(2)
「え~……今日は新しい魔道具の実験を行いたいと思います」
朝食と身支度を済ませ、玄関前の広間に私たちを集め、ご主人様は言った。
口を開いた途端、返答を考えるより先に言葉が飛び出す。
「ご主人様ってば! また私の体を弄ぶつもりなんですね! 酷い! でも従っちゃうビクビ」
「違うから! お願いだから人聞きの悪いこと言わないでハナさん! お願い、お願いします!」
「つかナッツ無くなったんで買いに行きたいんだけど」
「やだーアセラちゃんてばマイペース栗鼠すぎ~。か~わ~い~いー!」
その一言で彼女は簡単に蒸気を上げる。
「だから! 人をおちょくるのもいい加減にしろよ! あんまナメてっと……!!」
「舐めてないしおちょくってもいませんー! いま“ご主人様ゾーン”発動中なんだから分かるでしょ?」
この街は、ある一人の商人の手によって作られた。
彼は商人になる前には冒険者で、様々な街を巡り、人を助け、迷宮に潜り、幾多の世界的危急を救った……その功績から、かつては聖人に列せられる動きもあったという英雄だったらしい。
一線を退いた彼は、商人として大きな成功を収めた。しかし、同時に酷い人間不信に陥ってしまったという話だ。
彼の財産に群がり、ゴマすり、へつらい、裏切り……すっかり周囲の人間を信じられなくなってしまった彼が、まだ当時は無名だった鬼才、後世には天才と名高い魔術師に創らせたのが、この『隷属の首輪』だった。
彼は、人を求めた。絶対に自分を裏切らない、欺かない人間を。
この首輪は、その願いを叶える。
『主人に嘘が吐けなくなる』
それが、この首輪を嵌めた者に否応なしにもたらされる力だった。
このことは、街の在り方にも深く関わっているためか住民には良く知られている。街の外では余り知られていないようだが。
この街で起こる奴隷絡みの揉め事・謀のだいたいはコレが原因だ。
実際付けてみて分かったのだが、どうもこの首輪、主との会話に際して、理性や判断力を働かせないようにしているらしい。
首輪を嵌めていると、これ言ったらまずいなとか、考えるまでもなく普通は常識的に口にしないでおくことを、つるっと思ったまま言葉にしてしまう。
もう一つ悪いことに。この首輪、会話相手の判定が緩い。
『主人に嘘を吐けなくする』ための機能なんだけど、主相手だけじゃなく、その時会話に加わっている人間に対しても思ったままを喋るようになってしまう。
奴隷の権利を守るために一役買っているそうだが――実際、昼日中の往来で奴隷が昨夜のド変態プレイをペラペラ喋ったことにより主の犯罪(奴隷相手の性行為)が発覚し御用となる例が数あるとか――、これのせいで数々の騒動も起こっている。
“ご主人様ゾーン”……それは、私が勝手に作った造語だ。
ご主人様が居ることによってお口がつるペラ状態になってしまう空間。これこそが!
「ご主人様ゾーン!!」
「うるせえ! 死ね!」
自分の意思とは関係なく飛び出す言葉に、アセラの心そのままのツッコミが厳しい。
「とか言いつつ若干気まずそうな所が彼女の真の心根の良さを表している」
「モノローグ調やめろ! マジうぜえ!」
「美少女の嫌がり顔……乙なもんですなあ、イヒヒ!」
顔を真っ赤にするアセラの様子に、「ぷん! すか!」「ぷん! すか!」と効果音を足してあげたら本気で怒髪天を衝いたらしく、彼女はその憤りを我らがご主人様にぶつけた。
「オイそこの糞童貞野郎! てめぇ一応はゴシュジンサマだろ! 何とかしろよこいつ! ムカつくんだよ!!」
「ど、どどど童貞じゃないです」
「どっちだっていーんだよ! キメーことには変わりはねぇんだからよォ!」
急に話を振られびくりと一つ震えたご主人様が、動揺も露につい食いつくところを間違うと、アセラは刃そのものの言葉でぶった斬った。
「ううっ……も、もう嫌だ……! どうしてぼくは、ぼくは……っ毎日こんな……!!」
ご主人様がついに両手で顔を覆ってしまうと、アセラはその足元に唾を吐いた。
「こらっ、お行儀悪い!」
「あーもう、キメー! キメー! キメー! ウゼーー!! もうとっとと死ねよお前さあ」
苛々とした様子を隠しもしない彼女は、まあ何と言うか、ご主人様のことを蛇蝎の如く嫌っている。
リアルティーンエイジャーである自分と、凹凸の乏しい体と顔でこちらの世界の人から見れば子どものように見える私を買ったご主人様のことを、“そういう趣味”のド変態だと思っているのだ。
まあねえ、十も年上の人間からそういう対象に見られるって、アセラくらいの年代の頃はほんと気持ち悪いからなー。
「まあまあ。気持ちは分かるけど、たぶんご主人様はロリコ……少女を対象とした性的嗜好の持ち主じゃないと思うよ、たぶん。
ただほら、童貞だから同年代の女性相手には気後れしちゃって“ご主人様”出来ないと思ったんじゃない?
