臣下達
箔炎は、己の結界の中なので、そんな二人の様子を見ていた。
佐紀が悠理の着物の裾を踏んずけて引き留めたのは驚いたが、悠理も特段それを咎めることも無く、そんな様子を見ていると、案外似合いの二人なのかもしれない、と妙に納得した。
佐紀も、あの様子だと女が寄って来ても扱いがあんまりであっただろうし、自然面倒になって来て、遠ざけていただけで、別に女嫌いなわけではないのだろう。
そんな佐紀を慕わしいと言う悠理なのだから、うまくやるだろうと箔炎は思った。
あの日、庭から帰って来た二人を迎えた箔炎と箔真は、佐紀から深々と頭を下げられ、悠理様を妻に戴きたいと箔炎に正式に告げた。
王族の降嫁なので結納などの手続きも無く、ただ悠理の荷だけを急ぎ作らせることになり、その間は悠理は宮へ留め置かれていた。なので、箔炎はその間佐紀が奥へ入るのを許し、佐紀は悠理の所へと会いに来ていた。
箔炎からは悠理へ婚姻の祝いに屋敷を贈り、佐紀の屋敷は大きく建て直されることになった。
悠理の荷と、佐紀の屋敷の建ちあがりが同じぐらいになりそうなので、ちょうどいいかと思っていた。
もちろんのこと、佐紀の親族の喜びようは大したもので、跡継ぎで筆頭軍神でありながら、子も残さないと愚痴っていた親族たちも、このために独り身だったのかと良いように解釈して涙を流して喜んでいた。
佐紀自身は、まさか自分の身にこんな歳になってから、こんなことが起こるとは思ってもいなかったのだが、それでも悠理が居る毎日は、それは楽しく心が癒される思いだった。いつでも、帰れば悠理が居て、自分の話を聞いて忙しく表情をコロコロと変えるのをいつまでも眺めていられるのが、何よりの幸せだと思うようになっていた。
この上は、王の奥宮へと帰るのではなく、早く自分の屋敷に落ち着きたいと、佐紀は思っていた。
そうして、悠理が居ると思うと、軍務にも張りが出て、もっと励まなければと思える自分に驚き、幸福を感じていたのだった。
とりかえず箔炎は、妹の問題が片付いて、幸福そうにしているのを見て、ホッとしていた。
次は、宮の中の問題だ。
臣下達に代替わりを勧めるのは難しいが、それでも自分が命じたら臣下は聞くよりない。王が代替わりをご希望になっているらしい、という噂が流れただけで、重臣達は色めき立ち、宮はまた落ち着かなかった。
箔炎自身はまだ、正式に言ったわけでは無かったのだが、臣下達はどうにかして、今の地位に残れないかと、裏で考えているようだった。
全て対策を出し切った辺りで命じるか、と、箔炎はあえて、代替わりのことは口にしないようにしていた。
何を裏で考えているのか知らないが、対策などあまりない。代替わりを勧める程度ならばやりようもあるだろうが、箔炎が命じて来たらそれを回避する術はないからだ。
箔炎は、臣下の出方を見ようと思ったのだ。
そうやってとりあえず毎日を過ごしていたその日、龍の宮から書状が来た。急ぎの書状であるとかで、帝羽がわざわざ持って来て、返事を待つという。
箔炎が急いでそれを開くと、そこには珍しく維心の字で、こう書いてあった。
『そちらの臣下から箔翔の追悼をするという案内がこちらの臣下に来たが、王レベルでは話をしてはおらぬこと。臣下内だけの催しならば、通常こちらは意に介さぬが、今さらにどういうことなのか、意味が分からずこちらの臣下も困惑しておる。主はこの催しのことは知っておるのか、返事を待っておる。』
箔炎は、眉をぐっと寄せた。どういうことだ…箔翔の追悼?150年経った今、これまで何もしていなかったのに、今さら?
