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狼の翼  作者: 如月真弘
4/8

SCENE‐2 夢 give her happy memory, last at least


 夢を見ている。

 夢の中で私は、がらんとした部屋の中に一人転がっていた。

 真っ暗な部屋。

 寒くて、埃っぽくて・・・・・・

 どうして私は一人なんだろう。

 寂しい・・・・・・

 寂しいよ・・・・・・

 外からどんどんと扉を叩く音。

「開けろ! ヴォルフ博士!」

 扉が蹴破られる。

 何人もの靴音がなだれ込む。

「もぬけの殻です! 完成したはずの二号機も見当たりません!」

「くそっヴォルフめ! どこへ行った?」

「西へ逃げたんだ。完成体を手土産に米軍に投降するつもりか。裏切り者め」

 若い親衛隊員が、私の前で足を止める。

「隊長! ・・・・・・これは?」

「ふん、試作型の一号機か。時間が無くて製造途中で放棄していったのだろうな」

 一号機?

 私のこと?

「いずれにせよ、未完成では話にならん。ここに残った部品は全て焼却しろ、設計図もだ。・・・・・・ソ連軍の捕虜になるぐらいなら、私も総統閣下のように自決する」

 ハイル・ヒトラー。そう叫ぶと、隊長と呼ばれていた男が拳銃で自分の頭を撃ち抜き、私の横に倒れる。

 白い脳漿と赤い血が飛び散って、私の顔を汚す。

 気持ち悪い。

 でも私は、動くこともできない。

 残った兵士達は自分達の隊長が目の前で自殺したのに驚いた様子も無く、黙々と命令を実行していく。

 規律というより、もはやそれは狂気。

 男の死体と私の身体にガソリンがどばどばとかけられていく。

 ひどいにおい。でも、動けない。

「火をつけろ」

 お願い、止めて。

 私はまだ死にたくない。

 火が近付いてくる。

 身体が熱い。

 助けて。

 助けて。

 助けて・・・・・・父上様!

「お・・・・・・おい! こいつ動いてるぞ!」

「ば、馬鹿な!」

 父上様・・・・・・

 私は――




「おーい、朝だぞハイディ」

 いつものアーレンの間延びした呼び声で、アーデルハイトは目を覚ました。

 昔の夢。

 ここしばらくはほとんど見なかったのだが、昨日ベアトリクスと会ったせいで、過去の記憶が甦ったのかもしれない。

 夢で見た光景を払いのけるように軽く頭を振ると、アーデルハイトは起き上がった。

「おはよう・・・・・・」

 見慣れた格納庫の天井。

 向こうからベーコンを焼く良い匂いがする。

 アーレンは料理が得意だ。

 独身でずっと一人暮らしをしてきたから、自炊になれているんだと前にあまり自慢にならない自慢をしていたのを思い出す。

 お湯とカップ麺さえあれば世界中どこでも暮らしていけるアーデルハイトではあったが、手作りの料理がありがたいご馳走だというのは間違いなかった。

 ちなみにヴォルフスフリューゲルは、永久機関とも言われる動力源ユミルスマクトによって稼動しているが、人間と同じ飲食物を摂取してエネルギーに変換することもできる。

 純粋に機械として考えるなら非効率的なこの機能が一体どんな意味があって付与されているかは謎とされているが、アーデルハイトの見解としては、食事をするというのは単なるエネルギーの補給ではなく、心を豊かにするという効用があるのだ。

