第二十二話 敵のプレスに対抗しよう
日本ボールから始まった試合は、当初から中国の激しいプレスにさらされた。まずはファーストタッチで一旦ボールを中盤に下げてもらうと、そこへ向けて怒涛のように中国の選手が駆け寄ってきたのだ。
なんだこりゃと、慌ててさらにボールを後ろに下げる。
アンカー役をこなすMFは地味だけど、こんな緊急避難のパスはしっかりと受け取ってミスなく真田キャプテンへボールを回してくれる。本当に助かってます。
しばらく相手のプレスに晒されて判った。こいつらはボールがどこにあっても関係なくプレッシャーを与えてくる。普通の「ボール狩り」では相手がこのラインを越えてきたらみんなでマークに行くというラインをピッチ上に設定するのだが、今回はボールを最終ラインどころかキーパーにバックパスしても変わらず走って奪い取りにくる。スタミナとかペース配分を全く無視した戦術だ。
おそらくは中国代表は相当の覚悟でこの試合に臨んでいるのだろう。少なくとも得点をするまではこのハイペースなプレスを継続するつもりのようだ。
俺が密着された一人のマークを外してボールを受けとっても、すぐに他の相手がフォローに来るので前へ進むための充分な時間は与えられなかった。
舌打ちして、ならばと敵のプレッシャーに負けたように背を向ける。すると好機と見たのか他の中国選手も俺からボールを奪おうとして集まってきた。俺の体格が小さいためにパワー勝負になれば簡単にボールを取れると思っているのだろう。
そこで敵陣には背を向けた格好のままヒールキックでマークしている相手の股を抜いて山下先輩へとパスを通す。
相手のマークが俺へと集中しかけていたタイミングでの前線へのパスだ。パスの出し手が自陣を向いた状態からのヒールで、しかも相手DFの股を抜いたボールである。普通ならば通るかどうかは怪しいが、先輩もこれまでの俺の反転してからのヒールでのプレイによく馴染んでいるから、俺が背中を見せた時点で自分がノーマークになるように動いてくれていた。それを鳥の目で確認してからのパスである。
ここまで息が合ったコンビネーションはいくら俺でも他のメンバーとはこなせない。山下先輩との長年チームメイトだった関係ならではの以心伝心のプレイだ。
中国の激しいプレスに押され気味だった状況から、一転してチャンスになった日本の観客席から声援が届く。
ここで先制点を取れれば、この後の試合展開がぐっと楽になる。頼む、なんとか決めてくれ。俺は今はちょっと敵に囲まれたままで身動きがとれないんだ。もう少ししたらフォローに行くが、できればそれまでの中国側の守備が整わない内に点を取って欲しい。
そんな期待を背負って山下先輩が敵のゴールへ向かう。
中国は前からどんどんプレスをかけてきたと言えば聞こえは良いが、それは最終ラインが薄くなっていることも意味している。今の状況にしても攻めている日本の方は四人で中国側のDFも四人と人数は互角でしかない。そして数が互角ならば守っている方が圧倒的に不利となる。攻撃側の内一人でもマークについた相手との駆け引きに勝つとノーマークな選手が生まれ、得点チャンスが生まれるからだ。
会場中が固唾を飲み見守っている前で、山下先輩はドリブル突破を選択した。
試合開始直後だけにフェイントの切れ味は鋭くステップは軽い。その足取りに幻惑されたかのように一瞬動きの止まったDFを置き去りに、山下先輩はフォローしにきた相手も抜き去ると素早くシュートする。
敵の大柄なキーパーの反応も速い。DFが振り切られたと見るや、ゴールを狙うコースを切るように自身のポジションを前よりに変えて、近距離からのシュートに対しても体を投げ出しながら長い手を伸ばして何とかパンチングでそのシュートを防ぐ。
だが、弾いた場所が俺達にとってはラッキーだった。ゴール前に詰めていた日本代表の一人、その中で唯一DFのはずの島津がなぜか一番前に陣取っていて、スライディングしながらこぼれ球を押し込んだのだ。
試合開始からまだ五分しか経過していない。そしてDFのくせにFWより前へ出る島津は中国ディフェンスもまだ把握しにくくてマークしきれなかったのかもしれない。
とにかく島津の代表初ゴールに俺達イレブンはピッチで、サポーターは観客席で爆発した。
スタメンの全員が集まって島津の背中をバシバシと叩き、短い髪の毛をクシャクシャにする。島津もこれまでさんざんシュートは撃っていても入らなかったゴール欠乏症から解放されたのが嬉しいのか、ピッチの上で仁王立ちしては目を細めて俺達にされるがままだった。
一通り手荒い祝福が済むとちらりと青いタオルなどが振り回しているサポーターの方へ顔を向け、遠目では判らない程度に微笑むとぺこりと小さく一礼する。あまり表情を変えないポーカーフェイスの島津だが、耳が赤くなっている所からすると照れているのかな。
