さようなら、世界
2010年代。
それは俺こと、『大空 大和』にとっては生き地獄だったと思う。
まず、大学卒業に伴う、就職活動。
皆様ご存知、あの悪名高き言葉『ない内定』なんてのが、実際に起こったのだ。
正直、成人して幾年程度の男が、自分の人生を語るなんて、思えば滑稽で。
まして、誇るもののない自分が、どう語れるのだ?
それが、何もないという自分、何もできないと誇れない自分。
ということが、己を追い込み、窒息、精神を蝕んでいく。
残された道は、酷い荒れ道で。
分かりやすく言うと、ブラック企業だったさ。
最初、何もない俺に〝技術〟を与えてくれた。
恩義のようなものを感じていたものの。
しかし、ただの〝奴隷洗脳〟でしかなくて。
やればやるほど、仕事がただひたすら山積みになっていくだけだった。
苦しさにまた、追い詰められ、恨み、発狂し、怒りさえ通り越した。
冷淡な激情ささえ抱いた。
もちろん、ただの一社員が、だからと変えられるわけじゃない。
ただただ、当然と言わんばかりに、業務と共に存在し続けるだけだ。
それが、どれだけ繰り返されたろうか?
いいや、そうじゃない。苦難さえ、俺は耐え抜いてきた自信があった。
どんなに業務が多かろうが、効率よく。
準備を怠ることなく、きっちり段取りよく。
ミスがないように、見直し、また、ミスがあれば適宜訂正するマネジメント。
駆使して働いたなら、日々楽しかったと思う。
然れども所詮自己満足。
〝上〟の奴らはそんなもの見てはいない。
多分、目先の利益だけ見て、本当に必要なことなんて見てくれはしなかった。
彼らがしてくれたことは、ただ、仕事を積み上げ、押し付けるだけで。
年を経て、嫌がらせにも程があるだろう。
そういうレベルで仕事をしていたら、いい加減気づく。
気づいて、いい加減にしろなんて言ったら、改善したか?そんなわけないだろう。
言ったはずだ、〝ブラック企業〟ってさ。
その前提通り、そう、それこそが、俺を破壊した。
改善よりも、改悪をして、ただ利益のためだけに、……俺を犠牲にした。
壊れた?
いや、壊れかけた。ま、その会社から逃げきれたけれどな。
壊れて、社会に絶望したのは、次だろうな。
待遇はましだったよ、〝契約社員〟って以外はね。
だから、簡単に〝クビ〟宣告だってできるのさ。
壊れた?
悪い、怒った。
激怒のその先の、激しい憎悪。
それはきっと、誰かが口にしたならば、確実にそいつの精神さえ破壊するだろう。
……いいや、そうであってほしい、それほどの激情だ。
抱いていたけれども、それだけで発散する術がない。
だから、そのまま堆積していく。
堆積して、堆積して、堆積して。
……心が破裂した……。
その瞬間に、世界の彩は陰り、灰色のそれへと変貌する。
光さえ輝かない、灰色の日々。
心は弾まず。
心は動かず。
心はもう、浮上することはない、灰色の日々。叫ぶことさえ、もうできない。
苦しくても、辛くても、どうすることもできないそれに。
もどかしさもやがて、失せて、……そして何もかもなくなった。
……どうでもよくなった。
灰色の世界、俺はただ、屍のように生きていた。
何もない、世界。街中を彩る風景と音楽も。
誰かが説く、ありがたい説法も、俺には響かない。
灰色の世界、生き場所を探し求めても、彩のない殺風景。
……願い叶うならば、幸せな世界で……。
遠く遠く、どこかの神様に祈るように日々繰り返す。
……願い叶うならば、幸せな世界で……。
どうせ叶わない。
そうであっても、この、鬱屈な日々がなくなるなら。
病のような重しが、何にもなれない。
何もできない彩を失った世界が、なくなることを願い続ける。
そうして俺は、大切な物を、ちょっといかした。
スーツの上で背負っても悪くないバックパックに、詰め込んで、歩んでいく。
大切な物それは。
かつて一世を風靡した、ネットブック、確か、有名なメーカー製のもので。
名前は〝NN100〟。
どこか、そう、俺の故郷のある雑貨屋で見つけた。
青い星を反射する、小さな水晶玉。
見れば元気が出た、俺のお気に入り。
アニメやゲームのキャラクターを描いた、ポストカード。
あと、かつて自分が誇りに思った、会社の作業着を着て。
旅に出よう。
この鬱屈で、灰色の世界終わる、旅路。
旅に出よう。
……この灰色で醜い世界に、さようならを……。
旅路の始まりを告げる場所、それは、俺の故郷、長崎の岸。
眼下に飛沫上げる波の、砕け散る様相、吹き付ける風。
さあ、灰色の世界に、縛られた俺の魂よ、風に乗って……。
鬱屈に蝕まれた俺の肉体よ。
踊る波に抱かれ、海に、母なる海、生物の故郷たる場所に……。
……はばたけ……っ!
