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狼の翼  作者: 如月真弘
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SCENE‐1.5 命令 old men’s selfishness


モスタル近郊での任務から二週間後。

「どういうことか、説明して頂けますか」

 アビアノ基地地下の、特別会議室。

 部屋の真ん中に立つアーデルハイトを、マルチディスプレイが囲んでいる。

 そこに映った男達の好奇の視線をはね返すかのように眉根を鋭く寄せて、一言一言喉から搾り出すようにして、アーデルハイトはそう尋ねた。

 血の気を失った肌は冴えた磁器のように白く、その声は静かではあるが凄まじい怒気をはらんでいた。

 だが、モニターの向こうの男達はそれに動じた様子も無く、むしろ蔑むような冷ややかな目でアーデルハイトを見下ろしている。

〈言った通りだ、人形君〉

〈セルビア系住民が人口の多くを占め実効支配するクロアチア東部のスラボニア地域に対し、クロアチア軍がこれを奪還すべく大規模な侵攻作戦を計画している〉

〈それだけならぎりぎり許容範囲内なのだが・・・・・・〉

〈困ったことに、その噂に勢いづいた同地域内のクロアチア人勢力が民兵化し、セルビア系住民を襲撃し始めた。我々のシナリオには無いことだよ〉

〈このクロアチア人勢力の殲滅が、今回の君の任務だ〉

 それぞれ高級なスーツや、勲章が胸に並んだ軍服を着た男達を映すモニターには、彼等が代表を務める国の名前が記されていた。

 イギリス、フランス、ドイツ。欧州連合を代表する、大国の名が連なる。

 彼等がこの地での、CIAのクライアントだった。

「どうしてですか・・・・・・クロアチアは、EUにとって味方のはずでしょう?」

〈その通りだ。その方針に変更は無い〉

「ならば何故? 今までずっと友軍として守ってきた味方を討てと?」

〈味方だからこそだよ、人形君。政治とは難しいのだ。君にはわかるまいがね〉

 アーデルハイトの詰問に、男達は駄々をこねる子どもには付き合いきれない、とでも言いたげな冷笑を浮かべる。

 男達の一人、灰色の軍服を纏ったドイツ代表が、肩をすくめながら口を開いた。

〈我々がクロアチアの後ろ盾になることが正当化できるのは、クロアチア人の戦いが、圧政を敷くセルビア人を倒して自由を手にするための戦いだと国際世論が認めているからだ。

正義の戦い、だとね。・・・・・・だが、正義でいられるには、クロアチアは勝ちすぎたのだよ〉

〈左様〉

 小柄のフランス代表が甲高い声ですかさず同調した。

 他の国の代表達も、口々に現状への不安を言い募る。

〈テレビや新聞は依然としてセルビアを加害者とする論調を続けてくれているが、一部ではクロアチア側の虐殺や略奪行為を告発するフリージャーナリストも出始めている〉

〈このまま放っておけば、ボスニア紛争に対する世論のイメージが変わってしまう。そうなれば、一貫してクロアチアを支援してきた我々の立場はどうなる?〉

〈クロアチアには、セルビアに虐げられる可哀相な被害者の役を演じ続けてもらわなければ困るのだよ〉

〈だが、そうした大局的な視野が当事者には欠落しているようでね。クロアチアのトゥジマンは、我々が何度忠告してもボスニアへの介入拡大を止めようとしない〉

〈しかも、我々は表立ってクロアチアの行動を阻止することができない。君がさっき言ったように、クロアチアは味方なのだからな〉

「・・・・・・」

〈現に状況は悪化している。数日前、ロシア外務省から非公式ながら通告があった。これ以上セルビアが攻撃されるなら見過ごすわけにはいかないと・・・・・・もしここでロシアの介入を許せば、我々の面子は丸潰れだ。ことは一刻を争うのだぞ〉

〈だからこうして頼んでいるのだ、存在しないはずの戦力である君にね〉

〈そもそもこういう正規軍にはできない仕事をするのが、君の役目だろう? そういう約束で我々はCIAに高い代償を支払って、君を受け入れた。給料分の仕事は、してもらわないとな〉

 一通り言いたいことを言って満足したのか、男達は優越感に満ちた目で再びアーデルハイトを見下ろす。

 アーデルハイトは沈黙したままだ。

〈クロアチアは、将来的にはEUに加盟する可能性もある。今ここで悪者にして、名前に傷をつけるわけにはいかんのだ。わかってくれたまえ〉

 ビジネスマンのようなスーツ姿のイギリス代表が、全員の意見を代弁するかのようにそう言った。

 悪者。

 面子。

 名前に傷。

 同時に、ここにやってきてから今まで守ってきた人々、そして敵として戦った人々の顔が、アーデルハイトの脳裏を通り過ぎていった。

 どちらかが悪で、どちらかが正義?

