ある日
そうやっておっとりと平和に毎日を過ごしているある日に、維心と維月が仲良く並んで龍の宮の王の居間で座っていると、急に、十六夜の声が大音量で響き渡った。
《維心!!まずい、北海道は…ええっと、今は、誰が王だっけ…!!》
維心も維月も、あまりの大きな声に仰天して目を丸くして同時に窓の外を見上げた。
「な…」維心は、声を上げた。「急に何ぞ!というか、声が大きいわ!落ち着け、北海道とは北の大地のことか?今は何度か代替わりがあって王は旭ぞ、まったく。」
《ああ駄目だ!焔が出た!》何の話だと維心が茫然としていると、十六夜の声が続けた。《北の大陸だ!北の大陸の神が、北海道に攻め込んでるんだっての!!》
「なんだと?!」
維心は立ち上がった。途端に、義心が居間へと飛び込んで来た。
「王!焔様から急ぎの使者が参り、急ぎ北へ援軍をと!焔様は軍を整えすぐに出ると!」
維心は、叫んだ。
「甲冑を持て!」と、急いで駆け込んで来た侍従から、甲冑を受け取って身に着けながら、駆け出した。「義心、一万五千連れて出る!ついて参れ!」
維心が駆け出したので、維月は慌ててついて飛びながら、言った。
「維心様!私も、私も参ります!」
維心は、走る自分の横を飛ぶ維月を見て、首を振った。
「主はここに居れ。まだ戦況が分からぬのだ。何がどうなって北から攻め込んでいるのかもわからぬ!それより、主はここで月から十六夜と共に見守っておれ。分かったの!」
維心は、そう言うとそのまま浮き上がり、義心と共に物凄いスピードで宮の中を飛び抜けて行った。
維月は、そんな維心を回廊の真ん中で浮いたまま、茫然と見送った。
「どういうこと…?北の大地は、ヴァシリーがヴァルラム様の後を継いで治めておるのではなかったの…?」
空から、十六夜の声が答えた。
《ヴァシリーの次の代の王があいつの子じゃねぇんだ!あの土地は王の子が継ぐわけじゃねぇ、王を倒した一番力の強い神が王になる。ヴァシリーに老いが来た時、それを倒したヤツが居やがるんだよ!そいつが、あっちの神達を軒並み襲撃して、完全に従わせてこっちへ来たんだ!あっちの小競り合いだろうってここのところ見てたんだが、まさかこんなにいきなりこっちに攻めて来るなんてよ!》
維月は、途端に不安になった。神の数はあちらとこちらではそう変わらないし、あちらには広い土地がある。しかし、こちらの気はあちらの気より純粋で濃いらしく、数百年前もそれが知れて面倒が起こりそうになった。だが、その頃あちらを統率していたヴァルラムが、こちらの維心と友好関係にあったので、こちらには誰も攻め入って来ることも無く、穏やかに過ぎていたのだ。
それを今頃になってこんなことに。
維月は月を見上げた。少しでも、維心や他の動きを見守って、何より今何が起こっているのか把握したかったのだ。
月からは、北の大地に飛来した、数多くの神と、抵抗する神達が入り乱れているのが、はっきりと見えていた。
維心が、甲冑の紐もまだ結べていないまま、物凄い勢いで北へと飛んでいると、後ろから炎嘉と箔炎、志心も追って来るのが分かった。
なので、一旦速度を緩めて振り返ると、炎嘉がやっと追いついて来て、維心に並んだ。
「維心!焔から知らせが来たぞ、北が攻め込まれて居ると?!」
維心は、やっと甲冑の紐を絞めて、頷いた。
「十六夜が知らせて参った。焔からも使者が来た。主らもそうであろう。」
見ると、志心と箔炎も取るものとりあえず来たという感じて、そこに浮いていた。
「駿にも高晶にも後ろを守れと言い置いて来た。皆が皆北へ行ったところでであろうが。して、戦況は?」
箔炎が言う。すると、月から十六夜の声が聞こえた。
