2話「Light Up The Dark」
暗闇の中。
彼女・吉村仁湖はどう話そうかと思考していた。
口を動かそうとしては止め、また口を開こうとしたが、それも閉ざす。
それがしばらく続く。
高瀬はイライラしたが、責めなかった。
何をどう喋ればいいのか、本人にもわからないということだろうか。
それだけ彼女自身も混乱しているのだろうか。
とにかく黙って相手からの言葉を待つ事にした。
「…あー、まずはこれを見てもらう方が先ね」
彼女は咳払いし、指をパチンと鳴らした。
すると、どこからかTVが現れた。
「テレビ…?」
「私、幽霊だからさ。普段はふよふよ宙に浮いてるの。
で、昼間色々とニュースを見てきたんだ。ダヤマとかで。
んで、私が見たニュース映像をこのテレビで見れるって事」
「はあ…」
にわかには信じ難いが嘘を言っているようにも思えない。
驚けばいいのか、疑うべきなのか迷う所だが…。
まあ、夢の世界だから何でもOKだと思うしかないだろう。
仁湖もそれがわかっているのか、微妙な顔をしている。
「ま、百聞は一見に如かずだね。スイッチオン!」
テレビがつけられ、ニュース番組が映し出される。
映像は昼間によくやっている代表的なニュース番組だ。
30代の男性アナウンサーが原稿を神妙な面持ちで読み上げる。
「本日、東京都佐々木駅で男が突然を拳銃を発砲し、死者250人、重軽傷者300人という
痛ましい事件が起きました。事件は午前8時頃、東京都佐々木駅のJRへと続く駅前広場で起きました。
目撃者の話によると、男が突然「おはようございます!」などど声を上げながら、マシンガンのような物を
発砲したということです。お伝えしていますように、これまでに死者250人、重軽傷者300人と発表されています。
当時、現場は朝のラッシュの最中で大勢の通勤・通学の人々がいた模様です」
少し慌ただしくも、はっきりとした口調で話すアナウンサー。
高瀬はあぐらをかいてテレビの前に座り、じっと画面に集中する。
やがて、テレビは現場にいる別の記者へと映像が切り替わる。
「はい、こちら現場の須藤です。現在、私は佐々木駅の入口に来ています。ご覧の通り、駅は大勢の警察官によって入口を封鎖されており、
現場には入ることができません。駅員の案内で乗り換えの人々は大きく迂回をしてJRへと赴く事になり、乗客からは不満の声が聞こえます。
警察は先ほどの記者会見で、この事件をテロとして断定し、捜査本部を設置。現在300人体制で逃げた男の行方を追っています。
防犯カメラなどの映像により、無職・灰川容疑者と判明し、全国指名手配されました。容疑者は事件後、北出口へと向かい、車で逃走した模様です。
警察は既に厳重な検問を各地に引いていますが、今の所、有力な情報は入っていません…」
「号外です、号外です!」
その後、画面が切り替わり大きな街の駅前近くで号外が配られる場面が映される。
号外を手に視聴者が様々な反応をカメラが捉えるが、そのどれもがやはり恐怖と不安という表情だった。
平和な日本でこれだけの事が起こるとは信じられない。
皆、紙面に集中し、誰もが目を皿のようにして黙読している。
中には家族や親戚が佐々木町にいるので不安だと言い、安否確認をする人もいた。
朝方、黒川医師は死者を200人と言っていたが、今は250人となっている。
つまり50人の重軽傷者が死亡したということだ。
今後、この数は時間の経過と共に増える可能性がある。
「・・・マジかよ」
今更ながら身体が震えだした。
恐怖、死という気持ちが己のすぐ傍にある。
そう考えただけで身がすくむ思いだった。
普段、人は死について多くは考えない。
考えたとしても、それは考えだけで終わる。
だが、誰でも実際にナイフを前にすると身がすくんでしまう。
死という現実を目前にすると人は思考が停止する。
寒くもないのに身体が震え、身を縮こまらせてしまう。
死というものが現実に自分に降りかかる時、全ての思考や思想は停止する。
そこには恐怖という感情だけが残るのだ。
怪我だけで済んだのは奇跡だったと言ってもいい。
もう少しで死んでいたのだ。
血まみれの老婆のように、肉塊になっていたのは自分だったのかもしれない。
こみ上げてくる負の感情が心を圧迫していく。
鉛のような重さの何かが心に重くのしかかる。
あまりの重量に立つことすらできず、その場にへたり込んでしまう。
