回復
龍の宮の奥宮へとやっとの思いで帰り着くと、維月が走り出て来て、維心を出迎えた。
「維心様!お帰りなさいませ。」
維心は、宮へと到着してすぐに気の補充が始まり、かなり楽になって来ていたのも手伝って、維月の顔を見て嬉し気に微笑んだ。
「維月、帰っておったのだの。碧黎が送り届けたと申しておったゆえ、急ぎ帰って参ったのだ。おお、誠主が居ると何と心が癒されることか。」
維心は、維月の手を取って引き寄せると、肩を抱いて居間の自分の定位置にやっとのことで座った。
維月は、直接に触れて維心がかなりの気を失っていた事実を知り、不安になって維心を抱きしめて、見上げた。
「維心様…これほどに気を失われるなど。十六夜が、高晶様の皇女がひと月前に亡くなっておったのだと申しておったのですが、何か関係がありますでしょうか。」
維心は、維月を抱き寄せてその髪に顔をうずめながら、頷いた。
「高晶の皇女である20ぐらいにしかならぬ幼い皇女が、細かい次元の亀裂のせいで気を奪われて死んでおったのだ。だが、その魂魄は黄泉へ行っていなかった。器との繋がりが切れておらなんだからぞ。碧黎が、まだ戻ることが出来ると申した。だが、それにはかなりの気を失うので難しいかと最初は思うたのだ。」
維月は、不思議そうな顔をした。それならば、蘇生術を施したということだ。
「…蘇生術を使っていらっしゃる様は何度かお見上げしておりますが、維心様には難なく扱われておったかと。それなのに、此度はそのように?」
維心は、髪から顔を放して、維月の目を見つめて言った。
「それはの、この龍の宮の中でおこなった事であったからぞ。前にも言うたかと思うが、我にとりここ以上に気を補充しやすい場所はない。失った気も、ここならばすぐに補充しながらでも使うことが出来るのだが、他の土地に参ると、どうしても自分の体に合う気に変換して補充せねばならぬので、時が掛かる。なので、あちらではこのように気を失ってもすぐには補充出来ぬということだ。とはいえ、十六夜が浄化した純粋な気ならば我とてそのまま補充出来るので月の宮でも問題はないのだがな。」
維月は、頷いた。確かにいつも、維心はリスクを避けてこの龍の宮で蘇生をおこなっていた。外で気を失ったらすぐには回復出来ないので加減しているのだと聞いている。
「ですが、こちらへ連れて来るのではなく、あちらで術を放たれたのですね。それでこのように消耗なさって。」
維心は、ふうと息をついた。
「そのように特別扱いで蘇生するのを、神世に知られてはならぬのだ。少しでも神の目に付かぬように、こちらへ連れて参る選択肢もなかった。術を発するだけでなく、復活した器にも気を補充せねばならぬことになるし、それでは我が動けぬようになるのが分かっておったゆえ、最初は断ったのだが…碧黎が来て、気の補充を請け負ってくれた。なので、皇女を助けることが出来たのだ。」
維月は、何度も頷いて、維心の髪を撫でた。知られたら、神世の誰も彼もが親族を助けようと維心に嘆願に来て大変なことになるだろう。もちろんそんなものは聞けることではなく、維心も哀れだと思っても手を出せないので、心の重いことになってしまう。
維心の気持ちは分かった。
「維心様には、大変にお疲れ様でありました。皇女を助けてくださって、私も嬉しいですわ。」
維心は、維月に髪を撫でられて、それは嬉しそうに微笑むと、言った。
「弓維と歳が近しい感じであった。幼いのに気立てが良くしっかりしておる。なかなかに愛らしい顔立ちであったし、育てば神世は取り合いで大変ではないか。」
維月は、フフフと笑った。
「一度会うてみたいこと。それならば、落ち着かれたら弓維の友になってもらえぬかしら。次の私の茶会にはお呼びしたいわ。」