《早く行け!焔と旭の軍が必死に押えてるっての!あっちは5万は居るぞ!》
「「五万?!」」
皆が一斉にそう叫ぶと、維心が見る見る龍身を取って北へ頭を向けた。
《先に参る!》
そう言うと、一瞬にしてその姿は消える。
炎嘉も、慌てて鳥身に戻った。
《遅れるな!行くぞ!》
皆が皆、次々と本性に姿を変えて飛び立って行く中、志心が言った。
「我はここを守る!」と、振り返る箔炎に叫んだ。「後ろの駿達までどうあっても行かせるわけには行かぬから!主らは、行け!取りこぼすな!」
箔炎は、金色の鷹の姿で、頷いた。
《頼んだぞ!》
そうして、先鋒焔、維心、次鋒炎嘉、志心、箔炎、中堅志心といった形で、皆の領地の真ん中にある、龍の宮の手前には、今駿と高晶の軍が守っている。龍の宮までの道筋を守る形に皆が配置されることで、もし、攻め込まれてどうしようもなくなった時、一番頑強な龍の宮の守りの中に皆が入ることで、籠城することが出来るという考えがあった。
しかし、これまでこの土地全体が他の土地から狙われたことなど無かったので、この配置は咄嗟に皆が動いた結果そうなっただけで、実際はこれで間違いがないのか、まだ誰にも分からなかった。
それだけ突然で、まさに青天の霹靂だったのだ。
志心は、ただ眉を寄せ、自分の軍神達を背後に、ただじっと北を睨んでいた。
焔は、自分の軍神2万五千と、旭の軍神2万で必死に北の大陸の連合軍らしき神達と対峙していた。
いきなりに討って出て来たので、旭はほぼ丸腰の時に襲われ、軍の半分を既に失っていた。焔は、北の異変を気取ってすぐに維心や炎嘉たちに軍神を送って知らせ、自分もそのまま取るものとりあえず宮を出て飛んで来た。
そうしたら、北は阿鼻叫喚をきわめていた。
あちらの神達は、ただ黙々と女子供までも殺しながら、ただそこから本州の方へと向かって進軍して来る。
ここを過ぎたら、すぐに自分の領地がある焔には、絶対にここで食い止めたいという気持ちがあった。
だが、相手の数は多く、あちらは攻めようと準備をしていたようで、皆規律正しく攻めて来る。対してこちらは、いきなりの事にまだ、目の前の敵を倒す事しかできず、先を考えられない状況だった。
上も下も、全方向からの攻撃に必死で対応しながら、焔は自分の腕が鈍っているのを感じた。思えばこちらは太平の世だ。戦ったのは、前世のいつの事だったか…。
いつまで持つのか、と一抹の不安がよぎったその時、物凄い大きさの気が、正に背後からグンと迫って来て、気を吐いたのが分かった。
《うぬらが我が土地を荒らしに参った奴らか!》
目の前には、凄まじい闘気をまとった、目が覚めるほど大きな龍が、大きな口を開いたかと思うと、そこから一直線に気を放った。
「退け!!退けーー!!」
遠く、見知らぬ声が叫んでいるのが聞こえるが、その時にはもう、その龍が吐いた気に消し去られて、綺麗に一直線に軍神達が消滅した後だった。
「維心…。」
焔は、その背を見つめて、思わずつぶやいた。
《すべて消し去ってくれようぞ!》
維心は、また首を振って大きく気を放ち、今度の光は、うねうねと龍身がくねるように複雑に動き、逃げ惑うあちらの軍神達を捕らえては、跡形も残らぬ消し炭へと変えて行く。
恐らくは5、6万は居ただろう敵の軍神達が、維心が来たその数分で、一気に2、3万ほどに激減した。
その後も、次々に龍身の軍神達が到着し、追い立てるようにして気を放ちながら、敵を蹴散らして追いやって行く。
そうしている間に、鳥身の炎嘉と、鷹身の箔炎が到着した。
《焔!大事ないか。今、維心が追い払うゆえ。とにかくは、主と旭の軍神は退くのだ。後は任せよ。早う!》
焔は、言われて頷いた。
