二人三脚のことで、悪い噂が立たないだろうか。
今日はとにかく刺激が多い1日だった。
もう寝よう。
——昼休み、御船は来た。
「こんにちは、黒崎さん」
「おう」
御船はいつも通りだった。とりあえず、安心した。
「お菓子、いりますか」
「……じゃあ、貰おうかな」
「それでは、お話を……って、貰ってくれるんですか!?」
「お前が『どうぞ』って言ったんだろ」
「は、はい。じゃあ、どうぞ」
袋の中からチョコレートをいくつか貰う。
その後、紙コップに紅茶を注いでくれて、お話が始まった。
今日のお話は、ウサギがオオカミに襲われて、それを優しいクマが助ける話。
御船の話に悪役が出てくるのは意外だった。
「いつもよりは、マシな話だったな」
「黒崎さん、まだ続きがあります」
ほう、それは気になる。
——オオカミさんは寂しがり屋で、友達を欲しがっていました
——でも、接し方が分からなくてウサギさんを傷付けそうになってしまったのです
——オオカミさんが寂しがっていると、小さなヒツジさんがやって来ました。
——ヒツジさんも友達がいなくて、寂しい思いをしていました。
——ヒツジさんは勇気を出してオオカミさんに話しかけました。
——オオカミさんとヒツジさんは、あまり話をしませんでしたし、体の大きさが違い過ぎて一緒に遊ぶのも難しかったようです
——それでも、2人は寂しくなくなりました
——おしまい
「……どうでしたか」
「今回は、普通にいい話だったな」
「今日のお話は、筆が乗ったんです」
「え、原稿があるのか」
「はい、いつも書いてます」
「小説家にでもなるのか?」
「そのつもりです」
マジかよ。御船の将来が不安でならない。
俺と御船は理解し合えない関係だと思っていた。
でも、今なら分かる。
俺はこいつと一緒にいて楽しい。
俺とこいつは友達だ。
互いにとって、たった1人の友達。
こいつがいれば、頑張れる。
昨日はダメだったけど、今日も親父に話しかけてみよう。
傷付いて、辛くなっても、明日御船に会えると思えば頑張れる。
そして、御船が辛いのなら俺が力になる。
そうやって助け合っていこう。
俺達ならきっと大丈夫。
そう思った。
——その日の放課後。
御船は来なかった。