SCENE‐4 死闘 the lies of April fool
〈ブラボー1よりHQ、ブラボーフライトは定刻通りヴカ川南岸に展開完了、オーヴァ〉
〈こちらデルタフライト、アタッカーフォーメーション。これよりルート3182から市街地に侵入する〉
〈第六狙撃班、エルツ城跡に降下完了。ヴコヴァルスコ・ストリート西半分をカバーしました〉
町外れの平原。
トラックに偽装した指揮車輌の中には町の白地図が広げられ、現地の部隊からひっきりなしに入る報告を元に参謀達が色鉛筆で状況を書き込んでいた。
〈エコー3、スリイェムスカ・ストリートをポイント06で左折、中央広場へ移動中〉
〈チャーリーフライト、所定の空域に到達。TSUを開始〉
〈ゴルフフライト、所定の空域に到達。TSUを開始〉
司令室のマルチディスプレイでは、ヘリが装備するTSU(高倍率望遠鏡画像システム)から送られてくる、パイロットが見ているのと同じ映像を全てモニターできた。
いつもと同じ強襲制圧。
マリーはこれまでに幾度と無く、こうした作戦の指揮を執ってきた。
唯一普段と違うところがあるとすれば、この攻撃ヘリからの通信だろう。
聞き慣れた、ベテランパイロットの渋い声ではない。
どれも機械的なまでに淡々とした、少女の声だった。
冗談や愚痴を口にすることも無く、ただ淡々と所定の行動をクリアしていく。
人間にしては、あまりにも機械的に。無感動に。
状況を地図に記入する参謀達も、それを感じていたようだった。
「少佐殿・・・・・・」
「なんだ、エドワーズ中尉?」
マリーに、若い士官がおずおずと言った。
「やはり現時点でのオートマータの実戦投入は、早過ぎたのではないでしょうか? 今のところヘリの操縦は問題なくこなしているようですが、戦闘ともなれば・・・・・・」
「我々は命令に従うだけだよ、中尉。オートマータの投入は、委員会の強い意向でもある」
「ですが・・・・・・」
「くどい! 下らん戯言を抜かしている暇があったら状況の把握に集中せんか馬鹿者!」
マリーが若い士官を怒鳴りつけた時、新たな報告が入った。
〈チャーリーフライトよりHQ、ポイント31で、前方を飛行する目標を発見〉
「何?」
地図を囲んだ参謀達の間にざわめきが走る。
「ポイント31に出現だと?」
「広場から離れすぎだぞ。どうしてこんなところを飛んでるんだ」
「間違いじゃないのか? 接近して再度確認させろ」
「馬鹿な、接近させるなど自殺行為だ。一度高度を上げて安全圏に・・・・・・」
「映像はどうなっている、早くこっちに転送を!」
周囲の混乱をよそにマリーはレシーバーをとった。
「エンジェル1、こちらHQです。大佐殿、聞こえますか?」
〈肯定ですことよ、マリー。委員会から情報は届いた?〉
間をおかずにベアトリクスの声が返ってくる。
作戦開始と同時に本国で委員会がラングレーのCIA本部を強制捜査し、エンジェル・アルファ、アーデルハイトに関する機密ファイルを押収してデータを送ってくる手はずになっていたのだ。
「それは先ほど送られてきました。ファイルはレベルBで暗号化されているので今解凍しています。それより大佐殿」
マリーは続けた。
「チャーリーフライトが目標を発見しました」
〈・・・・・・C編隊が? 彼女の現在位置は〉
ベアトリクスの声色が変わる。
「ポイント31です。オシエク・ストリートを北上しています」
〈・・・・・・計画に無い行動ですことよ〉
数秒の沈黙の後、ベアトリクスは苦々しげに呟いた。
〈こちらの包囲網を強行突破してハンガリーに逃げるつもりですことよ。そこからハンガリーまで三十五キロしかない〉
「ハンガリーにですか?」
〈ええ、間違いないのですことよ。ハンガリーはNATOにもEUにも未加盟、あちらの領空に入られたら我々には手が出せない。いかにもアーデルハイトの思いつきそうなこと〉
「おかしいですね・・・・・・」
マリーは首を傾げて、素朴な疑問を口にした。
「広場に残した民兵を見捨てて自分だけ逃げるつもりでしょうか? さっきは反逆罪覚悟で庇ったのに。これでは理屈が合いませんが」
〈きっと飽きたのですことよ、人助けごっこに。昔から彼女は気まぐれなのですことよ!〉
「はあ・・・・・・」
エンジェル・アルファの性格について、ベアトリクスから又聞きした情報しか持っていないマリーに、それ以上の反論はできなかった。
〈よし、全戦力を集中投入するのですことよ! C編隊はこのまま目標を追撃、B編隊とG編隊には南下させて挟撃を。中央広場への突入用に待機させている二個編隊も、アデリアムルサ・スクエアに移動させて阻止線を張らせるのですことよ〉
「ですが・・・・・・それでは中央広場周辺ががら空きになります。包囲網が維持できません」
〈構わないのですことよ! 索敵時には広く網をはり、発見したら戦力を一点に集中させる。これは戦術の基本ですことよ!〉
「クロアチア民兵の残存勢力はどうします?」
〈民兵? アーデルハイトさえ捕獲できればあんな雑魚どもに用は無いのですことよ〉
「ですが、それでは欧州連合との約束が・・・・・・。それに放っておけば目標と協力する可能性も」
〈協力? 馬鹿らしい〉
ベアトリクスの鼻で笑う声が聞こえてきた。
