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1 ある養い子の恋について

 どうやら養い子に懇意な間柄の異性ができたらしいと、ジルが気づいたのは最近のことである。薄々感づいてはいたが、夕食時、見慣れぬ髪留めを故意に甘ったるく褒めてみたところ、見事にドンピシャだったらしく顔が茹で上がったので確信した。見ていたのかと詰られたが、……ということは科白までがドンピシャだったというわけで、奇妙な震えを背筋に感じないでもない。「薄桃色の小花が、笑った時の君の頬と同じ色でかわいいね」などと、本当に言ったのか、その男。そんな男が趣味なのか、お前。

 こちらの沈黙をどのように解釈したのか、ジルの養い子たるリリアはシチューのニンジンにザクザクとフォークをつきたてていた。動作だけを見れば深い怨みを感じるが、ジルをちらちらと上目遣いに窺う目元の紅さから恥ずかしがっているだけだとわかる。滅多刺しにされているニンジンは、早くも原型を失っているが。


「……馬鹿にしてるんでしょ」

「……いや」

「じゃあ、なによ。言ってよ」

「……ただ、まさか、おま」

「言わないでよ!」


 グサァ! と100年の怨みを叩き付ける勢いでフォークがジャガイモに突き刺さった。ニンジンは最早シチューの藻屑である。リリアは両手で顔を覆うと首を左右にうち振った。揺れる髪の合間から覗く耳は先まで真っ赤で、おお、とジルは内心驚嘆する。どうやら、本当に、好きらしい。

 これまでもリリアが恋人を作ったことは何度もあるが、こんな反応を見るのは随分久しぶりである。小柄で幼い顔立ちのリリアは自分の容貌の利点を十分に理解していて、しかしそれを理解し利用する術にも長けているがゆえに、自分に夢中になる男たちに対してどこか冷めている風があった。だがこの目の前の反応は、明らかに彼女の方こそ恋をしている。


 黙考を重ねるジルと、照れ悶えるリリアと。先に沈黙に耐えられなくなったのはリリアの方で、やがて両手で顔を覆い隠したままぼそぼそと喋り始めた。と言っても、普段の快闊な喋りとは比べものにならないほど要領を得ず、「言うことが妙に気障ったらしい」とか「見た目もタイプじゃない」とか「夢見がちなお坊ちゃん」とか、一生懸命何かに言い訳しているかのような言葉を纏めると、結局は「どうして好きなのかわからないけど……好き」に集約された。途中から自分の科白に耐えられなくなったのか、リリアは片手で顔を覆ったままフォークを握り直し、具材の殲滅作戦に再度乗り出していた。結果、歯の使用を一切必要としない茶色のドロドロが現在彼女の皿には満たされている。


 言葉を終えて、最後にリリアの唇から、憂鬱で、重たく、しかし甘やかな熱を孕んだ溜息が吐き出されるのを待った後、ジルは言った。


「でも、好きなんだろう?」


 たっぷり間を置いた後、「うん」とリリアは頷いた。その頷き方には、困惑と悔しさが混ざり込んでいて、よいことだとジルは思う。

 恋は溺れるのもよくないが、溺れた経験がないこともまた危ない。リリアは溺れさせることだけに随分先に慣れてしまって、だから彼女自身が思っているほど“こころ”の経験値は高くない。だから、うまくいっても、いかなくても、これはきっとよいことだ。


「なら、それでいいじゃないか。なあ、リリア。ジルが言えたことではないが、恋はいいものさ。もっと楽しめ。リリアがそんな風になるなんて、珍しいことだ」


 くく、とジルが低く喉を鳴らすと、リリアは目元を紅く染めたままジルを睨む。睨みながら、うう、と唸って、突き刺すものがなくなったシチューをぐるりと掻き混ぜた。


「いいのかなぁ……」


 ちらちらとジルを見ながら、リリアは悩ましげだ。

 思い切りのいい彼女にしては本当に珍しいと、その様子を微笑ましく見つめて、ジルは「いいのだとも」と頷く。聞いた限りでは、少々臭い科白が気になりはするが、相手は穏やかで優しい好青年のようだ。どうやら雰囲気から察するに金持ちか貴族のようだが、容易に知り合える程度と言えば仮に貴族だとしても、良くも悪くもさして問題はないだろう。


