ストーカー?
それからというもの、維月はじーっと蔭から義心と義将の二人を見ていた。
とはいえ、月なので姿を見せなくても、外に居る時は月から見れるし、宮の中に居る時は、軽い着物で動き回って、持ち前の素早さでサッと隠れて姿を見せずに窺っていた。
その様子は、はっきり言って、人の世ならばストーカーと言われても仕方がないような感じで、それでもそれで、維月の気が済むのならと、維心も特段に咎める事無く放置していた。
しかし、義将が気付いていないようだったが、鋭い義心には、回りにひっきりなしに感じる誰かの気配に気づいていた。
しかし、相手は信じられないほど素早くて、振り返ってももう、そこには跡形もない様だった。
義心の素早さの更に上を行く素早さを持つ神…。
維心は、こんなことはしないし、それに忙しいのでこうもしょっちゅう回りに居られないだろう。そもそも、己の結界の中なのだから、そんなことをしなくても皆を見ることは出来るはず。
ということは、月の妃である、維月なのでは。
義心は、なんとしても相手の真意を知りたいと、非番の日に、ふらりと庭へと出た。
維月は、義心が若いのに働きづめなのが気に掛かっていた。父も兄も早くに婚姻したというのに、義心はそんな浮いた感じは全くなく、ただひたすらに毎日、軍務に明け暮れていて、非番の日には訓練場で汗を流している。
そんな様では、今生も婚期を逃して、幸福に生きられないのではないか。
維月は、そんな風に思っていたのだ。
しかし、今日の義心は違った。
いつもいつでも甲冑姿だった義心が、今日は普通の着物に身を包み、ふらりと庭へと足を向けたのだ。
…もしかして、誰かを会う約束でもしておるのかしら…?!
維月は、ワクワクしながらその後を、スーッと気配を消して追って行った。
そのまま進んで奥の池の近くまで来た後、フッと義心の気配が消えた。維月は、驚いた。もしかして、池に落ちたのかしら。でもあの素早い義心が池に落ちるなんておかしいし、ここは泳ぐような場所じゃないし、でもそれならどこへ行ったのかしら。
維月が戸惑って、きょろきょろと辺りを見回していると、背後から、声が聞こえた。
「…やはり。」維月が驚いて振り返ると、義心がじっとこちらを見て立っていた。「維月様。どうなさったのですか。最近は我の、近くを窺っておられるようですが。」
維月は、困った。真正面から会ってはいけなかったのに。でも、義心は自分の顔を見ても特に何か感じているようでは無いし、もしかしてあの義心のようなことは起こらないのかも。
そんなことが頭の中を意味も無く流れて行ったが、目の前の義心がじっと黙って維月の答えを待っているので、仕方なく答えた。
「あの…気になって。お祖父様の義心と同じで、働いてばっかりでしょう。だから、少しは誰かと待ち合わせとか、しててくれたら安心するのにな、とか思うてしまって。」
義心は、息をついた。
「維月様…我は、子供ではありませぬ。確かにまだ成人しておりませぬが、そのようにお気遣い頂かなくても大丈夫なのです。我は、王をお支えし、維月様をお守りするために毎日精進しておりまする。ですので、我の事はご案じなさいますな。王が、お怒りになるのではありませぬか?」
維月は、それにはすぐに首を振った。
「いいえ。維心様も案じておられるし、私の気持ちは分かるとおっしゃって。見逃してくださっておるの。何か困ったことは無い?何でも申してくれて良いのよ。」
義心は、それには困った顔をした。
「全て己で何とか出来申すので、問題はありませぬ。そうですね、では…」と、考えるような顔をした。「次の御里帰りの際に、我を月の宮へお連れくださいませぬか。確か、嘉韻殿がいらっしゃると新月殿に聞きましてございます。立ち合ってもらえたらと、常思うておりまして。」
維月は、ぱあっと明るい顔をして、頷いた。
「まあ、良いわよ!維心様にお願いするわ。そうね、嘉韻はとても手練れですもの。十六夜にも申しておくわ。それに、私も立ち合うのよ?良かったら、あちらで立ち合いましょう。」
義心は、微笑んで頷いた。
「はい。月にお相手頂けるとは、大変に光栄なことでありまする。」
維月は、自分でも役に立つのだと、嬉々として宮へと足を向けた。
「では、約束よ。維心様に申し上げて参るわね。あ、でもあまり無理をしないように。」
義心は、頷いた。
「は。ですからもう、お気遣い無きように。」
維月は、言われて頷くと、その場を離れて行った。
義心は、子ども扱いなのに困惑していたが、しかし維月から見たらそうなのだろうと、ため息をつきながらも、それを見送った。
