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3 ある小さな恋の物語について

「リリア! お前、何を考えている!!」

「ジルが応援してくれた恋のことよ!」

「それは昨日までの話だ。今は応援していない!」

「自分の言ったことには責任持てっていっつも言う癖に!」

「自分の都合のいいように真実を歪めるなとも言っ……」


 ジルが咳き込んだ。今日は短時間で声を張り上げすぎた。喉が負担を訴えている。

 テーブルに片手をつき喉元に手をあてて咳を繰り返していると、リリアが籠城していた部屋の中から飛び出してきた。


「ジル! そんなにおっきな声だすからっ」

「誰の……、せいだと思っている」

「もうっ、座ってて! お茶入れてくるから!」


 ややして、リリアは乳と蜜をおとして味をまろくした紅茶のカップをふたつ持ってきて、それをジルの前と、その少し横に置いた。それからテーブルの向かい側から椅子を持ってきて、リリアは自分もジルの隣に座る。

 期せずしてお互いに冷静さを取り戻していたが、やがてリリアの方がぽつぽつと喋り始めた。


 リリアとニコラが初めて出会ったのも、あの店だったと言う。行列でリリアの前に並んでいたのがニコラだった。その時にはお互いひとりだったが、男性の一人客も珍しくはなかったからリリアもはじめは彼を気にしていなかった。


『ダブルクリームミックスフルーツチョコプティングデラックスで』


 その時初めて、リリアは目の前の男性客を認識した。と言っても、「同じ注文だ」程度のものだったのだが、彼の注文に対する店員の反応は聞き逃せなかった。


『おっ、チョコプティング終了だ。お客さんのでこれはラストですね!』

『えっ!!』


 すっかり口の中も頭の中も全身のモードが、ダブルクリームミックスフルーツチョコプティングデラックスになっていたリリアは、目前で好物を取り上げられたことに思わず声をあげてしまった。此方を見て目を丸くする青年と店員の顔に、リリアは自分がしでかしたことに気がついて、ハッと口元を覆う。顔が熱い。


『もうひとつ、別のものを追加注文してもいいですか』

『えっ?』


 くすっと笑ったニコラは店員に向き直ると、別商品を注文した。一瞬戸惑った店員は、しかし直ぐに察してにっこり頷き、手早くフルーツとクリームを巻き終えると2つの商品を彼に手渡した。

 両手にクレープを持ったニコラは、いまだ顔を赤くしたままのリリアを振り返ると、「はい」と笑顔で、ダブルクリームミックスフルーツチョコプティングデラックスを差し出した。



「……すまない。何度聞いても覚えられない。ダブ……、なに?」

「ダブルクリームミックスフルーツチョコプティングデラックス。生クリームとカスタードクリームをたっぷり絞った上に、イチゴ、バナナ、キウイとチョコプティングを乗せて、砕いたパイ生地とチョコソースをトッピングした、甘みと酸みとしっとり感とさくさく感が一体となって」

「わかったわかった。ジルが一生食べない食べ物だとよくわかった。名前を覚えることも諦めた。すなまい、続けてくれ」

「最高なのに……」



 ともかく、差し出されたものをリリアは咄嗟に受け取りはしたが、それがどういうことかを理解するのには僅かな時間を要した。気づいた時には青年は店の扉をくぐるところで、とりあえずまずは料金をと慌てれば店員に既に支払い済みですよと笑われた。

 短い呆然の後はラッキーだったという気持ちで胸一杯になってほくほくと店を出ると、丁度噴水の前辺りに先程の青年がいた。誰か別の男性と会話しながらクレープをぱくついているようである。

 あ、金持ちだ。というのがリリアの最初の感想だ。さっきは気にしていなかったが、こうして陽の元で改めて見るとよくわかった。仕立ての良い服を素直に着こなし、すっと背筋が伸びた立ち姿と、立ち食いしていてさえどこか品よく緩やかな所作は、間違いなく成金ではない方の金持ちか、貴族の持ち物である。この国では貧乏な貴族はいても、貴族でない金持ちはほとんどいないので、まあまず貴族子弟だろう。

 まじまじと観察しているリリアに初めに気づいたのは、青年と話していた男の方だった。続いて青年もリリアを見る。あ、と漏れた声が聞こえた気がした。

 リリアはにっこりと笑う。金持ちならばちゃんとお礼を言って挨拶しておこう。お知り合いになっては損もあろうが、得もあろう。小走りに2人に近づいて、そこでようやくリリアは自分にクレープをくれた青年の顔を、正面からちゃんと見た。