 その晩、ジルはリリアと長い時間語り合い、なぜか妙にジルの反応を気にするリリアを宥め、励まし、彼女の背を押し尽くしたのだった。





「いけません!!」

「昨日と言ってること違う!」

「昨日は昨日! 今日は今日! いけません!! 絶対!!」

「なんで!!」

「どう考えても、駄目だからだ!!」


 路地裏である。

 ジルとリリアは言い争っていた。もちろん小声で。



 事の発端は今朝のことだ。ジルが朝食を用意していると、リリアが慌てた様子で起床してきた。


「どうして起こしてくれなかったのっ」

「? 今日は何かあったのか」


 リリアがしまったという顔をして、ジルはすぐさま事情を察した。にやにやと自分の唇がゆるむのがわかり、リリアの視線が厳しくなるのを感じる。


「そうかそうか、デートだったか。教えてくれていたら、起こしてやったものを」

「うううっ、がんばれって言ったのはジルなんだからねっ。――がんばってくるから、来ないでよ! 保護者同伴なんて冗談じゃない!」


 絶対、来ないでよ! と勇ましく叫んで、時計を見てもう一度叫んで、慌てて家を飛び出していったリリアを見送り、ジルはゆるゆると首を横に振った。


「そんな風に言われたら、リリア」


 もう、覗きに行くしかないだろう。


 ジルをよく知るからこそリリアは懸命に釘を刺したが、逆効果だった。しかし仮にリリアが何も言わなかったとしても、ジルの行動は変わらなかったに違いない。

 朝食を終え、食器を片づけ、ベランダの植物に水をやってから、ジルものんびりと外出した。行き先などもちろん知らないが、デートというなら、リリアの好みそうな場所を回っていればどこかで行き会うだろう。


 ―――という、予想通り。

 ジルがリリアを見つけたのは、街中の小さな噴水広場だった。こじんまりとした噴水と、小さなベンチがいくつかあるだけのそこは、ちょっとした散歩途中の休憩場といった装いだが、最近そばにできた菓子専門店がたいそう人気であることはジルも知っていた。練った小麦粉を薄く焼いたもので果物やクリームを包んだ異国伝来のパンケーキは、購入してすぐに外でも食べられる手軽さから若い子女を中心に人気を呼んでいるらしい。


 弁明しておくが、何もジルはリリアに恋人ができるたびにストーキングしているわけではない。どちらかと言えば、放任タイプだと自覚している。しかし今回は例外だ。

 あの勝ち気なリリアが、本当に恋に落ちた相手とはいかほどのものか。気になるではないか。自分も男も利用するのが得意だと自認しているあのリリアが、恋する男の前ではどんな風に振る舞っているのか。気になる。気になって仕方がない。興味津々だ。

 こんな好奇心にまみれた気持ちが、養い親としての範疇からは逸脱していると言われればそれまでだが、しかし、もし、リリアが騙されていたらどうするのか! かわいいかわいいリリアが折角育みかけた、小さくも健全な恋情をもてあそぶようなクソが相手だった場合、ジルとしてもしかるべき手段を取らねばならない。だからジルがちょっとした、そう、ちょっとした好奇心に今回に限って負けてしまったのは、まったく仕方のないことなのである。


 果たして、菓子店から出てきたリリアの傍らには男がひとり付き添っていた。互いの手のクレープを見せ合いながら、噴水脇のベンチに並んで腰を下ろす。終始楽しげに笑っているリリアの様子は、遠目にもジルに養い子の輝く恋についての実感を与えた。淡く色づく頬は化粧のせいだけではないし、きらきらと瞳が瞬いているのは太陽のせいだけではないのだろう。

 そして、リリアを見下ろす隣の男の気配もまた、彼女と同じ輝きに満たされていた。自分よりも小柄なリリアに耳を寄せて話を聞き、肩を触れあわせてはくすくすと笑い合う。妙齢の男女のカップルというには色のない、しかしその代わりにお互いに共に過ごせることが楽しくて嬉しくてたまらないという、初心な恋人同士の気配を如実にまとった二人を見て、――ジルは顎を落とした。


 お互いに照れ照れ恥じらいながらクレープを食べさせあいっこしている2人に、背中が痒くなったからではない。ジルはそういった方面には頓着ない方である。むしろリリアこそ苦手としていたはずだが、どうやら趣旨替えしたらしい。たいそう幸せそうにきゃっきゃしている。

 いや、今は関係ない。

 愕然としたまま、ジルは呟く。


「おい、お前。それは……」


 いくらなんでも、ないだろう。


 かくて、男が再び店内に消えた隙を見計らって建物の陰から姿を現したジルを見て、慌てて駆け寄ってきたリリアを路地に引きずり込む展開と、相成ったわけである。

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