第三話 代表と戦ってみよう
「ここまで押されっぱなしだと、返って清々しいな」
山形監督は手にしていた書類を投げ出すと、ピッチで行われている自分のチームの試合を眺めるのに集中しだした。
急遽自身が率いる事になったアンダー十五の代表は正直言えば、まだ骨格さえも決まっていない状態だ。本当ならばこんな練習試合をするよりも先に、まだまだメンバー選考の為にこの年代の中で活躍している選手達をピックアップして能力を見極めなければならない段階なのだ。しかし彼にそんな時間は与えられなかった。
協会からの連絡は唐突で無礼とさえ言えるものだった。前の監督は予選の第一ラウンドの内容が悪すぎたからと首にしたので、いきなりだがアジア予選の第二ラウンドから指揮をとってくれないかと緊急の監督就任を要請されたのだ。
滅多にないチャンスだと飛びつくように受諾して帰国した山形は、とりあえずはつい最近まで前監督の指揮下で日本代表チームとして第一ラウンドに出場していたアンダー十五の選手達を召集した。そしてその結果、集められた選手達に彼は愕然とする事になる。
二十人の代表メンバーだったが、不思議な事にあまりにも画一的な選手ばかりがチームに揃っていたのだ。皆がフィジカルに優れ、監督やコーチの言う事に素直に従い、リスクのない堅い作戦を実行する。そんないわゆる「優等生」的な選手だけしか選ばれていなかった。
おそらくはそういった選手が前監督の好みだったのだろうが、監督がプレイヤーの選り好みをして勝てるのはほんの一部のサッカー強国だけである。
まだ世界的に見ればサッカー発展途上国でしかない日本では、多少はクセがあっても試合に勝たせる能力がある選手をチームに組み込まねばアジア予選よりも上のレベルでは戦えない。
これじゃ下のカテゴリーではアジアはともかく強敵ぞろいの国際大会の決勝トーナメントでは通用しなかったのも頷ける。
持ちあがりで監督もスタッフも上の年代へとスライドしても修正が効かなかったのだろう。今回またアジア予選第一ラウンドで大苦戦したあげく、なんとか通過してもその内容の酷さから監督がその座から飛ばされる訳だと山形は納得した。いや、逆によくここまで監督の首が持ったものだ。前任の者はよほど上層部と太いパイプを繋いでいたのかもしれない。
しかしそんなチームを次の予選第二ラウンドまでに立て直して、本大会まで持っていくのはチーム改革にかける時間がなさ過ぎるな。
なるほど、誰もがこの世代におけるチーム作りは失敗だと予期して、予選敗退する不名誉のババを押しつけあっていたのか。協会との関係が薄い山形は前監督達に代わって全ての責任を被せるのにぴったりの、非難するだろうマスコミ対策にはもってこいの生け贄の羊だったってところか。
自分の事を舐めているな。そんな渦巻く不満を胸に、前の監督の好みではないと外していた使えそうな選手のデータを急いで集めていたのだ。
……で、その前監督やコーチ達に嫌われていたというのがこいつらか。
選手時代の同期の伝手をたどり、代表には縁がないにもかかわらず県のトレセンレベルで目立った選手がいないか情報をかき集めたのだ。その中で特に見込みのあると推薦された山下と足利の両少年達の所属するチームが、これまでのメンバーで作られている代表相手に実に楽しそうに試合を進めている。
山形監督はこの試合にあたってはスタメンを指名しただけで、別に作戦も指示していない。「前の監督の指揮していたようにやってみせてくれ」と選手をピッチに送り出しただけだ。
当然ながら対戦相手のデータなど一切与えていない。さらに攻撃の核となるべきだった背番号十番のトップ下の選手は今回は不参加なので、サブの選手を司令塔のポジションに入れて出場させている。
これだけ不利な条件は重なっているのだが、まさか仮にも代表が同年代のチームを相手に二対ゼロのスコアで、しかも試合内容は点差以上にずたずたにされるとまでは予想していなかった。
目の前で自分が監督しているチームが叩きのめされている光景を、自虐的な喜びに満ちた内心を押し隠して腕組みして見守る。ともすれば「前のスタッフは何をやっていたんだよ」とあきれた半笑いが浮かびそうになるが、自らのチームの苦境に喜んでいる様子など見せる訳にはいかない。
