宴
神世の会合は、龍の宮だった。
ひと月、又は状況によりふた月に一度あるので、そこそこ大きな宮を持つ宮ならばどこも会場になる可能性はるのだが、その宮の力の問題もあって、振り分けには気を遣う。
毎年、年の初めに振り分けを行い、大体が龍の宮、鷹の宮、白虎の宮、鳥の宮で持ち回る。鷲の宮は遠いので、下々の宮には遠く感じるので、たまに振り分けられる程度で、樹籐の宮、翠明の宮なども最近では年に一度ぐらいは指名されていた。
しかし、やはり一番宮の力を持つ龍の宮は、年間多い時には6回ほどは振り分けられていた。その上、大々的な催しも間に挟まる。
領地の位置も真ん中なので、どこの宮からも来やすいし、ついでに龍王に嘆願もしやすいので、しょっちゅう龍の宮で皆が集っている気持ちになった。
そんなわけで、慣れているはずなのだが、ここのところは時に空で神の輿が詰まったりして、待たせる事がたまにあったり、何しろ軍神をたくさん連れてくるので、その軍神達がおかしな動きをしたりと、不測の事態も起こるので、対応し切れない時もある。これまではそんなことはなかったが、最近は時々あった。
しかし、今日の龍の宮は少し違った。
これまでは帝羽と新月の二人と序列の上位が必死に宮の整理やら警備やらに努めていたのだが、序列の移動で今日は帝羽と義心の二人が回している。
義心は、帝羽の指示に的確に動き、その上己で考えて良いと思ったことを先に先にとさっさと処理するので、帝羽は格段に楽になった。
ここ最近は何とか対面を保ってはいたものの、それは上位の軍神達が総出で頑張っていたからだ。義心が生きていた頃は、義心一人で皆に指示して皆が盲目的に従いそれで事足りていた。なので最近は、それぞれの軍神がそれぞれのやった事があることを持ち寄って、考えて宮を回すという、結構綱渡りな催しをしていたのだ。
小さな宮での小さな催しならばここまで大変では無かったが、この最大の宮で神世全ての王が来るとなると、生半可な能力では無理ということなのだ。
もちろん、維月も奥を取り仕切る腕は完璧なので、客の流れの動線などは維月がやるのでそこは問題なかった。
なのでこちらは維心が指示を出せばいい話なのだが、いちいちあれをやれこれをやれと指示するのは面倒なので、軍神達に任せていたのだ。が、いつもボロが出ないかとハラハラして見ていたのは確かだった。なので、帝羽と義心が危なげなく宮を回すのを見て、内心ホッとしていたのだった。
会合を終えてから、維心は維月と共に宴に出るために一度居間へと戻った。維月が公に外へ出るとなると準備が大変なので、その準備を待っている間、帝羽が居間へとやって来て、膝をついた。
「王。全て滞りなく、警備も指定の場所に付き、それぞれの宮の軍神も宿舎の方へと収まりました。」
維心は、頷いた。
「早かったの。毎回どうなることかと思うておったが、だいぶ慣れて参ったようよ。とは申して毎回予想外なことが起こるのがこういう催しであるから、此度はよう対応出来ておると思うておるわ。」
帝羽は、顔を上げた。
「は。此度は…義心が参って他の宮の軍神達の飛ぶ様子を見て、起こるやもしれぬ事態を予測して先に軍神を配置しておったり、我の指示にも的確に予測して先に動いてくれたりで、驚くほど早く事が処理出来ましてございます。ほんにあれは、一度にいろいろなことを頭に入れて見て判断しておるので、助かっておる次第。もっと早うに上位に置いておったら、ここまでいろいろ苦労はしなかったのかと思うた次第です。」
維心は、やはり義心の血は二人目の孫に出たのかと頷いた。
「かつての義心も若い頃からそんな風だったわ。父親が一応筆頭であったが、しかしあれがあまりに優秀であったから退役してあれに代を譲った。我はそれだけで格段に楽になったものよ。しかし見ておったら、義将の動きも良いものであった。あれらには我が労っておったと申せ。もちろん、主にもな、帝羽。」
帝羽は、深々と頭を下げた。
「は。もったいないことでございます。」
維心は、言った。
「下がるが良い。主はもう、本日は休め。次の番の者に任せよ。」
帝羽は、また頭を下げ直して、そこを出て行った。
維心は、義心ではなくても、その血が自分を助けてくれることに心が癒されるのを感じていた。義蓮は、義心の子として産まれたがその能力を継がなかった。それでも、義蓮は子をたくさん残すという仕事をしてくれた。義将も義心も、あの義心の能力を継いでいる。何より、義将は350を超えており、義蓮に倣って婚姻を早くに済ませ、子をもう、三人ほど育てている。皆義心と同じ年ごろで、まだ鍛錬している最中であったが、きっと龍軍を助けてくれる。ただ、あの孫の義心が、他に類を見ないほど祖父の義心の能力を継いでおり、あれさえ頂点に居たら、これからの龍軍はまた、落ち着いた様になる…。
