(1)
本音の刺を幾重もの薄布で包み、当り障りのない言葉にする。
それは、人間が社会的生活を営むにおいて、大変重要で大切な能力なのだなあ、と。
最近とみに感じるようになった。
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「気持ち悪いんですけど。触らないで貰えます?」
買い物を済ませ店を出た途端、その光景に行き当たった。
恐らくは奴隷とその主なのだろう。金髪に碧色の目の美少女と、黒髪の、まだ少年と呼んでも差し支えのないような、いかにも世間知らずそうな青年。
アレは恐らく“彷徨人”だろう。腰に剣を佩いておきながら、似つかわしくない隙だらけの表情を晒している。
優しげな少女の口から飛び出したキツイ一言を飲み込みきれないのか。
ぽかん、と口を半開きにして。
「わたしダメなんですよね、童貞って。いちいち言動がキモくってぇ。ご主人さま、童貞でしょう?」
喘ぐように、青年の喉元が震える。微かなその声はここからでは聞き取れない。
「えぇ、やだーほんとにそうなんだ~! ご主人さま幾つですか?
……うそー! え、ほんとにその年で童貞? 冗談じゃなくってぇ?」
少女は殊更に声を張り上げる。まるで周囲に聞かせるかのように。
往来の空気がサッと変わった。これから起こることに備えるがごとく、ごく僅かに。
が、青年は気づく様子もない。
昼日中の商店街へ、薄い緊張感を刷いた少女は声高に続けた。
「き・も・ち・わ・るぅ~い! 童貞が許されるのは十五歳までだよねー!!」
キャハハハハ、と、澄んだ……澄んだというか研ぎ澄まされた言の刃が、無情に空気を切り裂いた。
「……ッ奴隷のくせに!」
どん、と青年が奴隷の肩を押す。
わざとらしく尻餅をついた少女が声を上げるのと、周囲に「あ~あやっちゃった……」という空気が漂ったのは同時だった。
「キャアアアアアッ!! ご主人さまにランボーされたっ!
奴隷のわたしがっ! ご主人さまに暴力振るわれましたぁああ~!!」
「な、な、」
ぱくぱくと二の句が継げないでいた青年は、そこで初めて周囲の様子に気がついたようだ。自分に注がれる、若干の憐れみと、馬鹿を見る目。
「リリイ!」
青年にとっての悪夢はまだ始まったばかりのようだ。
どこからか、少女と同年代……十代半ばと思われる少年が駆けて来て、庇うように割って入った。
「ああ、ケイン。恐かった、恐かったの……!」
「大丈夫かい、遅くなってごめんよリリイ!」
そしてひっしと抱き合う二人。
うわー。これはまた。
青年は激高し、誰何の声を上げる。それはいっそ悲壮に聞こえた。
「ええ~? 誰って、わたしの夫ですけどぉ? 新婚さんでラブラブなんだよネー?」
「こらよせよ、こんなところで。ったく、こいつめ!」
などと人目も憚らずイチャイチャし始める二人。
ブルブルと震え始めた青年が、腰に佩いた得物の柄に手をやったのは、無意識だったのかもしれない。
しかしその瞬間。
一筋の雷が頭上から青年の体を貫いた。どう、と倒れ伏す青年。
魔法に続いて姿を現したのは、この街の衛士たちだ。青年は彼らに引きずられ、雑踏の向こうへと消えていった。
残された当事者――若い夫婦は「これで結婚式の費用が出せるね」とはしゃいでイチャイチャ。
街の人々は、「いやー久々だったな」「十分ももたんとは……」「賭けは俺の勝ちだろ、おい奢れよ」「ちぇっ分かったよ」などと、三々五々、好き勝手なことを言いながら散っていく。
こうして、奴隷都市マルサグロ名物、奴隷局の幕は閉じたのだった。
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「ただいまー」
「お帰りなさい、ハナさん。遅かったですね」
帰宅した私を迎えてくれたのは、銀髪に深い深い青い瞳のとんでもない美少女だった。
彼女の名はアセラ。私と同じ奴隷だ。彼女は私の先輩奴隷だが、だいぶ年下のため、言葉遣いは気にしなくていいと言ってくれている。そのこともあってか、彼女とは先輩後輩なく気安い関係だ。
「店出たとこで奴隷局にばったり遭遇してね。あれはたぶんクロミネ屋だと思う。
店の近くだったし、何よりあの後味の悪いやり口。相手は彷徨人だったけど、ちょっと酷いね」
私の言葉に、アセラは渋面を作った。彼女はクロミネ屋出身だ。
ここ、マルサグロは奴隷都市というだけあって、奴隷商は玉石混交、数多有り。その中でもクロミネ屋は、小さいながらも悪徳奴隷商として一部で有名だった。
クロミネ屋がカモにするのは、専ら私と同じ“彷徨人”……こことは違う世界の、日本から流されて来た人々だ。彼らは総じて界を渡る際に異能を発現しており、その特殊な力で一定の成功を収め小金持ちであることが多く、かつ年若く世間知らずで夢見がちだ。いいカモである。
店の名前からして、店主も“彷徨人”ではないかと思うけど、なんか恐いから確かめたことはない。