無理やり表情を引き締めて、傍らにいる急ごしらえで前監督から入れ替えたスタッフに尋ねる。
「向こうのトップ下の十番とボランチの十六番は、俺がうちのチームの候補リストにも上げといた奴らだよな? なんで今まで代表経験がないんだ?」
「あ、ええと、トップ下が山下でボランチが足利の両選手ですね。――えーと二人とも一度は代表合宿に参加した経験があるようですが、身体能力が代表チームで要求されるレベルに達しておらず、態度も反抗的で日本を代表するチームにはふさわしからぬ選手だったと前監督時に記されていますね」
「ふむ、そうかね。その二人が中心になったチームにうちの代表チームは押されっぱなしのようだが」
鼻を鳴らす山形にスタッフは叱られたと感じたのか、面目なさそうだ。たぶん心の中では少ないデータしかない二人の選手と、それを代表に呼ばなかった前任の代表スタッフに文句を言っているのだろう。
そこで山形は興味をピッチにまた移し、代表よりも相手のチームの二人を注目する。
お、ちょうどお目当ての十六番の足利がボールを持ったな、さてここからどういったゲームメイクをするかお手並み拝見しようか。
◇ ◇ ◇
へへへ、ボールを受け取る俺の頬には隠しきれない笑みが浮かぶ。
ボールを持つと無意識に出るこの癖の矯正は何度か試みたのだが、そうするとどうも笑わないようにする方へと注意が逸れてしまい、肝心のボールコントロールが疎かになってしまう。仕方ないので周りの人も「アシカはもうずっと笑ってろ」と直すのは諦めたのだ。
今俺が笑っているのは足下にボールがあるからだけでなく、試合が思い通りに進行しているからだ。
二対ゼロ、得点は共に山下先輩でアシストは約束通りの俺からのパスだ。相手が代表チームと考えればここまでの展開は上出来である。しかもまだまだ攻撃のリズムと試合の流れはうちのチームの物で、仲間は気力に溢れて全員の動きが軽やかだ。対する相手は動きに精彩がなく、モチベーションを維持していられないようだな。
ま、あんたらに直接の恨みはないが、代表に今まで選ばれなかった悔しさをこの試合で叩きのめす事で晴らさせてもらうぞ。
そう決意してこの二点差を守るのではなく、さらに攻撃に出る事を選択する。
比較的マークの緩い中盤の底であるボランチの位置から、背中にマークが張り付いているトップ下の山下先輩にスピードの遅いパスを出す。先輩と俺のコンビネーションはここまで何度も成功し、すでに二点も奪っているので相手もこのパスに対して敏感に反応した。
さて、俺がこのユースに入って一番進歩したと感じるのはこの「遅いパス」を有効に使う技術だ。
これまではパスは速ければ速いほど、鋭ければ鋭いほど良いと思っていた。
だが、例えば今のようにマークを背負った味方にわざと遅いパスを出すと、敵はプレスをかけてボールを奪う絶好の機会だと撒き餌に群がる魚のように集まってくる。それも当然だ。密着マークが縦へのコースを切っているのだから、ゴール方向への警戒はしないでボールを取りにいけるからである。
この時にスピードのあるパスなんかでは敵は引きつけられないし、マークが集まってくるまでの時間的な余裕もない。あくまで緩いパスだからこそ撒き餌として有効なのだ。
山下先輩はマークを背負い、さらに他からも集まる敵のプレッシャーにさらされながらも、一切気にする素振りもなく緩いパスをダイレクトで強く俺に返す。
このリターンパスまでが一連のプレイとして機能している。何回も練習したパターンの一つだからこそ、試合での強いプレッシャーにも落ち着いてプレイができるのだ。
再度俺の足下にボールがあるが、先ほどと違うのは中盤のマークが山下先輩にだけ集中して他の選手はフリーになっている点だ。そりゃそうだ、敵は皆山下先輩の所に寄せて行ったのだから。
その過度に集まりすぎたバイタルエリア――ペナルティエリアの前のスペース――に向けて俺がドリブルで進む。
山下先輩に詰め寄っていた敵のボランチが俺の突破に一瞬躊躇する。
