鷹の宮
箔炎は、今では落ち着いた様子で鷹の宮を治めていた。
一時は代替わりのごたごたで乱れていた宮も、佐紀と玖伊の二人が徹底的に叩いた結果、反乱分子は一層され、皆が箔炎を王として敬い、仕えていた。
悠子は、箔炎が即位してしばらくした時に、帰りたいなら帰れば良いと言い渡されていた。
その子の悠理と箔真は、鷹である事実は消えぬが、それでも母と行動を同じくすると言うのなら、留めはしないので好きにすれば良い、だが、いつかは帰らねばならぬようになる、とだけ、言った。
悠子の動きはもう、宮に知れ渡っていたし、反乱分子が全て一掃されてしまった時、悠子には居場所が無かった。
なので、悠子は高晶の治める宮へと帰ると言ったが、箔真はもう、最初から残ると箔炎に言い切っていて、悠理も、悠子に共に行こうと懇願されたが、後ろ髪を引かれる思いで、鷹の宮に残ると、決めた。
なので、今は兄弟姉妹仲良く宮で暮らしており、悠子は悠子で、あちらへ帰った後に、父と母が隠居する離宮に入り、今では穏やかに暮らしているということだ。
そうやって落ち着いた鷹の宮では、今婚姻の話が浮上していた。
とはいえ、箔炎の婚姻の話ではなく、悠理だった。玖伊が、書状を箔炎に差し出して、言った。
「あちらでは、宮のために高い地位のある宮から是非に妃をと願っておるようで、立ち合いをなさると聞いて、ならば軍神達の指南もしていただけるので一石二鳥とそれは前向きな様子であられまして。」
箔炎は、うーんと唸った。
「…まあ、臣下にしたらそうであろうが、あちらの王は?この書状の様子だと、王の希望は何一つ書かれておらぬ。あちらへやったわいいが、悠理が肝心の王に疎まれるのだけは避けたいのだ。あれには幸せになってもらいたいし、それに…格から言って、あちらでは正妃待遇になろう。しかし、鷹は鷹しか生まぬのだぞ。龍の宮でもそれは同じで、皇女は軍神に降嫁させておるし、我もそのように思うておるのだ。あれを我が結界から出して嫁がせることは、考えたことも無いのだがの。」
しかし、玖伊は言った。
「しかしながら王よ、久中様の宮は、戦略的にとても重要な位置にありまして。ちょうど西の島を望める海の辺りに、小さいながらも白虎、西の島、樹籐様の宮を睨める位置にございます。そこと婚姻でつながっておったら、何かの時に役に立つのではというのが、我らの考えでありまして。」
箔炎は、じっと書状を見つめた。あちらは恐らく、この宮からの支援を期待してそう言っているのだ。最上位の宮の皇女が、上から三番目の宮へと嫁ぐとなれば金星であろう。
「…少し考える。悠理にも話を聞いてみようぞ。別に我は、戦略など考えておらぬ。志心殿ともうまく行っておるし、志夕とは友。翠明殿も椿の件でこちらに強く言わぬし、駿も同じ。特に困ってはおらぬからの。定佳殿が駿の妹を娶っておって、それは仲睦まじいと聞いておるし、駿との関係上、こちらに何某か仕掛けて来るとも思えぬ。今の鷹は安定しておるのだ。父上の代の頃とは違うのだぞ。案じることは無いわ。」
玖伊は、しかし膝を進めた。
「ですが王…鷹としては外との婚姻の繋がりが全く無く、悠子様の頃にあった高晶様の宮とも切れておりまする。この上は、王がどなたか娶って頂いて、少しはどちらかと繋がりを築いておってもと…。」
箔炎は、うるさそうに手を振った。
「またかうるさいの。我はまだそんなことを考えておる暇はないわ。成人したばかりであるぞ?面倒ばかりを言いおってからに。我はうまくやっておる。そんな婚姻の繋がりなど必要ないわ。」
玖伊は、それでも言った。
「ですが王、龍王ですら月と婚姻で…」
箔炎は、もう立ち上がって言った。
「あれは維心がどうしても維月だからぞ!そんなことも分からぬか、あれが他の宮との繋がりなど必要ないわ!維月がその辺の侍女であってもあれは維月ぞ!前世そんな繋がりが龍の宮にあった時があったか。維月が出て来るまで無かったではないか!誠しっかり治めておったら、そんなものは必要ないのだ!」
そう言うと、箔炎は奥へとさっさと入って行った。
「王!」