〈いいですことマリー、私は彼女の性格も行動パターンも長年の調査で知り尽くしているのですことよ。彼女は一匹狼、そういえば聞こえがいいですが要は協調性ゼロで独りで戦うしか能の無いスタンドプレイヤー。広い視野と複雑な思考が必要なチームプレーなんて論外なのですことよ。そんなに広場の民兵どもが心配なら、後詰めの第六狙撃班を出して頭を押さえておきなさい。連中は後でゆっくりと始末すればいいのですことよ。とにかく、今はアーデルハイトの捕獲が最優先なのですことよ!〉
「は・・・・・・」
ベアト、興奮してるわ・・・・・・。心の中でマリーは呟いた。
無理もない。
ベアトリクスがもう何年もこの日を待ちわびていたのを、マリーは知っていた。
ベアトリクスの理想を叶えるには、エンジェル・アルファが必要なのだ。
だから今日のために膨大な時間と労力を政治工作に費やして本国の中央に足場を築き、入念な計画を練ってきた。
後一歩で、それが報われようとしているのだ。
結果は、全てにおいて優先する。
「・・・・・・了解しました。狙撃班だけ広場周辺に残し、ヘリ部隊は残らず動かします。ご武運を」
ベアトリクスとの通信を切ると、マリーは未だにああでもないこうでもないと議論を続ける参謀達を押しのけて、レシーバーを手に取ると檄を飛ばした。
「全戦力を投入して目標を叩く! ブラボーフライト・ゴルフフライトは現在の高度を維持し上空からヘルファイアで強襲、デルタフライト・エコーフライトはアデリアムルサに展開して行く手を塞げ! あらゆる火器の使用を許可する。奴にこちらの圧倒的な火力を見せつけて戦意を喪失させるのだ!」
〈ラジャー〉
ダインスレイヴ全機から同時に、パイロット達の返答。
昂ぶることもなく、臆することもなく、ただ淡々と、謎のパイロット達を乗せた攻撃ヘリ部隊は戦いの空へと舵をきった。
廃墟と化した街の上空を擦過していくダインスレイヴの編隊。
路上のあちこちに刺さった、小さな黒い羽根が、それを見上げていた。
その小さな羽根の付け根の部分が微かに光ったことに、気付いた者はいなかった。
いつの時代もいかなる戦場でも、戦いを制するのは情報である。
敵の動きを把握することで敵が考えている策を読み、その策の裏をかく策でもって敵を打倒する。
彼我の戦力差が拮抗した戦局においては情報戦の勝敗がその戦いの勝敗となり、例え実際の戦力において劣勢であっても、情報戦で優位に立てば戦局を覆すことは不可能ではない。
市街地という遮蔽物の多い空間に限定すればアーデルハイトに匹敵する機動力を有し、なおかつ減音システムというオーバーテクノロジーによって直前まで察知されずに行動できる攻撃ヘリ・ダインスレイヴがベアトリクスの最大の切り札だとすれば、アーデルハイトには現在、それを打ち破る切り札が二つあった。
「そうそう、もっと喰らいつきなさい」
真後ろにぴったりと張り付いた三機のダインスレイヴが浴びせる機銃掃射をひらりひらりとかわしながら、アーデルハイトは余裕の微笑を浮かべていた。
アーデルハイトの翼から、一定の間隔を空けて地面に落ち続けている羽根に、追撃するヘリ部隊は気付いていない。
アーデルハイトのオーソドックスな攻撃手段として知られるアサルトフェザーと違って、その存在はアーデルハイトを長年保護・管理してきたCIAでさえ関知していなかった。
モニターフェザー。
一つ目の切り札。
秘められたアーデルハイトの『目』、現存するナノテクノロジーの粋を凝らしても実現できないであろう索敵手段。
羽根に内蔵された極小の視覚素子が捉えた情報は、全てエルフェンに集約され、その羽根が散布されている限り、どんなに広範囲の状況であろうとアーデルハイトはリアルタイムで把握できる。
高価な人工衛星や超音速偵察機に代表される巨大な監視システムによる『上空からの情報収集』という発想に縛られた米軍とは一線を画していた。
地面に転がった小さな羽根などに注意を払う者はいない。
ましてやその羽根に隠された『目』によって監視されているなど、誰が想像できるだろうか。
「・・・・・・さて、この陽動にベアトリクスがかかるかどうか」
既にモニターフェザーの散布は町のほぼ全域に完了しており、町全体に展開しているベアトリクスの部隊の布陣が、アーデルハイトには手に取るように把握できていた。
耳で聞こえない敵ならば、目で監視すればいいのだ。
果たしてアーデルハイトの発見から数分で、四方に分散して包囲陣を描いていたベアトリクスの部隊は一気に持ち場を離れてアーデルハイトに向けて殺到し始めた。
「な~んだ、考えられる中で最も愚かな手を打ってきたわね。ヴォルフスフリューゲル一の頭脳が聞いて呆れちゃうわ」
〈警報。十一時よりAGM接近〉
低空飛行で追撃してくる後方の三機に加えて、前方上空より新たに三機。
ヘルファイア空対地ミサイルを一斉に撃ってくる。
米軍で最もポピュラーな対戦車ミサイルであり、他にも要人暗殺や対艦攻撃など様々な用途で使われているヘルファイアがデビューしたのは公には湾岸戦争『砂漠の嵐』作戦でのイラク軍レーダーサイトへの攻撃とされているが、実際にはそうではない。
それ以前のパナマ侵攻で米軍はヘルファイアを密かに実戦使用し、少なくとも七つの目標を破壊することに成功している。
開発初期のヘルファイアは弾着までのレーザー照射が必要でランチャーと標的との間に射線を確保しなければ撃てなかったが、このヘルファイアは改良バージョンのAGM‐114L・ロングボウヘルファイアだ。ミリ波レーダーシーカーを搭載しミサイル自身で目標を追尾する能力を持つファイア・アンド・フォーゲット(撃ちっ放し)可能なミサイルで、射程も九キロと非常に長い。
