第一話
古くから騎士とはいつもおとぎ話の中で姫を護る立場にあった。
騎士は気高く高貴な魂を持っていて、僕はそんな彼らに強く憧れた。
そんな僕に転機が訪れたのは、優しかった父が病で帰らぬ人となった年だ。
母さんと共に王都に居る親戚の家へ行く事になり、母は女中として働きに出る事となった。
そして…王都にてようやく長年の思いを果たせる事となった僕は、父の死と共に生まれ故郷を去ったのだ。
王都セルランデには国王陛下を初めとして王家は七人居る。
まずは国王陛下、続いて妃である皇太后陛下、その二人の娘、息子が二人ずつ。
長兄アルベローナ様、次兄フェルブランデ様、長女メルクリアム様、次女アナスタシア様。
そして…つい五年ほど前にその兄姉には、一番下に稀色なる銀の瞳と銀の髪を持つ妹が誕生した。
名をフアナジアと言い、五年前王国では魔女の再来と謳われ三日三晩と続く生誕祭が行われたと言う。
親戚の家はこの王都で伯爵地位を持つ者だが、昔から親切で優しい。
叔父さんは過去、僕の夢を笑わなかった上に剣術や馬術までをお金の無い両親に代わって教えてくれた人だ。
だから今回王都へと行く事になって最初に喜んだのは多分、母さんではなく僕だっただろう。
そんな期待と切望の中臨んだ国家騎士試験。
試験と言っても王城に出向き、用紙に志望動機と出身地と名前を記すだけの簡単なものだ。
そして翌日からは厳しい訓練が始まる。
剣と装備、そして寮が城の敷地の端に用意されており、心配する母と叔父さんに軽く笑って「大丈夫だ」と伝えて僕はその寮に入った。
二日目からはもう地獄のような訓練だったけれどそれは気高い魂を持つ器になる為の通過点なのだと心に誓って耐えた。
辛く厳しい訓練を続ければきっと、僕もあのおとぎ話に出て来る騎士のようになれるんだと信じて。
それは寮に入って三ヶ月目の良く晴れた日だった。
寮で暮らす僕達にはまだ訓練生だと言う事もあって週に一回の休みがある。
おそらく無茶をして身体を壊さないようにとる休息なのだろうけど、僕は叔父さんに昔から稽古を付けて貰っていたので体力にまだ余裕があった。
なので教官に頼み込んで講堂の一部を使わせてもらっていたのだが、ふと気付くと訓練生が四人ほど僕をぐるりと囲っていた。
「おい。リーガングの落ちこぼれ」
呼ぶ声からして嫌な気しかしない。僕は無視しつつ精神統一を始めて行きながら…嫌でも自分の事を考えざる負えない状況に居た。
ベルリッツ・リーンガング。それは僕の名前だ。
リーンガングとはこの王都より西にある農村で、貴族達の避暑地として有名な場所だった。
川も近く、背の高い木が陰を作ってその陰にはたくさんの貴族達の別邸が建っていた。
そんな田舎から出て来たからか、彼らは僕を田舎者扱いしてくれる。
「お前今日休日だろう?剣なんて握っていないで田舎者らしく王都を観光して来たらどうだい?」
「お気遣いありがとう、だけど今はまだ良いよ。
僕はまだまだ未熟だからもっともっと精進しなくちゃいけない。
だから観光は少し自分の中で落ち着いてからにするよ」
うっすらと笑みを浮かべると、逆に彼らの顔付は鋭いものになった。
「俺達が気を遣ってやっているのに…断るだと?貴様何様のつもりだっ!」
「そうだ、せっかくコーウェル様が声をかけてやってくれていると言うのに!!」
コーウェル…コーウェル…聞いた事があると思ったらこの王都の男爵家の…。
なるほど。じゃあ後の三人はこのくすんだ金髪の男の取り巻きか。
今でも貴族の中には貴族位を笠に着て横暴に振る舞っていると聞いてはいたが…むしろ正々堂々と…言えるのかは分からないが、四人がかりで一人を囲むとは…僕の心の師匠たる彼も落胆するだろう。
…なんて情けない…っと、いけないいけない。全ての人が僕の心を理解してくれる訳では無いのだから。
自重、自重…っと。
「…おい、無視とは、良い度胸じゃ無いか…」
「へ?」
自分の世界に入りすぎて忘れていた。