 食卓に向かうと丁度アーレンが手際よく二人分の皿に料理を盛り付けているところだった。

 目玉焼きやベーコンはアメリカで食べるのと同じ朝食だが、モッツァレラチーズやパルマの生ハムが並んでいるのを見ると、ここがイタリアなのを思い出す。

「いただきます」

 アーレンの料理に加えて、カップのカレーやきそばが置いてある方の席に迷わずに座ると、アーデルハイトは手始めにベーコンを口に放り込んだ。

 離陸していくF‐16の轟音が上空を通り過ぎていき、天井がびりびりと震動する。

 途中からアーレンの料理そっちのけでカップやきそばを一気食いしたアーデルハイトが新しいカップ麺を要求し、アーレンが偏食は良くないと諭して喧嘩になる。

 そうやって、和やかな時間が過ぎて行った。

 当たり前の、二人の日常が。

 食事が終わり、アーデルハイトが席を立とうとすると、アーレンはおもむろに口を開いた。

「・・・・・・なあハイディ、相談があるんだが」

 アーデルハイトは立ち止まって首をかしげる。

「何? 私の定期点検のこと?」

「いや、違う」

「そう・・・・・・じゃあ、次の任務の打ち合わせ?」

「それも違う」

 アーレンは、苦笑して首を振った。

「これからみんなでピクニックに行かないか、ハイディ?」


 ピクニックと言っても、正式な任務で無い限り基地の外での活動は許されていない。

 アーレン、大尉、その他第一三特殊作戦部隊群のメンバーは、基地の敷地の外れを流れる川の岸辺にアーデルハイトを連れて行くことにした。

 一般の兵士にアーデルハイトが見られないように、アーデルハイトを大きなバスケットに入れて。

 移動中バスケットの隙間から、アーデルハイトは初めて見る昼間の基地の中の風景を楽しんだ。

「着いたぞ、ハイディ」

 目的地に着いてようやく、アーレンが持っていたバスケットを開ける。

 たちまち翼を広げたアーデルハイトがバスケットから飛び出してきた。

「あーあ、窮屈な上に揺らされたもんだから肩がこっちゃった」

「あまり高く飛ばないで下さい、アーデルハイト様! 一般兵に見つかります」

 注意しようと声を上げる大尉を、アーレンはそっと制した。

「今日はかたいことを言うな。好きに遊ばせてやってくれ」

「は・・・・・・」

 アーレンと大尉は、もう一度空を見上げる。

 北イタリアの真っ青な空をぐるぐると旋回するアーデルハイトは、心なしか喜んでいるように見えた。

 アーレンに目を戻して、大尉は頷く。

「・・・・・・了解しました」

「ありがとう、大尉」

「しかし・・・・・・」

 大尉は目を細める。

「あんな彼女を見るのは、珍しいですね」

「・・・・・・もっと早く」

「は?」

「もっと早く、連れてきてやっていれば良かった。時間はこれまでだってあったのに」

「・・・・・・何かあったのですか、ミスター・スミス?」

 訝しげな大尉を見て、アーレンは慌てて笑顔を作った。

 大尉達にはまだ、明日の任務のことは知らせていない。

「いや、すまんすまん。こうしてイタリアに滞在できる機会もそうは無いだろうからな、ハイディにももっと良い思いをさせてやりたかったと後悔しているだけさ。それより大尉、例の準備はしてきたか?」

 後半をひそひそ声でアーレンは訊ねる。

「は、勿論であります。作戦実行の許可を頂けるでしょうか?」

 すかさず冗談めかした声で大尉が応じる。アーレンは大仰に頷いた。

「よし、許可する」

「イエスサー!」

 大尉の指揮の下、スタッフ達がバッグからある物を取り出して組み立て始める。


 そして数分後。

「おーい、ハイディ!」

 上空を飛びまわっていたアーデルハイトは、アーレンの声で下を見て唖然とした。

「ア、アーレン・・・・・・それは・・・・・・一体?」

 遠くの水道からホースで水が引かれ、レジャー施設にあるウォータースライダーを小さくしたようなものが出来上がっていた。

「日本の流しソーメンだよ! ハイディ、前にテレビで見てやってみたいって言ってただろ」

 半分に切った竹が大量につなげてあり、そこを素麺が流れている。

 そういえばいつだったろう、真夏のソマリアでジープに乗って砂漠を移動していた時、携帯テレビで紹介していた流し素麺をアーデルハイトがどうしても食べたいと駄々をこねてアーレンと大尉を困らせたことがあった。