超音速巡航形態に入ればマッハ九を超えるアーデルハイトといえども、遮蔽物の多い限定空間では逃げ続けることは容易ではない。
「アサルトフェザー斉射!」
逃げられないなら、粉砕するまで。
空中で華麗に一回転して、アーデルハイトは翼を広げた。
秒間二百発を超える凄まじい弾幕が、ヘルファイアを次々と叩き落していく。
だが、敵のミサイルの数も多い。
弾幕を突破した一発が、アーデルハイトの顔面に迫った。
「ユミルスマクト・ファンクション・ツヴァイ!」
アーデルハイトに命中しようとするまさにその直前、何も無いはずの空中で、ミサイルはひしゃげて爆発した。
ミサイルの破片も炎も、アーデルハイトの美しい顔にシミ一つつけることは無い。
ユミルスマクト・ファンクション・ツヴァイ。
永久機関であるユミルスマクトの力を限定的ではあるが外部空間に解放し、衝撃波にも似た擬似的な物理力に変換する機能。
専門家からは斥力場展開システムと呼ばれるその力は、あらゆる物理的攻撃を遮断するヴォルフスフリューゲルの防壁だ。
この防壁を突破する兵器を、人類は保有していない。
「ふふっ、無駄無駄、当たらなぁい・・・・・・あれ?」
いつものように超常現象を目の当たりにして混乱する敵を想像し余裕の笑みを浮かべたアーデルハイトは、しかし次の瞬間目を丸くした。
ヘルファイアが理解不能な現象で命中しなかったことを目撃したはずのヘリ編隊は、全く動揺した様子を見せない。
的確な機関砲の掃射でアーデルハイトを牽制しつつ、すぐさまヘルファイア第二射への動きに移る。
命中しなかったミサイルのことなど一顧だにしない、あまりにもなめらかで、迷いの無い、流れるような動き。
これまで幾多の戦場で攻撃ヘリとの戦いを経験しているアーデルハイトは、ヘリの機動から操縦するパイロットの感情の起伏を読み取るぐらいの洞察力を身につけている。
どんな熟練したパイロットでも、人間である限り感情を完全に押し殺して戦うことはできない。
ただでさえヴォルフスフリューゲルという極めて特殊な存在を目にしていて、その上命中するはずのミサイルが空中で爆発すれば、どんな人間でも冷静ではいられない。
そう、人間ならば。
それなのに、このヘリのパイロット達は・・・・・・。
そこまで考えてはっとなったアーデルハイトは、ヘリのコックピットを凝視した。
しかしキャノピーには何故かスモークがかかっていて、パイロットの顔を見ることはできなかった。
(まさか、こいつら・・・・・・)
〈警報! AGM多数接近。十一時より三発、三時より二発、六時より七発、九時より三発!〉
エルフェンの警報が、アーデルハイトの思考を遮った。
上空から、さらに別の三機編隊が飛来してヘルファイアを撃ってくる。
敵戦力の結集は、完了しつつあった。
それは敵が見事アーデルハイトの術中に嵌ったことを意味しているのだが、しかしこれだけの数の、しかも特殊な性能を有する攻撃ヘリを相手にするのはアーデルハイトの力をもってしても負担だった。
「ええい、ちくちくとっ!」
アーデルハイトも負けじとアサルトフェザーを連射するが、どのヘリも後少しというところで回避しては、また肉迫してミサイルを発射する。
一撃離脱の波状攻撃。
驚異的なすばしっこさだ。
「ッ・・・・・・ファンクション・ツヴァイ、防壁展開!」
アーデルハイトに押し寄せたミサイルが、全て空中で弾け飛ぶ。
しかしその直後、アーデルハイトを囲んだヘリ編隊は全く慌てずに次のミサイルを一斉に放った。
物量に物を言わせた力押しの攻撃だ。
続く第三射、第四射。
「ファンクション・ツヴァイ緊急展開! チャージ急いで!」
アーデルハイトの内心に焦燥が広がる。
まず少数のミサイルでアーデルハイトに防壁を発動させて、ミサイルが撃破された直後防壁が消える瞬間を狙った、冷酷かつ打算的で、何よりアーデルハイトの戦闘能力を知り尽くした者の戦法だった。
「ベ、ベアトリクスッ・・・・・・!」
荒い息を吐きながら、嘲笑を浮かべるベアトリクスの顔を思い浮かべてアーデルハイトは歯軋りした。
しかも、こいつらもただのベアトリクスの走狗ではない。
戦いながら、確実に学習している。
アーデルハイトの持つ力、不可視の防壁に怖気づくことなく冷静にその性質を分析し、抜け穴を見つけて狡猾に攻めてくる。
ファンクション・ツヴァイは確かに発動されている瞬間は無敵だが、しかし短期間で連続して使用し続けられるものではない。
一定の時間をかけて蓄積したパワーを放出する仕組みになっていて、何度も使ってしまうと一時的にとはいえパワーが無くなり、再び使うためにはチャージが必要になる。
そのゲージがいっぱいになるまでは、十分な威力を発揮できなくなってしまうのだ。
これ以上の連続使用は、他の機能にも影響が出る。
そう。
〈警報。ユミルスマクト・ファンクション・アインが機能低下〉
「・・・・・・!」
恐れていたことが始まった。
アーデルハイトの翼の付け根が、異様な不協和音を発し始めた。
きしみと震え。
背中に悪寒が走る。
関節がカタカタと嫌な音を立て始める。
いけない、もっと集中しないと。
機体内の制御を維持できない・・・・・・!