維心は心底、ホッとしていたのだった。
今日は、会合なので妃を連れている王は居なかった。
維月は、維心の背を見ながら宴の席の後ろから、皆の会話を聞いて黙って座っていた。
こうして、維心について表に出るのは、本当に久しぶりだ。
維月は、そう思いながら変わらない王達の、美しい顔を眺めていた。義心を亡くしてから、最初は維心が深く沈んで維月はそれを癒すことに心を砕いていたのだが、蒼が見舞いにやって来て、義心の最期の気持ちはそうなのではないか、と、自分の考えを、それに至った経緯も交えて話してくれた。
その時、まさにそうではないか、と思い至ったのだ。
何より義心が最後に目を向けたのは、自分だった。維月は、目があった瞬間を覚えていた。義心は、それは穏やかな表情で自分を見ていた。そこに、愛情があったかと言われたら、確かにそうだったかもしれない、と気付いた。
そのうちに、視線が濁ってもう、目が見えないのではないかと思った時、義心は見えないだろう目で虚空を見つめながら、また維心に仕えると言い置いて、逝ったのだ。
維心と維月は、黄泉でも現世でも離れることは無い。それを、義心は知っていた。蒼が言っていた通り、維心の傍にとは、維月の傍にと、同義で使った言葉ではないかと思った。あの最後の時に、義心はやはり、自分を想ってくれていたのか。
そう思うと、あれだけこの龍の宮を支えて維心を助けてくれていた、義心を最後まで不自由なまま逝かせてしまったことに、胸が締め付けられて仕方がなかったのだ。
なので、維月は宮の中をフラフラすることはやめていた。
新しい命達が、もし自分の気などに触れて義心のようなことになってはと、維心に術を掛けてもらった、強力な気を封じる薄布を被り、なるべく皆が外に居る時に、奥から出て行くことにしていた。
なので、遠目に見た軍神達の立ち合いの時も、薄布の向こうに動く姿を見ていただけで、しっかり顔も見てはいなかった。
もう二度と、あんなことはと維月は心に決めていたのだ。
維心は、最近は元気にしていたし、今も王達と、黙ってはいるが楽し気に酒を酌み交わしている。今生は友も多くて付き合いもするし、維心もやっと普通の神並みに生きているのかと思うと、良い大人なのに自分の子供を見るようで、微笑ましく温かい気持ちになった。
ふと、炎嘉の声が聞こえて来た。
「のう、ちょっと庭へでも出ぬか皆よ。こうやって大広間で座っておるのも毎回のことで飽きて来た。そうよ、訓練場は?ちょっと戯れて見ぬか。最近動いておらぬから体がなまってしもうて。」
志心が、顔をしかめた。
「酒を飲んでおるのにまともに立ち合えるのか?まあこんな着物を着ておる時に立ち合おうというのからして正気の沙汰ではないがの。我は良いぞ?確かに退屈であるし。」
焔が、気だるげに酒を飲んでいたのに、目を輝かせた。
「お!誠か志心。ならば炎嘉、志心を連れて参ろうぞ。他の奴らが面倒だと言うたら放って置いたら良いし。」
炎嘉が焔の言葉に嬉々として立ち上がり、頷いた。
「主はやはりノリが良いのぅ。参ろう参ろう!」と、チラと維心を見た。「主は?どうするのだ。己だけ甲冑を着て来るとか申したら仲間に入れてやらぬからの。」
維心は、顔をしかめたが、乗り気なのはもう立ち上がろうと裾を後ろへそっと撥ねたことから維月にはわかっていた。
思った通り、維心は言った。
「主ら相手に我が後れを取ると思うておるか。片腹痛いわ。」と、立ち上がった。「箔炎の腕も直接に見てみたいと思うておったのよ。主らも参れ、駿、箔炎、それに高昌。翠明は?樹藤はどうする?」
樹藤は、首を振った。
「我は無理よ。だが、眺めておるわ。珍しいものが見られるからの。」
翠明は、渋い顔をしながらも、立ち上がった。
「我は主らには全く敵わぬし、審判でもさせてもらうことにする。しかし、誠に今からか?酒も結構進んでおったのではないのか。」
炎嘉が、もう焔と共に志心を引っ張って行きながら、答えた。
「あんなもの飲んでおるうちに入らぬわ。さあ参るぞ!駿と立ち合いたいと思うておったし楽しみであるのー。」
そうして、さっさと勝手知ったる宮の中を歩いて行く。
維心もそれに続こうとして、ハッとして維月を見た。そうだ、維月が居たのに。
「…維月、我は…、」
維月は、微笑んで遮った。
「よろしいのですわ。分かっておりまする。私は先に奥へ戻っておりますから。どうぞ、私のことは御心おきなく、お出ましくださいませ。」
維心は、ホッとしたように頷くと、足を炎嘉たちの方へと向けた。
「良い戦績を土産に戻るゆえな。」
そうして、嬉々として訓練場の方向へと出て行った。
維月は、そんな維心の背中を苦笑しながら見送って、そうして奥宮へと戻るべく、重い着物を侍女達に手伝ってもらって持ち上げて、歩き出したのだった。