縁談
箔炎は、必死に久中の宮へ行きたくない、お兄様の結界内から出たくないと訴える、悠理の言葉を全面的に飲むことにした。
悠理は、そもそも悠子についてここを出て行くことが出来たのに、その時もお兄様の結界内に居たい、と言って残ったのだ。
宮のためとはいえ、兄が必要でないと言っているのに、臣下の言葉を鵜吞みにして、行くというはずはなかった。
しかし、成人してしばらく、そろそろ悠理には、久中でなくても別の縁も舞い込んで来る頃で、臣下達は皇女が居たら、それをどうにか利用できないかと考えるので、来なくてもこちらから話を持って行くことも考えられた。
そんなわけで、箔炎はやはり、悠理を軍神に降嫁させようと思った。それも、出来るだけ早く。
とはいえ、軍神でも下位では身分に合わないし、そうなると筆頭、次席、三位、四位となるのだが、佐紀はあれで350歳、軍務一筋でとても妻など欲しくない様子であるし、次席の雲居は250歳、妻は一人、子が一人。そこへ悠理が降嫁したなら、身分柄正妻となるので家庭内が乱れる可能性もある。三位の八雲は悠理と同じ年ごろの200歳と少し、確かによく出来たヤツだがあちこち声を掛けて女を選別している感じがあり、そっちの方は緩そうな印象だ。あまり妹を嫁がせたいとは思えない。となると四位の佐井なのだが、佐紀の弟で300歳、妻は3人で子が五人。雲居と同じ事になるし、四人目となると更に悪い事になるかもしれない…。
箔炎は、頭を抱えた。軍神とて誰を選べば良いのだ。いっそのこと、維心がやったように宮で軍神を募り、立ち合わせて勝ち残った者に降嫁させたらいいのだろうか。
そうやって悩んでいた箔炎に、玖伊がやって来て両膝をついた。そして、また何やら書状を持っているのに、面倒になって手を振った。
「何ぞ?婚姻であったら受けぬぞ。悠理は軍神に降嫁させることにした。もうあれを煩わせるでないわ。」
しかし、玖伊は首を振った。
「いえ、違うのです。悠理様を外へ出さぬという王のご意思は固いと思うておりますので、そちらはもう、持って参らぬことになり申しました。それより、本日は王のご縁談なのでございます。」
箔炎は、キッと玖伊を睨んだ。まだ婚姻による繋がりがとか言うておるのか。
「もう良いと申すに!面倒ばかりを持ってきおって、やっと宮が落ち着いたと思うたらそれか!まだ成人したばかりなのだぞ?いい加減にせよ、それとも斬って捨てねば分からぬか!」
玖伊は震え上がった。確かに龍王は、かつて臣下諸共連れて来た皇女までも切り捨てたと聞いたことがあるが、箔炎はまさかと思っていたからだ。
しかし、箔翔を一瞬にして殺した箔炎なのだから、やる可能性は十分にあった。
玖伊がガクガクと震えながら尻餅をついていると、脇から箔真が入って来た。
「兄上、どうかそれまで。」と、玖伊を見た。「もう良い、下がれ。主らも、立場を弁えよ。婚姻など、簡単に持って参るでないわ。今はそんな時代ではない。王同士の直接の関係が宮を守るのよ。」
玖伊は、震える手で落としてまき散らされた書状や絵姿を拾い集めて、脱兎のごとくその場を出て行った。
箔炎が腹を立てながら収まりもつかずにそこに座り直すと、箔真は苦笑して言った。
「兄上…お気持ちは分かりまするが、しかし臣下も必死であるのです。どうしてもうるさいと思われたら、我が娶りまするゆえ。どうか、あれらを斬ったりなさらずに。」
箔炎は、そんな箔真に腹を立て続けることも出来なくて、息をついて肩を落とした。
「…主がそんなことをすることは無い。重臣も若い者達に換えた方が良いやもしれぬの。あんな昔のやり方で今の世を何とか出来ると思うておるのが気に食わぬ。玖伊ももう600を超えたし、玖気は我に反旗を翻したゆえ処分したしな…次男の玖見は?確か会合でもよう発言しておったな。」
箔真は、頷いた。
「は。玖見はかなり賢いことで有名で、玖伊も玖気が生きておった時でも、玖見を跡目に考えておったようでありまする。それゆえの、玖気の反乱であったかと。」
箔炎は、悟って顔を暗くした。