「…大丈夫?」
吉村が心配そうにこちらの様子を伺うが、高瀬は「ああ」と頷いた。
だが、大丈夫ではないことは自分がよくわかっていた。
とはいえ、女の子の前で不安な自分を晒すことは男としてしたくなかった。
恐怖心を少しでも無くすため、疑問を口にした。
「…それで俺にニュースを見せて何だって言うんだ?」
「この事件で銃を乱射してたのは私の元カレなんだ。
灰川義之っていうの」
「なんだと‥?」
仁湖は少し遠い瞳をしつつ、続ける。
その瞳には少し憂いと悲しさが宿っている。
気のせいでも、見間違いでもない。
それらの感情がなければ、彼女の今の表情は暗くないはずだから。
「私ね、こう見えても結構モテてたの。今まで色んな男の子といっぱい遊んだわ。
でも、何か心が満たされなくて…誰かと付き合うってのは、なかったんだ。
携帯に入ってる男の名前は遊び友達ばっかで彼氏はいなかったの。
同性の友達はいなかったし、作る気もなかったからね。
女の子同士だと気を使うから喋りにくい。
男の方が素で話せるから気が楽なのよ」
「…そういうもんなのか?クラスの女子とか見てると楽しそうに話しているように見えるが」
「あんなの演技に決まってるじゃん。はみごにされない為に無理やり笑顔作ってるのよ。
女性は生まれながらの女優、それくらいは素でできてしまうものよ。
でも、ああいうのは日常茶飯事だからさ、慣れってのもあるかもね。
まあ、そこら辺は男には見分けがつかないかな」
「ふうん…」
男の高瀬にはには少々わからないが、なるほどと理解した。
個人的には女の子同士の方が話しやすいと思ったのだが…。
どうやらそうでもないらしい。
「で、話を戻すけど…。義之さんとは出会い系で知り合ってさ。
会社員でお金も持ってたし、車もあったし、いいお店いっぱい知ってて。
最初は二人でゴハン食べに行くことが多かったんだ。
洋服もいっぱい買ってくれたし、そのくせガツガツしてなくて紳士で…。
結構照れ屋な所もあって…ちょっと可愛かったな。
忙しい時でも時間を縫っては予定を教えてくれたし、約束を破ったことは一度も無かった。
私には勿体無いくらいの人だったわ」
仁湖は嬉しそうに饒舌に話す。
ペラペラと過去の思い出をそれはそれは嬉しそうに話す。
灰川を義之と名前呼びしたのも二人の親密さを如実に現している。
耳に矢が刺さるような痛みがする。
ちょっと五月蝿いのもイラっと来るが…ここは堪えよう。
「で、ある日。私から告白してさ、付き合うようになったんだ。
でも、それから半年後に私が病気になっちゃって。彼、毎日お見舞いに来てくれたわ。
いつも退屈しないように本をくれたの。マンガだったり、エッセイだったり、猫の写真集だったり…。
私でも読みやすい本をくれたわ。ベットで寝ながらいつも彼のくれた本を読んでた。
でも、私は結局死んでしまったの…」
「・・・・・」
「彼、すごくショックを受けてね。会社を辞めて、働く気も失って…ホームレスになったわ。
私は彼がすごく気になったけど…そのまま魂は天へ召されたのよ。けど…」
「今は何故か俺の意識の中にいるという事か」
うんと強く頷く仁湖。
「どうしてかはわからないけど…でも、これも何か意味があると思う。
だから…」
「だから?」
仁湖は少し息を大きく吸い、吐いた。
幽霊だし別に呼吸なんかしなくても平気だと思うが…。
と思ったが、突っ込まないでおく。
「あの人を…義之さんを止めて欲しいの」
「なんだと?おい、自分が何を言ってるのかわかってるのか?」
「うん…私も無茶なお願いしているってのはわかってる。でも、今の彼が警察に止められるとは思えない。
普通ならもう捕まっていてもおかしくないはずよ。どうして警察はまだ捜索を続けているの?」
「…時間の問題だろ、2~3日もすれば捕まるさ。警察だってバカじゃない。これだけの騒ぎだ。
すぐに逮捕だろ」
ここまでマスコミが派手に騒いでいるのだ。
警察は血眼になって犯人を追いかけているはず。
検問が敷かれたとニュースにもあった。
国内は当然、空港にも検問が敷かれているだろう。
それは想像に難くない。
狭い日本の中で逃げ続けることは難しいはずだ。
「…それに頼む相手が違うんじゃないか?俺はごく普通の一般人だぞ。
何か特殊な能力を持ってるとか、親が元軍人だとか超能力に目覚めたとか、そんな設定は無いぞ?