 半分冗談で、自分でもすっかり忘れていたのに。

 あんな昔のことを、覚えていてくれてたなんて。

「あ、貴方達・・・・・・」

「ほら、早く食べないと美味しくないぞ!」

「う・・・・・・今降りるわよ、うるさいわね!」

 そう言ったものの、アーデルハイトが地面に降りてきたのは結局呼ばれてから五分以上経ってからだった。

 翼で目を覆い隠して、中々降りてこようとしなかったのだ。

 アーレンも大尉も、今度は急かしたりせずにそれを待った。


「へえ、これがジャパニーズヌードルかあ。俺日本の食べ物ってスシとゲイシャしか知らなかったよ!」

「ゲイシャは食べる物じゃないでしょ、この変態!」

「ちょっと、ケチケチしないでもっと流しなさいよ」

 普段は水も漏らさぬ厳正さで国家機密を扱うCIAのエージェント達が、冗談を言ってふざけ合っている。

 アーデルハイトも女性スタッフ達と黄色い声を上げながら素麺の取り合いをして、そうやってピクニックは愉快に過ぎていった。

 やがて、日は暮れる。

 帰る支度を始めた大尉達を丘の上でぼんやりと眺めるアーレンに、アーデルハイトはぶっきらぼうに告げた。

「・・・・・・一度しか言わないから聞きなさい」

「ん?」

 いつもとは違う様子のアーデルハイトに、アーレンは目を丸くする。

「えーっと」

「だからなんだよ」

「・・・・・・とう」

「え? そんなに小声じゃ聞こえないよ」

「あ・・・・・・あんたの耳が悪いのよ! もう言わない!」

 夕焼けのせいだろうか、アーデルハイトの顔がいつもより赤い。

 十分だった。

 ありがとう。

 アーデルハイトがそう言ったのだと、聞き取れなくてもアーレンはわかった。


「・・・・・・考えてみれば、こっちに来てからこういうことしたの、今日が初めてだよな」

「え?」

 今度はアーデルハイトが目を丸くする番だった。

「すまなかった」

「何言ってるのよ。・・・・・・私だって別に外に出たいとか頼まなかったし、今泊まってるところだって結構気に入ってるし」

「そうなのか?」

「そうよ! でも・・・・・・」

 山から吹く冷たい風で、アーデルハイトは目一杯深呼吸する。

「今日は楽しかったわ。ありがとう」

 今度は、はっきりとそう言った。

 アーデルハイトも、わかっていた。

 どうしてアーレンが今日、自分のためにピクニックをしてくれたのか。

 でも、大切なものは、口にしたら安っぽくなってしまうから。

 口にすると、辛くなるから。

 だからアーデルハイトは、そのことは言えなかった。


「それにしても、アルプス山脈を眺めながらピクニックなんて、映画みたいね」

「サウンド・オブ・ミュージックだったっけか」

 そんな映画を前に見せてやったのを、アーレンは思い出した。

 CIAの管理下で外部との接触を極度に制限されたアーデルハイトにとって、映画は数少ない娯楽だった。

「そうそう、ミュージカル仕立ての古い映画だったわ。奥さんに先立たれて子どもが大勢いるオーストリアの退役軍人が家庭教師を雇って、やがてその家庭教師と恋に落ちて結婚して、みんなで幸せな家族になるんだけど、でもオーストリアがドイツに併合されて、ご主人がナチスに連れていかれそうになって、最後は家族みんなで山を越えてスイスに亡命する話」

「まあ、要約するとそんな話だったな」

「・・・・・・ねぇ、アーレン」

 他愛も無い世間話をするように、アーデルハイトは続ける。

「ん?」

「してみよっか、亡命」

 一瞬、時間が止まったような気がした。

 アーデルハイトの表情は、いつもの冗談を言う時と一見変わらずに見える。

 それなのにどうしてだろう。

 アーレンは、笑えなかった。

 沈んでいく日の光が、雪を頂いた山の稜線をオレンジ色に染めていく。

 下の方から、後片付けを終えた大尉達の呼ぶ声がする。

 だがアーレンは瞬き一つできない。

 数秒の沈黙。

 そんなアーレンをしばらく見つめた後、アーデルハイトは弾かれたように笑い出す。

「あははははっ、なーんてね! 冗談よ、冗談。真に受けるなんてちょっと馬鹿なんじゃないの?」

「・・・・・・」

「・・・・・・それにね」

 笑いながら丘を下り始めたアーデルハイトは、途中で立ち止まると、背中越しに呟いた。

「あの映画の主人公には大切なものが・・・・・・家族がいたから、逃げたのよ。私にはそんなもの・・・・・・始めっからありゃしないわ」

 それだけ言って、アーデルハイトは再び歩き出す。

 その背中に、アーレンはついに声をかけることができなかった。




 その夜、アビアノ基地周辺の住民は、午前零時を過ぎても鳴り止まない上空からの爆音に安眠を妨げられた。

 巨大な翼に航空灯を明滅させながら、住民達にとっては見慣れない大型の輸送機が列を成して続々と基地に向かって降下していく。

 C‐15グローブマスター。

 米イリノイ州に本部をおくAMC(航空機動軍団)に所属し、攻撃ヘリ三機、兵員なら百名以上を同時に輸送する能力がある。

 地域紛争の制圧などを目的とした緊急展開部隊を送り込むための米空軍の戦略輸送機だ。

 基地には住民達からの怒りの電話が殺到したが、電話を受けるイタリア空軍の職員達は住民以上に激怒していた。

 本来イタリア空軍が管理するアビアノ基地では、米伊間の基地使用協定で平時における米空軍の一日の離着陸回数は四十四回に制限されており、有事にならない限り規定外の着陸は認められないし、基地使用時間は、通常午前八時から午後十時までと決まっている。