結果自分より年上の奴隷買っちゃってるけどねーー!! 童貞は膜も人生設計も貫けませんでした!
なーんちゃって、ガハハハ!!」
「う、ううっ……一人はチンピラ、一人はオッサン……! どうしてぼくはこんな、こんな……!」
「うるせえ! テメーに人を見る目がなかっただけだろ! ボケ! 鬱陶しい! 死ねっ!」
「うわああっ」
とうとう泣き出してしまったご主人様を、どうどう、どうどう、と宥めていると、アセラが嫌悪感いっぱいの声音で尋ねてきた。
「……つか、あんたはキモくないわけ、こいつのこと。ってか正直どう思ってんの?」
思わず振り返り、アセラを見つめる。考えるまでもなく言葉は口から飛び出した。
「ややおか?」
「ア?」
「やや犯したい」
「ヒッ」
返答を聞いて、何故か内股になり尻を手で押さえるご主人様。
「失礼な!」
身を乗り出すと、ご主人様は後退る。
「あっ傷つくぅ~! そういう反応傷つくー! 私はちょっとご主人様のこと基本引き籠もりのくせに良い体してんなーとか良いケツしてるぜヒヒッとか時々私のこと誘ってますよねえ?! って思ってるだけで、そんな……アッ! 今の顔! その顔は確実に私の事誘ってますよねええー!? 散々人のこと煽るだけ煽っておいて、自分は怯えた子鹿ちゃん気取りですかー?! そういうイケナイ男はですねえ、一回犯されてみればいいと思うんですよー!! ウヒーヒッヒ! その怯えた顔! ソソるー! ヒューウッ!」
私が口を閉じると、玄関前の広間に沈黙が満ちた。
「……こわ」
ぽつり、と落ちた少女の言葉に我に返る。頬に熱が上るのが自分でも分かった。
「やだ……私ったら、恥ずかしい……」
「いや今更そんなんしてもムリだろ」
余りにも正直な心情を吐露してしまって、頬を両手で包み恥じらう私にアセラが指し示したのは、青ざめガタガタ震えるご主人様だった。
「ご主人様……」
「ヒッ!!」
壁に背を貼り付ける彼に近づき、その服の裾をきゅっと握る。
「怖がらせてしまってごめんなさい。……でも、安心して下さい。私は、ご主人様の嫌がることはしません。
だから……」
小首を傾げ、上気した頬と潤んだ瞳で見上げる。
「ちょっとだけ……ちょっとだけ、
犯されて、
みませんか……?」
「うわああああああああああああ」
狂ったように叫び声を上げたご主人様は、私の手を振り払い、おもむろに壁に頭を打ち付け始めた。
「だめだっ! ぼくはもうダメだああああ! もてなさすぎてついに、とうとう頭がおかしくなった!!
