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狼の翼  作者: 如月真弘
8/8

EPILOGUE 二年後 fly at will

一九九六年春 ボスニア・ヘルツェゴビナ モスタル近郊


 町の外れにある丘を、マルコは歩いていた。

 もう野戦服は着ていない。手には銃ではなく、ユリの花束。

 丘の上には、見渡す限り墓標が並んでいる。

 十字架の一つの前で立ち止まり、マルコはそっと花をたむけた。

「もう二年経つね・・・・・・姉ちゃん」

 心地よい春の風が、丘を吹き抜けていく。

 戦争が終わってから迎える、最初の春だった。


 果てしなく続くかに思われた泥沼の紛争に転換点が訪れたのは、昨年のことだった。

 旧ユーゴ政府の支援を受けて緒戦から優勢に立ち、国連が中立地帯に指定していた地域での大量殺戮と民族浄化のための組織的な強姦、市街地への無差別砲撃などを繰り返したセルビア側に対し、一九九五年、アメリカを中心とするNATO軍はボスニア・ヘルツェゴビナにおけるセルビア人軍事勢力を空爆するオペレーション・デリバリットフォースを実行。

 これに呼応する形でクロアチア軍は、クロアチアの東部でセルビア人が実効支配するスラボニアとクライナを急襲。嵐作戦と呼ばれ周到に準備されたこの侵攻は、わずか三日間の戦闘でセルビア人側の中心都市クニンを陥落させ、クロアチアは自国領からセルビア人を放逐した。二千人を超えるセルビア人の女性や子どもがクロアチア軍によって虐殺され、約二十万人のセルビア人が故郷を追われ難民となったが、西側諸国がこれを大きく取り上げて非難することはなかった。

 一九九五年十一月、アメリカ、ロシア、EUの仲介により和平合意が成立。

 旧ユーゴスラヴィアにおけるボスニア・ヘルツェゴビナ紛争並びにクロアチア紛争は、ここに終結した。

 紛争の期間は約四年、死者は十万人以上。

 異なる民族が混在していたこの国で、アパートの隣の部屋の住民同士が殺し合う悪夢のような戦争は、ようやく幕を閉じた。

 だが戦災からの復興は、まだ端緒についたばかりだ。

 廃墟と化した町や村。傷付いた人々。失われたあまりに多くの命。

 戦争が始まる前の日常が戻る日は、果たしてくるのだろうか。

 取り返しのつかないものも、きっと沢山あるだろう。

 それでも人々は、前を向いて歩き出している。

 あちこちで瓦礫の撤去や新しい建物の建設工事が始まり、家々からは子ども達の明るい笑い声が聞こえてくるようになった。

 マルコもまた、明日へ向かって歩き出すことを決心していた。

 姉の墓に黙祷した後、胸ポケットから一枚の羽根を取り出す。

 カラスのように黒い羽根。マルコのお守りだ。

 この羽根の持ち主にマルコは命を救われ、そして生きる意味を教えてもらった。

「そろそろ行かなくちゃ。学校が始まるから」

 マルコは顔を上げた。

「じゃあまたね、姉ちゃん」

 墓地を去りながらマルコは、青く晴れ渡った空に目を凝らす。

 この空の続くどこかにきっといる天使を探すかのように。




シリア北部アル・ハサカ シリア・トルコ国境付近


乾燥しきった砂漠に等しい荒野に、強烈な陽射しが照りつける。

ハイウェイのひび割れたアスファルトの上、スモーク入りのバンが一台停車していた。

「ここから十キロ北西に、クルド人の共産主義武装組織PKKの軍事キャンプがある」

 バンの助手席に腰かけたアーレン・スミスは口を開いた。

「PKKはシリア及びイラクのサダム・フセイン政権から支援を受け、シリアを拠点にトルコ領内に侵入してはトルコ人及び親トルコ派クルド人に対する無差別テロ攻撃を繰り返している。先月アンカラの遊園地であった爆弾テロでは三十人が死亡、犠牲者の半数以上は子どもだった」

 陽炎が立ち昇る丘の稜線を、ラクダに乗ったベドウィン達が進んでいくのがかすんで見える。

 アーレンは淡々と続けた。

「今回第一三特殊作戦部隊群に与えられた任務は、軍事キャンプの殲滅、及びテロ攻撃の指揮をとっているとみられるPKK幹部メフメッドゥ・カザンキランを拘束し、トルコ国家情報機構に引き渡すことだ。同盟国トルコとの関係強化に加え、シリア・トルコ国境地帯でのサダム・フセインの影響力拡大に楔を打ち込む目的もある」

 そこまで言って、アーレンは後部座席に座る人物に振り返った。

「拘束が難しければ殺しても構わないぞ?」

 後部座席でだらしなく足を投げ出しているその人物は、アーレンの言葉にくすりと笑う。

「伊達にヴォルフスフリューゲルをやってるわけじゃないわ。必ず生け捕りにしてやるわよ。その代わり、帰ったらカップ麺を頂戴。今日はハリガネ葱豚骨が食べたい。後、ラーメン二郎をインスパイアしたやつは、いつになったら手に入るのよ?」

「ここでは水は貴重なんです、アーデルハイト様! もう勘弁して下さい」

 運転席に座る大尉が悲鳴を上げた。

「あら、毎日奢ってくれるって約束したじゃない。ねえ、アーレン?」

 後部座席の人物――ヴォルフスフリューゲル一号機エンジェル・アルファ、アーデルハイトが意地悪くそう尋ねると、アーレンは苦笑いして肩をすくめた。

 

 あの直後、突然湧き上がった黒い竜巻が視界を遮り、気がついた時には元の姿に戻ったアーデルハイトが目の前に倒れていた。

 アーレンと大尉は、アーデルハイト、それに負傷した少年兵をかついで輸送機に戻り、強引に離陸して、バルカン半島南部のアルバニアへ逃亡。

 CIAの工作員時代にアルバニアのマフィアに貸しを作っていたアーレンの選択だった。

 着いてからアーレン達が知ったのは、第一三特殊作戦部隊群による反乱という話が全て無かったことにされていたこと。

 ヴォルフスフリューゲルの秘密を知り、なおかつアーデルハイトと信頼関係を築いているエージェントの存在は合衆国政府にとって貴重であり、アーレン達の反逆行為は不問となった。

 そしてアーデルハイトは、CIAに留まることを選んだ。

 自らの意志で。


「よっし、決まりね。それじゃあぼちぼち行ってくるわ」

 大尉の抗議を無視してアーデルハイトは軽い調子で起き上がると、車のドアを開ける。

「ハイディ」

 その後ろ姿に、アーレンは声をかけた。

「ん? 何?」

「待ってるからな」

「・・・・・・ありがとう、アーレン」

 アーデルハイトは、はにかむように笑うと、漆黒の翼を広げる。

 直後、猛烈な風と砂埃が巻き起こった。

 アーレンと大尉は、空を見上げ目を細める。

 アーデルハイトが飛び立っていく。

 新たな戦いの空へ。


(完)

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