第九話 ロドリゲスは思う、アシカ君は前監督の嫌うタイプだと
ハーフタイム中、俺達赤チームはお互いに責任を押し付け合って怒鳴り合っていた。
本来ならばもっと冷静に守備の組織の修正点や、攻撃におけるお互いの意識のすり合わせなどやることはいくらでもあるのだがあまりにも不甲斐ない結果に皆の頭に血が上っていたのだ。
「いいから、お前らはワイにボールをパスすりゃいいんや! そうすりゃ点とったるさかい」
「島津が戻らないのにDFラインなんて作れるわけないだろう、どうやって守備しろって言うんだ!」
「アシカはなんでもっと俺にボールを出さない?」
「それよりなぜ俺が攻め上がった際にパスが来ない理由を伺いたい。不本意だ」
自分のことは棚に上げて全員が好き勝手にわめいているのに、ついいらっとした俺もつい大きく息を吸って思いのたけを吐き出してしまう。
「上杉さんは前半だけでシュート八本も撃ってますよね、まだ欲しいんですか、このトリガーハッピーめ。あんたにだけマークが集中しているんだから、引きつけてパスとか周りを生かしてくださいよ。DFも島津さんが戻ってくるのを当てにするなんて、宝くじの当選を期待して家計組むようなもんですよ、彼はお守りぐらいに思ってもっと真剣にディフェンスしてください。
山下先輩も俺は何度もあんたにパスしましたよね? 忘れちゃいましたか? お爺ちゃんご飯はさっき食べたばかりでしょうって言ってほしいんですかね。島津さんも攻め上がった際って、いったい何回目の事ですか。あんたもずっと最前線にいて、敵のマークが寄ってきたらDFのポジションに下がるって行動はおかしいと思わないんですか? 自陣より敵陣のペナルティエリアの滞在時間が長いサイドバックって初めて見ましたよ。
ふー、ああ今日はいい天気だなぁ。そういえば今日のお昼ご飯はなんだっけな」
息が続く限り突っ込み、最後にもう議論を放棄したような台詞が俺の今の心境を物語っている。一息ついてスポーツドリンクを口にするが、そのドリンクどころか炭酸飲料よりも考えが甘かった。まさかこれほどまでにメンバーのまとまりが悪いとは思っていなかったのだ。
この選手構成とスリートップという布陣ではどうしても攻撃的にならざるを得ない。それはいいのだが、守備の綻びが大きすぎた。それに元々組織的な守備という物は構築するまでにどうしても時間がかかる物だ。
極端な話、攻撃は一人で得点できる凄いFWがチームにやって来てそれで点が取れるならそれでいい。だが守備は一人だけあるいはDFの全てが優秀なDFだとしても組織として機能していなければ失点は免れない。優秀なDFがいたとしてもマークできるのは一人だけだからだ。それ以外のマークしていない人物や、オーバーラップした人物にシュートを撃たれてしまってはどんな優秀なディフェンスでも失点の可能性を排除できない。
もし無理にでも即効性のある守備を求めるのなら、それはDFを五・六人も入れるほぼ攻撃を諦めて守りに人数をかける方法しかない。
なぜなら攻撃は数あるチャンスの一つでも決めれば得点だが、守備はミスをすれば即失点になってしまう。
そしてミスを減らすというのは時間をかけて連携を高めて、戦術の共通認識を全員で深めるしかないのだ。
このチームは右サイドバックである島津がほぼ上がりっぱなしであるために、どうしても右肩上がりの陣形になる。そこを相手に集中して突かれて、こちらの右サイドを深く抉るような突破からのセンタリングを何度も繰り返されてゴールを割られてしまった。
正直な話、この三失点は痛いがそれほどショックではない。これまでに述べたように守備には時間がかかるから、ある程度の失点は覚悟していたからだ。
だが得点が開始直後のあの一点だけというのは納得がいかない。
この原因を一言でまとめるなら、FWの連携が悪いせいだ。
皆が自分で得点しようとしすぎるのだ。野球でいえば全員がホームランしか狙っていないような荒い攻撃で、自分を殺した送りバントのような囮になるプレイは全くない。あ、駄目だまたむかむかしてきた。