僕の目の前には剣を持たないまでも四人居て、僕は手に剣を持ってはいるがこんな物使えないので丸腰だ。
この剣を捨てたとしても、この状況だと彼らの内の誰かが拾って斬り掛かって来るだろうし…ううーん、困ったなあ。
実はそれほど困っていないけれど、どうにかして止めさせなくちゃ彼らも訓練生を止めざる負えない状況に陥ってしまう。
…どうにかして平和的解決に持っていけたら。
そう考えていると、視界の端に妖精の羽が見えた。
「…アナタ達、こんなところで何をしているの」
「え?」
凛と響く力強い声が聞こえて来て、僕は首を捻った。
そこには先程見えた妖精の羽…では無く、美しい稀色の髪と同じ稀色の瞳を持つ小さな女の子が居た。
淡い水色のドレスにはたくさんのリボンが付いていて、さっき見えた羽はリボンだったらしい。
きれいな髪は腰の辺りで波打っていた。
将来稀に見る美少女に育って行くに違いないと断言出来るほど、その女の子は不思議な美しさを纏っていた。
「…あっ、君!危ないから、外に出ていなさい」
「え?」
女の子は呆気に取られたようにして首を傾げる。
僕はどうにか移動して女の子の前に立つと、いきなり現れた妖精のように可憐な少女を背に隠す。
何はともあれ彼女を逃がしてこの四人にはこの講堂から出て行ってもらわなくては。
「…な、なぜ貴女様が…こんなところに…?」
コーウェル男爵の息子は、恐怖と熱意の孕んだ視線を少女に向けた。
僕は少しだけ姿勢を低くしながら少女を隠すようにして呟いた。
「お逃げなさい、どこか…人のいるところへ」
「でも、」
「大丈夫です。僕もどうにかして彼らがここから平和的に出て行ってもらえるようにしますから」
「え?」
少女が首を傾げたような気配を背中に受けたが、四人のうちの一人…コーウェル男爵の息子の取り巻きの一人が僕に向かって駆け出した。
…いけない!まだ女の子が後ろに居るのにっ!!
とにかく女の子を逃がした後に、話しを持ちかけるしかないか。
僕は後ろに居た女の子を抱き抱えて講堂の外へと飛び出した。
「…ちょっと、どうして逃げちゃうの?」
「だって僕達、訓練生ですから。訓練生同士の喧嘩はご法度で、喧嘩を仕掛けた人はここから去らなくてはいけなくなっちゃいます」
走りながら言うと「アナタは悪くないじゃない、言いつけてやればいいのに」と叫ぶ。
僕は「だけど」と前置いてから「彼らも騎士になりたくてこの騎士団へと来たのですから」と微笑む。
そう、何か別の目的があるにしろ彼らは僕と同じ騎士を目指す訓練生だ。
訓練生と言う事は、まだ騎士にはなれていない。
騎士とは弱きを助け悪を挫き強くあらなければいけない。
だけどどれだけ強く逞しい心を持つ騎士だって、初めから強い訳なんかじゃ無い。
弱い時も悪い時もある。そのあと何をするかが一番大事なんだと僕は思う。
「僕は田舎者ですから、彼らの言う事が全てだとは思いません。
僕を非難するには彼らは僕を知らな過ぎます。
それに、そんな人達の言葉を耳に入れるより、僕は今よりもっと剣術の腕を磨きたいです」
近くで見る少女の顔立ちは、幼くも大人を背負っているような表情だった。
しかし次の瞬間その顔立ちは年相応に微笑んでいて、僕は首を捻った。
そして同時に、僕は今この腕に抱いている女の子が誰なのかを悟る。
「あ、ええと…」
「ここまでで良いわ」
にっこりと微笑まれて、僕は思わず「しまった」と心の中で呟いた。
「…あの…ご無礼をお許し下さい」
「無礼?アナタは助けてくれたのよ?」
不思議そうに微笑まれ、どうにも心が落ち着かなくて視線を辺りへとずらす。
どうやらここは教官たちが使っている寮の裏手のようだ。
少女は足元に落ちていた小石を一つ拾うと、おそらくそこは団長室だった気がする場所へと投げた。
「ちょっ、」
ちょっと待って下さい、と言い掛けたが、この国の騎士団の団長は彼女…フアナジアの兄であるアルベローナ様だった事を思い出す。
