三話
三話です。
よろしくお願いします。
果ノ鬼江戸支部 工廠区
老人は、壁に埋め込まれた鬼に対面していた。
「【海神】か。哀れなもんじゃ」
分厚いグローブを付けた右手で、鬼の顔を叩く。
口を開けた鬼。
それだけを聞けば、さして不思議なものでは無い。
「お前は今、一体何を見ているのじゃろうな。
ただ口に入ったものを咀嚼して生きるだけの、お前は」
口の大きさが、異常だった。
およそ生物とは思えないほど、上下に三メートルも開いた大口に、老人の弟子が大量の玉鋼を投げ込んでいく。
「テルノドシア様。お下がりください」
「ああ、分かっとるよ」
鉄火の光に焼けた、鈍色の瞳で鬼を一瞥した老人、ガイス・テルノドシアは、齢百をゆうに越えたにも関わらず、確かな足取りで己の工房へと戻っていく。
「先の警報はなんだったのじゃ?」
「【鬼力潤透】を使用した塙殿が、誤って工廠区内に侵入したものだそうです」
弟子の言葉に、フンと鼻を鳴らしたガイスは、
「ヤツがそんなヘマをするか。焚き付けたモンが居るんじゃろ」
工房へ付き、扉を開けて、
「淨滅武装【永久なる憐芥】も届いておるし、どうせ蓮瑞じゃろ」
「は、はぁ。また、派手に損耗させましたね」
巨大な金床の上で、牛鬼を滅した剣がその存在を主張していた。
ガイスは刃ではなく、機構の方を手でなぞり、
「あのバカ、鳴雷主体で戦いやがった。ありゃ損耗が激しいから止めろっつったんじゃがな」
「しゃあないでしょ、ガイス爺。牛鬼、纏氷効かないんだもん」
苦笑の色を持った声が来る。
ガイスの振り向いた先には、戸口の柱に寄りかかる蓮瑞の姿があった。
「なにが『もん』じゃ。牛鬼にゃ氷か風と教えたじゃろうが」
「ガイス爺、風はダメだわ」
柱から背を離し、
「これ、牛鬼の心核」
赤黒い結晶を受け取り、鑑定術を用いる。
結果。
「炎への完全耐性と......己が鬼力の満ちた『場』での弱点属性への耐性......?」
「一応初見に【千風】は撃ったんだよ。でも、前脚の一振りで掻き消されてねぇ......」
「......纏氷は」
「斬れたよ?裂けても、割れてもいなかったけど」
「......フン、ならいいわい」
鬼力を元にした淨滅武装の属性攻撃は、鬼の外殻を割るか裂くかして内部に攻撃を与えねば、有効打とはならない。
それを理解している二人の考えは、武器を激しく損耗させるが、鬼の内部に直接被害を与える鳴雷の使用に行き着いた。
「エクレアの損耗、そんなに酷いの?」
蓮瑞のその問いに眉をしかめる。
「お前なぁ......損耗云々は分からなくても構わんが、その名前は一体なんじゃ」
「ええー?」
金床に座する淨滅武装をぺしぺし叩きながら、蓮瑞が、
「淨滅武装【永久《永久》なる憐芥】。永久なるって読めるじゃん?んでエク。レアは、憐芥で頭文字取ったのよ」
それに、
「ガイス爺、昔、俺が五歳くらいの頃に、故郷のエクレアってお菓子が食べたいって言ってたじゃん?」
フ、と笑って、
「俺は外の世界を知らないから。ガイス爺の言うエクレアってのがどんなもんか分かんないけど、さ」
うん、と
「いつか、ガイス爺を外に連れてって、故郷の味をもっかい味わって欲しいから、さ」
そう考えて名付けたんだけど、ダメかな?
