第十一話 全部なかったことにしてしまおう
試合再開のキックオフをする相手側のチームの顔色は悪く、表情は強ばっている。
こんな急造チームに苦戦するとは思わなかったのかもしれない。大方彼らは完勝して俺達新加入組の高い鼻をへし折り、山形監督に自分達の有能さをアピールするつもりだったのだろう。
だがこうなっては彼らの目論見は失敗したと言わざるえない。いくらこっちが超攻撃的なチームにしたとはいえ、試合展開は俺達赤組が狙っている通りの点の取り合いの様相を呈しているのだ。しかも俺達のチームワークや連携は、前半はともかく後半に入ってからは時間経過と共に徐々に高まっていっている。これでは旧チームの復権は難しい。
それを理解しているのだろう、残り十分を切った試合時間にセンターラインを挟んだ向こう側から焦燥の念が届いて来そうだ。
だからといって俺達赤組が遠慮する必要はない。全力で戦い、叩き潰すのみ。たぶん俺以外のチームメイトもそう考えているはずだ。
焦りからかさっきまでのようにサイドから崩そうともせず、ロングボールをいきなりこっちのゴール前に放り込んでくる。だが、さすがにそんな単純な攻撃では仮にもこれまでの代表を守ってきた守備陣は破れない。ボールの軌跡とDF陣を観察してこれは心配ないと判断する。この時点から俺の行動はこぼれ球を拾う為の空いたスペースのフォローから、フリーでボールを受ける為のポジション取りへと変化した。
うん、期待通りにDF達はきっちりと相手FWを抑え込んで、キーパーに不要なプレッシャーを与える事なくしっかりとボールをキャッチさせる。いいぞ、ドン・キャプテン・ロドリゲス。後半はちゃんとDF達をまとめているじゃないか。
そしてボールを両手に抱え込んで着地したキーパーと俺の視線が重なった。
すぐさま俺に投げられたボールをトラップしながらついにへらと表情が緩む。パスを受けるまでに敵のマークが甘い地点にまで移動していたのが良かったのか、反転してゴール方向を向いてもすぐ近くには敵はいない。
うん、やっぱりいいな。緩む口元を隠す気もなくなるぐらいに胸が湧き立つ。前半はパスを散らしてばかりだったからさっきの山下先輩へのアシストとか、今のドリブルで持ち上がっていく状況とか自分の足元にボールがあるのが凄く楽しい。
おっと、そのお楽しみを邪魔する相手が現れちゃったな。目の前に立ちはだかる敵のボランチに対し、瞬時に幾つかの取るべきルートが頭の中に浮かぶ。
安全性を求めるだけなら、左後方にいる明智に戻して改めて攻撃を組み立て直すべきだ。一番ゴールに近いパスを選択するならDFに囲まれているが、常に敵にとって危険な場所にしかいない上杉に渡すのがいい。サイドから崩したいなら猛烈なダッシュで駆け上がってくる島津の前のスペースに出す一手だ。コンビネーションでつなぐなら山下先輩へとアイコンタクトをとるべきだろう。
だが、今回の俺の選択肢はどれでもなかった。カウンターで敵の枚数が揃っていない今だからこそ、マークしに来た相手は無理をしてこない。攻撃を遅らせようとして自分がボールを取りには来ずに、DFが整うまでの時間稼ぎを狙っているのだ。
その思惑に俺も乗ってやる必要はない。この試合ではバランサーとして封印していた個人技によるドリブル突破を解除する。
敵のボランチは明らかに不意を突かれたようだった。腰は引け気味で重心は後ろでじりじりと下がっている姿勢からはボールを奪ってやろうという積極的な気概は感じられなかったからな。