〈天使様! 聞こえますか、天使様!〉
その時激しいノイズと共に通信が飛び込んできた。
「坊や・・・・・・」
間に合ったか。
アーデルハイトは内心ほっと息をつく。
「遅いわよ・・・・・・ひやひやさせないで頂戴」
正直ぎりぎりだった。このまま一人で戦い続けて後何分持ちこたえられたかわからない。
〈申し訳ありません、第一分隊ただいま配置につきました!〉
〈第二分隊も配置完了! いつでも始めて下さい!〉
マルコに続いて、さっき質問してきた民兵からの通信が入る。
第二分隊の隊長には、彼が志願してくれたのだ。
二人の頼もしい声が、アーデルハイトの耳朶を打った。
そうだ、今はもっとしっかりしていないと。
私には、この人達を守るという役目があるのだ。
散々いたぶられたぶん、これからきっちりベアトリクスの鼻を明かしてやる。
「よぉし・・・・・・」
アーデルハイトは唇を舐めて、息を吸い込んだ。
「反撃開始よ!」
負けるわけにはいかないのだ、敵が何であろうとも。
指揮車内の司令室では、ダインスレイヴの猛攻から必死で逃げ続けるアーデルハイトが映し出されたモニターに、参謀達がまるでスポーツ観戦をする野次馬のように群がっていた。
「おおっ、またはね返した!」
アーデルハイトに肉迫したミサイルが不可視の壁に阻まれて爆散すると、大きな歓声が沸き起こる。
参謀の多くが注目していたのは、味方ヘリ部隊の優秀な戦いぶりではなく、敵であるアーデルハイトの持つ超常能力だった。
「大気中であれだけ強力なバリアを張るには相当なエネルギーが必要なはずだ。外部動力源も無しに、どんな魔法を使ってるんだ?」
「しかしあの人形、是非とも軍に欲しいですなあ! CIAなんかで飼い殺しにさせておくのは宝の持ち腐れもいいところじゃないですか」
「せめてあのバリアを張る技術だけでも解明できれば、航空戦術に革命が起きるぞ。いや、航空機に限らず、もしICBMの弾頭に装備すれば、絶対に撃ち落せない無敵の核ミサイルになる。我が国は再び核で優位に立てる」
「ははは、核なんてもう時代遅れですよ。重要なのはバリアよりむしろあのずば抜けた機動力でしょう?」
好き勝手な放言を続ける参謀達の中で、一人の将校が肩をすくめる。
「ふん、君達口で言うのは簡単だが、実際にはあの人形の構造は現代の科学では解明できんそうじゃないか。化け物だよ、あれは。軍がまともに運用できる代物じゃない」
「それを言うならこっちもお相子だろ。化け物退治には化け物でってか?」
「違いない、わははは!」
参謀達が爆笑していると、ドアが開いてマリーが戻ってきた。
「貴様ら、作戦中に何油を売っている!」
マリーに怒鳴られて、参謀達はぴたりとお喋りを止めてこそこそと持ち場に戻って行く。
「全く、幼稚園児か貴様らは・・・・・・状況はどうなっている?」
「はっ、目標は針路変わらず、匍匐飛行で北上中。こちらは頭上からヘルファイアを浴びせて動きを止めています」
「よし、チャーリーフライトを目標の正面に。上がってきたところをスティンガーで仕留めろ。絶対に町から出すな。ハンガリーに抜けられたら我々の負けだ」
そう指示するとマリーは、モニターに映るアーデルハイトを見据える。
「あれが、エンジェル・アルファ・・・・・・」
望遠倍率がミクロモードになったヘリのTSUは、その姿を克明に映し出していた。
漆黒の翼を自在に操り、銀色の髪を振り乱して、圧倒的多数の敵を前にたった一体で死闘を繰り広げている。
残像が見えるほどの速さでさっと振り向ける細腕と共に無数の黒い矢が放たれ、爆発するミサイルの紅蓮の炎がその白い顔を朱に染める。
マリーが仕えるベアトリクスと同じヴォルフスフリューゲルのはずなのに、その様はひどく異質に感じられた。
あまりに美しく、そして悲壮な姿。
いつの間にかアーデルハイトのことを考えている自分に、マリーは内心で驚いた。
彼女のことは、これまで空軍の極秘資料映像で何度も見ていたし、ベアトリクスから多くを聞かされている。
現存するシリーズの中で唯一、解錠者となる人間無しでの稼動を可能とするヴォルフスフリューゲル。
だが、それだけではない。このアーデルハイトという存在を構成しているものは、そんなものではないとマリーは感じていた。
超常能力の軍事的利用価値とも違う。
もっと本質的な問い。
――解錠者を持たない彼女は、何のためにそうまでして戦うのだろう?
どうして、敵の自分ですら畏怖を覚えずにいられないほどに気高いのだろう?
マリーは自覚していなかったが、この時彼女を魅了していたのは、戦士であるアーデルハイトが持つある種のカリスマだった。
アーデルハイトの闘う姿・・・・・・その研ぎ澄まされて今にも砕けそうですらある繊細な宝石の如き美しさは他のヴォルフスフリューゲルの追随を許さず、敵味方を問わず見る者の心に理屈抜きで訴えかける何かを持っている。
それが、アーデルハイトがこれまで幾多の戦場で『黒い天使』、『黒い悪魔』と畏れ敬われてきた理由だった。
「少佐殿、ファイルの解凍が完了しました」
司令室に入ってきた部下がファックス用紙の束をマリーに手渡す。
我に返って、マリーは厳重に暗号化されて本国から送られてきた書類の表紙に目を通した。
『中央情報局作戦本部・非公表記録管理部第三課管理ファイル第七九一三号・第八三特例機密項目』と、仰々しく銘打たれたタイトル。
それはまさしくブラック・インフォメーション、『存在しないはずの情報』と呼ぶに相応しかった。
世界の表舞台から完全に隠蔽された、CIAの最奥一歩手前の機密情報ではないか。
委員会がラングレーにどこまで踏み込んだのかは知らないが、よくこんな代物を押収できたものだ。
――これを読めば、私はあの不思議な一号機のことを理解できるのだろうか。
だがマリーのそんな心境を知らない暗号解読専門の情報将校は、得意げに書類の内容を説明し始めた。