 さらに着陸の方法も基地周辺の住民に配慮して降下角度に制限が為され、夜は騒音が拡散しないよう特にルートを定めている。

 つい数日前基地司令官のスカルポリーニ大佐が「当基地では住民からの騒音苦情は一切無い」と外国の記者団に自慢したばかりだった。

 にも関わらずこれらの輸送機は、一切の規定を無視して真夜中に、それも住宅地の真上を飛んで轟音を撒き散らしながら強行着陸してきたのだ。

 イタリア軍の面子は丸潰れである。

 基地司令官は直ちに軍本部にこの米軍の暴挙を通報したが、本部からの返答は司令官にとって理解し難いものだった。

 当該部隊は極秘任務に従事しているので例外として扱え、黙認しろというのである。

 イタリア空軍のさらに上、恐らくはNATO軍の上層部で、何らかの政治的力学が働いていることは間違いなかった。


 極秘任務に従事して米国本土より飛来した数十機のグローブマスターは基地管制塔の制止の通信に機密保持を盾に一切応答せず、滑走路に大量の機材を吐き出し始めた。

 同時に降りてきた完全武装の兵士達が一糸乱れぬ動きで散開し、イタリア兵を追い出して滑走路を制圧する。

 対NBC戦用防護服を近接戦闘にも対応できるよう改良した防護マスクつきのボディアーマーに暗視ゴーグル、グレネードランチャー付きのライフル。

 ボディアーマーの上衣だけでも十キロ近い重量があり、他の装備も合わせると二十キロを超える。

 並みの兵士なら、これほどの重装備で迅速に走り回るなどできるものではない。

「ハリー! ハリー!  ファッキン・レイジー・バスターズ!(ぐずぐずするな、クソ虫どもめ!)」

 上官の甲高い怒鳴り声が、精鋭の兵士達をさらに急きたてる。

 意外にも女の声だ。

 サーチライトに照らされて浮かび上がった怒声の主は、髪をポニーテールにし、眼鏡をかけた女性将校だった。

 神経質そうに眉をしかめて輸送機から積荷が搬出される作業を監督し、叱咤する。

「少佐殿! こちらのケースはどうすれば?」

 兵士の一人が持ってきた、弦楽器を入れるような形をしたケースを、女性将校は血相を変えてひったくった。

「馬鹿者、これは我が軍の最重要機密だ! 勝手に触っていいと誰が言った!」

「も、申し訳ありません、少佐殿!」

「まあまあマリー、その辺にしといてあげるのですことよ」

 背後から唐突に割り込む声に、全員が振り返った。

 滑走路に伸びる子どものように小さな影。

 兵士達の間に緊張が走る。

「ベアト~!」

 ただ一人の例外を除いては。

 一瞬前まで海兵隊の鬼教官同然だった女性将校は声と表情を一変させてベアトリクスに駆け寄り抱き上げると、残像が見えるほどの高速で頬擦りを始める。

「会いたかったわベアト! 一人で寂しくなかった? ご飯はちゃんと食べてた?」

「や、や、や、止めるのですことよマリー兵が見てるのですことよー!」

 マリーと呼ばれる女の奇行に慣れているのか、兵士達は驚く様子も止めに入る様子も無く、粛々と積荷の搬出を続ける。

 数分後、へろへろになったベアトリクスをようやく地面に下ろすと、マリーは思い出したように敬礼した。

「第六六六任務大隊エンジェル・コマンドグループ兵員、AH‐64Wダインスレイヴ三十機及び『特殊装備』の輸送任務、ただいま完了致しました、ベータ大佐殿!」

「・・・・・・ご苦労、少佐」

 焦点の定まらない目をしばしばさせながら、ベアトリクスはなんとか答礼する。

「これで作戦に必要なものは全て揃ったのですことよ。・・・・・・本国の老人達も、ようやく重い腰を上げる」

「では、本当にこれを使うおつもりなのですか?」

 輸送機から滑車で運び出されていく大きなコンテナをマリーは指差した。

 ベアトリクスの顔に酷薄な笑みが浮かぶ。

「兵器というものは、大事にしまいこむものじゃありませんのですことよ。使わなければ意味が無いのですことよ。・・・・・・ましてや、これを使わなければ勝てない相手ならば、なおのこと」

