状況把握3
維斗は、維明に命じられて甲冑のまま待機していた。
父がいきなりに出て行った後、兄は我らはここを守らねばならぬと残った軍神達を宮と領地の守りに振り分け、直ちに動いた。
維斗は、ただうろたえるばかりの己を恥じていた。兄は迅速に父の命がなくとも己で考えて動くのに、自分はただ命に従うばかりだったからだ。
もちろん、兄の命じることに絶対的に従うつもりであるが、それでも兄が命じる前に、命じそうなことを先回りしてやっておくことが、兄を助けることになることは分かっていたのに、戦というものを経験したことのない維斗は、うろたえるしかなかったのだ。
「お兄様…」弓維が、奥で待機している維斗の部屋に、恐る恐るやって来て、扉から顔を覗かせた。「維明お兄様も軍神達も険しい顔をしておられて。千夜殿も我も、ただ何事がと恐ろしくて…。」
維斗は、確かに男でも戦となるといくらか怯えるものなのに、女の身ではそれは怖いだろうと思い、なるべく険しい顔にならないように注意しながら答えた。
「北に侵略して来た敵が居るのだそうだ。遠い土地であるし、父上が出て参っておるからここは大事ない。主らは、おとなしゅう奥で兄上が申すようにじっとしておるが良い。さすれば、問題ないゆえ。分かったの。」
弓維は、まだ不安そうな顔をしながらも、頷いた。
「はい、お兄様。」
弓維は、おずおずとまた、そこから離れて自分の部屋へと戻って行った。
維斗は、いったい戦況はどうなっているのだろうと、明けた空を北へと気を探るように見ていた。
その頃、維明は維月を訪ねて王の居間へと来ていた。維月は、一晩中起きていたようで、正面の椅子に一人で座っていた。
「母上。父上からのご連絡がまだございませんが、一旦落ち着いたような気を感じ申す。母上には、見えておられるか。」
維月は、頷いた。
「ええ。維心様と炎嘉様はあちらに残られて捕虜から情報を得ようとなさっておられるところよ。箔炎様と志心様、それに駿様と高晶様は、維心様の指示で宮で待機なさっておいでのようで。翠明様には、今朝やっと箔炎様からご連絡を受けて、事態をお知りになったところで、軍を整えていらっしゃるわ。蒼は月の宮の軍神を、一応準備しておるようだけれど、あれらが出るまでになると戦況は厳しいということだろうと十六夜も申しておったわ。」
維明は、フッと息をついて、維月の前の椅子へと座った。
「誠に…月まで己を守らねばならぬようになれば、こちらの神などひとたまりもないということ。ましてあちらにはお祖父様がいっらしゃる。いくら神世に関与なさらないとはいえ、月の宮だけは守り切られましょうし。父上は、こちらへは戻って参られる様子はございませんか?」
維月は、息をついて頷いた。
「ええ…多分維心様が離れたら、あちらの守りが一気に弱くなるから、離れられないのだと思うわ。どういうわけだが、こちらとしては良かったのだけど、北からだけ侵攻して来たから…。中国の方から回って来られたら、とても面倒だったでしょう?」
維明が、ああ、という顔をした。
「北西は、他の神が守っておるからですよ。」維明が言うのに、維月は驚いたような顔をした。「父上が、北の大地を回っていらした時、北西の神のことも知ったのだと昔話してくださいました。ですが、あちらの神にはただ一度会っただけ、それも、無理に申して会ったのだとか。あちらでは、外の神には一切関わらぬと決めておるようで、それでもかなり大きな気を持つ神であったのだと聞いておりまする。」
維月は、驚いた。維心は、北西の神のことは、維月に言っていなかったからだ。
「まあ…。維心様は私には何もおっしゃらないから…。」
維明は、苦笑した。
「こちらには申さぬという約定なのだそうでございます。とはいえ、必要ならばその存在だけは申して良いとのことだったとか。我は龍の後を継ぐので、知らぬわけには行かぬと思われたのでしょう。匡儀という王なのだそうですが、母上にも、このことは月にも漏らされぬ方が良いかと。必要であれば、父上がおっしゃるでしょう。お祖父様も、何もおっしゃいませぬが知らぬはずはございませぬでしょうし。」
言われてみれば、そうだった。父が知らない事など無いのだ。何しろ、全て自分の本体の上で起こっていることなのだ。何が居てどう生きているのか、碧黎ならば複数でも見ているはずだった。
それに、維心も政務で必要なことだとか、維月が聞かねばわざわざ己から言うことは無い。維月は、北の神のことしか聞いたことがなかったので、維心も北西の神の事は言わなかったのだろう。
「ならば少し安心したこと。ここは島国だから、どこからでも上陸し放題なのではないかと案じておったの。特に北西の大陸は近いから、どうなるかと思っていたわ。」
維月が少しホッとしつつそう言うと、維明は、鋭い目をして、言った。
「…とはいえ、南東が残っておることよ。」
維月は、え?と維明を見た。南東?