……帰還せよ……っ!
そうして俺は崖から飛び立った。
海面が迫り、終わりを迎えようとする。
途端始まる、走馬燈。
今までの記憶の追想。
流れてくる、記憶たち。思い出たち。
高校受験に失敗して嘆く様。
大学に行って、嫌悪する奴に絡まれる記憶。
就職活動、〝ない内定〟からの、ブラック企業就職。
簡単にクビ。
……打開しようと買った、宝くじ、当たらない……。
……。
……っ!……っ!!
もう、今わの際で、……どうして安らかな記憶じゃないんだ!!
死ぬ時ぐらい、いい夢を見せてくれよ!
酷い追想、だからか、灰色の日常なんて。
酷い追想、ここでお別れだ。
物語。
この俺、大空大和の物語。
終わり。
……じゃない。
海面に叩きつけられる感覚が一瞬したかと思うと浮上。
失った意識もこの時浮上。
また、肉体から魂が抜け出たか、俯瞰で見れば。
悔しいかな、誰かに助けられているようで。
救助隊ではなく、ボロボロの白衣の誰かに助けられ。
やめてくれと、俺は救助する手を止めようとするものの、所詮魂。
実態なき意思が手を出したところで、誰か気づくわけもなく。
肉体共々、そのまま搬送されていく。
行った先は病院?……ではなさそうで、何か研究設備のあるもののようで。
俺はそこで、生命維持装置を沢山取り付けられ。
言うなれば命をつなぎ止められていた。
チューブといい、機械といい、この俺にしてみれば、鎖。
この世界に無理やり繋ぎ止められた、鎖でしかなく。
そうやって魂なく、生物としての最低限の〝生〟だけを与えられる。
すなわち、生き地獄。
またも、生き地獄。
俺は抜け出た魂なりに、反抗して見せたものの。
やはり実態なきもの、物理法則支配する世界において、何もできやしない。
このまま、殺してくれと言っても当たり前だが、聞こえやしない。
殺されることもなく、〝生きる〟こともない。俺は歯がゆかった。
傍ら、医者らしき人たちは。
ただひたすら俺の延命のために、力を費やしているみたいで。
だが、戻らない意識、魂、やがて諦めにも似た空気が立ち込めていた。
その状況なら、いつか俺を繋ぎ止める鎖を切ってくれるだろう。
期待する。
が、期待外れ、ある白衣の男が、何か思いついたように、嫌らしく笑うのだ。
生命維持のために、彼ら、とんでもない行動を示す。
機械でできた、棺桶と形容しようか。
そんなものを持ち出しては、俺の肉体を封じ込める。
このまま、墓に埋める?いいや。
その棺桶の外に、またパイプや機械を取り付けたなら、動かし。
……俺の肉体を冷却し始める。
機械から奏でられる、無機質な、心臓をモニターする音、ゆっくりに。
察する。
彼ら、俺を冷凍保存するのだ。
技術の限界があるから、未来に託す。未来の技術で、俺を救うつもり。
疑問だが、そこまでして俺を助ける理由とは?