 ニコラが自分は子爵家の四男坊ニコールだと名乗り、一緒にいたライモンドを従兄のライだと紹介するのを前に、リリアは素早く頭を働かせた。2人ともが髪と瞳の色を変えているということはお忍びで間違いない。しかし顔がそっくりな人間を2人も前にして、本物と無関係な偶然と信じるのでは、馬鹿が過ぎて逆に疑わしい。

 だからリリアは、ひとりだけを知っていることにした。


『絵姿でお見かけしたことのある皇子様のお顔にそっくりに見えて、さっきちょっとびっくりしちゃいました』


 そう、ニコラの顔だけを熱心に見つめて笑ったのだ。

 ライモンドではなくニコラを選んだ理由は、彼がクレープを奢ってくれた人だからではなく、ニコラの方が明らかに誤魔化し易そうだったからである。



「それは……、誤魔化せたのか?」

「結局のところ、ライモンド様は誤魔化せてなかったみたい。ニコラ様は問題なかったわよ」

「リリア……お前、本当に……そんな……」

「彼の悪口言わないで」



 後日、何度目かの交際の後で自分の本当の素性をニコラが明かした際に、ライモンドからは実は初めからわかっていただろうと指摘されるのだが、この時は何も言わず黙ったままだったという。

 自己紹介の後はほとんど甘い物の話ばかりをしていたらしい。驚くほど2人は好みが合い、下心をさしおいても本当に楽しく充実した時間だったと聞いて、ジルはげんなりした。極度の甘党同士の会話など想像するだけで胸焼けがする。積極的に加わりこそしなかったが、ライモンドもずっとそばにいて平気な顔で会話を聞いていたということは、彼もまた彼女たちの同類なのだろう。


『誰かと、こんなにも甘い物の会話で盛り上がったのは初めてです。本当にありがとうございます、楽しかったです。――あの、貴方さえよければ、今度また僕と』


 興奮に頬を紅くした青年には、その時にはまだ無論恋の色はなかったようだ。言うまでもなくリリアの側にも。

 リリアはちょっと首を傾げてから、苦笑気味に相好を崩した。


『お約束は、できません』


 断られるとは予想していなかった様子のニコラに、リリアはやんわりと首を振る。


『貴族様とお約束なんて畏れ多いですし、それに、約束して会えなかったら淋しいから』

『そんなこと、貴族なんて関係ありませんよ。僕は約束は守ります』


 ニコラは憤慨した顔をした。ライモンドは興味深そうに成り行きを見守っているだけだ。

 リリアはよし、と内心頷く。少なくとも自分の今の発言は、ニコラの心の何かをひっかいた。女性をくどくのに慣れた軟派なお貴族様なら、こう言えば大抵甘い搦め手で返してくるものだが、ニコラはそういったことに物慣れていないという予想もついた。


『……では、ニコラ様。あの、構わなければ、ひとつだけ。わたしとお約束、してくださいますか?』

『ええ、もちろん。なんでしょう』

『わたしも今日はとっても楽しかったです。こんなに甘いものについて語り合える方がいたなんて』


 嘘ではなかった。ジルはあまり甘いものが得意ではないから、なかなか一緒に盛り上がれないのだ。



「いや、ジルも甘いものは好きだが……。お前はちょっと行き過ぎている。肥える……いたっ」



 だからリリアは本心から笑って言う。


『もし。もし、今日のようにまた甘いものがご縁でお会いすることができたら、その時はまた、こうして少しだけ、お話してくださいませんか?』


 これが、リリアとニコラの出会いだったという。

 その後、残念ながらひと月ほどは一切出会うことなく、一度出くわした時は片方が急いでいたため挨拶だけで会話にならず、ようやく2人が約束を果たしたのはふた月経とうかという頃だったらしい。そこからは、現在に至る。


「――すまない、リリア。お前のお眼鏡に適う甘いもの好きだった、という点以外、お前が今まで引っかけてきた男達と何が違うのか、ジルにはわからないのだが」


 ひと月もの間一切かすりもしなかったのは、リリアが細心の注意を払っていたからだろう。ようやく出会ったと思ったら片方が急いでいたというのも、急いでもいないのに急いでいたのはリリアに違いない。色々残念だったのは、リリアではなくニコラの方だっただろう。