維心は、うーんと首を傾げた。
「そうであるなあ…しかしながら、あれは三月は動けぬと碧黎が申しておったし、動けるようになってからであるな。あちらが落ち着いたら、また文でも遣わせれば良い。許そうぞ。」
維月は、嬉し気に微笑んだ。
「はい、維心様。」
維心の気は、もうすっかり回復していた。
維心の気はかなりの大きさで、それを恐らくは、半分ほどは使っていたのではないだろうか。それだけの量があれば、普通の神ならば結構な年月生きて行くことが出来る。それを、たった一人で消費している維心は、それを許しても良いと碧黎に思わせるほど重要な命なのだと、外ならぬ碧黎自身から聞いた。
そんな重いものを背負わされて、それでも責務を果たしながら生きている維心に、出来るだけ傍に居て癒してあげようと、維月はまた、維心を抱きしめ返した。
維心は、維月から自分への愛情を感じて、幸福そうな気を発し、ただ維月に抱き着いてその気を穏やかに感じていた。
志心と高晶の領地の間で起こっていた、次元問題はひとまずそれで完全に解決した。
龍の宮で行われた会合の時には志心も出て来てすっかり回復した様を見せていたし、維心もひとまず落ち着いたとホッとしていた。
今回の会合では、次元の亀裂がどれほどに危険なのか、異変を見つけたらどれほどに緊急性が高いのか炎嘉から皆にとくとくと説明があり、小さな亀裂などの発生も報告されているので、領地の中を徹底的に調べる必要があり、自分では精査出来ないので見てもらいたいという者が居たら、後で申請せよと申し渡された。
つまりは、申請されて来たら、それを最上位の宮の王達で振り分け、亀裂が発生していないか調べるということになったのだ。
見つかったら見つかったで、維心しか閉じることは出来ないので、最上位の王がとりあえず封じておき、後で維心が一つ一つ消して回ることになる。
面倒なので、何も見つからなければ良いのに、と維心は心底思っていた。
例によって宴の席に揃った一同の前に、ずらりと揃えられた酒と肴に、炎嘉は表情を明るくした。
「今日は肴もあるか。おお、これは人世の料理ではないか。いつも主の宮では珍しいことをしよるの、維心よ。」
維心は、目の前に並べられた刺身や綺麗な色合いの野菜の煮浸し、華やかな和菓子を見て、苦笑した。
「維月よ。あれは凝りよるのだ。別に毎回我は酒だけで良いと申しておるのに、それでは飽きようと申してな。此度はあれも手伝って人世の食物をいくらか台盤所の女神に作らせたのだ。主らが楽しんでくれたらあれも喜ぶであろうて。」
焔が、嬉し気に箸を手に取った。
「良いな。たまには物を食すのも良いものよ。美しい色合いよな。維月は趣味が良い。」
皆が、それに箸をつけて珍し気に口へと運ぶ中、維心はそれを眺めて盃に口を付けていた。炎嘉が、もごもごと口を動かしながら言った。
「なんだ、主は食さぬのか。そういえば、何も無いの。」
維心は、首を振った。
「我は先に食した。というのも、維月がこんなものを出そうと思うと試作したものを持って参ったので、ここのところ三日ほど同じようなものを食さねばならなんだのだ。せっかくにあれが作ったのに箸を付けぬのもと思うて、毎回全て食しておったゆえ、本日はもう良いと申した。」
炎嘉は、それには呆れたような顔をした。
「なんだ、飽きるほど食した後か。主は否なことを基本せぬのに、維月が作ったと申したら毎日でも食すのだの。では、本日のものはどうよ?」
維心は、酒を飲んでから、炎嘉を見た。
「それは侍女達が作ったものよ。維月が試作をしてそれを侍女達に教え、本日作らせて出て参ったもの。我は基本、気が進まぬのにあれが作ったもの以外は口にはせぬ。」
焔は、やはり王族なので意外にも品良く食べながら、言った。
