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4 ある恋人達の暴論と嘘について

 本当にしばらくの間、リリアは口をきいてくれなかった。顔を合わせても無言。声をかけても一瞥をくれるのみ。連絡は全て書き置きで。何も知らず恋を後押しした自分にも非があると思うから、ジルはリリアに対して怒ることもできなかった。


 そうして数日を過ごした朝、リリアが言った。


「ジル、ずっと無視してごめんね」


 蒸らす時間を間違えた渋い紅茶が、天上の甘露に変わる。徹底的にへこんでいたジルには、リリアの一言がそれほどの喜びに感じられた。


「い、いや、ジルもリリアを傷つけた」

「ううん、ジルはいつだってわたしのこと心配してくれてるって、知ってるから」


 リリアは笑って首を振ると、ジルの分まで朝食の食器を片づけてからジルに新しい紅茶を入れてくれた。ジルよりもリリアの方が、紅茶も珈琲も入れるのが上手い。


「ね、ジル。今日はお昼、家にいる?」

「ああ、そうだな。いると思うが。どうした?」

「ううん、一緒にお昼ご飯食べられるかなって。最近、食べてなかったでしょ」


 朝食と夕食以外は、リリアは部屋に閉じこもっているか外出しているかで、2人はしばらく昼食を共にしていなかった。ますますジルの心は浮き立つ。

 やはり、リリアは聡明な娘だった。傷ついている心を隠している部分はあるだろうが、リリアは自分の中で一応の解決をみたのだろう。少し出かけてくると言うリリアを見送って、ジルは申し訳なさと安堵とが入り交じった気持ちで彼女の入れてくれた紅茶を味わった。


 確かにジルの思う通り、リリアは聡明だ。だがジルは、恋に初めて耽溺した者の驚異的な活力について、全く失念していた。

 つまりは恋する乙女の全力斜め上行動を。


「……」

「よいしょ、っと。ちょっとぉ、ジル邪魔よ」

「……」

「色々買ってきたの。ジル、今日のお昼は私が作るからね」

「……あの」

「……」

「といってもお腹空いてるし、すぐに作っちゃうから。おふたりとも、座って少し待っていてくださいね」

「……ええと」

「……」

「とりあえず、ニコラもジル殿も移動して座ってはいかがだろうか。いつまでも入り口を挟んで立っていられては、私も入れないのだが」


 ――――……………………リリア?


 全員の食事が終わるまで、ついにジルは一言も口をきかなかった。

 リリアはそんなジルなどまるで気にしない様子で、調理中も食事中もにこにこと客人に話しかけ、最大限に空気を読んでいるのかライモンドも時折興味深そうな視線をジルに向けながらも穏やかに相づちを打っていた。逆にニコラは無言のジルが気になって気になって仕方がないようでチラチラとジルを窺い続け、意を決したように話しかけようとしては絶妙なタイミングでリリアに会話をさらわれ続けた。


 小さなフルーツタルトを乗せた皿と紅茶を入れたカップを全員に給仕して、リリアはまた元のようにジルに隣の席に腰を下ろした。

 そして、ふう、と呆れたような息を吐き。


「で、ジル。いつまでそうやって、拗ねてるつもりなの」


 これにはジルも愕然とした。拗ねている、だと! 拗ねているのではなく、呆れと怒りで声もでないの間違いだろうが! とカッと隣のリリアを睨み付けたが、本人はまるでどこ吹く風で、リリアの向かいに座るニコラが代わりにびくりと肩を揺らした。


「リリア、お前」

「あああ、あの、ジルさん!」


 ジルが目を向けると、ニコラがぴしりと背筋を正した。はっきり言ってジルの今の眼差しも、出迎えの言葉さえなく食事中にも一切口をきかないという態度も不敬罪として十分成立するものである。いっそ罰するぞと言ってもらえた方が幾らか気分は楽なのに、ニコラにもライモンドにもさらさらそんなつもりはないようだ。それどころかニコラのジルを見る目は完全に、乗り越えるべき試練に挑むそれである。