維心は、維月が帰って来る前に、もう義心と維月が庭の奥で話しているのを知っていた。
…確かに、維月が言うように、どこか引っかかる。
維心は、思っていた。
軍神達は、皆王妃に話しかけたりはしないし、もしも後を付けられているのを知ったとしても、わざわざ後ろへ回って問い詰めるなど、しないものだ。
いいところ、行方をくらまして、対面しないようにするものだろう。
だが、義心は違った。維月に気付き、わざわざ庭へとおびき寄せて、その後ろに回って問い詰めた。
若い義心が、維月とそう親しくもないのに、ああして傍に寄って来て、慣れたように話すこと自体がおかしい。
とはいえ、維月に対する色よい言葉も無いし、懸想している気も無い。
なので、やはりあの義心では無いのだと、維心には思うより無かった。
兆加が、書状を読み終えてから、それを維心に渡して、言った。
「そういえば…王妃様が、義将と義心を案じていらっしゃるのは知っておるのですが、義将から本日、王妃様がもしかしたら自分たちが粗相でもしておると思うておられるのでは、と問い合わせが参りました。我が、筆頭軍神であった義心を王、王妃様は長年親しくしておったので、それでその孫が働き過ぎておらぬかと、案じておられるのだ、と答えておきましたが、よろしかったでしょうか。」
維心は、苦笑して頷いた。
「良い。そうよな、あれはいくら何でも己の子のようにあやつらに付きまとっておっては、あれらも落ち着かぬだろうて。そろそろやめておくように申すわ。」
兆加は、頭を下げた。
「はい。では、御前失礼致します。」
その背を見送っていると、維月が元気に掃き出し窓を開いて、庭から戻って来た。その顔を見て、維心はせっかくこんなに元気になったのに、と一瞬揺らいだが、軍神を煩わせるのも…と、言った。
「維月。見ておったぞ。義心に見つかったであろう。」
維月は、バツが悪そうに維心を見た。
「はい…あの、見つかったしもうやめておきまするから。義心のあの、維月様、という時の目が咎めるようで怖いのですもの。」
維心は、クックと笑った。
「そうよな。兆加が義将に問われたと言うておったし、そろそろ潮時であろう。王妃が己に懸想でもしておったらと思うたら、あちらは気が気でないと思うし、やめておいた方が良い。」
維月は、とんでもないと首を振った。
「まあ!そんなこと…分かりましたわ。確かに。」
維心は、ふと思った。王妃様…兆加は、そう言った。王妃様がと。
そうだった、なぜに気付かなかった。軍神も臣下も侍女も、維月が維心の正妃であるから、そうなってからは王妃様と呼ぶ。どこの宮でもそうで、妃は名で呼ばれるが、正妃だけは王妃と呼ばれるのだ。
だが、義心は維月様と呼ぶ。そう、あの義心も孫の義心も、維月を維月様と呼ぶのだ。
「維月。」維心は、愕然として言った。「主、義心は主を維月様と呼ぶの。では、他の軍神は?」
維月は、怪訝な顔をした。
「それは、皆王妃様と。」
と、答えてから、ハッとした。そうだ、義心だからそうだと思っていたが、違う。あれは、孫の義心なのに。
「やっぱり!」維月は、維心に言った。「もしかして、やっぱり中身は義心なのでは?!」
維心は、頷こうとして、思った。だが、ならばなぜ何も言わない。維月を見て、懸想した気も無かった。立ち合いの筋も、似てはいても違うものだと結論づけた所では無かったか。
「いや…違うの。」維心は、息をついて、首を振った。「他が違う。いくらこちらがそう願っておっても、無理やりに当てはめてそうであろうなどと言えぬわ。もしそうだとしても、あれは違う生を生きておる。黄泉の浄化を受けて、真っ新であるのだろう。やはり、深く考えぬ方が良いわ。維月、もう希望を持つでない。義心は黄泉ぞ。この前碧黎とも話したではないか。こんなことで、一喜一憂してはならぬわ。いつまでも引きずることを、黄泉の義心は望んではいまい。」
言われて、維月はしゅんとした。そう、いつもこうやって、変な希望を勝手に持っては失望する。たまたまそうなのだろうに、そうだと思いたいという想いが、そうやって希望を持たせてしまうのだ。
「そうですわね。」維月は、諦めて言った。「では、そういうことで、維心様。聞いていらしたと思いますけれど、義心は、嘉韻と立ち合いたいのだそうですわ。私が里帰りの時に、共に連れて参って良いですか?そうそう、義将も連れて参ろうかしら。」
維心は、それにはあっさりと頷いた。
「ああ、連れて参ってやるが良い。あれには早う、筆頭の座についてもらわねばの。」
そうして、維月はもう一週間後に迫った里帰りの日に、義将と義心を連れて帰ることを決めたのだった。