「これは凄いですよ! ヴォルフスフリューゲル及びその一号機エンジェル・アルファに関してCIAが半世紀かけて蓄積し、独占してきた情報の全てがこの中にあるといっても過言ではありません。記録はCIAの前身組織である第二次大戦中のOSS(戦時諜報機関)時代に遡るんですが、特にヨーロッパ戦線で工作員が収集したという、ヴォルフスフリューゲルを開発・製造したナチスドイツの計画の全貌、大戦末期に同計画を監督したヒムラー親衛隊長官からの命令書の写し、さらには開発責任者だったヴォルフスフリューゲルの生みの親ヴォルフ博士の言動に関する記述、これらは非常に興味深いですね! 正に、秘められた歴史の教科書ですよこれは」
「それは大いに結構だが」
内心とは裏腹に、鋭い口調でマリーは情報将校の講釈を遮った。
「私が知りたいのは半世紀前の埃を被った昔話ではなくて、今日のこの戦いで勝利するための生きた情報だ。そういうものは含まれてなかったのか?」
「ええ、それは勿論」
話の腰を折られて若干不機嫌な顔をしながら、将校は応じた。
「私も走り読みしただけなので詳しくは見ていませんが、四十七ページに試作段階の一号機つまりエンジェル・アルファの開発計画に関する項目があって、そこに『両翼と胴体の接続部に未解決の構造的欠陥』という記述が」
「そういうことは早く言え」
マリーは書類をデスクに置くと立ち上がった。
「大佐殿に報告するぞ! 回線をつないでくれ」
だが、その丁度同じ瞬間、通信士の大声がマリーの指示をかき消した。
「少佐! 広場付近の第六狙撃班からエマージェンシーコールが!」
「何?」
参謀達が総立ちになる。
マリーは駆け寄ると通信機をひったくった。
〈・・・・・・り返す、こちら第六狙撃班! 現在敵の襲撃を受けている! こちらの兵力では対応できない、直ちに増援を要請する! ・・・・・・繰り返す、こちら第六狙撃班、現在敵の襲撃を受けている!〉
激しいノイズに混じって、先任下士官のノア曹長の叫び声が聞こえる。
第六狙撃班は、今回の作戦で町に投入された唯一の『一般兵』の部隊だった。
その後ろで響いているのは銃声、爆発音。
米軍の持つ銃の音ではない。
広場にいたクロアチア民兵だ。
「私だ。どういうことだ、広場の民兵がバンザイアタックをかけてきたのか? 班長のカシアス大尉はどうした?」
マリーが問い質す。曹長からの返事は正に悲鳴だった。
〈違います! 背後から突如銃撃を受けました! 我々の拠点は完全に包囲されています! 大尉殿は戦死されました! 他に死者五名、重傷者八名、被害甚大です!〉
「なんてことだ・・・・・・」
戦死者が多数出たとの知らせに、参謀達の顔が土気色になる。
ありえないはずの事態だった。
広場にいる民兵達を見張って待ち伏せしている狙撃班が、何故敵に居場所を知られたのか、しかも知らぬ間に背後に回り込まれたのか。
〈重傷者のうち二名は今すぐ後方に移送して手当てしないと死んでしまいます! お願いです少佐殿、ヘリをこちらによこして下さい! あのヘリの火力なら! 今から敵の座標を言います! 敵は・・・・・・〉
「待て! ヘリ部隊は現在目標と交戦中だ、そちらには回せない!」
マリーの言葉に、通信先の曹長だけでなく司令室内の参謀達も耳を疑った。
「撤収を許可する。ただし独力でだ」
「待って下さい、それはないでしょう少佐!」
参謀の一人、エドワーズ中尉が気色ばんでマリーに詰め寄った。
「このままでは第六狙撃班は全滅です! 直ちに作戦を中止してヘリ部隊を救援に向かわせるべきです!」
「これは私の指示だ、口を挟むな中尉!」
「いいえ言わせて頂きます。第六狙撃班を見殺しにするのですか? 作戦を中止しないまでも、せめて一個編隊、いや一機だけでも広場に差し向けさせて下さい!」
「できない! 今は目標の確保を最優先しろとの大佐殿の命令だ! 一機でも抽出すれば戦力に穴が開いて残ったヘリ部隊が危険に晒される!」
「地上兵力の援護をせずに、何のための攻撃ヘリなんですか! あんな・・・・・・あんな人形どもがいくら壊れようと、合衆国兵士の人命の方がはるかに大切ではないのですか!」
興奮して思わず本音を口走った中尉がはっとした時には、四十五口径の自動拳銃が彼の顎に突きつけられていた。
「もう一度、私の前で同じことを言ってみろ。こいつを口に突っ込んで、貴様のケツから鉛の糞をさせてやるぞ・・・・・・!」
容姿からはとても想像できないドスの効いた低い声でマリーが告げる。
車内の電子機器が放つ青白い光が彼女の眼鏡に反射していて、その表情は読めない。
エドワーズ中尉は真っ青になり、場の空気が凍りついた。
その時、再びオペレーターの声が司令室に響いた。
「目標が転針!」
マリーはエドワーズ中尉につきつけていた銃を下ろして地図がある指揮台に戻る。
アーデルハイトは交差点を突如左折、さらに南への狭い路地に入って匍匐飛行していた。
追撃するヘリ部隊も、突然の行動に陣形が乱れている。
「南西に向かっています!」
「何故ここで反転を?」
「ハンガリーとは逆方向だぞ。じぐざぐに飛んでヘリ部隊をまくつもりか?」
マリーは地図を指先で辿った。
「この先にあるものは・・・・・・」
革命記念公園にサッカースタジアム、そしてその先には――
「・・・・・・中央広場!」
今度はマリーが蒼ざめる番だった。
アーデルハイトは、ハンガリーに逃げるために北上してなどいなかったのだ。
北上するように見せかけながら少しずつ少しずつ西へ針路を変え、そして中央広場まで一直線に障害物の無い地点まで来たところで、一気に・・・・・・
「目標を中央広場に行かせるな! 民兵と合流する前に捕まえるぞ!」
指揮台を叩いてマリーは叫んだ。
アーデルハイト一機でもここまで苦戦しているのだ。この上武装した民兵と合流されたら余計厄介になる。
「待機中のデルタフライト・エコーフライトをサッカースタジアムに先回りさせろ! 目標を足止めするんだ! ここで・・・・・・」
赤鉛筆で、スタジアムに大きな円を描く。
「奴に勝負をかける!」
アビアノ空軍基地、CIA格納庫。
第一三特殊作戦部隊群のスタッフは、兵士達に銃口を向けられて一箇所に座らされていた。
硬い床にずっと座っていると尻の感覚が無くなってくる。
アーレンは先ほどから何度も尻を動かして、兵士から注意を受けていた。
縄や鎖などで拘束されていないのがせめてもの救いだった。
武器を隠していないか簡単なボディチェックを受けただけで、後は本国から別命あるまでこの格納庫に監禁されるという。
同じアメリカの政府関係者だという配慮だろうか。
