第六話:狼退治
翌朝、ディックが散歩に行ったらしいが、すぐに戻ってきて、またもや部屋のベッドに倒れ込んだ。
「どうも風邪をひいたらしい」と本人が苦しそうに言った。
だいぶ、体調が悪そうだ。
熱はそんなに高くなさそうなんだが。
昨日、小川で行水したのがまずかったみたいだ。
「本当のところ仕事はやめてパーティの休養を取ったほうがいいとは思うんだが、金が無い。一応、冒険者ギルドに行ってくるよ」とディックに声をかける。
「すまんな」とディックは目を瞑ったまま返事をした。
「情報収集とその分析は俺の得意分野なんだ」と言って、俺は部屋を出た。
冒険者ギルドに行くと、重大な事件が起きたようでちょっとした騒ぎになっている。
例のキングゴブリンの手下が、ナロード王国第一王女のリリアナ姫を誘拐したようだ。
リリアナ姫は神聖魔法を使えるクレリックでもあるらしい。
ちなみに凄い美女という話だ。
キングゴブリン軍団と全面戦争になるかもしれないが、現在、ナロード王国は東北地方で隣のカクヨーム王国との戦争が続いていて苦しい状況だ。
軍隊はカクヨーム王国との戦争に集中している。
そのためか、ナロード王国政府は冒険者の力を借りたいらしい。
リリアナ姫をキングゴブリン軍団から助け出した者には、一億エンの報奨金が与えられるそうだ。
一生寝て暮らせる金額だな。
しかし、俺たちのパーティにそんな実力は無いだろう。
地道にやっていくしかないと、俺はリリアナ姫救出の件は諦めた。
「それにしても、何でキングゴブリンたちはお姫様を誘拐したんですかね」と冒険者ギルドの主人カッツォールに俺は尋ねてみる。
「王国が隣のカクヨームと戦争やってる隙をついて、ナロード王国を攻め滅ぼすつもりかもしれんな」とカッツォールは推測した。
「それなら、お姫様を誘拐して騒動を起こすのはまずいんじゃないですかね。ナロード王国に警戒させるだけでしょう」
「ナロード王国を挑発したいのかもしれん。ただ、別の情報筋からキングゴブリン側は捕虜との交換を要求しているという話もあるが」
「王国はキングゴブリンから捕虜なんてとってたんですか」
「うーん、それは聞いたことが無い」
「もうリリアナ姫はゴブリンたちに殺されてるんじゃないですかね。なんだか凄い美人のお姫様らしいけど」
「さあ、そこまではちょっとわからんなあ」とカッツォールも首を捻っている。
いずれにせよ、リリアナ姫の件は俺たちには関係無い。
あらためて、カッツォールに仕事を探してもらう。
俺たちのパーティに提示されたのは狼一頭の退治。
報酬はたったの千エン。
「もっとマシな仕事はないんですかね」と違う仕事を探してくれるように頼んだのだが、
「あんたらは評判が悪くてね」とカッツォールはまた薄笑いを浮かべて俺を見た。
どうも、オティーリエが夜の仕事をしていると噂が立っているらしい。
冒険者としてはあるまじき行為のようだ。
宿屋に戻って仕事の説明をするため、オティーリエの部屋に行く。
扉をノックすると、「開いてるよ」とオティーリエの声が中から聞こえた。
俺が扉を開けると、オティーリエは黒いフロントジップエナメルレザーのノースリーブハイレグボディースーツ姿でベッドの端に座っていて、カミソリで脇毛を剃っている。ハイレグはきわどい角度で大事な所に食い込みそうだ。
「何、見てんのよ! 女の脇の下を見て興奮してる変態ね!」とオティーリエは睨みやがった。
「見てんじゃなくて、お前が見せつけてるんだろ! だいたい、なんだその恰好は!」と俺が反撃すると、
「あたしがどんな格好をしようが、あたしの自由でしょ! だいたい、勝手に部屋の扉を開けないでよ!」
「お前が開いてるよと言ったから、開けたんだろ!」
「開いていると言ったからって、開けていいとは言ってないわ!」
「もういい! 俺たちの部屋に来てくれ、仕事の説明をしたい」
「アンダーヘアも処理するから、ちょっと待っててね」
「そんなとこまで剃ってるのか、ってそんなことしゃべんなよ!」
「レディのたしなみよ! さっさと出てってよ!」
どこがレディだ、娼婦みたいな恰好しやがって。
自分の部屋に戻ってオティーリエを待つが、なかなかやって来ない。
俺がイライラしていると、カツカツと廊下を歩くヒールの音が近づいてきた。
オティーリエがようやく来たようだ。
またピンヒールを履いてやがる。