「南東は、海でしょう?潜むことなど出来ないわ。大丈夫よ。」
維明の目は、鋭いままだ。
維月は、何を懸念しなければならないのかと怪訝な顔をしたが、それ以上何も言わなかった。
すると、鵬が急いで入って来て、膝をついた。
「維明様、箔炎様より急ぎの使者が参りました。書状は蝦夷の王にも送られておるようでありまするが、維明様にもこちらに。」
維明は、顔を上げて、鵬に手を差し出した。
「これへ。」
鵬が、急いで懐から折りたたまれた書状を引き出し、維明に恭しく渡すと、維明はそれをスッと開いて、そして閉じた。
「…父上の下知が要る。父上が不在の今、我が今ここを離れるわけには行かぬゆえ、主は父上からの命を待て。来なければお伺いの文を。」
鵬は、頭を下げた。
「は!して、箔炎様は、何を?」
維明は、眉を寄せたまま、むっつりと考え込むような顔をして、答えた。
「…ドラゴンぞ。前王のヴァシリーの子、ミハイルとその母が、北を追われて北西から上陸して箔炎殿に保護を求めたのだそうだ。」
維月が、息を飲んだ。ミハイル…ということは、その母は、美加だ!
「私が!」維月が、身を乗り出してもう、出て行きそうな勢いで言った。「私が参るわ!ミハイルは前世の私と維心様の孫である美加が産んだ子なのよ!逃れて来たのなら、助けてやらねばなりませぬ!」
維明が、それには断固とした様子で首を振った。
「なりませぬ母上。父上がいらっしゃらぬ戦時に、父上の許しもなく父上の結界内から出るなど許されませぬ。出て参られると申されるなら、我が奥へ籠めてでも外へ出しませぬゆえ!」
その目は、息子の維明というよりも、前世の維明の目だった。何としても危ない目に合わせるわけには行かぬという、強い意思が感じられるのだ。
「そうは申して、誰もあの子を知りませぬでしょう。父の明維ですらあの子にはつらく当たっておって…このような時に、ドラゴンの息子を連れて戻るなど、どこの宮でも厄介者扱いされるのでは。あの子は確かに改心して大変に貢献しておったのですよ!せめてこちらへ迎え取らねば!」
しかし、維明はまた首を振った。
「今も申した通り、父上の下知が要り申す。」と、鵬を見た。「鵬。箔炎殿には父上のご指示に従って欲しいと書状を返せ。父上にはすぐにご指示をとご連絡を。もう下がれ。」
鵬は、維月と維明が激しく言い合うので困っておろおろと顔を見比べているところだったので、ホッとしたように頭を下げると、逃げるようにそこを出て行く。
維明は、それを見送ってから、維月を振り返った。
「いい加減にせぬか、維月!維心が許さねば一度は追放した女神を、いくら血縁だからと簡単に戻すことなど出来ぬのだ!ましてなぜに維心はあれをあちらへ送ったのだ。そうするより無かったからではないのか。いくら改心しても、こちらでは龍王の血筋が犯罪者など、あってはならぬことなのだ!それに今は戦時中であるぞ!妃が王の不在に己の王に無断でふらふらと外へ出ても良いとまだ思うておるのか!弁えぬか!」
維月は、ビクッと体を硬くした。これは、前世の維明だ。最近では、すっかり表にそれを出さずに良い息子として生きていたが、やはり中身は間違いなく維明なのだ。
その維明が、こうして怒っている。前世同様維心そっくりな維明が、普段は穏やかであるだけに、こうして怒ると大変に怖かった。
維月は、途端に気弱な風になった。
「ですけれど…維明様、私の孫であったのです。あの時も、維心様に説得されてそれしかないのだと諦めました。でも、あちらであの子は本当に頑張ったのですわ。ですから、ミハイルが生まれた時には祝いだって遣わせたぐらいですの。その子があちらから逃げて参ったのに、それを見捨てよと申されるのですか。」
維明は、そんな維月の弁明をじっと睨むように見て聞いていたが、フッと息をついた。
「…そうではない。だが、主がやることではないと申しておる。神世で女が何が出来ると申すのだ。主が女神達の権利をどうのと考えておるのは知っておるが、戦国となるとそんな遊びは通用せぬのだ。相手は女子供も殺す輩。維心ですら、数で押されたら討たれるやもしれぬのだぞ。そんな時に、主がフラフラと出ておって術で捕らえられでもしたらなんとする。主は維心が主を助けるために命を懸けることを忘れたか。主の不用意な行動で、神世全てを守る責を持つ維心の命が散るやもしれぬのだぞ。自覚せぬか。少しは成長しておるかと思うた我を失望させるでない。」
維月は、そう言われて、一言も返せなかった。確かに、自分は真正面から対峙しても大抵の神に勝てる自信があった。だから捕らえられる事など無いと思っていたが、ヴァルラムと同じ気を遮断する膜に閉じ込められて、動けなくなったまま捕らえられて北へと運ばれたことは、記憶にある。それは、あの北の地の術だった。今度も、そんなことになったらどうするのだと維明は言っているのだ。
「…はい。申し訳ありませぬ。つい、感情的になってしまいました。ですが、どうか美加のことは、良しなに。維心様にも、申し上げたいのですけれど…お帰りにならないでしょうし…。」
維明は、そんな維月に、ため息をついた。
「分かったのなら良い。では、あれに文を書けば良いのだ。主からの文ならばあれは読まぬことは無いだろうし、主が言うのだから考慮もしようぞ。確かに月から話しかけては答えはしようが回りに軍神や他の王が居って、思うように話すことが出来ぬだろうしな。」
維月は、パッと明るい顔をした。
「そうですわ!では、すぐに。鵬に、少し待ってくれるように申してくださいませ。すぐに書きまするゆえ。」
そうして、維月は急に元気になって必死に筆を走らせた。
文は、鵬が書いた問い合わせの文と共に旭の宮へと送られたのだった。