大体、事件解決は警察の仕事だろ。俺なんかが探偵ごっこだの、アクションヒーロー気取って
カッコつけても意味なんかない。死ぬだけだ」
「そうだよね…」
吉村さんはそう言いつも、どこか納得できずにいた。
それは言葉の端々から伝わるが自分ではどうしようもない。
探偵のように頭が人より良い訳でもなく、身体能力や運動神経が良い訳でもないのだ。
単なる一般市民が危険に首を突っ込むのは寿命を縮めるか、死ぬかだけである。
関わったところで何の利益もないのだ。
酷い事件ではあるし、死んでいてもおかしくない状況だったが…。
ここは警察に任せるしかないのだ。
それ以外で自分にできることは情報を集める事と犯人逮捕を切に願うだけだ。
それから一週間後。
高瀬は無事に退院して自宅に戻ることができた。
あれからテレビのニュースを確認したが、夢の中で吉村が見せたニュースは本物だった。
大きな事件なので動画共有サイトにも多数載っており、その中には夢の中で見たニュースと同じ物があった。
しかし、ショックなのは犯人は未だに逮捕されていないということだ。
「・・・・・ふう」
高瀬は学校からしばらく休むように言われ、自宅にいる。
PTAや教育委員会はこの重大事件にカンカンで校長や教職員に怒鳴り散らしている。
被害者の中には何人か巻き込まれた生徒もいるらしく、親たちが強く抗議したのだ。
どうもサボりの不良連中達ばかりらしいが、重症を負ったとクラスメイトが噂していた。
その為、教職員による町内の見回りや付き添いなども行われているという。
また警察にも相談した結果、登下校時は特にパトロールを強化しているらしい。
おかげで今朝は何台ものパトカーが家の周辺をうろちょろしていた。
鬱陶しいが、仕方ないだろう。
勿論、それだけで犯人に対する逮捕が加速するわけでもない。
また、犯人が近くに潜伏していたとしても有効な対策とも思えない。
しかし、何かしなければ保護者は更にクレームを言うだろう。
「…ったく、家で飯食っても味がしねえ。どうしたもんかな」
昼過ぎに起きて食事をする。
それを平日に行えることは普段ならとても気分がいいはずだ。
学校はないし、のんびり過ごせばいい。
だが、高瀬の心は晴れなかった。
テレビをつけても気もそぞろで、集中できなかった。
ニュースばかり見ているが、犯人逮捕の報道は未だに無い。
バラエティには最初から興味がない。
「ダメだ、ニュースばかりじゃ気分が滅入る…。ゲームでもするか」
以前、寝坊した原因のクリア一歩手前のゲームをやる。
ラスボスは簡単に倒せエンディングは素晴らしいものだった。
だが、それも1時間足らずで終わってしまった。
他にしたいゲームはなく、クリア済みの物ばかりだった。
「あーあ…何もする気が起きねえ」
”高瀬くん…”
「ん…聞こえてるよ」
”うん…”
驚いた事に目が覚めても、彼女の気配は消えなかった。
吉村仁湖は姿形こそ見えないが、声だけは頭の中に響いている。
他には聞こえず、高瀬にしか聞こえないという。
心のどこかにいつもの自分の物と何か違う物が混じっていることが分かる。
それが彼女の気配なのだろうと悟った。
「で、何だよ」
”ううん…何でもない”
「そっか。あー、エロDVDでも見よっかな。この前、カンジに借りたのがあったっけ…」
”高瀬くん…私が意識にいる間はそういうのは見ないで欲しい”
少し遠慮がちにだが、はっきりと言う吉村。
「あ?別にいいだろ」
「いや、だってさ…。私は君の意識の中にいるんだよ。
君が睡眠中の時以外、私は君の見たものをそのまま見ることになるの。
つまりね、その…」
「俺が下半身露出したら、そのままムスコを見ることになるという事か…」
「う、うん…」
口ごもりつつ、肯定する仁湖。
見えないが、きっと顔を赤らめているに違いない。
これはほぼセクハラだよな…。
「…トイレの時とかどうすんだ?」
「まあ、その時は目を瞑って耳栓してくれれば大丈夫だよ。私から意識は切れないから…」
「めんどくせーな…。つか、エロも見れんとは」
まあ、無理やり見る気もないので寝転がって携帯をチェックする。
何通かメールが来ていたが、どれもこれも企業からのDMばかり。
LIMEも確認してみたが、同上。
眠くもないし、どうしたもんかねぇ。
と思っていると、ピンポンと音がした。
「ん?」
”誰か来たみたいだよ”
「アマソンの業者でも来たかな…はーい」
玄関に出て扉を開けると、よっすと可愛いお客様がいた。
「アニキ、久しぶり。元気してた?」
「何だ、瑠璃か。相変わらず可愛いな。そろそろバックプリントは卒業しろよ」
高瀬はポカリと頭を叩かれた。
顔がどんどん紅潮する瑠璃。
「もう、セクハラよ、アニキ!つか、落ち込んでるかと思って来てみれば…相変わらずなんだから。
まったく…」
「だはは、悪い、悪い。ま、上がれよ」
「ん。おじゃましまーす」
”高瀬くん、誰なの、この子?彼女?”