…さては臣下は、これを外から知らせて暗に自分たちが知る、箔翔を弑した事実を、神世に流すと箔炎に知らせているのだろう。
「…別に、今さらよな。」箔炎は、ふふんと鼻で笑った。「知っておる者は知っておる。龍王だとて知っておるのに、その事実を知らぬで何をしようとしておるのか、あれらは。別に、それなら我が開いてやっても良いぞ?我が父を殺したと、神世に告示してやろうか。そうしたら、あれらはどうするつもりであろうかの。」
箔炎は、それを見てひとり、そう言った。だが、帝羽が待っている。
箔炎は、維心に向けて返事を書いた。
「…そういうことか。」維心は、書状から顔を上げて、目の前に膝をつく帝羽に言った。「箔炎は、古い考えの重臣達に代替わりを促すつもりであったのだが、まだ退きたくない臣下達は、何とか箔炎に命じられる前に手を打とうと、箔炎が命じられないように、暗に我らは秘密を知っているのに、漏らしても良いのかと圧力を掛けるつもりであんなことを策したらしい。別に箔翔は150年も前に死んだのだし、こちらとしては悼むことも無い。兆加たちには、行かぬで良いと申しておけ。」
帝羽は、頭を下げた。
「は。しかしながら、面倒な事になりましょう。神世は未だに、箔翔様は病か何かで亡くなったのだと思うておられるよう。それが、箔炎様が弑した上での代替わりだと、それを隠しておったのだと知れたら、神世からは非難されるのではありませぬか。」
維心は、考え込むように肘をついて言った。
「確かに面倒だと思うやもしれぬが…そんなことは、今の箔炎には通じぬわ。あの頃ならいざ知らず、あれはあの頃でも大概しっかりしておったものを、今では成人して見事な王っぷりぞ。箔翔の頃には出来なんだ回りの宮の世話も、我らと同じようにこなして神世に貢献しておる。まさに、今さらなのだ。あの直後ならば困ったことになったやもしれぬが、事ここに至っては、箔炎が王で良かったと思うておる宮が多いゆえ、そうか、それがどうした、という空気になるだろうと我は考えておるがの。」
帝羽は、考え込む顔をした。
「確かに…しかし、そんなことも重臣達は分からぬのでしょうか。宮を采配しておるのに?」
維心は、首を傾げた。
「どうであろうな。しかし、王を脅す臣下など要らぬ。それが、我の考えぞ。ということは、箔炎もそうであろう。またあれも、血なまぐさい事にならねば良いがな。」
そう言いながらも、維心は特にもう、気にしていないようだ。
箔炎がどうとでもやるだろうと思っているようで、それだけ箔炎は、若いが出来る王なのだろう。
帝羽は、頭を下げた。
「では、臣下達には行かぬで良いと伝えて参りまする。」
維心は、頷いた。
「頼んだぞ。」
そうして、その事は維心も、炎嘉や志心、焔などに知らせてから忘れることにした。
維心は忘れて終わりだったが、箔炎はそうではなかった。
己の宮の中で臣下が王を脅そうとしているとなると、放って置くわけには行かなかった。
とはいえ、維心の書状への返事を返してから、どうやらどこの宮の臣下も皆、欠席の連絡を入れて来たらしい。
つまりは、他の宮の王達にも維心が連絡を入れて放って置くように言ったものだと思われた。
臣下としては思惑が外れたようだったが、それでも箔炎に維心から書状が来たのは知っていた。つまり、箔炎が自分たちの意思を知ったものだと思っているはずだ。
今日も会合の席で、済ました顔をして座っている玖伊、他重臣達を前に、箔炎はいきなり言い出した。
「…これからの宮を考えようと思うておってな。」重臣達が、急なことに固まっていると、箔炎は続けた。「我は神世に己が王座に就いた経緯を、次の会合で話しておこうと思うておるのだ。父上は周りに宮の世話もしておらなんだし、何より獅子との仲は険悪になろうとしておった。知っていた龍も鳥も白虎も鷲も、こちらを案じて父上に進言していたようだったが、父上は聞く耳を持たなんだ。そんなことは皆知っておるから、別に我は今さらと思うておるのだ。ちなみに上位の宮の王達は、皆我が父上を殺したことを知っておる。知っておって黙っておるのだ。」
臣下達は、驚いた顔をした。知っていると?
