施術
遡って朝、維心は義心を連れて白虎の宮へと到着していた。
先触れが行っていたはずなので、皆知っていて到着口では臣下達が勢ぞろいで頭を下げて待っていた。
そんな中この宮の次席軍神の、雲居が進み出て頭を下げた。
「龍王様。この度はご足労頂きまして、我が王も大変に感謝されておりまする。」
維心は、頷いた。
「志心の具合はどうか。」
雲居は、頷いた。
「は。義心殿が参って術を施してくだされてから、また少し良くおなりで。本日は夜明けより庭を散策されておりました。只今は、居間でお待ちでございます。どうぞ、こちらへ。」
維心は、義心に軽く頷き掛けてついて来いと合図すると、先導する雲居について、勝手知ったる白虎の宮の中をを歩いて、奥宮へと向かった。
白亜の宮殿である白虎の宮は、大変に明るい宮だったが、それでも今は、王の志心に命の危機があるということで、雰囲気自体は暗く沈んだ様子だった。
そんな中を、義心と二人で志夕について歩いていた維心は、奥宮の中に感じる志心の気が、確かに不安定に揺れているように感じ取れた。
そうして、近付くにつれてそれが揺れているのではなく、常に入れ替わっているからだなのだと分かった。志心という神の気の色よりも、今では月に浄化されたこの地の気の色をまとって来ているように感じていた。
「父上、維心殿をお連れしました。」
志夕が、たどり着いた扉の前で言う。維心がハッとして目の前に光景に目を向けると、中から志心の声が答えた。
「入るが良い。」
そうして、扉は開かれた。
志夕に従って、中へと入って行くと、志心は正面の椅子で特に問題もないような様子で座っていた。
志夕は、その隣りへ立ち、維心は志心の前へと進み出て言った。
「志心。今は気分も悪くないようよ。」
志心は、軽く会釈した。
「わざわざ来てもらって申し訳ないの、維心。しかしながら、これも十六夜と義心の二人の力のお蔭であって、我はあの会合の折から気を回復できずで奥で臥せっておる状態であったのだ。主にはこれが、どうなっておるのか分かるか。」
維心は、その間もじっと志心を凝視していたのだが、答えた。
「はっきりとは分からぬが、主自身の気の色が失われて来ておるし、事は急を要しておることは分かる。主は己の気を己の色に染める間もなく引き出されて流されてしもうておるような状況よ。確かに胸の位置辺りがかなり僅かではあるが歪みがあるように見える。まるで糸のように細い亀裂が見えるような…」と、その位置へと手を向けた。「…やはり。これは、この土地に開いておった次元の歪みの中の小さな亀裂が、の体に張り付いたような状況のようであるな。それが、時を経て長く糸のように伸びておる…主の体に張り付いて、体の中へ向けて開いておるから、主から気を奪うことになろう。ということで、この糸状の亀裂を閉じたら事は収まろうな。」
志心は、自分の胸を見下ろした。ここに、亀裂が貼りついていると。
「…ならば、主に閉じてもらうしかないの。」
維心は、頷いた。
「すぐに閉じようぞ。しかし少し傷が出来ような。我の気が主の体の上を通るゆえ、焼けたようにただれることになるかと思うが、それでも良いか。」
志心は、間髪入れずに頷く。
「構わぬ。傷など気にせぬし、今さらぞ。」
維心は、頷いて手を上げたまま言った。
「ならば閉じる。」
一瞬だった。
一気に体を一刀両断されたかのような衝撃を胸に感じ、志心はぐ、と声を漏らしてソファの背に体を押し付けられるように倒れた。志夕が、仰天して慌てて志心に駆け寄った。
「父上?!」
志心は、胸を押えて息を上げた。今の衝撃は、本当に戦場で斬られたような鋭いものだった。恐る恐る着物を開き、胸を覗くと、正に維心が言った通りに、胸に上から下まで斜めに細い、焼きただれたような傷が、一直線についていた。
その傷跡に沿って、ヒリヒリと火傷をしたかのように痛む。