マークしていた選手をフリーにして山下先輩に向かってきたんだ。ボールが先輩から離れた今、マークするべき相手に戻るか、それとも目の前に接近して来た俺に対処するべきか。急に突きつけられた選択に迷いが見える。
僅かに硬直した後で俺の方にダッシュして来た。まず目の前のピンチをしのごうと考えたんだな、でもそっちがそうくるなら……。
敵が寄せてくる前に、本来はそいつがマークするべき対象だった味方の左サイドのMFにパスを出す。フリーになったMFは、待っていましたとばかりに水を得た魚のように勢い良くタッチラインを縦にドリブルで突進していく。
俺へと迫っていたボランチが舌打ちしてそのMFを追いかけ始めると、そのマークが追いついた途端にまた左サイド寄りに彼へのフォローに走っていた俺へとリターンパスを渡される。この二本のワンツーで敵のボランチは完全に振り切ったな。
そのままトップスピードに乗った俺は、すでにゴール前のミドルシュートが撃てる危険なエリアまで到達している。
山下先輩についていた敵MFがこちらに寄せようとした瞬間に、先輩が俺から距離をとるように右へ流れながらペナルティエリアにまで踏み込む。そのマーカーはエリア内で今日二得点の山下先輩を自由にするわけにもいかない。山下先輩に引っ張られるように俺から離れていく。
となるとDFが出てくるしかない。でも下げっぱなしの守備ラインを作っていたDFが一人だけ飛び出すと……。
DFラインが乱れてオフサイドもマークの受け渡しも曖昧になるんですよ――こんな風にね!
我慢しきれなかったDFの背後を突くパスをFWに出す。そこは左へ向かった俺や右へ流れた山下先輩がわざわざ空けておいたとっておきの中央のぽっかり空いたスペースだ。ノーマークでゴール正面、これで外したら怒りますよ。
俺のパスを受けたFWは悠々とワントラップしてからキーパーの位置を確認すると、冷静にゴールに流し込んだ。
よし! と盛り上がりハイタッチを交わす――なぜか山下先輩だけは「後一点でハットトリックなのに」と得点したFWの頭や背中を平手で叩いているが――俺達とは別に代表チームは顔色が悪い。
特にDFラインはギャップを突かれ、マークはずらされ、パスで崩された後フリーになったFWに得点されたのだ。
自分達の守備が全く機能してない様に感じただろう。
この手品には種がある。
代表の守備は年齢を考えると決して悪い物ではない。DF一人一人の質は高いし、身体能力に拘っていた前監督が集めたメンバーだけあってフィジカルは大したものだ。
だが、俺達はよく一つ上の高校生のカテゴリーとトレーニングをしているのである。特にここ最近の代表との試合が決まってからはその頻度が高い。そのためにフィジカルが自分より上の相手とどう戦うかに慣れて捌き方を熟知しているのだ。
実際最後の一連のコンビプレーでもパワーに勝る敵とできるだけ接触プレイをせずにすむよう、ボール離れがいつもよりも早かった。山下先輩以外はマークが付く前にすでに自分のするべきプレイを終わらせていたのだから。
また、試合のビデオを何回も見直してどう攻めて、どう守るべきかきっちり対策を取って待ち構えていたのだ。急に地方のジュニアユースと試合が決まった代表チームとは準備にかけた時間が違いすぎる。
付け加えるなら、敵の代表チームは身体能力が高い者を集めたある意味単色なチームで、アクセントをつけられるテクニシャンタイプがいない。代役なのか大きい数字の背番号だった司令塔もパスを捌くばかりで、リスクの高いドリブル突破などの作戦はとってこない。
おそらくチームの約束ごとが少ない個人技に頼った中央突破を仕掛ける戦術を志向しているのだろうが、他の攻撃が無いと判れば破壊力は激減する。一遍そのスピードとパワーに慣れてしまえばチームとしてそれを防ぐのは難しくなかったのだ。
そりゃカルロスクラスの怪物がいれば別だが、最近までこの代表チームの監督だった人は未だにその呪縛から逃れられず、新たな戦術を構築できていなかったようだな。
笛が鳴り、俺達にとっては楽しかった、そして代表にとっては屈辱だっただろう練習試合が終わる。
三点差もつけたんだ、しかも全て俺のアシストから。これでフィジカルに信仰を持っていた前監督やコーチ陣に意趣返しができたかなぁ。