そういえば島津は九州から招集されているから、家族なんかは試合会場までは応援に来れないと聞いたな。きっとゴールする事で遠くの家族に自分の活躍を知らせているんだろう。……ちょっと感動的な話ではある。いや、それでもこいつがDFにしては上がりすぎだという見解は変わる事はないのだが。
とにかく幸先の良い先制点が手に入った。
これで今日の試合の主導権も握ったな。ホームで先に点を取ったんだ、油断をするつもりはないが余裕を持ってプレイができる。
ほくほく顔の俺たち日本チームとは対照的に、中国チームの表情は硬い。試合の初っぱなから勝負をかけたハードなプレスをかけてきたのに、それが裏目に出て俺達ホームチームに先制点を与えてしまった。相手のゲームプランは修正を余儀なくされることだろう。
実際中国のベンチからは監督とおそらくはコーチと思われる人物達が怒鳴るような大声でさかんに指示を出している。
中国語なので当然何を言っているのかは判らないが、指示の内容は推測できる。たぶんもっとプレスを厳しくするようにと、上がってくるサイドバックの島津にマークをつけろってぐらいだろうな。
審判からの「再開するぞ」との声に従って俺達は日本の陣地に戻る。
足取りも軽く、観客席へ手を振りながら自分のポジションへと帰る浮ついた奴もいる。先に点を取ってリラックスできたのはいいが、ここからが本当の勝負所かもしれないのに緊張感が薄れるのはまずい。
攻撃的な相手が失点したのだ、それを取り返そうとさらにプレッシャーを強めてくるだろう。しかし、いくらなんでもあそこまでよく走るプレスが長続きするとは思えない。しばらく時間がたてば中国チームもペースを落とさざる得ないはずである。そうなると体力の消費量と得点している分日本がぐっと有利になる。だから、そこまでの時間帯を俺達が失点せずに耐えきれるかがポイントだ。
「みんな気を抜かないでください! ここからが本当の勝負です!」
俺が叫ぶと、日本のベンチからも声が飛ぶ。
「そ、そうだ。俺が言おうとした台詞を取られた気がするが、アシカの言うとおりだ。一点取ったのは忘れて今からが本当の試合開始だと思って気合いを入れろ!」
そんな監督の檄に全員が「はい!」と声を揃える。真田キャプテンも「よし、もう一度マークする相手を確認しておこうか」とDFに呼びかけている。
うん、今の日本チームには慢心という言葉は縁がない。その姿をセンターサークルにボールをセットした中国チームのFW達が忌々しそうに見つめている。特に楊の目つきは怖い。こいつ本当に十五歳かよと尋ねたくなるぐらいの貫禄である。うん、こいつはやっぱり要注意だな。
俺達が気を引き締めなおした後、審判が試合再開の笛を吹く。
さあ、レベルの高く緊張感のあるサッカーの続きを楽しもうじゃないか。
失点後の中国の攻め方はより一層シンプルで判りやすくなった。攻め手は単純なサイドからのクロス攻撃だけに絞られているのだが、だからといって警戒しないわけにはいかない。特にそのクロスからのフィニッシュが長身FWである楊のヘディングに合わせられている場合は。
サッカーでは総合力より一点特化が優れていると見なされる場合も多い。特にそれが攻撃に関しては顕著である。どれか一つだけでも人並み外れたものがあればそれで得点ができるからだ。DFを振り切るスピード、相手を寄せ付けないパワー、敵を幻惑するテクニック。そして今相対している楊のように守備している相手より抜きんでる身長による制空権などだ。
俗に言う判っていても止められないという奴である。
――だからって無抵抗で白旗を上げる訳にはいかないよな。
楊をゴール前で決してフリーにしないようにうちで一番競り合いに強いDFの武田がマンマークでくっついている。さらにセンタリングが上がりそうになれば、真田キャプテンもその援護として楊を挟みこむようにしてフォローし空中でも自由にさせない様にしている。
飛び抜けた個人を技術と連携でここまでは抑えきっているのだ。このまま最後まで守り切ってくれよ、俺達攻撃する方は何とか追加点を奪ってくるから。
中国の猛攻に先制点を取ってからしばらく日本は押されていた。向こうは最終ラインを上げて、しかも前線から激しくプレスをかけてくる「攻撃的な守備」をしてきている。体力は消耗するはずだが、これをやられるとさすがにちょっと攻めにくい。
下手なパスや不用意なドリブルは全て敵にカットされて、高い位置からこちらのゴールへ短距離でかつ短い時間で到達するショートカウンターを喰らう事になってしまう。それを避けようとロングボールで前線につなごうにも、中国は最終ラインを上げているためにオフサイドにかかる率も高い。
ホームで先制点を取ったのに、なんでこんな追い込まれた形になってるんだろうな? くそ、これだから高いレベルでの戦いってのは楽しいんだ。
厳しい状況にも関わらず、その厳しさを味わえる所にまで自分が上がって来た事に俺は喜びを隠せなかった。