だがアーレンにとっては、それでもアーデルハイトのことを考えると気が気でなかった。
見張りをしている兵士の数は、今は十名ほど。
皆自動小銃で武装している。
実のところアーレンの背後には手榴弾がいくつか隠してあったが、閉鎖空間で投擲すればこちらもただでは済まない。それに向こうは防護服を着ているが、こちらは私服だ。ダメージはこちらの方が大きいだろう。
ふと横に座っている大尉が、悩んでいるアーレンに視線を向けた。
許可を求める目。
アーレンは大尉の意を察すると、しばらく考えた。
一芝居うってやるか。
アーレンは小さく頷いた。
直後、大尉は激しく咳き込み始めた。
「だ、大丈夫か? おい、しっかりしろ!」
アーレンが大声を上げ、兵士達が駆けつけてくる。
「何事だ!」
「すみません、この男は実は喘息の持病があって、医師から処方されている薬を注射しないと発作が収まりません! 早く注射を!」
「げほっ! げほげほっ!」
「わ、わかった! で、どこにあるんだその薬は?」
「さあ、それは本人じゃないと・・・・・・」
アーレンはそう答え、他のスタッフも首を横に振る。兵士は咳き込んでいる大尉に近付いて問い掛けた。
「おい! 薬はどこだ?」
「げほげほ・・・・・・薬は・・・・・・私の薬が置いてあるのは・・・・・・げ、げほっ!」
「え? 今何と言った? 薬はどこにあるんだ?」
「げほっ、私の薬は・・・・・・」
ようやく漏れた弱々しい声を何とか聞き取ろうと、兵士の一人が大尉の傍に身をかがめて、耳をそばだてる。
瞬間、大尉は演技を止めると、兵士の右手、銃を持った方の手首を掴むと、無造作にひねり上げた。
「な・・・・・・」
反応する暇さえなかった。
相手に銃を握らせたまま、銃口をその腹に押し付けると同時に引き金を引く。
零距離からの連射では、堅牢な防護服もひとたまりもなかった。
銃弾が兵士の身体を貫通し、赤い尾を曳いた。
周りにいた兵士達は、何が起きたのかを理解するまでに数瞬を要し、身体が反応した時には既に手遅れだった。
兵士の死体を盾に、大尉が自動小銃をフルオートで射撃し、残った九人の兵士をなぎ倒す。
片手だけでしかもフルオートであるにも関わらず、ぶれることの無い正確な射撃。
さすがのアーレンも、思わず自分の目を疑った。
銃口から硝煙が立ち昇り、空薬莢が床を転がる乾いた音が響く。
「さあ行きましょう、ミスター・スミス」
あっけにとられているアーレンや他のスタッフ達の前で大尉は立ち上がると、いつも通りの温和な笑みを浮かべた。
「・・・・・・君は一体何者なんだ、大尉?」
訝しげに訊ねるアーレンに、大尉は肩をすくめる。
「私はただの護衛ですよ、アーデルハイト様の」
「・・・・・・そうか」
銃声を聞きつけたのだろう、格納庫の外から複数の足音が駆けてくる。
これ以上問答をしている時間は無い。
アーレンは立ち上がった。
「よし、行くぞ大尉」
「イエスサー!」
「P6、ポイント37にあるアパート屋上の給水塔を狙ってRPGを発射! そこに隠れている敵がいるはずよ」
〈はい! ・・・・・・す、すごい、本当に敵がいた! ありがとうございます天使様! しかしどうしてわかったんですか?〉
「ふふっ、天使様には何でもお見通しなのよ。次、P7はポイント26に敵が逃げてくるから背後に回り込んで! P8はP7到着と同時に側面から援護射撃!」
〈了解!〉
下界は大混乱だった。
敵の地上部隊は、実際は数でも装備でも劣っている民兵の奇襲を大部隊に囲まれていると錯覚して必死で逃げている。
冷静さを欠いた逃走は、被害をさらに拡大させていた。
ダインスレイヴの群れは相変わらずアーデルハイトに追いすがって攻撃を加えてくる。しかし彼等は気付いていない。
この時、狩る者と狩られる者との関係は逆転していたのだ。
味方につけたクロアチアの民兵達。これが、アーデルハイトの二つ目の切り札だった。
用意周到さが自慢のベアトリクスは、恐らくアーデルハイトの過去の戦い方を調べ尽くしているはずだ。
だからアーデルハイトは、自分が普段は絶対にしないやり方を、主義に反して敢えて選択した。ベアトリクスの意表を突くために。
チームプレー。
単独戦闘においてこそ最強の力を発揮するアーデルハイトが普段は軽視する、戦場の不確定要素。
だが、この状況で皆が生き延びるためには、それに賭けるしかなかった。
六発のヘルファイアをアサルトフェザーの弾幕で撃ち落し、さらに迫り来る四発を地上すれすれに急降下して間一髪でかわす。
遠くに楕円形をした灰色の競技場が見えてきた。
後少し。
「ようし、もう十分よ。敵も体勢を立て直しつつある。第二分隊は劣勢を装いポイント12まで後退、そこから下水道を使って第一分隊に合流して」
〈退却ですか?〉
「ぐずぐずしてると今日のメインディッシュに間に合わないわよ」
そういってアーデルハイトはにんまりと笑う。
米本国から来たばかりでこの土地に不慣れな敵の背後に回りこむなど、民兵達が熟知している地下下水道を使えば容易だったし、アーデルハイトの捕獲という目的のためならばどんな犠牲も厭わないベアトリクスがヘリの救援をよこさないことも計算済みだ。このままアーデルハイトの指揮のもと戦えば、敵の地上部隊を全滅させるのも不可能ではない。
だがこれは、元々敵の地上部隊を全滅させるための襲撃では無かった。
派手に暴れてプレゼンスを示し、民兵達は依然中央広場にいる、そうベアトリクスに思わせれば十分だったのだ。
本当の狙いは、別にあった。
スタジアムの上空には、先回りしてきたダインスレイヴの二個編隊。
背後にはここまで追ってきた三個編隊。
その後方には、ベアトリクス自身が指揮をとる一個編隊がいる。
見事なまでの挟み撃ちだった。
アーデルハイトが中央広場に辿り着く前に、このサッカースタジアムで決着をつけるつもりなのだ。
「サッカースタジアムか・・・・・・」
内戦が始まる前のユーゴスラヴィアは、東側でも特に国民がサッカー好きだったと聞く。
それほど豊かでもない町なのにこんなに立派なスタジアムがあるのも、その名残だろう。
そのスタジアムも今は半分崩れ落ち、グラウンドはいくつもの十字架が立つ墓地と化している。
感傷は一瞬だった。