こんなッ……! 中身スケベ親父の年増女がちょっと可愛く見えてしまったなんてえええええ!!!」
「相思相愛ですねご主人様! 記念にちょっとだけやらせて下さいっ」
顎の下で両拳を握ったぶりっこポーズで私が思う限りの可愛らしい声で応じると、ご主人様の自虐頭突きはいっそう激しさを増した。
「ヤダご主人様ってば~! それは新しい形の性的アピールですかぁ~? カーワーイーイィ~!!」
「そのまま脳ミソぶち撒けてとっとと死ね」
ピンク色の何かをまぶしまくった黄色い声と、ほぼ温度のない黒々とした嫌悪感を発する声。
「あっあっあああ! きあああああああ!! もういやだああああああー!!!」
何かもう色々と限界だったのか、ご主人様は妙に甲高い奇声を発すると、やおら玄関扉を開け飛び出した。
そしてそのまま、ガチャガチャバタバタと今にも足がもつれて転びそうな不協和音をたてながら、何処かへと走り去ってしまった。
「………………」
「………………」
言葉も発せずしばらくご主人様が去った跡……開け放たれた扉と向こうに続く景色を眺めていたが、やがてどちらともなく、私たちは顔を見合わせた。
「……なんか、ごめんね、アセラちゃん。からかっちゃったり、気持ち悪いこと聞かせちゃったりして……」
「……いえ。あたしも……言葉遣い悪くてごめんなさい」
ご主人様がいなくなったことにより、“ご主人様ゾーン”が解除され、やっとまともな会話が可能となる。
私がアセラに眉尻を下げながら微笑を向けると、彼女も気まずげに応える。良かった、許してくれるようだ。
このように、否応なく正直に心情を吐露させられてしまうため、奴隷を複数持つのは大変難しい。奴隷同士の関係を調整する、という点において。
私たちの場合は、何故かご主人様が一人勝手に困っているだけだけど。
過去には、奴隷間で刃傷沙汰が起こることも少なくなかったとのことだ。
「ご主人様飛び出して行っちゃったね。どうしようか?」
「ほっとけばいいと思います、あんなの。夕飯時になったら帰ってくるでしょう」
ご主人様がいてもいなくても変わらないアセラに苦笑しながら、でもねえ……と続ける。
「迎えに行ったほうがいいんじゃないかと思うんだけど」
「嫌です。どうせまたろくでもないことに巻き込まれてるに決まってます」
そう。何故か我らがご主人様は、よく揉め事に巻き込まれるのだ。たぶんトラブルメーカー体質なんだろうなあ。
「だから迎えに……」
「い、や、で、す! 夕飯の時間が遅くなるじゃないですか! ハナさん、今日は鶏肉のナッツ炒めだって言いましたよね!?」
うーん、どうしたもんか。
ナッツ大好きで顔に似合わずなかなか食い意地の張った彼女を、こういう場合に説得するのは骨が折れる。
思案は、何秒も保たなかった。
轟音が鳴り響く。
開けっ放しの出入口から、外を何人もの人が駆けていくのが見えた。続いて
「化け魚だ! 街外れの川に化け魚が出たぞー!!」
という声も。
……ご主人様、絶対巻き込まれてるわ、これ……。
恐らく同じことを考えたんだろう、アセラと目が合った。嫌そうに眉をひそめる彼女に苦笑して、一つ提案してみる。
「夕飯のおかず、一品追加でどう? “化け魚の揚げ焼き、ナッツあんかけ”」
キラリと、青い青い瞳に光が走った。
「狩りっスか?」
「アセラちゃん、口調口調」
思わず素が出てしまった程度には彼女はノリノリだった。
彼女は奴隷になる前、“ちょっと山で人とか狩ってたッス”……という経歴の持ち主だ。(それっていわゆる山ぞ……と思ったが、口には出さないでおいた。)
曰く“ちょっとばかり”派手にやりすぎて“とっ捕まった挙句奴隷に落とされた”らしいけど、そんなわけで昔を思い出すのか、アセラちゃんは“狩り”と名のつくものだったら何でも好きだ。
例えその対象が人であろうと獣であろうと、……魔獣であろうと。
う~ん狩猟民族!
「よっしゃ、じゃあちゃっちゃと準備して行きますか!」
「ウッス!」
殺る気まんまんのアセラちゃんと何となく拳を合わせて、私たちは踵を返した。