第二十話 ドン・ロドリゲスの消滅
「皆、昨日のヨルダン戦はご苦労だったな。前半はどうなるかとはらはらしたが、四対一なら文句なしだ。もう一つ知らせておくと、同じく昨日やっていた中国対サウジは二対一でサウジが勝っていた。だから、うちのグループリーグでは日本が得失点差で暫定一位ってことになるぞ」
俺達代表メンバーに昨日集まってきたニュースを報告する監督は満足そうだ。自分の指揮したチームが初勝利した翌日だ、機嫌を悪くしようもないか。しかも暫定とはいえグループ一位なのだ、ここまでは申し分のない結果である。
インターネットですでにグループリーグの情報を得ている人間もいただろうが、それでも代表のメンバーからは「やりぃ」との喜びの声がそこかしこから洩れている。
「とりあえず今後のスケジュールを確認しておくが、次はホームでの中国戦だ。そしてアウェーの三連戦サウジ・ヨルダン・中国で最終戦がまたホームに戻ってのサウジとなる。できれば最終戦前に一位を確定しておいて、凱旋気分でゆとりを持って最終のサウジはやりたいもんだな。ま、連戦が続くんだ体のケアには気を使っておけよ」
山形監督がまだ初戦を終えたばかりなのに捕らぬ狸の皮算用をしているが、そう上手くいくのだろうか。俺もその気があるから強くは言えないが、ヨルダン戦の前もこの監督は「楽勝だ」って断言していたよな。国際試合で楽観は禁物だと思い知らされたはずなのだが……。それとも選手のプレッシャーを和らげるつもりなのかな? うん、その方がありえそうだ。俺も国外でのアウェー戦は初めてでどんなものかと緊張してしまっているからな。他の選手も目の届く範囲では笑顔が浮かび、無駄な力みがなくなった様子だ。
さすがに監督が予選の初戦を終えたばかりのこの段階で油断をするはずはないか。そう判断した俺の耳に、監督の話の続きが入る。
「では、次にもう予選が終わって世界大会への出場が決まった国も一応紹介しておくか」
「え? 俺達はまだ予選なのに、もう決定しているとこもあるんですか?」
「ああ、なんだか国内リーグや気候の影響でな。早めに中南米は予選をやっていたんだ。そこがもう最終戦を済ませている」
へえ、予選というから一斉にやるのかと思ったが、よく考えればワールドカップなんかも出場国が決まる時期は結構まちまちだったよなと納得する。
「で、そこから勝ち上がってきたのが三カ国、どれもお馴染みの強豪国ばかりだな。まずはブラジル。サッカー王国の名に恥じない強い勝ち方で全勝して突破してきた。このチームには一時期日本代表にも所属していたカルロスがいるのはお前らも知っているよな? あいつはブラジルでも頑張っていて、向こうの代表でも十番を任されているそうだぞ」
おお、あいつ元気でやっているんだな。そう言いたげな表情が俺を含めたメンバーの顔に浮かぶ。反応がないのはおそらく直接の面識がない上杉や島津に明智といった所だけか。他の――特に前監督時代からのメンバーは皆どこか懐かしそうだ。
「もちろんタレントの宝庫らしくカルロス以外のプレイヤーも人材が豊富だ。正直ブラジル以外のどこの国でもこの大会に出てくるクラスのメンバーだな。カルロスと南米予選で得点王を分け合ったFWもいれば島津並の攻撃的サイドバックも存在する。ついでにDFの統率はすでにイギリスのプレミアリーグに移籍がまとまっている選手だぞ。どのポジションでも粒が揃った近年最強の年代だそうだ。こいつらに勝つにはかなり気合いを入れなければいけないな」
監督の口からでる情報に徐々に室内には沈黙が広がっていく。同年代なのにすでに世界から注目どころか移籍交渉が始まっているプレイヤー達にちょっと退いてしまったのだ。
そんな雰囲気を察して俺がフォローしようとする。
「あ、でもそのブラジルでカルロスが十番になったなら、何とかなるんじゃないですか? ほらあいつは日本でも十番だったし、そう考えるとあまり日本とブラジルも変わりはないって事なんじゃないですか」
俺の言葉にはあまりはかばかしい反応は返ってこなかった。真田キャプテンなんかは「そうだといいけどね」と苦笑している。
微妙になった空気を入れ換えるように咳払いをして監督がまた注目を集める。
「他にもブラジルと並ぶ南米の雄アルゼンチンも当然のように上がってきている。タンゴのリズムに乗ったパスサッカーと闘牛のような荒々しさを兼ね備えた……というのが向こうでの宣伝文句だそうだ。ま、実際にブラジル同様ここも無敗でグループリーグを突破している。優勝候補の一角であるのは間違いないな……と、またなんだよアシカ?」
手を挙げた俺を指名する。この監督はじっと話を聞けというタイプではないので、説明の最中でも色々質問されるのを嬉しがるのだ。疑問が湧くのは集中して聞いている証拠だと思っているんだろうな。