「ジルさんが、リリアと僕のことを反対していることは聞きました」

「畏れ多くも妹とニコラ様では身分が違いすぎます」

「――それだけではないと、聞き及んでおります」


 ジルは息を呑んだ。咄嗟に目を向けたリリアは横顔を向けるばかりでこちらを見ない。


「リリアッ」

「マネステトラからの、亡命者だそうですね」


 ゆっくりと、ジルは再びニコラへと視線を戻す。

 ニコラの眼差しは真摯そのものだった。


「リリアから聞きました。あの戦争に従軍してらした方だと。戦火がかの国を舐め尽くす前に、リリアを連れて国を脱したのだと。……その、喉も、先の戦が原因だと」


 ジルは片手で喉元を撫でた。喉を晒す衣服を着なくなって久しい。ケロイド状の傷痕を隠すためだ。ほとんど潰れかけた喉はその機能をなんとか失わせずには済んだが、後遺症は確かに残した。大声を上げることは負担になるし、半ば潰れた声はひどく、低い。以来、扁平な体つきも相まってジルは性別を言い当てられることがなくなった。ジルとしては都合のいいことの方が多いので、今は自分でも意図して欺いているが、リリアはあまり気に入っていないらしい。先日路地でムッとしていたのも、ニコラがジルを即座に兄と誤解したからだろう。


 殊更間を取って、ジルは口を開く。

 リリアが何をどこまで語り、何を嘘としているのかがわからない以上慎重にならざるを得ない。


「だとしたら、どうなさいますか。まさか、皇子殿下ともあろう方が、妹との交際を認めねば投獄でもすると、取引をお求めになりますか」

「ジル!」

「黙れ、リリア」


 あまりの発言に流石に声をあげるリリアを、ジルは一言の元に黙らせる。

 その時、小さく声をたてて笑ったのはそれまで黙っていたライモンドだった。


「ジル殿は、本当にリリア殿のことが大切なのだね」

「……」

「先程から、わざと我々を怒らそうとしているだろう。不敬と言われるならそれでよし。不敬罪で投獄された者の親族と皇族が付き合うわけにはいかぬからな。心底、ニコラとリリア殿が切れればそれで後はどうでもいいと見える。――優しくて、心配性の、よい兄君だね。リリア殿」


 どちらかと言えば硬質な美貌を和らげて、ライモンドがリリアに微笑んだ。

 リリアの目がきらりと光ったように感じたのは、ジルの気のせいではあるまい。いきなり横合いからジルに飛びついて、ぎゅうぎゅうと首に腕を巻き付けた。


「馬鹿! ジルの馬鹿馬鹿馬鹿!! なんてこと考えてるの! 投獄だなんて、そんなの、そんなの絶対許さないんだから!! 早くちゃんと2人に謝って!!」


 兄を怒りながら心配する妹の素振りと見せかけて、ギリギリと気管と動脈を圧迫する腕の的確さはリリアの激しい怒りを表していた。リリアには、ライモンドの言うことが全くもってジルの本心を言い当てていることがよくわかったからだ。そこまで自分とニコラのことを許せないのか、ではなくて、自分のためと思えば処罰も投獄も厭わないというその有り様が何よりリリアの逆鱗に触れる。


「り、リリア、リリア、どうにも、ジルさんの入っちゃ駄目なところに腕が入っているみたいですよ。それじゃあ、謝ろうにも何も言えないと思うんです」


 謝る気もないがな。とすら言えずに、解放されたジルは咳き込んだ。早く謝れと視線で急かすリリアを睨み返すことで否の気持ちを伝えていると、ニコラがテーブルの向かいで半ば腰を浮かせておろおろしていた。


「あの、大丈夫ですから。おふたりとも落ち着いてください」

「ニコラ、お前も落ち着いて座りなさい」

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