第七話 練習試合で頑張ろう
俺はうずうずとした体を持て余すように短いが激しいダッシュを繰り返した。ユニフォームの背中に背負った三十九という補欠の番号が汗でうっすら湿るほど体は温まっている。
噛みつきそうな視線は前半終了まではピッチに釘づけだったが、お互い無失点のまま後半に入ってからは「俺の出番はまだですか?」とちらちらと監督に注がれている。
あまりいい格好ではないかもしれないが、これも一応は計算の内だ。大人がやるとあざといかもしれないがこの年代の少年ならばまだ許容される仕草だろう。この際、お前の精神年齢は幾つだよって突っ込みは無しにしてくれ。
試合はこちらがサイドからクロスを上げては跳ね返され、相手がカウンターを狙うといった展開のまま膠着していた。どちらも決め手がないのか少し中だるみしているように感じられる……なら俺を出したらどうですかね監督さん?
残り時間がもう十分を切ると俺からの熱い思いを感じ取ったのか、下尾監督はどこかうっとうしげな顔でこっちに振り向いて頬を人差し指でボリボリかくとその指で「足利と……そうだな三年生はみんなこっち来い」招き寄せた。
「足利、お前は出たくてしょうがなさそうだから出してやるが、ボランチで中盤でバランスをとる役目だからな。目立とうとして前に出すぎるなよ。マークの受け渡しなんかはキャプテンの指示に従っておけ。後両チームとも足が止まっている時間帯だからフレッシュなお前が活躍するチャンスは十分ある。そしてなにより……思い切り初めての試合を楽しんでこい!」
と背中を軽く叩かれた。触れられた部位が熱い、いや熱を持っているのは俺の体の方だ。
監督が他の三年生にも色々と指示を出しているのが耳に入らないほど俺は高揚していた。
次のボールデッドで俺たち新入生組がピッチに入る。
試合中のピッチの中は独特の香りがする。ここは芝ではなく土のグラウンドだが、芝とか土とかの問題ではない「実戦」の火薬じみたツンと鼻を突く匂いだ。
ああ、俺は本当にここへ帰って来たんだな。後で伝え聞いたところによると、この時の俺は笑っているんじゃなくて「牙をむいている」表情をしていたらしい。
さて俺以外の二人はFWとDFだからMFの俺も加えると各ポジションに一人ずつ新入りが入ったことになる。
まあ先輩たちがフォローしやすいようにと考えて、一名ずつの新人起用だろう。
うちのチームは三・五・二のフォーメーションで対する敵は四・四・二である。つまりどのポジションでも先輩とコンビが組めるという事だ。
俺が与えられたポジションはボランチで、監督が言ったように中盤で攻守のバランスをとるのが役目である。同じポジションの相棒はキャプテンだから安心してフォローを任せられるな。だが勿論平凡に指示をこなすだけで終わらせるつもりはない。
仮にも世界一を目指すプレイヤーが、デビュー戦とはいえ小学校レベルで言われた通りにしかできないのは恥ずかしいだろう。自分の役目をきっちり果たしつつプラスアルファの活躍をしなければならないな。
ピッチの中に入ると周りを見回して一瞬目を閉じるのが、ここ最近のミニゲームでついた癖である。
これは精神を落ち着かせるのと同時に「鳥の目」の調子を確かめるルーチンにもなっている。
よし、今日も調子は上々で目をつぶったままでも半径十メートルまでは人の動きが脳裏に映し出される。
そこまで自身の状態を確認して、改めてピッチの状況へと注意を映す。さすがに後半のさらに半ばを過ぎた時間帯になると、スタミナが切れ始めたのかプレスも緩くボールホルダーに対するチェックも甘くなっていた。
俺に任された中盤は特にそれが顕著でお互いのチームが自分たちが動くより、相手チームのミスを待つ展開になっている。
ならばここは元気が余っている俺が状況を打破するべきだろう。
相手チームが敵陣で回す横パスにミスキックによる微妙な乱れがあると見るや思いきり突っかけていく。俺の本来のスタイルならば自分でボールを取りに行くよりも罠にかける方が好みだが、消極的なパス回ししかしていない相手にはそれは無理だ。自分から追いかけていくしか道はない。しかも出来ればまだ俺の情報がないこの交代後の初対決でボールを奪いたいところだ。
相手のMFがこっちに背を向けて後ろにずれたパスを受けにいくのを俺は隙だと襲いかかったのだが、それは正解だったらしい。ボールをトラップしようとした瞬間「敵、来てる!」の声に相手は慌てて確認しようと俺の方を振り向いたのだ。そのせいかトラップが大きくなりすぎ、足元から離れてしまう。
よしチャンスだと加速のついた体を敵とボールの間にこじ入れて、相手を肩と肘で押し退けボールの強奪に成功した。
幸い相手もさほど大柄ではなかったので、先に良い立ち位置を占めた俺がボールを確保できたのだ。ここで俺から無理にボールを奪おうとするとファールになってしまう。