そう言う蓮瑞から、ガイスは顔を背け、
あ、クソ、こっちにも弟子いるじゃねえか。
上を向いて、ふぅと吐き、
「ジジイに甘いもん食わせんじゃねえよ、馬鹿野郎。
エクレアの語源は雷だ、鳴雷程度にゃ耐えられるように改良しといてやる」
ありがと、と笑いを向けてくる蓮瑞の頭を、ガシガシと掻くと、
「光輪、蓮瑞と高密度玉鋼を取り出してきてくれ」
「はい」
光輪と呼ばれた弟子が、先程来た道を戻っていく。
「ほれ蓮瑞、お前も行くんじゃよ」
「また、何か作んの?」
「鬼穿刃が大量に注文されてるんじゃ。ホレ、行った行った」
手を振るガイスに肩を竦めた蓮瑞は、先に行った光輪を追う。
目的地がさほど遠くない為か、もう到着していた光輪の背に、声をかける。
「随分海神の腹が膨れ上がってるな」
「鬼穿刃、およそ六本分です」
答えに、ひゅうと口笛を吹き、
「江戸支部所属の果鬼の装備、一括で新調する気かよ」
「当たらずとも遠からず、ですね。新調、というよりは新規の果鬼用です、これは」
眉をひそめ、
「『新規』の果鬼?それも一人二人じゃなく、六人も一括で?」
「ええ」
ヘラヘラと笑っていた口元が動きを止め、右手に覆われる。
左手で腹を押さえ、少し前斜体勢となった蓮瑞が呟き始めた。
ボソボソと聞こえてくる言葉に、普段の快活さは一切ない。
「一支部に果鬼の大量配備.......?【牛頭】の討滅作戦に似たようなことが起きたはずだが......俺に連絡が来ないってこたぁ、果ノ鬼独自で動いてんのか.......?」
「蓮瑞さん、蓮瑞さん、ちょっと」
思考に没頭し始めた蓮瑞を、光輪が呼び戻す。
「ん、ああ、なに、なに?」
「海神の腹を裂くのですが、手伝って頂いても構いませんか?」
「あー、はいよ」
渡された刀を一振り、海神の胃に当たる部位を縦に切り裂く。
「脂肪分が刃に絡み付き、その進みを遅くする海神の肉。それをこうもあっさりと裂くとは......」
「そんなに驚くことでもないでしょ。エクレアが十四年前にガイス爺に作られるまで、コイツから採れる合鋼を原料にした鬼穿刃が鬼に対する唯一の対抗力だったんだし。
てことは、ある程度の量を取り出すことは出来てたんでしょ」
うへぇ、と刃に付いた血脂を付属の布で拭う蓮瑞を視界の端に収めながら、既に傷口が塞がり始めている海神の体内から急いで合鋼を取り出す。
一抱え程の塊を一つずつ、ふらつきながら台車へ運んでいると、四つ目の途中で両手に合鋼を二つ持った蓮瑞が隣に並ぶ。
「あ、お手伝い、感謝、です......」
「いやー、思うけど、これ重いよねえ」
ひょい、と軽い動きで合鋼の塊を台車に置いた蓮瑞に、先に置いた光輪が息を切らせながら答える。
「大量の陰陽師が、一流の剣豪の刀に陰陽術を付与し、切り裂くことは出来たようですよ?」
「ふーん、てか、コイツって六角衆の【蜃】が幻覚を見せてるんだっけ?」
「ええ、痛覚を麻痺させ、咀嚼し錬成するという特性にのみ特化させています。合鋼に体液が付いていないのはそのせいですね」
「食物による栄養摂取を必要としない鬼が、なんで咀嚼をもとめるんだかなぁ」
そうですね、とふと思って、
「着きましたね。先程の質問ですが、海神は、およそ百八十年前の鬼の発生時に、地下の坑道に取り残された鉱夫が、飢餓により死亡する直前、食べ物を欲した欲求、要は食欲で生まれた鬼です」
工房の扉を開けながら、
「もはや食物に対する欲求は消え失せましたが、それでも、何かを食べ、咀嚼したいという本能が海神の有り様を成しているのでしょう」
まあ、と付け加える。
「食べた物を高密度に圧縮し、鬼力を付与する。まるで私達のために作られたような鬼です。
そんなこと、あるはずはないのですが」
ふむぅ、と蓮瑞は納得の意を一息に込め、光輪と合鋼が乗った台車のあとに続いて工房に入った。
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