「お前らFWもちっとは協力し合えよ! 前半だけでシュート総数二十本一ゴールって効率悪すぎだろうが! みんなシュートばっかり撃ちやがって、パス出すのは俺や明智より後ろの奴らだけじゃないか。あ、島津もそうだな、なぜかいつも俺達より前にいるけれど。とにかくお前らの頭には自分がゴールすることしか頭にないのかよ!」
強引すぎるプレイでこれまでのチャンスを潰したシーンを思い出しただけで腹が立つ。俺からの怒りのこもった珍しく敬語抜きの声にチームメイトの話し合いが途切れる。
「当たり前やないか」
そんな張りつめた空気を屁とも感じていないのか、上杉は顔色一つ変えないで言い放つ。こいつのふてぶてしさは本物だ。
「ワイの仕事は点を取ることだけや、ワイがハットトリックしても試合に負けたなら、そら責任は他の奴らにあるっちゅう事やな」
「……そうですか」
あまりに傍若無人な発言にかえって頭が冷えた。この男に周りの事を考えろと言っても無駄だったか。こいつの異常な得点力をこっちが利用する形にならないと、試合には勝てない。上杉は得点王になれてもチームを優勝させることはできないタイプのようだ。こいつは得点させる作業に任せて他は俺達が請け負うしかない。
上杉とチームメイトになるならば孫悟空を使いこなす三蔵法師の広い心が必要だな。そこである人物に思い当たった――山下先輩の一つ前の代の矢張のキャプテンだ。あの頃の俺や山下先輩をコントロールするのは小学生には厳しかっただろうなぁ。
よし、あのぐらいの寛容さと包容力を見せつけるんだ。深呼吸して無理やり精神を安定させる。
「では、上杉さんはもう攻撃――それもシュートのみに専念してください。他の事は期待しませんから最低後二点、ハットトリックをするつもりで」
「オッケーや。初めからそう言ってくれればいいのに」
何の疑問も持たずに自分がフィニッシュだけをやらせてもらうのを当然の権利とする傲慢さ、それは日本のFWには欠けている部分かもしれない。だがこいつはこいつで始末に困るほどのエゴイストだな。他の皆も呆れているようだが、お前らも他人の事は言えないぞ。
「上杉さんが最前線に出ずっぱりなら、守備が中央に集中しますからウイングの二人はサイドに目一杯広がって下さい。そして、片方にボールが回ったらもう一人もゴール前に飛び込むって事で。あ、山下先輩の右サイドは島津さんがよく上がりますから、その時もゴール前へゴーです」
と大雑把な右が上がれば左はゴール前へ、左が上がれば右がゴールへと約束を決めておく。これで少しはすっきりと攻められるし、こぼれ球も拾えるだろう。
そして機能しなかったディフェンスには大鉈をふるってシステムごと取り換える。
「守備はもうスリーバックで固定してください。島津さんはDFにはいないものと想定した守備陣形を。オフサイドがかけにくいなら、もうFWをマンマークして最後尾に一人余らせたスイーパーシステムでも構いません。キーパーもそれに応じて今の定位置から少し下がるように。前へ出てルーズボールを処理するのはスイーパーに任せて、自分はゴールにデンと待ち構えていてください。再三攻められている右サイドの後ろは俺とアンカーがフォローします、これに文句があるなら他の提案を今すぐ出してください。ありませんね? じゃ、とりあえず後半はそうしましょうか」
と、お次は中盤だな。明智とアンカー役がなぜか神妙な面持ちで俺の様子を伺っている。いや、年下にそんな畏まらんでもいいだろうが。そうも思うが今のこの状況では好都合である事も確かだ。
「中盤の守備ですが、前半は陣形をコンパクトにしようと意識しすぎて連携がぎこちなくなりましたね。DFもラインを上げなくしましたからもういっそスペースを潰すのはアンカーにお任せしましょうか。それで俺達二人はパスカットとそれが無理なら相手の攻撃を遅らせるのに絞ります。ざっくり分けてピッチの右半分は俺が受け持ちますから、左は明智さんの分担という事で」
