散策
その少し前、義心は維月について白薔薇の園へと近付いていた。
しかし、何やらいつもと違う様子を感じる。志心の封じのような力を感じるのだ。
維月も、ふと足を止めて、そちらの方向を窺った。
「…何かしら。志心様の封じの結界のようなものを感じるのだけど。」
義心も、頷いた。
「はい。遠く高晶様との結界境の辺り、来る時に見ましたら結界が触れないように、わざと数メートル離して結界を張り合っていたのが見えたので、もしかして何か支障が出たのかもしれませぬ。とはいえ、ここは結界とは離れた場所でありますし、何事でしょうか。」
維月は、もしかしてその、結界の辺りの何かでこの辺もおかしくなって、志心が何かを調節しているのかもしれない、と思い、残念そうにもう間近に迫ったバラ園の方を見た。
「…仕方ないわね。維心様にも言わないで出て参ったし、危なかったらいけないから戻りましょうか。」
義心は、ホッとした。案外に維月は、聞き訳が良いようだ。
「はい。では、こちらへ。宮への近道を通って参りましょう。」
維月は、頷いた。そちらの方が道は急な登りだが、確かに速い。
「急ぎましょう。」
維月は、義心に手を取られて、その道を登って歩いて行った。
しばらく歩くと、義心がふと、足を止めた。維月は、義心に手を引かれていたので、もろにぶつかった。
「ぶ!」
義心は、振り返って維月を見た。
「申し訳ありませぬ。この先が、何やら不穏な気配が。見て参りますので、こちらでお待ちを。」
維月は、言われて義心の視線の先を見た。確かに、もやもやと覚えのあるような、嫌な気配を感じる。これは…恐らく、前世の記憶。遠く、まだ月の宮を建てようと敷地を見取り図を見ながら、基礎工事などを見回っていた頃の…。
「…次元の裂け目…?」
維月が、思わずそう口にすると、義心は、頷いた。
「恐らくは。もしかしたら、結界の干渉で次元が不安定になってあちこち不具合が出ておるのかもしれませぬ。だとしたら、危険ですので我がとりあえずの封じをして参ります。維月様はこちらを動かずじっとしていらしてください。」
維月は、ゴクリと唾を飲み込んで頷く。次元の裂け目に関しては、前世でこれでもかと怖い思いをして懲りている。
さすがに維月も、そこを動こうとは思わなかった。
「でも、龍でも手練れでなければ封じる方法を知らぬのに。あなたは大丈夫なの?」
義心は、頷いて維月の手を放すと、もう裂け目があるだろう場所へと歩き出しながら言った。
「問題ありませぬ。では。」
義心は、維月をそこに置いて、そちらに向けて慎重に歩いて行った。
そこには、確かに次元の裂け目があった。
見た所、開いたばかりのようで、回りもまだ影響は少ないようだ。今閉じておけば、開いて来て辺りを飲み込むような事は無いだろう。
義心は、ホッとして呪を唱えた。自分の気で膜を作り、それを封じる。
この術は、あまり多くの神が使えるものでは無かった。義心の気は、それなりの大きさがあるので、それを扱う技術さえあれば、難なく封じることが出来るのだ。
綺麗に封じられたのを見て、義心は、ホッとした。これで、後は志心に場所を報告して、きちんと塞いでもらうだけだ。
この辺りは不安定でやはり危ない、維月を早く連れて帰らねばと振り返ると、維月が義心に言われた通り、あの場所でじっと立っているのが見えた。不安そうにこちらを見ているが、維月も今の裂け目が無事に封じられたのは感じ取れたはずだ。
義心は、急いで維月の方へと足を向けた。
「維月様、お早く戻りましょう。このような時には王のお傍に居られた方が安全でございます。」
維月は、離れた位置で頷く。神世で一番能力が高く力があるのが維心なので、確かに何があっても何とかしてくれそうだ。
維月は、まさか志心の宮でこんなものが現れるなんて、と出て来たことを後悔していたが、とにかく戻ろうと頷いた。義心がこちらへ来るのが見えるので、近付くのを待っていると、また何か、感じた。
「…何かしら、また何か嫌な雰囲気が。」
義心は、ハッとした顔をした。この雰囲気…下?
「!」
「義心!」
維月は、飛び出した。
義心は、足元にあったはずの地上が無くなって行くのを感じて、飛ぼうとしたが気が使えないのを知った。何とか地上の欠片でも掴もうと伸ばした手は、土や木の葉ではなく、もっとしっかりと柔らかいものに掴まれて、ぶら下がった。
「!!…維月様…!」
維月が、穴の淵から顔を覗かせて、顔をしかめる。
「義心…!引っ張られる感じが…!気が使えないの…!」
義心は、維月が持ち前の素早さで開いた穴の淵へとダイブし、そこに腹這いになって自分の手を掴んでいるのだと知った。ベールが、勢いで吹き飛んだのかなくなってしまっている。
「なりませぬ!我は己で何とかできまするゆえ、お放しくださいませ!」
義心は、必死に叫ぶが、維月はブンブンと苦し気に首を振った。
「駄目よ!気が使えないのにどうやって何とかするの!次元の裂け目なの?違うわね?」
義心は、下を見た。次元の裂け目というよりも、どこか別次元に向かって開いた穴のようだ。
「…問題ありませぬから。恐らく別次元です。王をお呼びくださいませ。そうしたら、我がここへ落ちておっても見つけてくださいますゆえ。維月様までこちらへ落ちたら、どうやって王に知らせるのですか!」
別次元に向けて開いている穴へと、気圧が違うのか気流が流れて付近の枯れ葉が激しく義心に叩きつけるように当たっては吸い込まれて行くのが見える。
「義心…」と、維月が迷っていると、維月の胸元の方から土が崩れ始めた。「きゃあ!」
「なりませぬ!」
穴が広がる。
義心は、自分から維月の手を振り払おうとしたが、その時にはもう、維月の半身が下から見えている状態だった。このまま手を離したら、維月様が落下して来たのを庇うことも出来ないかもしれぬ…!