すっと顔を上げて自然な仕草で右サイドにいる島津へ視線を送る。反射的に右に体重をかけた相手にこちらも右足のアウトサイドでボールを押し出す。跨いだんじゃなくてボールも動いたと判断した敵ボランチがその動きに反応した瞬間、俺の体は敵の左へと抜け出していた。右足のアウトサイドで触れたボールを一挙動でインサイドで切り返してボールの動きを鋭角に変化させるエラシコというフェイントが見事に決まり、相手は慌てて俺に追いすがろうと無理をしたのかバランスを崩し尻餅をつく。
邪魔者を振り切った俺は前傾姿勢になりさらにスピードをあげる。これで後ろにいた奴らは追いつけないだろう。ここからは鳥の目で確認するまでもなく、前方の敵に対処していけばいい。
俺を止めようとする者がいない事に気が付いたDFが、ダブルチームで張り付いていた上杉から離れてこっちにむかって来ようとする。
するとそれに併走するようになぜか上杉までそいつにくっついてくる。思わず足を止める敵DFをそのままぐるりと回るような格好で向きを変えると今度はゴールに対して走り出す。
言葉にするとまったく意味不明な行動のようだが、彼のそのよく判らない動きに対して残って上杉をマークしているはずの相手はついていけなかった。特に俺へとヘルプに行こうとしたDFが壁になってしまって、上杉の縦へのダッシュを防げない。
これなら通る。
そう確信した俺は上杉の前二メートルの地点にグラウンダーのパスを出す。これから彼が踏み出す三歩目の右足でダイレクトにシュートを撃つのをイメージしたボールである。
だが想像の中の動きと現実とがシンクロしていたのは二歩目までだった。上杉は三歩目を踏み出せずつんのめってしまったのだ。
芝に足を取られたのか? いや敵DFのあからさまなファールだ。フリーでシュートを撃たれるよりはとPKを取られるペナルティエリアに入る直前にボールではなく足をめがけて引っかけやがった。舌打ちして、唾を吐きたい衝動に駆られる。俺はこういう狡賢いと言われるプレイが大嫌いなんだよな。
だが抗議するよりも、今はまず上杉が大丈夫かどうかだ。慌てて上杉の様子を確認するが、蹴られたのではなく足首を引っかけられた感じでダメージはそれほどないようだ。彼も引っ掛けられた足より芝で擦った膝の擦り傷の痛みが気になるぐらいらしい。
ほっとして上杉に手を貸そうとするが、それを振り払うようにして自分で跳ね起きた。
仁王立ちになると自分を倒したDFを見つけては睨みつける。その相手は審判にイエローカードを示されていたが、まるで反省しているようではない。審判の指示には素直に従っているが、その顔には薄い笑みが浮かんでいる。
無言でその方向へと歩いていく上杉の足取りに不安はない。うん、深刻な怪我やダメージはなさそうだ。と、ずんずんと歩いていく上杉の歩調が速まった。それに気がついたのか、足を引っかけたDFがさらに笑みを深くして「悪ぃ、まさかあのぐらいで転ぶなんて思ってなかった」と火に油を注ぐような発言をする。
上杉の傍らにいた俺の耳にはぷつんという音が届いた。いや、実際に聞こえたはずはないから雰囲気による幻聴なんだろうが、その時は確かにキレる音が聞こえたと思ったんだ。
マズイ。上杉を止めなければ。
俺が肩に手をかけて止めようとするのをかいくぐって、上杉は自分を挑発した選手の懐に入る。その動きはすでにサッカー選手のものではなくボクサーのステップだ。
「上杉さん落ち着いてください!」
俺の悲鳴に反応したのは上杉ではなく相手のDFだった。上杉が放った芝の上とは思えない滑らかなステップからの右パンチを相手は上手く捌いたのだ。動きが速くてよく判らなかったが、どうやら上杉の右のストレートを手で払うようにして受けたらしい。
おお、これで終わりなら大事にならずにすむかも。そんな俺の願いは儚く消えた。