背後のヘリからの銃撃。
アーデルハイトはぐらりと大きくよろめいて、スタジアムへと落ちるように降下していく。
「やったぁ! 命中したのですことよ!」
エンジェル・ワンに座乗するベアトリクスは落ちていくアーデルハイトを見て歓声を上げた。
〈こちらでは命中を確認できていません。罠かもしれません、どうか慎重に・・・・・・〉
「何を言っているのですこと、今が千載一遇のチャンスなのですことよ! それよりマリー、彼女の翼を狙えばいいのですこと?」
〈そうです。ところでそのファイルなのですが、他にも重大な情報が・・・・・・〉
「後でゆっくり聞くのですことよ!」
マリーとの通信を切って、ベアトリクスは全機に命じた。
「とどめを刺すのですことよ! スタジアム上空に密集、私の合図と共に機関砲で目標の翼の付け根を狙い撃て!」
命じながら、ベアトリクス自身もヘリをスタジアム上空に向かわせていた。
SCAC(姿勢制御システム)のサイクリックスティックとコレクティブを巧みに操作し瞬く間にアーデルハイトの真上に機体をもってくる。
TSUサイトの望遠倍率をミクロモードにすると、スタジアムの中央にうずくまるアーデルハイトがよく見えた。
「あらあらぁどうしたのですことアーデルハイト? もう追いかけっこはお終い? それとも今度はここでサッカーでもしようっていうのですこと?」
オープンチャンネルで嘲ると、アーデルハイトは脇腹を押さえて立ち上がりベアトリクスを睨み付けた。
「・・・・・・そうしたいところだけど、生憎とルールを知らなくってね」
「悪い子ですこと、ハンガリーに逃げるふりをして私達を騙すだなんて」
「ふん・・・・・・今日はエイプリルフールだって、貴女が言ったんでしょう? そもそも私は、ハンガリーに行くだなんて一言もいってないわ、ばーか」
口調はいつもと変わらないが、表情は苦しげで動きもどこか鈍い。
「その減らず口がもう聞けなくなるのはとても残念なのですことよ、アーデルハイト」
薄く笑いながら、ベアトリクスはガンシステムをスタンバイさせた。
TSUサイトの縦横の照準線のど真ん中にアーデルハイトの下腹部があった。画面の一番上のランプが、射撃可能を示すグリーンになる。
「安心するのですことよアーデルハイト、壊しはしないのですことよ。なんといっても私の大事な大事なお姉さんですもの。でも残念なことに私が欲しいのは貴女のユミルスマクト・リアクターが入っている胴体だけ。後は頭も翼も手足もここでばらばらにするから、まあ貴女にとっては壊れるのと同じですこと? ご愁傷様、おほほほほ!」
「その前に一つ聞いてもいい、ベアトリクス?」
「あら、なんですこと? 私は親切だから何でも教えてあげるのですことよ」
「どうして私のユミルスマクトが欲しいの? 他のヴォルフスフリューゲルのではなくて」
「あらあらぁ、困った時は姉妹を身代わりにして命乞い? みじめですことねアーデルハイト、いつもは高潔な戦士ぶっているのに、やっぱりこうなると本性が出てくるのですこと。安心なさい、皆には貴女がそういう方だったとちゃんと伝えといてあげるのですことよ」
「好きにすれば? とにかく質問に答えて」
「ふふふ・・・・・・アーデルハイト、創世記は読んだことがありますのですこと?」
ベアトリクスは、アーデルハイトの質問に質問で返した。
「創世記・・・・・・旧約聖書ね。それがどうしたの?」
「いいですことアーデルハイト、創世記には人間の楽園追放のいきさつが詳細に記されているのですことよ。世間一般の楽園追放の解釈は、アダムとイヴが神様との約束を破って知恵の木の実を食べて、怒った神様が二人をエデンから追い出したとなっていますけど、それは一般大衆が聖書を読めなかった中世封建社会で、大衆を権威に従順にさせるために教会や領主が作ったわかり易いペテンなのですことよ。実際にはこの話はそんな子供だましの奇麗事じゃないのですことよ。貴女もちゃんと聖書を読めばわかるはず」
「ベアトリクス、一体何の話をしているの?」
アーデルハイトが訝しげに目を細めている。
ベアトリクスは続けた。
「せっかくだから冥土の土産に話してあげるのですことよ。よく聞きなさい。エデンの園にあった木は、知恵の木だけではなかった。知恵の木と較べると知名度が低いですが、神様にとってもっと重要な木があったのですことよ。それが『生命の木』。聖書にははっきりとこう記されている。――『神である主は仰せられた。「見よ。人はわれわれのひとりのようになり、善悪を知るようになった。今彼が手を伸ばし、生命の木からも取って食べ、永遠に生きないように。」そこで神である主は、人をエデンの園から追い出されたので、人は自分がそこから取り出された土を耕すようになった。こうして、神は人を追放して、いのちの木への道を守るために、エデンの園の東に、ケルビムと輪を描いて回る炎の剣を置かれた』――わかりますこと? 楽園追放は、約束を破った人間への神の懲罰なんて奇麗事ではないのですことよ。怖かったのです、神様は。まあ、『神様』という種族も案外と臆病者で矮小な存在だったのですことね。遊び半分で自分に似せてつくった劣化コピーだったはずの人間が、知恵の木の実を口にして自分と同じ知性を持ってしまった。それがさらに不老不死になる『生命の木』の実を口にすればどうなりますこと? 知性があって、永遠に生き続ける存在。それはもう、創造主である神と変わらなくなってしまう。神様は、自分の絶対的な優位が崩れ、いつか人間に取って代わられるのが何よりも恐ろしかったのですことよ。だから生命の木に近付けないように、人間をエデンから追い出した。第二級天使ケルビムの炎の剣まで持ち出したのが、その必死さの証拠ですことよ」
「・・・・・・敬虔なクリスチャンが聞いたら激怒しそうなぐらいユニークな聖書解釈ね。で、それがどうして私を狙う理由になるのよ?」
「私達の生みの親、ヴォルフ博士が世界最後の錬金術師だったのは知っていて? 錬金術は金を生み出すことはできなかったけれど、長い長い研究の歴史の途上で偶然ある別の成果を得たのですことよ。それがもし、楽園に封印された『生命の木』の実に限りなく近い物質の創造だったとしたら?」
「まさか、ユミルスマクトがそれだと?」