「・・・・・・下らない」

 低い声で、アーデルハイトは呟いた。

〈何?〉

「全部貴方達の都合じゃない・・・・・・なんて身勝手な人達。世論? 正義? 笑わせないでよ。この戦いに、被害者も加害者も無い! 貴方達は、何もわかってない!」

 激昂したアーデルハイトの気迫に、イギリス代表が思わずのけぞる。

 だが、続けて非難の言葉を口にしようとしたアーデルハイトを、ドイツ代表の軍人の怒声が遮った。

〈人形風情が、知った口をたたくな!〉

 それまでの男達のどこか嘲笑的な口調とは違う声。アーデルハイトはドイツ代表の方を見た。

〈そんなことは、我々とて百も承知だ。力と力のぶつかり合いに、被害者も加害者もあるものか。欧州の人間なら、誰でも知っている〉

「え・・・・・・? だったら、どうして・・・・・・」

〈どうしてだと? 君が所属している国ではないかね。単純なパワーゲームに過ぎなかった戦争に、今世紀になって善悪の概念などというまやかしを持ち込んだのは〉

「・・・・・・!」

 予想していなかった相手の反論に、アーデルハイトは目を見開いた。

〈今世紀、アメリカが、戦争の在り方を変えたのだ。ああそうだ、戦争とは汚いものだよ。

だが、その汚い戦争を綺麗に見せかけようとすると、実態は余計に欺瞞に満ちた醜いものになる。おかげで我々がこうして色々と、厄介な工作をしなければならなくなった・・・・・・そういうことだ、これ以上の説明が必要か?〉

 つい数日前、同じことを言われたのをアーデルハイトは思い出す。

 自分の目の前で、手榴弾で自爆したセルビア人の男。

 ――できたばかりで、それも土地と金が有り余っているようなお前達の国に、我々の民族の苦しい歴史や、我々が戦わねばならない理由の何がわかるというのだ。

 男はそういっていた。

 そう、私はアメリカなのだ。

 例え自分は違っても、所属しているのだから。

 結局のところ、私は何もわかっていなかった。

 何もわからずに、安っぽい正論を振り回していた。

 アメリカの組織であるCIAにかくまわれてきた自分が言うと、余計に安っぽい。

 私は――

 反論できなくなったアーデルハイトを見て気を取り直したイギリス代表が、手元の書類を引き寄せて宣告する。

〈なお、今回は米国NSAからの要請により、SOCOMとの共同作戦となる。君にはそちらにいるベータ大佐の指揮下に入ってもらうことになった〉

 その言葉を待っていたかのように、アーデルハイトの背後の影からベアトリクスが姿を現す。

「ベアトリクス・・・・・・」

「そういうわけですことよ、アーデルハイト」

 アーデルハイトの驚いた表情を期待したのか、ベアトリクスはその顔を盗み見る。

 だが期待に反してアーデルハイトの目はひどく虚ろだった。ベアトリクスは鼻を鳴らして前へ進み出た。

〈しかし、君が運んできたおもちゃにこんな早く出番が来るとはな、ベータ大佐。期待していて大丈夫なのかね?〉

 フランスの代表が皮肉混じりに問いかける。

 ベアトリクスは不敵な笑みを浮かべ、ディスプレイに並んだ男達に向かって舞台役者のように慇懃に一礼した。

「勿論ですことよ。我がアメリカ合衆国が来る二十一世紀、親愛なる同盟国の皆様にどれだけ質の高い安全を提供できるか、存分にお目にかけますことよ」

〈ふん、大した自信だな〉

〈まあ、同じ人形同士、仲良くやってくれ〉

 侮蔑のこもった言葉にも、ベアトリクスは嫌な顔一つしない。

〈成果を楽しみにしているぞ。・・・・・・では〉

 マルチディスプレイから男達の姿が次々と消え、〈交信終了〉の文字が明滅する。

 会議室に静寂が戻った。

「・・・・・・ふん、ぴーちくぱーちく口だけは偉そうな烏合の衆ですこと。EUなんて所詮は弱者の寄せ集め。合衆国の庇護が無ければ自力で火の粉をはらうこともできないのですことよ」

 消えたディスプレイを見上げてベアトリクスが毒づく。

「よくあんな無能な連中に指図されて今まで我慢してきたのですこと、アーデルハイト?」

 同意を求めるベアトリクスに、アーデルハイトは無言で背を向ける。

「それともあのアーレンとかいう監視係の男にでも惚れたのですこと?」

 ベアトリクスの挑発に反応せず、アーデルハイトは出口へ向かう。

「・・・・・・。出撃は明後日の〇六三〇時ですことよ。遅れないように」

 ベアトリクスの声と、ドアを叩き付けるように閉める音が、同時に会議室に響いた。


「ふん・・・・・・随分と弱くなったものですこと、アーデルハイト」

 部屋に一人残されたベアトリクスは苦笑して、そして何かを確かめるように自分の掌を握り締める。

「・・・・・・でも、これで舞台は整った」

 ベアトリクスの口元に、ほの暗い嘲笑が浮かぶ。

 皮肉なものですこと。

 ヴォルフ博士に捨てられた貴女が、一番博士の理想に近いものを持っているなんて――


 会議室を出たアーデルハイトを、アーレンが待っていた。

「ひどい顔だな、大丈夫か」

 いたわりの言葉を振り払うように、アーデルハイトは早足で歩く。

「・・・・・・もう聞いてるんでしょう」

「ああ。とんだ茶番だ。全てあの大佐殿の筋書き通りってわけか」

 アーレンが苦々しげに呟く。

「さっきラングレーに問い合わせたんだが、どうも雲行きがおかしい。委員会が動いている。この話、何か裏があるぞ。気をつけろ」

「・・・・・・裏って?」

「君が狙われてるってことだ。知ってるだろう、本国ではNSAを中心に、俺達CIAが君を管理していることを面白く思っていない勢力も多い」

「・・・・・・」

 アーデルハイトは、不意に足を止めた。

「・・・・・・私は」

「ハイディ?」

「私は、どうすれば・・・・・・」

 私は、どうすればいいの。

 初めて振り返った、アーデルハイトの顔。

 その顔は、アーデルハイトとは思えぬほどにとても弱々しかった。


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