(4)
「わあ、大きい」
「食いでがありそうですね」
私たちが辿り着いた時、既にそこは野次馬でいっぱいだった。人垣の後ろからでも魚の巨大な影が伺える。野次馬の中には冒険者の姿も見られたが、幸いまだ誰も手を出していないようだ。何故かと思ったら
「あれ、魔装具屋の店主じゃねぇか?」
漏れ聞こえた呟きに、アセラと共にかき分けかき分け、人混みを抜ける。
目の前の川から、こんもりと小山のようなものが顔を出していた。てらてらと太陽の光を弾き返す銀色のそれは、恐らく怪魚の背中の部分だ。その天辺……普通の魚なら背びれの生えている部分から、逞しい、どう見ても人間の腕にしか見えないものが中天に向かって拳を突き出していた。
その、巨大な、毛の生えた(赤毛だった)拳に握られているのは、私たちの“ご主人さま”だ。
「ご主人様……おいたわしー!」
「何でちょっと嬉しそうなんスか」
気を失っているのか、ぐったりと青ざめた顔を晒しているのがややそそる、とか思ってしまったのは秘密だ。
なるほど、川の中にでも逃げられたらご主人様の命はない。それで皆手を出しあぐねているというわけか。
「行くよ、アセラちゃん」
「ッス」
美しい湖面のような青い瞳に、獰猛な光が走った。
ブゥン、と機械の起動音のような音と共に、アセラの周囲を風が取り巻く。
「使用者アセラ。主のセイメイホショウの件についてシステム使用の許可をシンセーする」
『使用者アセラ、申請を承認します』
応えたのは、アセラと全く同じ、でも抑揚のないまさしく機械的な音声。
地の一蹴りで、少女は空へ飛び上がった。群衆のどよめきを聞き流しつつ私も口早に唱える。
「使用者ハナコ。主の生命保障に関する十五項に適当する危急的事態の発生につき、システムの使用許可を申請します」
『使用者ハナコ、申請を承認します』
体内の魔力が背中に向かって流れていくのを感じる。
何の変哲もないメイド服、肩から背中にかけた辺り。エプロンの紐についたフリルの部分が、ぐぐぐ、と伸長した。
地を蹴る。
バサリ、と羽ばたきの音に誰かの叫びが重なる。
「で、出たー! おハナさんの“死天使の羽ばたき”だァーーッ!!」
変な名前つけないでほしい。
普段はエプロンのフリルに擬態しているこれは、ご主人様がオリなんとかいう魔合金?なるもので作った魔装具だ。こうして魔力を流してやれば、白金色に輝く鋭利な羽となり、私の意のままに動き、この体を軽々と空へ運んでくれる。
「チキショウ! スカートが長すぎて中が見えやしねえ!」
「馬っ鹿、見えないのが良いんだろうが。ロマンだよロマン」
「その点我らがアセラたんは完璧だな! 長すぎもせず短すぎもせず!」
「黙れロリコン野郎」
分かっていたけど、この街の人達ってちょっとアレだなぁ……。
下方の野次だか何だか分からない野太い歓声を無視して、私は、先んじて空へ舞い上がったアセラを見上げた。
彼女に羽はない。
私が着ているものより丈が短めの、膝丈のメイド服。そこからスラリと伸びた白い脚を包むロングブーツ。それが、彼女の魔装具だった。踵の部分から絶え間なく魔力を射出することで、私の羽根ほどの柔軟性はないものの、高い機動性と高速飛行を可能にしている。
「ッッシャア! 行くぜェ!!」
少女が吠える。
妖精然とした容姿とは余りにも乖離した猛々しさを迸らせ、アセラは銀髪を尾のごとく靡かせて巨大魚に突っ込んでいった。
頭を下にして鋭角に空を滑り落ちていくアセラ。彼女のメイド服のスカートが、燃え落ちる流星のように発光していた。
「で、出たー! アセラたんの“白壁スカート”だぁァーーッ!!」
「くそっ! 眩しすぎて中が見えねえー!!」
落下に比例するがごとく激しさを増した光は今やアセラの全身を包んでいた。
虹色に光る高速の弾丸となったアセラは、巨大魚へと一直線に突っ込んでいき、その腕(?)を根本の辺りでぶち折り引き千切って、――地面に衝突した。
「「「ギャー!!」」」
轟音、もうもうと立つ土埃、野太い悲鳴。
……あれはスカートがどうのと言っていた一団がいた辺りではないだろうか。
まあいいか。
アセラのブーツが飛行のための魔装具なら、スカートは防御のための魔装具である。要は、もの凄い、しかし凄いだけのただのバリアなんだけど、まさかご主人様もバリアを攻撃に転用されるとは思っていなかっただろう。
つまりバリアに全身守られているアセラは無事に違いないわけで。
だとすれば、私の仕事は一つ。
「ハナさん、やっちゃって下さい!」
砂埃の中、すっくと立ち上がり、こちらへ拳を突き上げる少女を見下ろす。その体には傷どころか衣服に汚れすらついていないが、周囲に転がるむくつけき体躯の累々は、あれ死んでないよね?