 リリアが本当に恋に落ちたこと以外、全てジルには耳慣れた話である。


「ううー……。わたしにも、わからないの、ジル」


 ジルの肩口にぽすりと頭を乗せながら、リリアは小さく言った。

 わからないからこその、重傷だ。ジルは溜息と一緒に冷めた紅茶を啜る。


「リリア、彼は、いけない」

「……」

「わかっているだろう? わかっているから、ジルに黙っていたんだろう?」

「だけど、ジル……。ニコラ様は、とってもいいひとなの」

「お前が好きになったんだから、きっとそうだろうな」

「だって、初めてなの、ジル。この人が今生きて、ここにいてくれて嬉しいな、って思ったの。今までジル以外の人にそんなこと、一度だって思ったことなかったのに」

「リリア」

「……」


 リリアは黙り込む。黙ってぐりぐりと否やを訴えるようにジルの肩に頭を押しつける。

 かわいいかわいいリリアが折角育みかけた小さくも健全な恋情を、駄目にしてしまうクソは自分だったかとジルは自嘲する。だがそれでも、リリアが何よりも大切だからこそ、これは認められなかった。


「リリア、ニコラはオラソルドの皇子だ」

「わかってる」

「そしてリリア、お前はマネステトラの間諜だろう」


 オラソルドが隣国マネステトラとの終戦を迎えたのは5年ほど前になる。戦乱はマネステトラの完全なる敗北という形で幕を閉じた。城郭は崩され、王城も潰され、領土は全てオラソルドのものと化して、地図の上からマネステトラの名は消滅した。事実上の滅亡である。

 ジルは最も戦況が苛烈な時、既にリリアを伴いマネステトラを離れていた。オラソルド、マネステトラの両国が接する国グルネンタに、任務で派遣されていたのだ。リリアは間諜として、そしてジルは、暗殺者として。

 母国から帰還命令が出た時、既に戦況が絶望的であることをジルは悟っていた。だからジルはオラソルドに帰るふりをして、リリアと共に姿を消すことを選んだのだ。元より愛国心などなく、マネステトラに属するものでジルが愛着を持っていたのものは、我が身と我が武器とそしてリリアだけだった。

 そしてジルとリリアの予想通り、その後数ヶ月を待たずして戦況は決した。


「もう、なくなった国よ」

「だが、マネステトラの残党にとってジルたちは裏切り者だ」

「そんなやつら、怖くないわ」

「ニコラに知られることも、怖くない?」

「……」


 ジルは溜息をつく。恋で傷つくことも成長だとは思う。だが恋で、命が損なわれることがあってはならない。勝国の皇子と亡国の間諜では、誰も幸せになれない。


「諦めなさい、リリア」

「……」

「リリっ」


 語気を強めるジルを遮るようにして、リリアがカップをテーブルに叩き付けるように置いた。からん、とジルの空っぽのカップが転がる。

 驚くジルを尻目に、リリアは憤然として立ち上がると養い親をきつく睨み据えた。


「嫌よ! 絶対絶対絶対!! 絶対、諦めないんだから!! ジル言ったもの! これから、わたしも、ジルも、素直に生きていいんだって! 明るいところで、笑って、色んなことを諦めたりせずに、幸せに、……幸せになっていいんだって! ジルが、言ったもん!!」


 だから絶対に諦めないと叫んで、リリアは自分の部屋に駆け込んだ。

 荒々しく鍵をかける音がジルの耳に届く。取り残されたジルは、転がったカップもそのままにテーブルに両肘をついて頭を抱えた。


「言ったは、言ったが……」


 誰がこんな展開を予想できたというのか。仮にリリアが何の問題もない普通の娘だったしても、皇子相手の恋路などほとんど光明が見えない。もてあそばれて捨てられる憐れな娘になど、絶対にさせられない。

 いいや、とジルは首を横に振った。リリアは感情的だが、聡明な娘だ。時間を置けば徐々に自分の中で解決していくだろう。もしもう都に居続けるのが辛いというのならば、引っ越したって構わない。諦めきれない様子であっても、ジルが都を離れると言えばきっとついてくるだろう。

 しばらくは嫌われるだろう。口もきいてもらえないかもしれないと思うとひどく憂鬱だったが、だが、それがリリアのためだ。言った言葉に嘘はない。ジルはリリアに幸せになってほしい。だから、ニコラは駄目だ。

 リリアが消えた扉を一度見つめた後、ジルは溜息と共にカップを片づけ始めた。

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