右をかわされた上杉は一瞬戸惑ったようだが、瞬時に戦闘体勢を取り戻し上半身を振りステップを踏みながら撃ち込む隙を伺っている。対する相手DFもボクシングステップを踏む上杉とは対照的に深く腰を落として左の掌を前へ出した構えでどっしりと待ちかまえている。
え? 何? 普通は乱闘が起こってもせいぜいが揉みあいや頭突きが一発ぐらいだろ。なんで金網で囲まれていてもおかしくないぐらい本格的な異種格闘技戦が始まっているの? 俺を含めた周りがどうすればいいか判らず硬直していると、そこで立て続けに審判の笛が響いた。
そうだ、審判の笛に従って争いは止めて……と、なぜか対峙する二人には笛の音がゴングにでも聞こえたのかその途端に激しい打ち合いが開始された。
二人の間では空気を裂く音と「フン、ハ!」や「シッ」という声が洩れてくる。まるで小さな竜巻のようだ。これ本格的すぎて俺達じゃ危なくて止められないんだけど。
皆がどうするべきか困惑していると、ピッチにずかずかと入り込んできた山形監督が審判の横に立つと二人に対し「この大馬鹿野郎どもがー!」と喉も裂けよと大喝した。
びくんと動きを止めて両者が攻撃の当たらない距離までステップバックする。もうこいつらはピッチじゃなくてリングに行かせた方がいいんじゃないかな。
そんな二人を睨み据え、監督は一言一言に力を込めて語りかける。
「お前ら、この練習試合を何のためにやっているのか判らないのか? これからの代表の方向性を決める大切な試合だぞ! ただでさえ時間がない中、システムの大変更をして間に合うか心配しているのに余計な手間をかけさせるな。それに、ここでお前達が乱闘で怪我なんかしたら俺の責任問題にもなるだろうが。
そうなったら協会の上層部は絶対に俺に全責任を被せて監督交代だ。交代した後で第二ラウンドも成功すれば次の監督の手腕のおかげで、失敗したら途中で投げ出した俺のせいにするに違いない。いらん責任と余計な手間ばっか増やしやがって、中間管理職を馬鹿にするんじゃねーぞ、お前らと協会の大馬鹿野郎ー!」
……監督の魂の咆哮に戦闘体勢だった二人も気勢を削がれたようだった。すかさず審判が二人に向けレッドカードを突き出すが、すでにそういう問題じゃない気がする。
「いや、乱闘はともかく、試合中に監督がピッチに入って協会の批判をぶちかますのはマズいのではないかと思うんですが……」
俺の呟きは小声に抑えたつもりだったが意外によく通り、ピッチ上に響き渡った。その意味を理解した監督を含めスタッフ全員が顔色を変える。
いつの間にか隣にいた明智が指折りして悪い条件を数えていく。
「まあ、マスコミがいたら一発でアウトっすね。合宿初日に大幅なチーム改革して新顔と旧チームの派閥を作る。その上作った派閥同士が練習試合中に乱闘を起こしての代理戦争、その挙句に監督が上層部への批判っすか……」
今日はマスコミに公開していないのは助かったな。もしも合宿初日に乱闘騒ぎや監督による上層部批判があったなどとバレてしまったら、一体どんな記事が書かれるのか想像するだに恐ろしい。
俺と同じ事に思い至ったのだろう、監督がさっきよりさらに重々しい声で試合中止を告げた。
「よし、練習試合はこれまで! いや、今日は練習試合などしなかった。初顔合わせの人間が多かったから一日ミーティングと軽い練習だけで、試合は存在しなかった物とする。皆、口外しないように!」
「は、はい」
山形監督の練習試合そのものを抹消する宣言でこの試合は闇に消されるのが決定した。だが誰の口から漏れたのかアンダー十五代表の黒歴史として、記録には残らないが記憶とそしてある意味伝説にも残る試合となってしまったのだ。
こうして山形監督による代表の船出は、初っ端から波乱に満ちた物になるのであった。




