(2)
翌日。
リオはフランを連れて、服飾を扱う店に来ていた。フランを購入したイギスタス商会の店主に教えて貰った店である。
やや緊張しながらも店に入ると、カランコロンと軽やかなベルの音と、柔らかい店員の声が二人を迎えてくれた。
「いらっしゃいませ。本日はどのようなご用向きでしょうか?」
白髪をひっつめ、お団子にした女性が品の良い微笑を浮かべてリオに問う。
「この子の服を一式。新しい子でまだ何も用意してないので」
イギスタス商会の店主に聞いた通り告げると、女性は笑みを深め、軽く手を打ち鳴らした。
さっ、とその背後に店員が並ぶ。
怯えて後ずさったフランとは反対に、リオは期待に胸が高鳴るのを感じた。
「さて、それではお洋服のお仕度に移りましょうか。何かご希望はございますか?」
下着を一揃い、自分の分もついでに注文すると、いよいよ本命の洋服だ。
下着を選んでいる時に分かったが、イギスタス(イギスタス商会の店主だ)に紹介されただけあって、こちらの店も高級志向で質がいい。
お洒落について諦めきっていたこともあって、最近はすっかり錆び付いていた乙女心が久方ぶりに騒ぎ出すのを、リオは感じた。
「フラン、何か希望はある? 何でも言っていいよ、色とか形とか」
「い、いえ、あたしは特に……」
「遠慮しなくていいんだよ? 思い浮かばなければイメージだけでもいいし」
「いえ、あの……あたし、こ、こういうお店初めてで、よく分からなくて……リオ様にお任せしたいです」
そう言って赤くなり俯いてしまう。
そういえば、フランは田舎の貧乏農家出身だった。ひょっとしたらこの店にあるような服は袖を通したことはおろか見たことすら無いのかもしれない。
「分かった。じゃあ好みじゃなければ言ってね」
リオはこの店を取り仕切る女店主――最初に声をかけてきた女性に向かって言った。
「とりあえず、水色のエプロンドレス全部見せて」
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「う~~~ん」
リオは腕を組み唸り声を上げる。
(困った)
本当に困っていた。決まらないのである。
「どうしよう……どれも似合う!」
どこか嬉しげな悲鳴を上げたリオに、女店主も思わずといったように頷いた。
容姿が良いというのも困りものだ。とにかく何でも似合うのである。
なんせフランの見目の良いことといったら、この店がマネキン代わりに服のモデルとして置いている、洗練された美形揃いの奴隷たちの隣に並べても、見劣りしないほどだ。
「差し出がましいようですが、それはお客様の審美眼が素晴らしいのですわ。お選びになられた品はどれも、色、形それぞれにお連れ様によくお似合いです」
「そ、そうかなあ」
褒め言葉に照れながら、今は下着の上に薄い一枚だけの姿のフランをじっくりと眺める。
(昨日は気付かなかったけど、フランって小柄だけどすごい理想的なモデル体型……)
全体的に華奢で、手足が長く胸が薄い。
視線が不躾すぎたのか、少女はぽっと頬に熱を灯す。つられて自分も赤くなりながら、慌てて視線を逸らし、誤魔化すようにリオは女店主へ首を向けた。
「じゃあ、一番スタンダードな形のエプロンドレスと、あと何着かおすすめを。それとリボンあります?」
「ありがとうございます」
やや深めに腰を折った店主の後ろには、既に心得た従業員がベルベット張りの盆に幾つかリボンを載せて控えていた。
リオは差し出されたそれを手に取り、フランの髪に色々と当ててみる。しかし、こちらもなかなか決まらない。
「何かイメージがお有りですか?」
「いや、そういうわけじゃないんだけど……でも、無難な色にはしたくなくて」
本家アメリカ製アニメーションのアリスリボンは黒。挿絵などではエプロンドレスと同系色の水色や青が多い。また、金(黄色)と赤は近似色のため、アリス以外では金髪に赤いリボンはよく使われる。
「でしたらこちらはいかがでしょうか? 迷宮で採れる植物の繊維を織り込んだものなのですが……」
店主の目配せで、奥から布を被せた何かが運ばれてくる。