「『ギシャアアアアアア!』」
体の一部をもぎ取られた怪魚が、水中より躍り出た。
「使用者ハナコ、緊急時における使用者の生命保存を一理として、禁式第四十の使用を申請します」
『使用者ハナコ、申請を承認します。但し終了後のフィードバックを原則とします』
答える声は自分と全く同じもの。自分自身と会話しているようで何だか嫌だ。
「イェス、マム! 禁式が第四十、天使の歌声、解凍!」
相変わらずこの呪文意味が分からない。
魔装具は基本的に登録者しか使用できなくて、それは魔力と声で判別しているらしいんだけど、更にうっかり何かの間違えで起動させちゃわないように、ややこしくて分かり難い呪文が必要なんだそうだ。ご主人様曰く。
というわけでこの呪文は、こっちの言葉と向こうの言葉をごちゃごちゃに組み合わせたものになっている。もちろん考えたのは私じゃない。ご主人様だ。
正直恥ずかしくて嫌なんだけど……。この年で呪文ってだけでも恥ずかしいのに、何か小難しげだけど意味が通っていないやたら長い呪文とかさあ……。
何故かご主人様はすごい楽しそうだった。
因みにアセラちゃんは「殺る殺られるかの時にそんな長ったらしいもん唱えてられるかぶち殺すぞ」の一言でバッサリ断っていた。私も本当は嫌だったんだけど、ご主人様が楽しそうだったし、交換条件で胸を揉ませて貰ったので仕方なく……。
ご主人様の胸筋の感触を反芻している間に、背中の方からガシャン、ゴキャン、カッキーン! と音が聞こえる。このカッキーン! が聞こえたら変型完了だと思っていい。何のって、羽根のだ。
巨大魚が、ガッパリと口を開けて飛びかかってきた。
ウィンウィンウィン……と耳元で密やかな充填音。
上下に並んだギザギザの凶暴な歯が目の前に迫っている。
「発射」
二対のキャノン砲から放たれた、ぶっとい緑色のビームが、モンスターの口中を貫通した。
==================================================
優しそうな、少女だった。
クロミネ屋店主に紹介された奴隷商で、シクロの目の前に連れて来られた奴隷は、特筆して容姿が優れているわけではなかった。
だが。
お辞儀をした肩から滑り降ちた艶のある黒髪。
ふっくらとした頬と涙袋を緩やかに上げて微笑むその様。
柔らかで、温かで――こちらの全てを包み込んでくれるような、そんな雰囲気のある少女だった。
声音、表情、その一つ一つがシクロを労ってくれているようで、傷つき疲れ果てた青年の心は容易く陥落し――――しかし、シクロも馬鹿ではない。
今回はきちんと少女の首に隷属の首輪が嵌っているのを確認した。その上で、色々と質問をして人となりを見たし、自作の魔力計だって持っていったのだ。
そう、アセラは勘違いしている。シクロは何も、ハナコが自分より年下だったから購入を決めたわけではない。決め手は、魔力計がとんでもない数値を叩き出したことにある。
決して以下略。
そうして新しい少女奴隷――ハナコを連れ帰ったシクロだったが、彼は知らなかった。
彷徨人は、こちらの世界の人間からすると、一見子どものように見える人種が多いこと。
隷属の首輪には、中心に魔石が嵌っており、それは主従契約を結ぶと色を変えるのだが、契約後の魔石と似た色の石を使う、または塗装で色を偽装することによって、契約後のように“見せかける”詐欺――通称“色替え”は、この街のスタンダードな詐欺の一つであること。
つまり、最初の時点でハナコの隷属の首輪は機能していなかったことを。
ハナコは“少女”などではなく、立派な成人女性で、寧ろ自分より幾つも年上であったことを。
そして――――――若干、いやかなり、結構、変態だったことを……。
==================================================
「……主人様、ご主人様! 大丈夫ですか?!」
呼ばわる声に促され、ふ、と青年の意識は覚醒した。
薄っすらと開けた瞳には晴天が映った。
「どうしようアセラちゃん! ご主人様目を開けないよぉ!」
(そうか、ぼくは……。)
恐らく背後にいるのであろう、もう一人の奴隷に向かって、彼の奴隷が声を張り上げている。向こうを向いているその表情は見えない。
(モンスターに襲われて……彼女たちに助けられた、んだな……。)
「えー、ほっときゃいいんじゃないスかあ~?」
ざわめきを縫って、涼やかな声と何か刃物を擦り合わせるような音が聞こえた。恐らく、これからアセラが魔魚の解体にかかるのだろう。
「でも、でも……!!」
(心配させてしまったのか……。)
勝手に家を飛び出して、勝手にモンスターに捕まって。毎度毎度、そんな風にトラブルに巻き込まれ続ける青年を、奴隷たちは結局いつも助けてくれる。
主人だから、というのはあるだろう。
それでも。
それだけではない何かを感じてしまうのは、自分の願望だろうか?
問題はある。
彼女らそれぞれに、問題はある。……結構、大きな問題が品性やら人格やらにあるが。
良い奴隷だ、と思う。
奴隷の良し悪しなんて、シクロには分からないけれど。きっと“シクロにとって”彼女達は良い奴隷なのだ。
“もういやだ”なんて、言うべきではなかった。
(これからは、ぼくももっと努力して、彼女たちとの関係を改善できるよう……)
「……青ざめて水濡れで横たわってるご主人様を見てるとイケナイ気持ちが清水のごとく湧いて湧いて仕方ないんだけど! ちょっとだけ悪戯しちゃダメかなあ?! いまならちょっとだけイケそうな気がすんだけども! このままちょっと縄で縛ってみるってのはどうかな!? いいんじゃないかな! 着衣水濡れ緊縛失神プレイとか! ヒー!!」
最後の“ヒー”が嬌猥な響きを伴って青い空に吸い込まれてゆく。
シクロは、再び瞼を閉じた。
「ハナさん……心ダダ漏れてっけど、それゴシュジンサマ起きてないスか?」
「え?!?」
(やっぱり……やっぱり……)
閉じた目尻の端から、雫が一筋流れ落ちる。
(こんな奴隷、もう、いやだーーーー!!!)
それは涙だったのか、それとも別のものだったのか。
本人のみが知るところであった。
~完~