そして数瞬の後に窓を開けて顔を出したのは、いつもの厳つい顔をした頼れる騎士団長…アルベローナ様その人だった。
僕はとにかくの勢いで頭を下げる。
「…フアナジア、どうした?」
「ちょっと降りて来て、お兄様。緊急事態よ」
全然緊急事態に聞こえない彼女の声に「そこで待っていなさい」と硬い声で告げると、おそらくアルベローナ様はこの場へと急いでいるに違いなく、僕は緊張で胸が震えた。
「あああのぼ、ぼぼぼくはこれで…」
「またあの男の人達が来たらどうしよう…」
「あっ、そうか…じゃあそれまで、団長がいらっしゃるまで…」
「俺がどうした?」
「ぅわっひゃあ!団長!?あのええと、すみません失礼します!!」
「待って待って、お兄様この人止めて」
「…ああ」
どうにかして逃げようとした僕の退路は絶たれてしまった。
顔を上げるとフアナジア様は微笑んでいるし、腕を拘束されているので見えないがおそらく団長は訝しげな様子で僕を見ていることだろう…。
「あのね、お兄様。私が男の人に追われているところを、この人が助けてくれたの」
「追われていた?」
声が1オクターブ低くなり、周りの気温が何度か下がった。
「でもこの人すごいの!四人に囲まれて今にも喧嘩が始まりそうだったから私が助けに行ったのに、彼は私を庇いながら四人から遠ざかってこの場所まで連れて来てくれたのよ!」
無邪気に兄に報告するフアナジア様は可愛らしいが、しかしそれでは僕達が喧嘩を始めそうだった事まで説明しなくてはいけなくなってしまう。
「…どう言う事か、説明しろ」
「…はい」
僕は腕の拘束を解かれて、正面に向き直ったアルベローナ様へ事の次第を報告した。
「…と言うわけで、彼らに悪気は無かったのだと思います。
確かに僕は田舎者ですし、親切心で観光に行っておいでと言ってくれたのだと思いますし…」
「そうか。ではお前は彼らに受けた事を水に流すことが出来ると言う事か?」
「ええ。なんて事ありません、少し彼らと話しはしますけれど、それで終わりに出来ますから」
アルベローナ様は顎を撫でながら考え込んでいる様子だ。
どうにかして彼らを訓練生のままにしておきたいのだが…。
「いや、ダメだな。彼らを訓練生のままにしておく事は出来ない」
「そんなっ!」
僕は声を上げた。
彼らは僕と同じ時期に入った同期だ。同期が四人も減れば周りも気付くだろう。
他の者への戒めにはなるかもしれない。だけど、それでも…。
「…お兄様、もし私が追われていたからと言う理由があるのならそれは要らないわ」
「フアナジア?」
「だって、追われていた理由は私が彼のところへ行ったからだもの。
自業自得でしょう?悪いのは私だし、私は彼に助けて貰ったもの」
「…しかし、」
「お兄様、彼はその四人に辞めて欲しく無いのよ。
彼、すっごく優しいの。自分の事より人の事を思いやれるとても優しい人よ」
「そんな…」
僕は俯いた。
僕はそんな出来た人間じゃ無い。
優しいわけでは無い。
目指す目標は彼だが、しかし僕は彼にはなれない。
だから彼の模範を目指している。
彼では無く僕の、僕の騎士道を作り上げて行くんだ。
「…そうか」
アルベローナ様は小さく溜め息を付いた。
そして僕の顎を掴むと無理矢理に視線を合わせる。
端正で精悍な顔立ちが迫って来て、僕はあわあわと慌てて目を閉じる。
「…まあ、多少気になる部分はあるが…仕方ない」
何が!とは聞けないが、話しの流れで僕の事を言っていることは分かった。
アルベローナ様はまた溜め息を付いて僕の腕をとって立たせた。
「今日の事は俺の胸の内にしまっておこう。
今後はこう言う事になったらお前が俺に報告しに来い」
「あっ、…はい!ありがとうございますアルベローナ様!!」
「俺は団長だ、様を付けるな様を」
語気強く言い放ち、そしてなぜか脳天に拳骨が落ちて来た。
「だが今回の事は俺からコーウェルの息子へ警告を入れておく。
騎士たる者あのような口の利き方をするべきでは無いからな」