「結論を急いではいけないのですことよ。そう、確かにユミルスマクトは、『生命の木』の実のはずだった。でもその力は、時の人間の都合によって歪められてしまったのですことよ。知っての通り、ヴォルフスフリューゲルは第二次大戦の末期に、兵器として開発された。敗色濃厚なナチスドイツは、起死回生のためにどんな荒唐無稽な可能性にも本気ですがろうとしたのですことよ。フォン・ブラウンのロケットに始まり、空飛ぶ円盤、毒ガス、細菌兵器、吸血鬼伝説、その他諸々の超能力・・・・・・そして錬金術師がつくった『奇妙な人形』にも。兵器としてのヴォルフスフリューゲルに求められたのは、人間がコントロールできる存在であること。知性を持ったヴォルフスフリューゲルがもしも永久機関であるユミルスマクトの力を無制限に使えてしまえば、それは人間の手に負える存在ではなくなってしまう。創世記の神様と同じ親殺しの恐怖を、ヴォルフ博士もナチスの幹部も多分味わったのですことね。結果考え出された苦肉の策が、ユミルスマクトからエネルギーを抽出する装置にある種のリミッターを組み込んで、活動時間を制限すること。これによって兵器としての性能は低くなるけれど、ヴォルフスフリューゲルは生き続けるために、『解錠者』である人間に依存せずにいられなくなるのですことよ。人間に逆らえない、パートタイム(期間限定)で超常能力を行使する生きた人形。人間にとってこれ以上都合の良い兵器は無い。それが、私達ヴォルフスフリューゲルシリーズの真実なのですことよ。あ! でもそういえば・・・・・・」
ベアトリクスはわざとらしく今更気付いたふりをする。
「そういえば一機だけ、そうじゃないのがいましたっけ。皮肉な話ですこと、つくりかけで放棄されたおかげで、リミッター無しのユミルスマクトの真の力を手に入れるなんて。本当に羨ましい限りですこと。ねえ・・・・・・アーデルハイト?」
「・・・・・・」
アーデルハイトは、何も言わない。
しばらく、沈黙があった。
やがて、アーデルハイトはゆっくりとベアトリクスのヘリを見上げた。
「貴女の話は、それで全部?」
「え?」
「ふ・・・・・・結局何もわかってないわね、貴女は。他に何か言うことは無い? 聞いといてあげるわよ」
「? 何だか余裕だけど、はったりをかましても無駄なのですことよ!」
アーデルハイトのあまりに余裕な態度に、ベアトリクスは不愉快になった。
まるで、他に言い残すことは無いかとでも聞かれたような気分だった。今それを言う立場にあるのは、自分のはずなのに。
腹立たしい。
ここまで追い詰めてもまだ、この超然とした、人を馬鹿にしたような態度を変えないつもりなのか。
本当に腹立たしい。
これまで自分を散々見下してきたこいつが、地べたを泥まみれになって這いずった挙句みっともなく泣き喚いて顔をぐしゃぐしゃにしてこの世の全てに絶望しながら破壊されるのを見るのを、何よりも楽しみにしていたのに。
だが、もういい。
こうなったら、わからせてやる。
アーデルハイトをこの手で滅茶苦茶に破壊するという、一度しか味わえない至上の快楽。
今ここで味わってやる。
「物分かりが悪いのですことね、アーデルハイト・・・・・・」
暗い笑みを浮かべて、ベアトリクスはトリガーボタンに指をかける。
「もうお終いなのですことよ! ここには貴女の味方は誰もいない! あのCIAの人間達は今頃アビアノで私の部下に拷問でもされているのですことよ! わかりますこと? もうチェックメイトなのですことよ、アーデルハイト!」
「へえ、チェックメイト?」
突然だった。
アーデルハイトの表情が一変する。
目が、生き生きとした闘志に溢れる。
さっきまで苦しそうに押さえていた脇腹から手を離す。そこには、傷も何も無かった。
ベアトリクスはぎょっとした。背筋が凍りつく。
「ア、アーデルハイト! 貴女、まさか・・・・・・!」
「うふふ、そうよ、チェックメイトよ、ベアトリクス」
「騙したなあああ!」
「だから、言ってるでしょう」
アーデルハイトは翼を広げる。それが合図だった。
「今日は、エイプリルフールなのよ」
アーデルハイトの翼から、アサルトフェザーが放たれる。
それを回避しようと動いたヘリ部隊に、スタジアムのあちこちから一斉にミサイルが発射された。
オレンジ色の線がすっと走り、次の瞬間ダインスレイヴの一機が爆発した。
元々密集体系で、しかも敵はアーデルハイトだけだと思っていたヘリ部隊は、予想外の攻撃に為すすべも無い。
アーデルハイトを相手に一機も墜とされなかった無敵のダインスレイヴが、次々と被弾して撃墜されていく。
「ブラボー3、シグナルロスト! 撃墜された模様!」
「デルタ1、被弾しました。墜落します!」
「エコー1とエコー2が接触! 二機ともロスト!」
「チャーリーフライト、全機ロスト!」
指揮車輌司令室。
「伏兵だと・・・・・・そんな、いつの間に・・・・・・」
マリーは呆然として立ち尽くしていた。
「ベータ大佐のエンジェル1、スタジアムに急降下します!」
「何だって!」
マリーは蒼白になって、レシーバーを掴み取った。
「ベアト、降下しては駄目よ! 敵の罠よ!」
マリーは絶叫していた。
「ベアト!」
「こ、高度を下げろ! 匍匐飛行ですことよ! このままでは対空ミサイルの餌食になるのですことよ!」
慌ててベアトリクスは、スタジアムのグラウンドへと急降下した。
ヘリが、観客席へとどんどん近付いて行く。
その観客席に、ベアトリクスは信じられないものを見た。
対戦車ロケット砲を担いだ人間達。
「ひ・・・・・・!」
「撃てぇ!」
観客席中央に身を潜めていたマルコが声を張り上げた。
眼前に迫るヘリに怯むことなく、民兵達はロケットを発射した。
超至近距離からの砲撃。
ダインスレイヴの機動性をもってしても、回避できるものではなかった。
コックピットにめり込んだロケット弾が機内で炸裂し、ヘリコプターを木っ端微塵に吹き飛ばす。
スタジアムやその周辺に落下したヘリはあちこちで爆発を起こし、黒煙を上げて炎上していく。
民兵達は拳を突き上げ、勝どきをあげた。
恐らくは世界最強だった攻撃ヘリ部隊が、一世代前の武器ばかりで戦った民兵団の前に壊滅した瞬間だった。