この辺はバスケットのリバウンド争いと一緒でパワーと同等以上にポジショニングが重要なのだ。
フォローに来ていたキャプテンに一旦はたいて敵との密着状態を外し、改めてボールを受け取る。この時にはすでに俺の頭の中には敵味方のフォーメーションが描かれている。
中盤のいい位置でボールを奪った為に敵のディフェンス陣はバタバタと慌ただしくラインを形成して守備陣を再構築しようとしているが、途中出場の俺へのマークが曖昧だったのか若干混乱している。
歓迎試合でも似たような場面があったよなと思いつつドリブルで突進する。相手が混乱しているのにこっちが時間をかけてやる理由などどこにもない。
ペナルティエリア近くまで侵入するが、さすがにそれ以上は行かせないよとDFがコースを切ってくる。だが、俺にマークが付いたってことはその分うちのFWが空いたってことだ。ちらりとその味方の長身FWへ視線を放ってアイコンタクトをとった。よし、その先のゴール前のスペースへ飛び込むんだ。
ほらよ、と俺へ寄せてきたDFがさっきまで占めていた場所をあざ笑うように通したスルーパスを蹴る。
……そのままスルーパスは誰からもスルーされ敵のゴールキーパーへのパスとなった。
あれ? スペースへ走りこんでくれるはずのFWを睨むと、先輩であるそのFWも睨み返して上を指差す。
「ここへくれよ!」
そう言えば先輩FWはDFの裏へ走りこむよりクロスをヘディングで合わせるのが好きなタイプだったか。今日の試合でも専ら前線のターゲットとなっていて、動いてボールを貰うシーンは少なかった。
俺のアイコンタクトは「スペースへ走れ」ではなく「そこにクロスを上げるぞ」と誤解されたようだ。先輩もマークが外れたと見るや、他のDFと離れたヘディングに最適のポジションへと動いていたらしい。
やはり急造なコンビネーションでは意思の疎通が難しい。
特にスルーパスなどのゴール前のプレイではお互いの息を合わせねばならないが、俺には先輩達とそこまで意識のすり合わせが出来ていない。というより俺のプレイの精度が先輩方にまだ信頼されていないのが原因だろう。お互いがこちらのプレイスタイルに従えと意地を張ってもしょうがない、ここは俺が先輩達に合わせるべきだろうか……。
と、マズい。それよりまずは急いでバックしてうちの守備に加わらなくては。
俺が急に前に飛び出してきただけに敵のマークも捉えきれていなかったが、その分後方の味方の守りも頭数が足りていない。
中盤の守備も役目になっている俺が戻らないとミスマッチが生じてしまいそうだ。上がる時以上のスピードでピッチ中央を自陣へ向かいダッシュする。
今の攻撃が俺のミスだとするとそれを取り返しておかなければマズい。ただでさえ特例で三年なのに試合に出してもらったんだ、上級生からの反発も当然ある。その俺が初出場の初プレーで失点などしてしまっては印象が悪すぎる。下手すればこれから先一年間また試合に出してもらえないかもしれない。
主にチームより自分の都合を優先している気がするが、失点を防ごうとする気持ちに偽りはない。
キャプテンの「七番をマーク!」という指示に従って七番に身を寄せる。
くそ、俺より頭一つは大きいぞこいつ。
七番は俺にマークされているのも意に介さず、パスを受け取ると手で押しのけるようにして前を向く。パワーとリーチの違いで俺にはその強引なプレイを止められない。
こっちはこっちで肩を押したり、シャツを引っ張ったりと反則にならないよう抵抗してはいるのだが、年齢と体格の差で振り払われて後退してしまう。
以前の俺だったらここで「抜かれたなら仕方ない、また次頑張ろー」とディフェンスを放棄していたかもしれない。だが今の俺は諦めるという選択肢は既に消去済みだ、しぶとく相手に食い下がり僅かなりとも時間を稼いで七番の進むコースを縦からずらす。
こんな一対一の場面でも鳥の目は有効だ。一人では対処しきれない相手を味方DFのいる方向へと誘導するのが可能なのだから。
俺を振り切れると思った瞬間に死角からタックルが入ったのだろう、敵の七番はピッチの上を数回転がるほどの勢いで倒れた。激しいタックルであったがボールに向かっていたのでうちのDFはファウルを取られずにすんだ。プレイが切れないと判断した俺は、こぼれたボールを素早く拾うと思いきり逆サイドに振った。
後ろから追いかけてボールを取った形になるが、鳥の目を使えば振り向いてわざわざ味方の位置を確認する必要もなく一挙動でロングパスが出来る、鳥の目って本気で便利だな。
スライディングタックルから起き上がった先輩DFが「ナイスだ、よく俺んとこに誘い込んだな」と乱暴にがしがしと頭を撫でる。
正直撫でるってより軽く小突かれてるぐらいの勢いで頭が揺れたが、この時初めてチームの一員として受け入れられた気がしたぞ。俺からすれば子供からさらに子供扱いされて褒められて認められた事になる。へへへ、だがこういうのも悪くないな。