玖伊は追いすがったが、側に膝をついて居た、佐紀はじっと黙っていた。不機嫌に音を立てて扉を閉めた箔炎に、玖伊はため息をついて、佐紀を見た。
「どうしたものかの、佐紀。王はあんな様子であるし、悠理様のご婚姻にも気が進まぬ様子であるし。ならば直接に、悠理様にお話しするか。悠理様なら、きっとわかってくださるだろうし、悠理様から嫁ぐと言ってさえ下されば、王も否とは言われぬだろう。」
佐紀は、あまり気が進まなかった。王が言った通り、あちらの王からの求めではないし、鷹は鷹しか生まないことから、どうしても他の妃が必要になり、その妃が皇子を産んで後を継ぐことになる。そうしたら、飾りの妃だと言われる可能性もあるのだ。それが、悠理にとって良いかと言われたら、宮の都合ばかりで、決して良い縁だとは思えなかった。
それでも、臣下達がその縁を宮のためと推し進めるのに、軍神が何某か口を出すことは出来ない。
佐紀は、ただ黙っているしかなかった。
今日も、訓練場では皆が汗を流していた。
その中に、やはり悠理が居て、同じぐらいのレベルの軍神達と、一生懸命励んでいる。
見ていると、今日はなぜか動きに切れがない。いつもなら簡単にしのぐような太刀も、あっさり通って一本取られたりしていた。
佐紀は、項垂れながら控え席へと戻って来た、悠理に話しかけた。
「悠理様。いかがなさいましたか。本日はいつもの調子が出ておらぬようでありますが。」
悠理は、佐紀に気付くと、弱々しく笑った。
「少し、気になることがあって。駄目ね、我は…気分に左右されるようでは。」
佐紀は、眉を寄せた。玖伊が、あの後すぐに悠理に話に行ったと悟ったのだ。
「…玖伊から話がありましたか。」
悠理は、驚いたような顔をした。確かに、重臣がうち揃って嘆願に来たのに、筆頭軍神が知らないはずはないのだ。
「そう…あなたは、知っておるわね。そうなの…久中様との婚姻のことを。戦略的に、宮を安心できる位置に持って参れるのだとおっしゃって。お兄様は、そんなものは要らぬとおっしゃっておられるようだけれど、臣下達は…安心したいからと。我から、お兄様に参ると言ってもらいたいみたいなのだけど…。」
佐紀は、頷いた。
「お気が進まぬのですね。」
悠理は、頷いてうつむいた。
「そうなの。皇女は宮のために嫁ぐのが仕事だと、分かっておるのに…望まれたわけでもないのに、鷹の我が久中様の正妃になど…考えただけでもあちらで肩身が狭いのではないかと、考えてしまうのですわ。」
悠理は、涙をためて下を向いた。他の宮の皇女なら、こんなことは無かっただろう。だが、鷹は龍と同じで特殊なのだ。鷹は鷹しか生まない。あちらで生まれた皇子皇女は、こちらで引き取るしかなく、箔炎の支配下になる。つまり、あちらは鷹など欲しいと思うはずはないのだ。それでも、宮の力を期待して、臣下に押し切られてあちらはこんな話を持って来ているのだろうことは、悠理でなくても透けて見えた。
佐紀は、そんな悠理にどう言葉を掛けたらいいのか分からなかった。しかし、王はどちらでも良いと、むしろ反対しているのだ。ならば、ここで自分が悠理に口添えをしても、いいのではないか。
なので、言った。
「…兄王に、従うからと仰れば良いのです。」悠理が、驚いたように顔を上げる。佐紀は続けた。「箔炎様は反対なさっておられた。我も、戦略的とて今の箔炎様には敵は無いので必要ないと思うておりまする。もし、悠理様が望まれぬのなら、兄王にそれを申し上げたら良い。そうすれば、後は箔炎様が良いようにしてくださいまする。お気が進まぬのなら、そのように。」
悠理は、佐紀を見上げてみるみる表情を明るくした。
「ならば、あなたは我が嫁がぬでも良いと思うておるということですわね?」
佐紀は、急に元気になったのに驚いたが、頷いた。
「我は元より、あまり悠理様にとって良いご縁だとは思うておりませなんだゆえ。王と同意見でありまする。」
悠理は、頷いて立ち上がった。
「ありがとう!では、我はお兄様にそのように申し上げますわ。」
そうして、今泣きそうになっていたとは思えぬほど元気な様で、そこを立って出て行った。
ほんにころころとよう表情を変えるかたであることよ。
佐紀は、そう思って見ていた。