女店主は、リオの目の前でさっと布を取り去った。それは、紺色に近い、さりとて紺色では決してない、深い青色のリボンだった。
ベルベットのような、しかしそうではないような、不思議な質感で、見る角度によって様々に光沢が変わる。
ピン、とリオの頭に閃くものがあった。
「これと同じ素材の靴、あります?」
店にいる間ずっと、フランは次々と指示される試着、増える衣類や装飾品に目を回していた。
「やー、買った、買ったねー!」
リオはほくほく顔で帰宅した。こんなに気分がいいのは久しぶりだった。近頃は、身に付けるものを選ぶと言ったら戦いのための装備のことで、お洒落目的の服選びなど終ぞ無かったのだ。……普通の女性用の衣類を見るだけで苦しくなった時もあり、敢えて避けていたこともある。
「リ、リオ様……あの、こんなに、その、良いんでしょうか……」
やたら高そうな買い物をほいほいと決めていく主人に目を白黒させていたフランは、家に帰り着いてからもどこかおっかなびっくり、衣類品の入った袋を見つめている。
「いーの、いーの! ほら、早速ファッションショーしよ!」
着替えてきて、とリオは袋を押し付け、フランを居間から追い出した。
ややあって、おずおずと姿を見せたフランに、リオは黄色い声をあげた。
「カワイー!」
フランは途端に赤面し俯いてしまう。
水色のストライプの間に、青・紫・ピンクの花のブーケ柄が散ったワンピースは、下にレース付きのパニエを合わせ、ふんわりと広がっている。ワンピースの裾は終わりの方で切り替えになっており、青混じりの水色の布が緩いフリルになっている。袖は敢えてのnotパフスリーブで手首のあたりでやや膨らむ形だ。
細い足を包むニーハイソックスは白のレース地。リボンと同じ生地を使用した不思議な深い青色の靴は、ストラップ付きで先が丸くなっており、全体的に避暑地のお嬢様といった風情である。
「こっちおいで、もっと可愛くしてあげるから!」
リオは戸惑うフランを鏡台の前に座らせ、滑らかな絹糸の如き髪に櫛を通した。
「編みこみしようね。フランの髪は金髪って言っても色が薄いから、このリボンはきっと似合うよ」
リオは心底嬉しそうに、大切なものを扱うかのような繊細な手つきで、しかし手早く仕上げていく。
「ほら、出来た!」
片側から始まった編みこみは髪と一緒にリボンを編みこんであり、反対側の耳元で蝶結びにされていた。
「フランは本当に可愛いねえ」
自分が手がけた作品の出来栄えに、しみじみとリオは感嘆を漏らした。
しかし、鏡の中の美しい水色の瞳に、みるみる透明な液体が盛り上がるのを見て、その気持ちは一瞬で吹き飛んだ。
「ご、ごめん! そんなに嫌だった? 私何かしちゃったかな!?」
「ち、ちがいま……ヒッ」
小さな桃色の唇を色がなくなるまで噛み締め、噛み締めたその間から、フランはなんとか言葉を織る。
「あ、あた、あたし……かわいいなんて、言われたっ、こと……! い、いままで、一度もっ……! な、なくて、だからっ」
林檎のような真っ赤な頬の上を、幾筋も透明な雫が転がり落ちる。
「か、かあさんも、村のみんなもっ……! 誰も! あ、あたしのこと、かわいくないって! かわいくないっ、てぇ……!!」
そう、泣き崩れてしまったフランを、リオは胸に抱きとめた。嗚咽をこぼし震える背中を何度も撫でながら、決意した。
この子は、私が守る。
一時はフランを奴隷から解放する――一度購入した奴隷を手放すには、奴隷の身分を買い上げ、平民に戻してやるしかない。――ことも考えたが、それは今この瞬間に頭から消えた。そもそも、この街ではフランのような若い女の子が生きていくなら、寧ろ奴隷でいた方が安全だ。
それに、何よりも……。
リオにとっては、初めての相手だった。こちらの世界の人間で“分かり合えた”のは。
温かい気持ちを……労りを交換し合う。たったそれだけのことを、こんなにも求めていた。
本当は、自分もずっとずっと……寂しかったのだと。
薄い背中に腕を回し、小さな丸い頭を抱きしめて。
『守りたい』
リオは初めて、心からそう思った。