答えは与えられず。
また、未だ肉体と繋がっていた俺は、やがて意識さえ遠のくのを感じ取った。
はっと気づいた時、俺はまだ例の、棺桶と同じ場所にいた。
同じ場所にいて、自分の肉体が保存された棺桶を、また俯瞰で眺めている。
ついに、人生を終わらせるのか、あるいは、解凍して蘇らせる算段がついたか。
やけに慌ただしい。
どうやら殺すつもりはないようで。
生命維持装置の、別の機械が作動を開始したなら。
脈拍が加速、通常の状態に戻りつつある。
血圧、体温上昇、また、心音も上がっていき、〝生〟のリズム刻み付ける。
「……。…………。」
あの、俺の側にいて、何か思いついて嫌らしく笑っていた男が、ここにもいて。
何か指示を出す。
ただ、薬品名なのだろうが、聞きなれない言葉と。
また、肉体がまだ活性化していないがために、はっきりと分からない。
「!!……!!………………!!」
「……!………………!」
俺の肉体に何があったかは、知らないが、途端警報が鳴り響く。
さすがに、はっきりしないとはいえ、警報は聞こえる。
なお、その警報は、どうやら俺の肉体に異常を感知してのそれではなく。
別の、たとえば、施設に異常が発生した際のもののようで。
慌ただしさが、なお一層加速。
俺の蘇生は中断されて、また、凍結処置を施そうとしている。
「!」
と、俺の意識が不意に、何か吸い込まれるような事態が。
……死ぬのか……?
そっと、その安心感に頬が緩む。
……生きるのだ……。
落胆に近い感情があるものの、俺は何か、肉体に戻ったようで。
心臓の鼓動と、皮膚からの感触、激しく聞こえる音、眩しさに、驚き。
体を弾ませた。
思わぬ動き、いつもの俺の肉体ではないようで。
軽く、高く飛び、床に叩きつけられ、凄まじい痛覚が襲った。
「?!ぎゃぁああああ!!!」
自分のと違う声で、叫びが。
「ごほぉ!!」
込み上げてくる感覚に、思わず戻せば、透明の液体で。
はっきりしてきた視界で、自分の手を見れば。
元の体と比べたら少し小さく、服は着ていなくて裸。
……生まれたての姿と、理解したならば、……俺は、〝生まれた〟のだ。
先の激痛と悲鳴、ならば産声。
裸故の、寒さと震えと、理解できないことへの怯え。
……まるで、赤子に戻ったかのようだ。
それでも俺は、何が起きたのかを理解するためにも、動き出そうともがく。
ただ、肉体が違う、俺の思った通りの動きができない。
立ち上がることも、まして、歩き出すことも。
だから、俺は赤子のように、這いつくばるように動く。
「!」
床を這い、何か、別の感覚を得て、ふと、そこへ向かおうとする。
そっと、ゆっくり。
「うぅ?!」
響く爆音、次いで振動。俺はたまらず耳を塞ぐものの、なぜか塞いだ感覚がない。
人の耳の位置に手を当てたのに。
襲う恐怖、それも経験したことがないほどで。途端、涙が出てきた。
動けなくなり、俺はその場に蹲ってしまう。
「……た……す……けて……。」
口もまだよく動かせない。それでも俺は、願う。恐怖を、不安を拭い去りたくて。
また、冷たい床故、温もりを求めて。
「!」
そっと、優しい光が、蛍のような、優しい光に包まれた何かが飛んでくる。
俺の願いに呼応するように飛来するそれ、……俺のバックパック。
何でそんな風になっているのか、原理なんて分からないけれど。
けれど俺のバックパック、大事な物を入れた。
大切なバックパックに変わりはない。
拙い動きながら、そっと手を伸ばしたなら。
重量感じ、また、安心も感じ、頬が緩む。
抱き締めたなら、途端感じる疲労感、俺は目を瞑った。
ふと、ほんのりと優しく包む、温もりを感じたのだ。