言うと、団長はフアナジア様の手を取って歩き出す。
「講堂を使う許可を取ったのはお前だ、さっさと帰って訓練でもなんでもしていろ」
「それじゃあね、またね」
フアナジア様は可愛らしく微笑んで、兄である団長に手を引かれて城の方へと去って行った。
僕は今日起きた出来事をまるで夢のように思いながら講堂へと戻った。
そこにはあの四人は居ず、僕はまた剣を握って精神統一を始めた。
それから数日の後、二つの良い事が起きた。
一つはあのコーウェル男爵の息子が謝りに来てくれた事。
よくよく話しを聞くと、避暑としてリーガングを訪れた時に僕を見掛けていたらしく、友だちになろうと話しかけてくれていたらしかった。
しかしその時も僕が剣の稽古に熱中していた為に気付く事が出来ず、彼は怒って帰ってしまったのだと言う。
結局取り巻き達が遠目に見守る中、彼ヴァリザムは僕の友人になった。
団長からのお叱りをしっかり受けて反省したらしく、今では上から目線で口を開く癖を直したいと僕と一緒に頑張って直している。
そして二つ目は…さすがに予期していなかった。
ちょうど訓練生としての期間を終えた四ヶ月目に配属式があって…僕は特別隊に配属される事になった。
聞いた事の無い名前だなと思っていたら、それもそのはずで、教官が言うには去年から出来た部隊らしい。
とにもかくにも挨拶に行かなくてはと兵舎の一階右翼の最奥の部屋へとやって来た僕は、その瞬間初めて運命と言う言葉を信じる事になった。
「こんにちは、ベルリッツ・リーンガングさん」
「フアナジア様…どうしてここへ?」
頭が真っ白な僕に説明してくれたのは、去年からこの部隊に居る二人だった。
「「いらっしゃいベルリッツ君、ようこそ特別隊へ!」」
僕よりも一つ二つ上であろう年の、顔のそっくりな二人は驚いて固まる僕の腕をとって部屋の中央に居るフアナジア様の前にあるソファに腰を下ろさせた。
「私はソフィー」
「僕はユフィー」
「「ここの教官を務めてるよ、よろしく!」」
完全なシンクロに「よろしくお願いします」と返事をするが、視線はなぜかここに居るフアナジア様に向けられてしまう。
「ここは私を護る騎士を育てる為の部隊なの。
ベルリッツ君は今日から、私の従者になるの」
にっこりと微笑まれ、ああそうかと心の中で納得する。
僕の騎士道は、彼女のために作られていくと言う事か。
「…無理矢理私が変えちゃったの、ベルリッツ君本当なら聖騎士団に入れていたのに」
「僕がですか!?」
聖騎士団とはこの国の騎士団の中でもトップクラスの先鋭を集めた特殊部隊だ。
さすがにそれは無いでしょうとフアナジア様を見ると「本当よ」と頬を膨らませた。
「お兄様が推薦してたの。先に目を付けたのは私なのに…お兄様ったら私からベルリッツ君を奪おうとしてたのよ!」
まるで自分が持っていたおもちゃを取られたみたいな言い方ですが…とは、口が裂けても突っ込めない。
僕は冷や汗をかきながらソファに座り直した。
「だけど、お父様もお母様もお兄様もお姉様も説得して、私のところに連れて来たの。
…ごめんなさい、ベルリッツ君」
しょんぼりと小さな肩を落とすフアナジア様に、僕は首を振った。
「僕を必要としてくれたのでしょう?」
その質問に、沈んでいた表情が徐々に持ち上がって行く。
「うん!ベルリッツ君は私の理想なの!まだ知らない事ばかりだけど、私の事も知って欲しいし、アナタと一緒にたくさんの場所に行きたいの!!」
きらきらと輝く銀の瞳は年相応に可愛らしく無邪気だ。
フアナジア様はその無邪気さのまま右手を差し出した。
「ベルリッツ君、これからよろしくね!」
本来なら触れる事など許されないが、僕はその手を取る事を求められている。
全身全霊で喜びを表すこの少女の小さい手を取って、僕もにっこりと笑みを浮かべた。
「よろしくお願いいたします、フアナジア様」
そして僕はこの日から、この姫の為に剣を持ち忠義を尽くすと決めたのだった。