(ちげーよ。俺の妹だ)
高瀬は心の中で仁湖に告げる。
(うちは親父とお袋が結婚して、俺と瑠璃が生まれた。でも、お袋は出産後に亡くなったんだ。
その後再婚したんだが…離婚してな。俺は親父に引き取られ、瑠璃は母に引き取られたんだ。
だから、血の繋がった兄妹ではあるんだが、別々に生活しているのさ)
”なかなか複雑なんだね”
(どんな家にも複雑な事情の一つや二つあるさ)
二人は居間に向かう。
高瀬は気を利かせ、お茶を入れて差し出した。
「ほいよ」
「さんきゅ。…うん、美味しい」
「お前、部活で忙しいんじゃなかったのか」
「こんな事件の後だもん、自粛よ。つか、学校も休校だしね」
瑠璃の学校は隣町だ。
どうやらそこまで影響が出ているらしい。
ふむ‥・と思いつつ、高瀬はお茶を口に含む。
「じゃあ、尚更、外出は控えないといかんだろ。
こんな所に来て大丈夫か?恵美子さんがキレてなきゃいいんだが…」
恵美子さんとは瑠璃の母親のことだ。
高瀬の義母にもあたるが、母さんとは口が裂けても言わない。
自分を産んだ母以外、母と呼ぶ気はないと義母に伝えている。
そのせいか、高瀬から瑠璃の家に行くことはほとんどなかった。
その代わり、瑠璃が高瀬の家に来るようになった。
「別にどうでもいいわよ、あんな人…。仕事ばっかで私の事なんかどうでもいいし。つか、さっさと家出てアニキと暮らしたいな」
「そこは普通、カレシとだろ」
「いいの、別にカレシとか興味ないし。私は…アニキと一緒に暮らしたいの。ずっと別々でさ、結構寂しいんだよ?一人で家いても・・・」
瑠璃は少し俯く。
その言葉は本心なのだろう。
妹と別れて辛くなかったと言えば嘘になる。
高瀬にもその気持ちは痛いほどわかった。
「ま、お前の初めてを奪ったのは俺だしな…。余計、そう思うか」
「…ハイハイ、そうですよ。なんつーかさ…モノの形が私の中に残るよね。
だから、その…忘れらんないって言うか…」
下半身をもじもじさせる瑠璃。
きっと未だに疼くのだろう。
顔も紅潮している。
だが、高瀬は冷静だった。
”…高瀬くん、あなた、妹さんとしちゃったの!?”
(昔な。どうしてもって懇願されてよ。一晩…な。
でも、それ以降はねーよ。会っても遊びに行ってるだけ)
「…何ならまたやるか?」
「それはまた今度。今日はデートしたい気分なんだ」
”今度する気なんだ…”
仁湖は少し呆れたが、高瀬はスルーする。
「いいぞ。家にいても落ち込むだけだし…気晴らしにショッピングモールにでも行くか」
「やった、アニキ話がわかるう!」
と、高瀬に抱きつく瑠璃。
高瀬は満更でもないようだ。
仁湖は少々複雑な気分だった…。