MFの二人も納得したようだ。
かなり適当にも思えるが、この案ならばミスしたのが誰の責任かはっきり判る。普通のチームであれば全員が味方のミスをフォローしようと頑張るものだが、このチームにいるのは元々の代表レギュラー達もアクの強い奴らばかりのようだ。他人にフォローしてもらうのが死ぬほど嫌そうな、プライドがヒマラヤ山脈並みに高い連中だと察したのだ。
ならばこの責任の所在をはっきりさせた戦術ならば、自分の所でのミスだけはすまいと必死になるはず。
全員が自分の事だけに血道を上げるというのがチームゲームであるサッカーでいいのか判らんが、もうこうなったら俺を含めた「自分はナンバーワンだ」というプライドに賭けるしかない。
幸いな事にこれまで毎朝のトレーニングを休まなかったおかげか、もう俺にはスタミナ面では不安はない。試合の最後まで走れるだけの体力は充分に残っている。途中でバテてチームメイトの足を引っ張るみっともないまねは晒さずにすむはずだ。
ピッチの外で何か言いたげな山形監督の視線を無視して、俺は個々人の能力に頼るマンツーマンディフェンスとスリートップや島津の突破力に依存する作戦に切り替えた。今更このチームに連帯感とか持たせるのは無理だ、ならば好きにやらせてその尻拭いをするだけだ。最悪失敗してもあの監督の構想が拙かったというだけじゃないか、そう責任転嫁してプレッシャーを軽くする。あの監督が首になったからと言って俺には何もダメージは無いはずだ。
ぶるっと監督が震えて手を首に当てたような気がしたが、視界から外してチームメイトを見つめる。
「それじゃ後半戦にいきましょうか。皆、全力を尽くしましょう」
「了解や、まあ点取るのは保証するで。それで勝てるどうかは他の奴らしだいやけどな」
「オッケーっす。中盤の左は任せるっすよ。これ以上年下のアシカに良い格好はさせないっす」
「承知した。右サイドは俺が蹂躙させてもらおう」
「アシカのパスがいつもより少ないのがやはり負けている元凶だろう。遠慮せず一番信用できる先輩にパスを献上するがいい」
「……君達、ちょっとは守りのことも考えて……くれそうにないよね、うん。アシカはよくこいつらに言うこときかせられるなぁ。猛獣使いというよりは同類だからか」
「そのアシカは俺達DFへの指示は名前を使ってこねーぞ、まだ覚えてねーのかよ」
「モブをなめんじゃねーぞ、おらぁ!」
――どこか変なスイッチが入ってしまったようだが、とりあえずは気合いが入った状態で後半戦へピッチに向かって行く。
「ところでアシカは本当に僕らの名前を覚えていないのかな?」
「はっはっは、まさかそんな」
空の白い雲を眺めて俺は代表キャプテンの……えーと、その誰だっけこの人?
「本当に覚えてるんだよね? じゃあ僕の名前を答えてくれないか。ちなみにジャージについている刺繍はビブスに隠れてるから読めないよ」
「……もちろんですよ。えーと」
「ドン・ロドリゲスっすね」
「そう! ドン・ロドリ、え?」
「お前、本当に覚えてないんだなぁ」
横から余計な茶々を入れてきた明智を睨みつつ、代表キャプテンの爆発に備える。だが、予想に反して彼はため息の一つと頭を軽くぺちんと打っただけだった。「僕の名は真田だ。せめてチームメイトの登録名ぐらいは記憶しておけよ」と告げて。おお、キャプテンというものは小学生時代の彼を含め皆器が大きい。判ったぜ、えーと、よしロドリゲスだったな。キャプテンの名前ぐらいはちゃんと覚えておこう。
そして明智に対する仕返しも考えておかねば。
「とにかく、明智さんもロドリゲスさんも気を引き締めて後半は戦いましょう」
「おうっす!」
「お、おいちょっと!」
キャプテンが何か騒いでいるようだったが、審判の開始の笛にかき消された。まったく仮にもキャプテンなんだからしっかりしてくれよロドリゲス。