「義心!」
維月が叫ぶ。
義心は、気が使えない中、落下して行く己を感じながら、自分の上から落ちて来る維月から目を離さなかった。
「維月様…!」
何としても維月様だけは傷を付けずにお守りせねば。
義心は、落下して行く空中で、握っていた手をぐいと引き寄せて抱きしめた。
下まではどれぐらいあるのか…!
義心は、維月を腕に自分の体をクッションにして、それで足りるだけの衝撃であるようにと、祈りながら落下して行った。
志心が、維心を先導して歩いていて、ふと、立ち止った。
「…何ぞ、変な空気を感じる。」
維心も、それを気取っていた。
「確かにの。こちらからか。」
維心は、脇の道の方を見た。維心が、険しい顔で頷く。
「異次元の空気ぞ。裂け目ではない…もしかして、裂け目が大きくなって狭間ではなく異次元が開いたのかもしれぬ。これは早く閉じてしまわねば、巻き込まれる者も出るやもしれぬぞ。」
維心は、そちらへと急ぎながら頷いた。
「我が来ておって良かったの。我なら完全に閉じてしまえるゆえ。」
志心は、少しホッとした顔をした。
「主は頼りになるからの。幸い脇の険しい方の道であるから、通る者も少ないであろうが、早う閉じておくに越したことはない。」
ふわりと浮き上がった志心は、維心と共にそちらへと向かった。すると、少し登った所で、激しく回りの枯れ葉が吸い込まれて行く場所を見つけた。穴は3メートルほどの大きさで、回りの木々が倒れては吸い込まれ、回りの枯れ葉が巻き込まれ、真っ黒い穴の中へと消えて行くのが見える。
「これは…!何との、大きくなって来るぞ。」
志心が、空中から言うと、維心が叫んだ。
「志心、近寄るな!その真上は恐らく気が使えぬ。吸い込まれるぞ!」
志心は、慌てて軌道を変えて真上に行かないようにと加減した。
「地面が削られて来ておる。放って置いたらどんどん大きくなるぞ。」
維心は、頷いて手を上げた。
「すぐに閉じる。そうでなければまずいことになろうぞ。」
そうして、気を放とうとしていたが、ふと脇に何やら揺れて光るものを見つけた。何だろうとチラとそこを見ると、それは、脇の木に引っかかった、自分が術を掛けて維月に与えたベールだった。
「!!」
維心は、慌ててそちらへ飛んだ。そして、その薄いベールを掴むと、間違いなく維月の気配する、維月のベールだと分かった。
「維月…」維心は、穴を見た。「もしかして、維月はこの中か?!」
ならば、閉じてしまってはどこの次元なのか見つけることが出来なくなる。
志心が、維心の横へと飛んで来て浮いた。
「それは…?主の術が掛かっておるな。」
維心は、頷いた。
「あれが自分の気を隠すために術を掛けて欲しいと申すから、我が施して与えたベールぞ。もしかして、急いでこちらから帰ろうとして、ここへ落ちたのでは。だとしたら、すぐに閉じてしまっては、無数にある次元の、どこへ落ちたのか分からぬようになる。閉じることは出来ぬ!」
維心が言うのに、志心は困惑した顔をした。
「しかし、このままではどんどん穴が開いてしまおう。」
維心は、また手を上げた。
「膜を張る。」と、気を放った。「穴を縮めて回りから遮断する。中に維月が落ちておるならば、その次元へ参らねば。あれを救い出さねば閉じることなど出来ぬわ。」
と、維心が気を放つと、ぐいぐい穴が縮みだして、抵抗するような何かがきしむ音を出し始めた。そのまま見る間に直径1メートルほどまでになり、その後まるでカプセルのように透明の膜が張られ、辺りのものが吸い込まれる力は、スイッチを切ったかのように、ピタリとやんだ。
「細かい波動をよう調節するものよ。主の能力には感心するわ。」
志心が感心したように言うが、維心は鬱陶しそうに手を振った。
「こんなものコツさえ掴めば誰でも出来るわ。それより、維月が中に居るかもしれぬことが重要なのだ!義心も居らぬし…恐らく助けようと共に落ちたのだろう。我とてこの次元に落ちたらなかなかに上がって来れぬかもしれぬ。」
志心は、思ったより面倒なのか、と眉を上げた。
「主ならすぐに引き上げてしまうと思うておったのに。違うのか。」
維心は、厳しい顔をしたまま、志心を見た。
「次元が違うと使う気の量も違う。我の気の量でもどこまで通用するか分からぬのだ。まして義心が這いあがって来れぬほどであるのだから…」と、その場に直に胡座をかいて座った。志心がびっくりしていると、維心は続けた。「少し、探る。ここに誰も近寄らせるでない。」
穴に向かい、目を閉じる維心に、志心は切迫した気を感じて、頷いた。次元の事など、自分は深くは知らぬで来た。何しろ、大きな気がなければ、そんなものは扱えないと相場が決まっているのだ。
志心は、いよいよ大変な事になったのでは、と、俄かに危機感を募らせていた。