「まあ、三日も試食させられ続けていてはの。我は久しぶりに物を食したし、珍しい物が多くて良い。」
志心も、翠明も箔炎も、駿も高晶も珍しいので箸が進んでいるようだ。
維心がそれを満足げに眺めて、維月に良い報告が出来そうだと思っていると、炎嘉の筆頭重臣、開が寄って来て頭を下げた。
「王。すぐにご報告をとのことでしたので、参りました。」
炎嘉は、食べながら盃を手に、振り返った。
「おお。どうであった?」
開は、言いにくそうに炎嘉を見上げる。そして、綺麗に巻いた巻紙を懐から出して、言った。
「その…一つの宮が見て欲しいと申しましたら、皆我も我もとおっしゃって、絶対に安全なのだという保証が欲しいとお思いなのでしょう。ほとんどの宮の王が、調査依頼の申請なさっております。」
維心は、それを隣りで聞いていた。開は、炎嘉から命じられて会合の後、領地内を調査して欲しい王の受付をしていたのだ。
今まで掛かっていたということは、それなりの数の宮が申請して来たのだろう。
炎嘉は、面倒そうに眉を寄せて開を横目に見た。
「なんぞ、王だと名乗っておるのに、己の領地さえまともに見られぬと申しておるようなものではないか。誠に、戦国では絶対にそんなことは無かったぞ?己の弱さを露呈させるようなものであるし、そんなことをしたらすぐに攻め込まれてしまうわ。どうなっておるのだ、ほんに今の神世は。」
志心が、箸を置いて酒を口にしながら、苦笑した。
「誠にの。だが、確かに次元の事となるとあれらにもどうしようもないことなのだ。我らでも閉じてしまうことは出来ぬ。維心以外はどうにも出来ぬのだから、不安になるのも仕方のない事よ。して、振り分けはそちらでやってもらえるのか。」
炎嘉は、開をチラと見た。開は、頷いた。
「は。では、我が振り分けを記して皆様にご報告を。」
炎嘉は、頷いた。
「まあ、普段世話をしておる宮を振り分けたら良いのだから良いわ。明日帰るまでに皆に渡せるよう、準備せよ。」
開は、頭を下げた。
「は!では御前失礼致します。」
開は、そそくさとそこを出て行った。それを見送りながら、箔炎がしみじみと言った。
「…やはり昔とは違うの。弱みを見せようなどとは考えてもおらぬ様子だったのに、最近の宮々は皆、面倒なことは上位の宮の王に任せてしまおうと思うておる節がある。あまりに緩い…これで、誠大丈夫なのかと時に思うわ。」
中身は昔の箔炎だが、まだかなり若い姿の箔炎がそう言うのに、維心は苦笑した。
「確かにそうであるが、それぐらいの方が良いのかもしれぬ。変に気概があっても、我らに反旗を翻そうなどと考えて、また戦だ何だと煩わされることを考えたら、いくらかマシでは無いかと思うのだ。」
炎嘉も、隣りで頷いた。
「そうであるな。昔はガツガツした神が多うて、こうして酒を飲んでいても狙われたもの。酷い時には宮で寛いでおっても襲撃して参ったしな。気を抜けぬで毎日気を張ってそれが普通であった気がする。今の世で育った神達には、とても耐えられるものではなかろうの。」
維心は、頷いた。
「我も前世は子供の頃からよう狙われたわ。ことごとく殺しておったらそのうち来ぬようになったがの。父上の結界を抜けて来よるゆえ、己の対に己で結界を張って、誰も入れぬようにしておった。誠、昔に比べたら今は安穏としておることよ。まあ、そんな世を作ったのは己であるがな。」
炎嘉は、遠い目をした。
「ほんになあ…。これを望んでおったのだし、ま、良いのだがの。ただ、神を腑抜けにしようと思うたのでは、なかったのになと思うだけ。」
維心は、そう言われるとそうだ、と思った。
いったい、何が正解なのか分からぬまま、こうして世を見て行くしかないのかとため息をついたのだった。