「…それは、龍王もということでありまするか。」
玖伊が言うと、箔炎は頷いた。
「そう、龍王もぞ。鷹の将来を案じていたゆえ仕方がないと申しておった。我の後の采配を見ようと言うてくれておって、今では信頼してくれておる。その上で我も隠し事をしておるのはようないと思うゆえ、他の宮にも告示しておこうと思うのだ。なに、我とてあちこち面倒を見ておるし、今さらであると思うたしな。」
臣下達は、顔を見合わせた。手前に座っている、重臣達が言った。
「ですが宮の対面もありましょう。そのようなことを告示してしもうたら、王の威光も下がるのでは。」
箔炎は、ハッハと乾いた笑い声を上げた。
「我の威光?主、五代龍王がどうやって王座に座ったのか忘れたか。父王張維を食い殺して王座に就いたのだぞ?それで神世が何某か言うたか。強く正しい者が王座に就く。それは神世の理ぞ。」と、着いた肘に顎を乗せて、ずいと重臣達を見た。「それで、主らは我を王と仕えておるのだの?それとも、誰か他に仕えたい者が居るか。もしかして、箔真か?のう箔真よ、主は王になるか?」
箔真は、隣りに座っていたのだが、すぐに首を振って、箔炎に頭を下げた。
「我は兄上の臣として仕えまする。我には兄上のような能力はない。王とは絶対でなければならないと思うておりますので。」
箔炎は、頷く。そうして、また重臣達を見た。
「さて、我は侮られるのは好かぬ。我を脅せると思うたか?龍王が知らせて参ったのは、我に宮の中の動きを知らせるためよ。我も知っておったが、主らが何かをしたいのならさせておこうと様子を見ておっただけ。ヘタな小細工をしおってからに。我は絶対の王ぞ。主らなどに怯えて己がしたいことをせぬなどということは無い。」と、パン、と机を打った。重臣達が聞きながら次第におののくような顔になる。箔炎は、続けた。「今居る重臣、筆頭から10位までの者、その任を外す。王を敬えぬ臣下など要らぬ。始末しても良いが、これよりその子を我が筆頭から10位に据えるし、その後の政務に支障が出ては困るゆえ、生かしてやろうぞ。感謝するが良いわ。」
玖伊が、慌てて言った。
「王、我ら王を敬っておらぬことなど…、」
しかし、箔炎は首を振った。
「箔翔を悼むのなら好きにするが良いわ。我はあれを遺して死んだことを後悔しておった。あれは王の器ではなかったのに、不憫なことよ。玖伊、主は知っておろうが。我は容赦ないぞ。前世母を殺し、今生父を殺した。全ては宮のためよ。宮を乱す輩は生かしておかぬ。父母でさえそうであるのに、臣下ごとき我は簡単に斬って捨てるぞ。」
玖伊は、目を見開いた。王は何を言っている…?遺して死んだ?母を殺した?それは…。
「は、箔炎様か!」
箔炎は、フンと鼻を鳴らした。
「我は箔炎ぞ。箔翔は我が転生して来たのを知っておったからそう名付けた。全て忘れて来るつもりであったのに…箔翔と主らがあまりに不甲斐ないために、思い出してしもうたわ。だから我はあれを殺した。あれが鷹を地に落とすのを見たくはなかったからの。主らはどうか?鷹を地に落とそうと考えておるか?王を貶めるなどそうであろうの。そうよな、では」と、刀を抜いた。「それほどまでに死ぬまで現役で居りたいと申すのなら、本日で終わりのその責務と共に、我が送ってやろうほどに。」
「ひ!」
玖伊も、重臣達は一斉に身を退いて椅子から転げ落ちた。まだ子供だと思っていた。最近成人したばかりの少し賢しいだけの王であろうと。
だが、前世の箔炎ならば…中身があの箔炎ならば、話は違うのだ。あの箔炎は、容赦なく己の気に食わない者は淘汰し、母を殺し全ての女が面倒だと宮から放り出してしまい、長く男ばかりの宮の中で、宮を閉じて生きた王なのだ。もちろん戦国も経験し、臣下の命など簡単に散らしてしまう。そんな箔炎が、気付かない間に戻って来ていたのだ!
「申し訳ありませぬ!」玖伊は、額を床に擦り付けて必死に言った。「我ら王が命じられる通りに、跡を息子に譲り宮を退きまする。思い上がった我らを、どうかお許しくださいませ!」
重臣達全てが、玖伊に倣って必死にその場に伏せて頭を下げる。臣下達の中には、以前の箔炎を覚えている者も多い。しかし、若い臣下達は、ただおろおろとその様子を見ているだけだった。
「…そうか。」箔炎は、刀を鞘へと収めた。「ならば序列の移動を申し渡す。筆頭は玖見。以下それに倣って序列をつけよ。」
椅子に座ったままだった臣下達は、いきなりのことに躊躇ってはいたが、頭を下げた。
「ははー!」
箔炎は、そんな臣下達に背を向けて会合の間を出て行った。
箔真は、これで誠に大丈夫なのだろうかと、箔炎を案じていた。