「すまぬ。急襲で我が軍神達も五千ほどが命を落としたようよ。あれらだけは回収したいゆえ、それだけは頼むと維心にも言うておいてくれ。」
炎嘉が、頷く。
《分かっておる。》と、首を振った。《そちら!嘉張、行け!南へ来て潜むつもりであるぞ!始末せよ!》
バラバラと逃走するように動く軍神達が、先頭を行く龍達の間を逃れて、それでもこちらへと飛んで来るのが見えたのだ。
生憎鳥の軍神は少ないが、しかし箔炎の軍神も居る。箔炎が、叫んだ。
《佐紀、鳥を補佐せよ、一兵たりともこちらの地を踏ませてはならぬ!》
《は!》
佐紀が、他の軍神達を率いて龍が取りこぼした者達を、さっさと消し去って行く。
焔が、旭と共に軍神達を連れて前線から退くと、炎嘉は維心へと目をやった。
維心は事も無げに、逃げ去ろうとする敵の軍神達を自分の気で一刀両断にしたり、一瞬で消し炭にしたりを繰り返しながら、たった一柱でかなりの数の敵を殺していた。その上、龍の軍神達まで後ろで見落とした者は居ないかと気を放ち、その後ろでは鷹と鳥が更に取りこぼした者を狩る。
誰も、これ以上は進めそうには無かった。
…解せぬ。
炎嘉は、その様子を見ながら、思った。これだけやられたら、普通は退却するものなのだ。それが、皆何とかして先へ進もうと、隙をついて本州へと渡ろうとしている。
このままでは、全滅なのでは。
ふと、炎嘉は、脇から潜んで激しい戦闘の合間を、ゆっくりと抜けようとしている男を見つけた。甲冑の設えはそこそこ良く、恐らくはそれなりの地位にあるはずの軍神だ。
…これで良いか。
炎嘉は、そう思って下へ向かったいきなりに気を放った。
「!!う…わ。」
そこに居た数人の神達の声が小さく聞こえた。炎嘉は、人型へと戻りながら、そこへと降りて行った。見ると、そこには三人の神が倒れている。
「嘉張!」
炎嘉が呼ぶと、嘉張がすぐに人型に戻って目の前に膝をついた。
「御前に、王。」
炎嘉は、自分の足元に転がる、三人を顎で示した。
「連れて参れ。記憶を取って調べるわ。まだ殺すな。」
嘉張は、頭を下げた。
「は!」
そうして、気の拘束でがんじがらめにして、一旦宙に吊るして置いておいた。こうしておいて、退却の時に持って帰るのだ。
炎嘉がフッと息をつくと、上から維心が降りてきた。
「炎嘉。終わったが焔は帰したか。」
炎嘉は、人型に戻った維心を見上げて、頷いた。
「少し消耗して居ったし軍神を五千失っておった。旭はもっとぞ。して、皆殺しか。」
維心は、フンと鼻を鳴らした。
「生かしておるヤツもおる。甲冑から恐らくは連合軍の中の王クラスの奴ら。何か知っておろう。義心に今、拾って参れと申しつけたところよ。」
同じことを考えおってからに。
炎嘉は思ったが、あれだけ殺している中で、王だと思われる者達は残したという器用な襲撃に、呆れるほど感心した。まるで我を忘れているようだったのに。
「…器用なことをしおってからに。我も気になる動きであるから三人ほど捕らえた所。して、どこに繋ぐ?」
維心は、視線を下に落として少し考えてから、答えた。
「…本来なら我が宮へと言いたいところであるが、これらが何としても本州へと向かっておったのが気にかかる。旭の宮へ繋ぎ、そこで取り調べを。これらは連合軍ではあるが、ドラゴンではない。最初先頭切ってせめて参ったのは、ドラゴンだと聞いておるのに。我が到着してすぐ、あれらはサッと退いた。調べてみねばなるまいな。」
炎嘉は頷きながら、面倒な事が始まった、と思った。
何がどうして、今さらに北の大陸からあれらが攻め入って来たのか分からないが、こちらは長く太平の世。
戦力になる神など、そうそう居ないのだ。