たまにはすっ転んで、頭でも打ってしまえと俺が考えていると、オティーリエは部屋に入るなり、ようやく気絶から目が覚めてテーブルの椅子に座っていたゲニタルの顔面を突然ぶん殴る。
「ぐえ!」ゲニタルは吹っ飛んで、壁に叩きつけられて動かなくなった。
「いきなり何すんだよ!」と俺がびっくりしていると、
「こいつがあたしの股間をいやらしい目で長々と見てたのよ!」とオティーリエがボディスーツの尻の食い込みを直しながら、喚き散らす。
「長々って、部屋に入っていきなり殴ったじゃないか」とさらに呆れている俺に、
「このデブは変態で、必ず長々と見るはずだから先にぶん殴ったのよ」とオティーリエはまたもわけのわからない返事をする。
「だいたい、そんなきわどいハイレグの恰好すんなよ」
この女は本当に頭がおかしい。
ゲニタルは再び気絶したようだ。
仕方が無いので、俺はゲニタルをまた長椅子に横たえる。
リーダーのディックは、ただ黙っているだけだ。
何だかもう嫌になってきたぞ。
しかし、気を取り直してとりあえず仕事の話をする。
「誘拐されたリリアナ姫をキングゴブリン一味から救出すれば、王国政府から一億エンの報奨金が貰える。しかし、今の俺たちにはとても無理だろう。そこで狼退治だ。羊飼いからの依頼で、夜中に狼が一匹、羊小屋で飼っている羊を襲って来るので退治してほしいそうだ」
「狼を一匹退治なんて、一般人でも出来るじゃない」とまたオティーリエが文句を言いだす。
「しょうがないだろ、それしか仕事が無かったんだから。俺たちは地道にやって実績を積んでいくしかないよ、そうだろ、ディック!」と呼びかけたが、当のご本人はベッドに座ったまま、反応が無い。
ディックは虚空を見続けている。
やばくないか、こいつ。
パーティのリーダーが放心状態だ。
どんどん悪い方向に向かっているぞ、このパーティ。
ディックは風邪で調子が悪いし、ゲニタルは再び長椅子で気絶したままだ。
しょうがないので、
「オティーリエ、俺と一緒に狼退治に来てくれないか」と頼むと、
「嫌よ、狼退治と言いながら、あんた自身が狼になって、夜にあたしをどっかに連れ込んで変なことをするつもりでしょ!」とまたオティーリエが妙な言いがかりをつけてくる。
「火だるまにされたくないから、それはねーよ!」と俺は思わず怒鳴った。
それにしても、文句ばっかだな、この女は。
結局、夕方に狼退治に出発することにした。
ブツブツ言いながらもオティーリエは俺について来た。
オティーリエはグレーのジャケットに白いシャツ、黒いズボンに着替えてきて、平べったい靴を履いている。
一般人のような恰好だ。
相変わらず香水をたっぷりとつけてやがる。
左胸には赤いバラの花を付けている。
バラにこだわる女だなあと俺は思った。
「今夜はおしゃれはしないのか。モンスターと戦うための訓練に必要だろ」と俺は軽口をたたく。
「ドチビのあんたと一緒に行動するのに、おしゃれなんていらないわ」とオティーリエに言い返される。
相変わらず嫌な女だ。
だいたい、俺のことをドチビと呼ぶが、オティーリエも普通の靴を履いているとそれほど背が高いわけじゃなく、俺とあんまり変わらないじゃないか。
羊小屋まで歩きながら、オティーリエにディックのことを聞いた。
「子供の頃、あんたに虐められていたようなんだが」
「まさか、兄に虐められてたのはあたしの方よ」
「はあ、本当かよ。ディックの体は傷だらけだったぞ」
「……モンスターに襲われたところをあたしが助けてやったのよ。兄はあたしがいなければ何も出来ない人なのよ。何も出来ないからお酒に逃げたりすんのよ。頼りない兄を持つと妹は大変だわ」と白々しいことを言うオティーリエ。
全く信用出来ないな。
まあ、ディックもちょっとだらしがないけど。
「綺麗なバラの花には棘があるって言葉を気に入ってるんだろ」と俺が言うと、
「そうよ、誰に聞いたの?」
「お前の兄貴のディックだよ。で、綺麗なバラの花って自分のことだと考えているんだろ、要するに自分は美人だと思っているわけか」と俺は嫌味を言ってやった。
「思っているんじゃなくて、事実でしょ。それに、はっきり言ってあたしはバラの花より綺麗よ」とオティーリエはすました顔だ。
高慢ちきな女だ。
こいつとは喋りたくなくなったぞ。
依頼者の羊小屋の持ち主に挨拶した後、近くの草むらに隠れて狼が出現するのを待つ。
「ホント、つまらない仕事ね」とオティーリエはあくびをして眠そうにしている。