「あれも必死であったのだな。我云々よりも、己の将来がかかっておったのだ。玖伊が我につくならば、他を立ててそちらに着かねば、自分は日陰に身になると。そう思うと哀れではあるが、我は己に歯向かうものを許すわけには行かぬから。」
箔真は、頷いた。
「は。誠にそのように。」
箔炎は、パンパンと自分の膝を叩きながら、考えた。
「玖見の考え方は若いゆえか新しい。確かにまだ未熟なところもあるが、それは我が補佐するゆえ問題ないと思われる。ならば、やはり代替わりを促すべきか。重臣達は皆、歳をとり過ぎておる。考えの古さを変えられないのなら、もう次へ代を譲れと今度の会合で申すわ。もう800の奴も居るではないか。世は刻一刻と動いておるわ。こんな者達が決めたのなら、婚姻婚姻というて来るのも分かるというものよ。」
箔真は、それには確かに賛成だったが、しかし一気に換えてしまったら、臣下の反感もかうだろうし、まだ現役でいたいと、生涯宮に務めるのだと思っている臣下には、苦い話になるだろう。
だが、王の箔炎がこうと言ったらこうなのが、神の宮の決まり。死ねと言われたら死なねばならぬのが、王に仕えるということなのだ。
なので、何も言わずにそれは流した。箔炎も、自分の中で考えを完結したようで、ふいに箔真を見ると、言った。
「時に箔真よ。主、悠理の相手のことであるが、臣下がうるそう言うて来る前に、軍神に降嫁させたいと考えておるのだが、主はどう思うか。」
箔真は、眉を上げた。姉上の?
「…それは、姉上が良いならそれで良いのですが、どうおっしゃっておるのですか?」
箔炎は、息をついて頷いた。
「悠子殿がここを出た時と同じよ。我の結界内に居たい、とな。ならば、一生独身でおるか、軍神に降嫁するかどちらかであろう?また臣下がどこからか話を持って来ぬためにもあれには早く誰かに縁付く必要があるのだ。あれはよう訓練場に出ておるし、誰か親しい軍神は居らぬか。序列は高い方が良いのだが。」
箔真は、それを聞いて唸った。確かに悠理が望み通りにするなら、軍神に嫁ぐのが一番いいのだが、めぼしい軍神は居ただろうか。
「…心当たりはありませぬ。あれは確かに立ち合っておりますが、誠にそれだけで。話すのは佐紀と雲居ぐらい、つまり、筆頭と次席でありますな。他は皇女でありますし、自然控えまするので。」
箔炎は、うーんと天井を見た。
「どうしたものかの…。維心殿のように、皇女を望む奴らで立ち合って勝ち残った者が娶るというのも有りなのだが…いっそ、軍神を並べてどれにすると悠理に決めさせた方が良いのか。」
箔真は、慌てて言った。
「それはあからさまでありまする。それならまだ、立ち合いの方がましであるかと。とはいえ…姉上に、一応誰か嫁ぎたい者が居るか、聞いてみても良いかと思いますが。」
箔炎は、それには同意した。
「確かにの。悠理だって好みがあろうし、もしかしたら良いと思うておる奴が居るやもしれぬではないか。その上で、相手に聞いてみて良いと申すならそこへ嫁ぐということで。どうよ?」
箔真は、ホッとしながら頷いた。
「は。我もそのように。では、姉上にご希望を聞くということでありますね?」
箔炎は、頷いた。
「そうよな。では我より、主の方が幼い頃からあれと共であったろう。ちょっと聞いて来てくれぬか。誰か良いと思う男は居るか、それともこっちで決めて良いかと。」
箔真は、目を丸くした。我が?!
「え、我が姉上に聞いて参るのですか?」
箔炎は、何度も頷いた。
「主の方が良い。我だとあれも言いにくいのではないのか。主なら弟であるし思うておることを言いやすいであろう?一生独身が良いと申すからそれでも良いから、とにかくそこの辺りを聞いて来てくれぬか。」
箔真は、確かに兄には緊張気味な悠理も、自分には気軽なのだがと思いながらも、なんとも聞きづらい事に気を重くし、それでも仕方なく箔炎に頭を下げた。
「は。兄上がそうおっしゃるのなら。」
箔炎は、満足げに頷いた。
「頼んだぞ。主は頼りになるの。」
箔炎の機嫌が直ったのは良い事だったが、箔真は姉に婚姻をどうするだの聞いてこなければならないことに、気が重かった。