「しかし、今回の任務はあくまで」

「それはラングレーに気付かれないための建前なのですことよ。古ぼけたカラシニコフしか持っていない民兵の掃討なんて、ニューヨークの州兵にだってできること。私は委員会から、もう一つ任務を与えられているのですことよ」

「ですが、もし我々の計画がラングレーに知られれば、本国で大問題に・・・・・・」

「ねえ、マリー」

 不意に顔を上げて、ベアトリクスはマリーの顔をまっすぐ見つめた。

「ヴォルフスフリューゲルの真の価値とは、なんだと思うのですこと?」

「え・・・・・・」

 突然の問いにマリーは窮して黙り込む。

「人形が人間みたいに生きて喋ること? それとも戦車や戦闘機と互角以上に戦えること? いいえ、違う。全然、違う。そんなアストロボーイ(鉄腕アトムの英語名)もどきの能力なんか、私達の持つ真の価値の前ではちょっとした曲芸でしかないのですことよ。ヴォルフスフリューゲルは、世界を変える力を持っている。『彼女』は、その答えを体現する唯一の機体。それなのにホワイトハウスも、ペンタゴンも、『彼女』を囲い込んできた当のラングレーですら、その本当の重要性を何も理解していないのですことよ」

「世界を変える力、ですか?」

「そう。この世界の仕組みを根底から変えてしまう力ですことよ。四年前は失敗しましたが、今度こそ・・・・・・」

 そこまで言った時、ベアトリクスは急によろけた。

 文字通り、糸が切れた人形のように。

 マリーが慌ててその身体を支える。

 小さな身体は、カタカタと小刻みに震えていた。

「ベアト!」

「ごめんなさい・・・・・・昨日『彼女』と会って・・・・・・少し力を使いすぎたみたいなのですことよ。マリー、お願い」

「・・・・・・失礼します、ベアト」

 ベアトリクスは頷いて、マリーに身を任せる。

 マリーも今度は先ほどとは違う丁寧な手つきで、ベアトリクスを抱き上げた。

 お互いの瞳を見詰め合う。

 マリーはそっと顔を寄せ、ベアトリクスと自らの唇を重ねた。

 二人の口づけに呼応するかのように、何も無かった空間に黄金色の光を放つ小さな球体が生まれる。

 グレイプニル。ベアトリクスの管制妖精だ。

〈生体認証完了。ユミルスマクト・リアクターのロックを解除。メインジェネレーターに再接続〉

 瞬間、ベアトリクスの深部で何かが接続される音が響く。

 まるでテレビの画面が消えるようにベアトリクスの瞳が光を失い、しばらくして再び生気が戻る。

〈メインジェネレーター、点火。ヴォルフスフリューゲル、自律駆動モード、オープン〉

「終わりました」

 マリーは静かにベアトリクスを地面に下ろす。

「ありがとう、マリー」

 ベアトリクスは正常に駆動しているか確かめるように、自分の首や手を軽く動かした。

「今回は、四日間か・・・・・・」

「何がですか?」

「再接続の間隔ですことよ。当初の三十分に比べれば相当伸ばせましたが、それとてエネルギー消費を必要最低限に切り詰めてようやくのこと・・・・・・。長期間の単独自律駆動には、依然として壁がありますのですことよ」

「・・・・・・大丈夫ですよ、ベアト」

 陰鬱な表情をするベアトリクスに、マリーは優しく微笑みかける。

「ベアトが戦う時はいつだって、私がついてますから」

 だが、ベアトリクスは苦笑して首を振った。

「気持ちは嬉しいですが・・・・・・例えばもし今のまま、作戦中にマリーが戦死したらどうしますのですこと?」

「え・・・・・・その時は、いったんグレイプニルを初期化して、別の人間を『解錠者』に登録すれば・・・・・・」

「では、もしその場に他に誰もいなかったら? 私はそこで機能停止し、朽ち果てるしかないのですことよ」

「・・・・・・」

 マリーはどこか悲しげな顔をして沈黙する。

 マリーに背を向けて輸送機を見上げていたベアトリクスは、部下の何か言いたそうな表情に気付かなかった。

「だから手に入れるのですことよ・・・・・・エンジェル・アルファ、アーデルハイトの力を」

 後続の輸送機が着陸する音が、滑走路に響き渡る。


 その夜、第六六六任務大隊を搭載したグローブマスター二十一機がアビアノ基地に到着。

 同時に本国政府からの正式な命令書が送付され、それをもって高機動特装戦闘爆撃機エンジェル・アルファを擁する第一三特殊作戦部隊群は、第六六六任務大隊指揮官、エンジェル・ベータの戦術統制下におかれることになった。


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