普通に何かで引っ掛けたり炎で焼かれた場合ならこんな傷などさっさと消してしまえるのだが、神の気で焼かれたものは、簡単には治らない。とはいえ、維心はそれを攻撃として使ったわけではないので、傷は悪意を持って放たれた術に焼かれたのではなく、志心の自然治癒の力でも塞ぐことは出来るようだった。
脇から、その傷を覗き込んだ志夕が悲痛な声で言った。
「ああ、傷が残ってしまわれて…」と、吊り下がっている仕切り布の方へと叫んだ。「侍女!治癒の者を呼べ!」
維心が、息をついた。
「我の気を受けて傷になったもの、治癒の神如きでは治せぬわ。」と、足を進めて志心の胸を覗き込んだ。「…少し残ろうな。だが塞いでおこう。痛みはせぬようになるゆえ。」
そう言うと、サッと熱い気が通って行き、傷跡はただれた様子から薄く茶色っぽく、ケロイド状に変化した。
そうして、維心が言う通り、痛みは全く無くなった。
「主にしては不本意であるだろうが、まるでひと太刀浴びたような傷が残ることになったの。しかし、これで主につながっておった面倒な別次元は完全に封じた。これ以後何かに気を吸い上げられることはあるまいよ。」
志心は、その傷跡に指で触れた。
少し盛り上がってはいるが、気にならない程度だ。色も薄っすらと茶色い程度で、志心が色白なので少し目立つが、日に焼けたらあまり分からない程度だった。
志心は、苦笑した。
「もうこの歳であるし、今さら傷が残っても何も思わぬわ。それにしても、主は仕事が速い。このような手の掛かることでも、一瞬であるな。」
維心は、後ろへと下がりながら、答えた。
「これぐらい何でもないわ。だがしかし、なぜにこのような事が起こったのか考えねばならぬの。」
そこで、志夕に呼ばれた治癒の神達が必死の様子でやって来た。志心は、それらを見ながら言った。
「良い。もうなんともない。主らは戻れ。」と、維心を見た。「座るが良い。話そうぞ。」
維心は、志心の前の椅子へと座った。志夕は、何が起こっているのか分からない治癒の神達にもう戻れと手で追い払い、そうして自分も、志心の脇にある椅子へと座る。
義心が、維心の脇に膝をついて控えたのを見て、志心は着物を直しながら、息をついた。
「楽になったわ。もう気が抜け去って行くような気分の悪さが無くなった。それにしても、なぜにこのようなことになっておったのだろう。我は、主の後について飛んでおっただけだったのに。」
維心は、首を傾げて眉を寄せた。
「我に手を貸してくれておったよな。しかしながら、我の後ろにぴったりついておったはずであるから、亀裂などに触れる機会など無かったのではないか。」
志心は、その時を思い出そうと遠い目をした。
「…確かに、あちこちに次元の歪みが出ておるから、どこが開くか分からぬし維心の後ろにしっかりついておらねば危ないと思うて真後ろに居った。だが、主の気の流れに沿って力を放っていただけで…そのうちに、いつの間にか気が足りぬようになってしもうて。」
維心は、同じように思い出しながら頷く。
「ふと主からの気が途切れて振り返ったら落ちかけておって驚いたからの。慌てて気で掴んでぶら下げて飛んだゆえ。主はあれから気が回復せなんだのか?」
志心は、困ったように維心を見て頷いた。
「最初は補充しづらいが回復しそうな様子だったのだ。それが、時が経つにつれて段々に抜け去る気が多くなって参って。いくら補充しても流れ出すような状態になってしもうておった。」
維心は、顎に触れながら考え込んだ。
「ということは…恐らく最初は微々たるものだった亀裂が、気が通り抜けるに従って広がって行って流れる気が多くなっておったのだろうの。つまり、あのまま時が長く掛かれば亀裂が更に広がって、結局主は命を落としておっただろう。うむ…」と、考えながら、脇に膝をつく義心に、ふと目を向けた。「主、どう思う。」