しばらくすると、月明りの中、狼らしき動物が一匹現れた。
どうやら標的の狼らしい。
「狼が現れたぞ」とすぐ横にいるオティーリエに囁く。
オティーリエは、いつの間にか仰向けで、ぐっすりと眠っていて起きない。
その眠っている顔は鼻が高く、すっきりと鼻筋が通っていて、唇の形も完璧だ。
芸術品のように美しい顔だ。
黙っていれば、最高の美人なんだがなあ。
それに寝ている顔はけっこうあどけない。
いっそ永遠に寝たままでいろよと思ったが、そうはいかないか。
狼は何かに警戒しているのか、なかなか近づいてこない。
「おい、起きろよ」とオティーリエの肩をナイフの柄で小突くと、
「え、ここはどこ? あっ、しまった!」とオティーリエは寝ぼけているのか、いきなり股間を押さえている。
何がしまったんだと思っていると、
「ふう、大丈夫だ」とオティーリエがほっとしている。
何が大丈夫なんだとまた思っていると、
「あんた、あたしの大事な所を触ったでしょ!」とオティーリエが因縁をつけてきた。
「そんなことしてねーよ!」と俺は焦って否定する。
この女に火だるまにされかねん。
「あ、そう」と珍しくあっさりと引っ込むオティーリエ。
何なんだこの女はと思っていると、
「ちょっと、変な連中がいるよ」とオティーリエが俺たちの背後を指差した。
スライムのようなモンスターがいつの間にか出現していた。
三十匹くらいいるぞ。
大群だ。
「何で起きてたのに気がつかないのよ!」とオティーリエが俺を非難する。
「眠ってたのに偉そうにすんな!」
「眠ってたんだから、気づくわけないじゃない!」
俺たちがいさかいを続けていると、モンスターが少しずつ取り囲むように近づいてくる。
スライムの一種のようだが、俺はこんなのは見たことが無い。
足だろうか、二つの球体が下部にあり、その上に円柱状の柱みたいな胴体がある。
上部にはキノコみたいな傘をつけた頭部のようなものがついている。
キノコの化け物みたいだ。
全体の高さは大人の人間の腰くらいある。
一匹がゆっくりと近づいてきた。
よく見ると、そのモンスターの頭部には縦の切れ目があり、透明な液体を垂れ流している。
得体のしれないモンスターだ。
何故か、オティーリエの方に近づいてくる。
モンスターの胴体が縦に膨張して、オティーリエよりも背が高くなり、傘がある部分をブルブルと震わしている。
俺は腹ばいになった状態で、ナイフをモンスター目がけて投げた。
ナイフがモンスターの胴体のど真ん中に突き刺さる。
「へえ、うまいじゃん」とオティーリエが立ち上がると、モンスターの頭頂部の切れ目から、白い液体がドピュッ! と大量に噴出し、オティーリエの顔面にぶっかかった。
「キャー!」とオティーリエは悲鳴をあげて草むらに倒れる。
「大丈夫か! オティーリエ」と俺が腕を掴んで立たせると、
「……大丈夫」と言いつつ、オティーリエは口から白濁液を吐き出した。
オティーリエの顔にはモンスターが出したねっとりした白濁液がべっとりとついている。
「いきなり顔にぶっかけられたんで、口の中に入ったのを飲んじゃった。何これ、生臭い」とオティーリエは気分が悪い様子だ。
「おい、撤退するか」と俺が心配していると、オティーリエは唇の端から白い液体を滴らせながら、
「よくもやったわねー!」と呪文を唱える。
「メガファイアー!」と両手の指を複雑に交差させて、オティーリエが叫ぶ。
空中に巨大な火の玉が出現した。
モンスターの集団に目がけて飛んでいく。
ボワッ!
巨大な炎が野原を焼き尽くし、煙が立ち込める。
煙が薄くなると、モンスターたちは全て丸焼けになって倒れていた。
「おお、すげえ、モンスターたちは全滅だ!」と俺は驚いた。
凄い火炎魔法攻撃だ。
オティーリエの偉そうな態度は伊達ではなかったんだなと感心していたら、羊小屋まで延焼して燃えはじめた。
「おい、オティーリエ、どーすんだよ! 小屋が燃えているぞ! 火を消す魔法は無いのか、大量に水を出現させるとか」と俺が慌てていると、
「あたしが使える魔法はファイアーボールとメガファイアーだけよ。消せないわ。狼を退治しろと言われたけど、羊小屋を守れとは言われてないわよ。あたしは知らないわ。全部、あんたが悪いのよ!」とオティーリエは俺のせいにするらしい。
結局、俺たちは何も出来ずに、羊小屋にいた羊二十匹が丸焼けになった。
おまけに、肝心の狼は取り逃がしてしまう始末。
やばい事になってしまった。