クロミネ屋のやり口は単純だ。隷属の首輪を嵌める前の奴隷を売りつけた後、奴隷の口撃で挑発させ相手が手を上げるように仕向ける。
この街では、奴隷に対する暴力、性行為、性的嫌がらせが発覚した場合、加害者の財産没収、主が加害者の場合は奴隷解放などの罰がある。没収された金品は、一部奴隷へ譲渡され、残りは街に還元される。
それを利用して、奴隷商と奴隷がグルになり鼻息の荒い若者から金品を巻き上げる、美人局ならぬ奴隷局は、この街の最もスタンダードな詐欺の一つだ。
まともな店では、奴隷に隷属の首輪を嵌め、店主を仮の主人として登録してから店頭に出す。そうでない店が悪徳業者なのはここの常識で、ある意味分り易い目印だ。街の住人はそういう店は利用しない。
そもそもこの街は奴隷都市という面ばかりが印象的だけれど、商人が作った商人の街だ。
騙す方は悪いけど、騙される方が馬鹿。
そういう考えが根底にあって、また引っかかるのが、街の住人ではなく外から来てすぐ去っていく来訪者ばかりというのもあって特に冷淡だ。
積極的な取り締まりがないのは、馬鹿から定期的にもたらされる金品が街の良い財源になっているからとかなんとか。
まあ財産没収くらいで済んでいるならまだ良い。彷徨人ならまた貯えることも可能だろう。だけど……。
たまにいるのだ。せっかく出られたくせに、わざわざ自分から牢の中に戻るような行為をする馬鹿が。
例えば、自分を騙した奴隷商へのお礼参りとか。そういった彼らが次に没収されるのは、財産ではない。
……身分だ。
つまり、今度は自分が奴隷になってしまう。そして奴隷の扱いに長けたこの街の人々は、稀な能力を持った奴隷を易々と解放したりはしないだろう。
「そう言えば、ご主人様はどこに?」
買い込んできた食料品を、魔道具である保管庫に仕舞いながら尋ねる。
アセラは買い物かごの中からナッツの袋を見つけ、嬉しそうに封を開けながら答えた。
「あの馬鹿なら部屋に籠もってまた何か作ってます」
彷徨人ではないけれど、悪徳奴隷商に騙されて二人もの奴隷を購入してしまった私たちのご主人様。
この街の常識に照らし合わせれば彼は、アセラの呼ぶ通り“馬鹿”なのかもしれない。
そもそも、アセラのようなティーンエイジャーな奴隷を買ってしまったという時点で、自分は馬鹿ですと周囲に喧伝しているようなものだ。
女奴隷で需要が高いのは二十代中盤から五十代。肝っ玉母さんタイプが好まれる。特に子育て経験者は人気で、子どもたちも全員巣立ち、さて第二の人生楽しもうとしたらうっかり奴隷になっちゃった、なんて奴隷は即売れ状態。
もちろん、そういう奴隷事情には理由があって、つまりは……
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朝。台所兼食堂で私とアセラが朝食の準備をしていると、目の下に隈を携えたご主人様がぬっと顔を出した。黄緑色の髪は櫛も通しておらずぼさぼさで、起き抜けなのが明らかなぼんやりした顔。細身なわけでは無いのに、何故かひょろりとした印象を拭えない長身の青年に向かって、私は笑顔で口を開いた。
「おっと朝からお元気ですなあおはこんばんちんこ! ガハハハハ!」
「なに朝からおっ勃ててんスかマジで死ねばいいのにマジ糞キメエ死ね」
女奴隷二人、それぞれの口から遠慮無く放たれた朝の挨拶に、私たちの“ご主人様”はうめき声を上げた。崩折れるかのようにふらふらと椅子に座る。
つまり、これである。
男性特有の朝の生理現象ひとつとってみても、女は年代によってこれだけ反応が違うのだ。
十代の女の子は特に潔癖だしね。
「もう嫌だ……毎朝毎朝ぼくはどうして自分の奴隷に罵倒されなきゃならないんだ……」
「だったらセッソーなく毎朝毎朝おっ勃ててんじゃねえよクソ短小野郎。テメエの存在自体が害悪なんだよ分かってんのかご主人様よぉ」
テーブルに肘をつき両手に顔を埋めたご主人様の嘆きは、間髪入れないアセラのツッコミに両断される。
「いやあ~今日も朝から清々しいまでの言葉責め! こんな美少女に罵って貰えるなんてご主人様ってばある意味垂涎もの~! ウヒャヒャヒャ!」
「びっ美少女じゃねーし! ナマ言ってんじゃねえ! ぶち殺すぞ!!」
「あれあれえ~? そんなこと言っちゃってえ、アセラちゃんってば顔が赤いですぞ~?? あ、照れてる? 照れてるんだ? カーワーイーイ~~!」
「うるせえ! 黙れ!!」
「黙れませんー! 隷属の首輪のせいで黙れませんんー! アセラちゃんってば自分も奴隷のくせにそぉんなことも忘れちゃったんでちゅか~??」
「テッメー!!」
銀髪青目の美少女は真っ赤になってナッツの袋を振り上げた。私はキャーキャー言いながら、彼女から逃げまわる。
「もう、ほんと……勘弁してくれ……!」
ご主人様を置き去りに、朝からどたばたと騒々しい奴隷たち。
私たちの毎日は、だいたいこんな感じで始まる。