義心は、突然自分に話を振られたのだが、維心は時々こういうことがあるので、しっかり話を聞いて考えていたのですぐに答えた。
「はい。我が聞いておりまして思うに、最初は小さな亀裂であるのなら、もしかして歪みが生じておる辺りには、多数のそのような細かい亀裂があったのではないかと思うのです。我が王の気は、次元を閉じようとされておる時は全てがそのように発しられておるので、王の御身に触れる前にそこから湧き出る気に触れることで、すぐに封じられてしまいまする。なので、王の御身にはそのようなものが取り付くことも無かったのではないかと。」
維心は、言われてみれば確かにそうで、腕を差し出して前に気を発して次元の歪みを正している時でも、体全体からは気が薄っすらと漏れている。細かい亀裂があって、それに気付かなかったとしても、維心の体に触れる前にその漏れ出す気に触れて封じられて消えて行っただろう。
しかし、志心はこの限りではない。なぜなら、維心の補佐をしていただけだったし、そもそも一時的に封じるぐらいは出来るのだが、完全に閉じてしまうことは、志心には出来なかったからだ。
「…ということは、細かすぎて我には気付けず己の気で勝手に封じておったが、志心にはそれが出来ずで何かの拍子に身に取り付いてしもうたということか。だとすると面倒な。誰の身にでも起こる可能性があるということよな。」
志心が、深刻な顔で頷く。
「もしかして…まだ、この領地内にそのような細かい亀裂があるかもしれぬということか。」
維心は、それには首を振った。
「いや、それは無かろう。神の体と違い、空間などに開いておったら瞬く間に亀裂が広がって可視出来る。今頃はそこいらじゅう大変なことになっておったはずよ。そもそも我が一掃しておるゆえ…あの時は次元を閉じることに力を集中しておったゆえ、我が通っただけでも全て綺麗に整えられておったはずよ。主の体に取り付いた亀裂が残ったのは、主の気が我の気を避けたからぞ。つまり、神は己の体を守るために己の気をまとっておろうが。それが、我の気を遠ざけてしもうて、主の体の亀裂はそこに存在し得たと考えられる。」
志心は、維心を不安げな顔で見上げた。
「主がそう申すのならそうであろうが、しかし誠にそうであるのか…案じられるものよ。」
維心は、それを聞いてため息をついた。確かに、自分はいろいろと見えているので分かるし、自分でさっさと封じて消してしまえるので平気だが、自分でどうしようもないとなると、それは不安だろう。
「しようのない事よ。」維心は、言って立ち上がった。「またぐるりと主の領地を見て回っておくことにする。それから、高晶の領地も上から見回っただけであったが、それもこれから訪ねてしっかり見ておくことにするわ。主らにはどうしようもないのだし、確かに何かあってはと案じられよう。」
志心は、感謝の視線を維心に向けて、同じように立ち上がった。
「すまぬの。ならば我が共に。」
しかし、維心は首を振った。
「今やっと回復して参ったばかりであるし、主の気の色、まだ元に戻っておらぬ。己の気をしっかり身に留めて己の物にしてしまわねば、不安定であろう。」と、義心に頷き掛けた。「ついて参れ。そちらの、夕凪。主もの。」
夕凪は、じっと黙って後ろに控えていたが、維心にそう言われて、弾かれたように顔を上げると、志心を見た。志心は、頷いて行けと目で知らせ、維心に言った。
「よろしく頼む。また礼は後程に。」
維心は、扉へと歩き出しながら、軽く首を振った。
「そのようなもの要らぬ。お互い様よ。我とて主に手を貸してもらわねばならぬ時もある。ではの、志心。見回った後、我は高晶の宮へ向かうゆえ、その旨知らせだけ、あちらへ送っておいてくれぬか。」
志心は、頷いて維心の背を見送った。
やはり龍には、敵わぬのかとその背に思った。