「ブラジルもアルゼンチンも無敗って事はその二国は当たらなかったんですか?」
「ああ、違うグループだったからな。南米予選は二つのグループに分けられて一つはブラジル、もう一つはアルゼンチンと首位を取り合ったみたいだ。そして後一ヶ国、得失点差で拾われたのがアルゼンチンと同じグループだったコロンビアだ。ブラジルは全勝で終えたが、アルゼンチンは予選で唯一ホームでもアウェーでもコロンビアに引き分けられた、それがコロンビアが三位を決定する混戦を抜け出す決め手になったようだな」
「へえ、なるほど」
答える俺の言葉には緊張感がなかったのかもしれない。山形監督が僅かに髭面を厳しくした。
「南米三位通過とはいえコロンビアは決して弱くない。キーパーを中心に安定した守りとヨーロッパのクラブチームからも注目されているエースストライカーのロドリゲスのカウンター攻撃は強力だ。日本と当たる事になったらヨルダンの比ではない鋭さの攻撃を覚悟しなければいけないだろうな」
「……ロドリゲス?」
全員の目が一人の少年に注がれる。監督はプルプルと手を振って「あーうちのロドリゲスじゃないし、親戚でもない……はずだ」と否定する。
それに「当然ですよ、僕は日本人です!」と立ち上がる真田キャプテン。監督も頷いて「無関係だそうだぞ。まあ万が一マッチアップする場面があったら、どっちが本物のロドリゲスか決定戦をすればいい」「それ、一対一で勝つと僕の名前がロドリゲスに確定するんですか!? だったらそいつを止めるどころか応援しますよ!」と騒がしい。
さすがに、監督も悪かったと感じたのか言い直す。
「じゃあ、もしコロンビアのロドリゲスと当たったら、マークするのはこっちはキャプテンのロドリゲスじゃなくて別の……ああ、ややこしい! もうこれからキャプテンはロドリゲスと呼ぶんじゃない! 真田キャプテンだ、いいな!」
「はい!」
その声を受けて真田キャプテンはなぜか一人地面に跪き「やっと解放された、ありがとう遠いコロンビアの地にいるロドリゲスよ……」と感謝の祈りを捧げていた。
その姿に感銘を受けたのか、明智がそろそろと近づいて「あのちょっといいっすか?」と声をかける。
「こほん。うむ、ちょっとみっともない姿を見せてしまったな。なんだ明智?」
「もしかしてロドリゲスって名前嫌だったんっすか?」
「お前だったら嬉しいのか!?」
「え? 格好いいじゃないっすか! しかもより一層強そうにするために「ドン」とまで付けて、ドン・ロドリゲス。これなら海賊とか山賊の一味を率いていても違和感がないぐらい強そうっすよ」
明智の言葉に近くにいたメンバーは大きく頷く。特に格闘に造詣の深い二人は同感だったようだ。
「ああ、ワイもロドリゲスって聞くと、いったいどの階級のチャンピオンかと思うたわ」
「俺もそうだな。中南米辺りのパワフルなファイターを連想させる良い名だ」
力説する明智とそれに同意する上杉と武田に対し、毒気を抜かれたような表情で「まあ、あだ名をつけた明智が悪気がなかったのは判ったよ」とかつてロドリゲスと呼ばれていた少年は肩をすくめる。そんな脱力した表情の真田キャプテンに明智が「いえ済まなかったっす……」と頭を下げる。
「ご迷惑だったなら謝罪するっす。良かれと思ったんすが申し訳なかったっすね。もし腹立ちが収まらないなら、最悪の場合は土下座して辞世の句を詠んで切腹して果てるのも覚悟の上っすけど」
「いや、さすがにそこまでは……」
あまりに真剣に謝ってくる明智に、かえって頭を下げられている真田キャプテンの方が押され気味だ。
「そうっすか? 昔に悪いことをしたら許してくれるまで謝りなさいとこっぴどく親に怒られたんすよ。その時にたくさんの謝罪行脚をした影響で僕の謝り方が大仰になっているかもしれないっすけど、悪気は無かったんで許してもらえると有り難いっす」
「……あー、もう明智は他人にあだ名をつけないと約束してくれれば水に流そうか。お前はネーミングセンスが無いようだからな。後はプレイで返してくれ。同じチームメイトなんだ、しこりを残しても嫌だしな」
明智が「了解っす、これまで以上に死力を尽くすっす」と応えて和解が成立し、お互いに手を取り合った時に聞き覚えのある咳払いが背後から届いた。今感動的な場面なのに、空気を読まない奴だなぁ。振り返るとそこには困惑した表情の山形監督が。
「その、ミーティングを続けていいのかね?」
――仮にも日本代表を名乗るチームがこんなにドタバタしていていいのだろうか? いやチームの仲が良くなったとか、結束が深まったとか言い換えれば良い話になるんだけどね。
そんな風にしてその日のミーティングはぐだぐだのまま終わってしまうのだった。
結局今日監督から聞かされたので役に立ちそうなのって、キャプテンをロドリゲスではなく真田と呼ぶようにと決めたぐらいだったな。
 




