外伝 あなたの欲しいお返しは、ミサンガ? それとも人形?
「北条 真です、これからよろしくお願いします」
いささか猫を被った挨拶をしているのは、うちの隣に引っ越してきた真である。ぺこりと頭を下げるとさらさらの髪が流れるように背中から前へ移り、小柄な体を包み込むみたいだった。あいつは絶対に本体よりも髪の方が体積が多いよな。
進級してもクラスのほとんどが顔見知りである中、転入してきた真には興味津々という視線が何重にも突き刺さっているようだ。
それに気がついたのか、少し不安げに教室の中を見渡すと俺の顔を見つけて表情を輝かせる。まずい、あれは溺れる者が掴む藁を発見したような雰囲気だ。
「んと、足利君のお隣に引っ越してきたので足利君同様に仲良くしてください」
真の言葉に「へー、アシカのお隣さんかぁ」という空気がクラスに流れる。転校生に直接でなくても、俺に聞けば真の事が判るのか、というような俺にも協力しろという雰囲気だ。だから俺を巻き込むなって、俺はサッカーに努力を傾注しているから学校で余計に目立つような事はあんまりしたくないんだよ。
……そりゃサッカーで全国級の選手になったのに注目されないのは難しいと判ってはいるのだが、それでも余計な騒ぎは持ち込んで欲しくはない。
やっぱり真は苦手だなと微かに唇を結んで睨むと、あいつは逆に安心したように微笑んで小さく手を振ってくる。うん、どーにも苦手だなこいつは。
昼休みのグラウンドの取り合いでは、いつも仁義なき戦いが繰り広げられる。ここでは年齢や学年は考慮されずに、早く到着して遊び始めたメンバーが使用する権利を持つ。したがって毎日公平な先着順という名のタイムトライアルが展開されているのだ。
つまり、サッカーなどの大きくグラウンドを使う遊びがしたければ、給食を食べ終えていち早くグラウンドに飛び出さなければならない。その役目は三年生の頃からいつも俺が担ってきた。
遊びの場所取りに走り回るのが大人げないのは理解しているが、理由は一応存在する。それはもちろん昼休みであっても相手がクラスメートでもサッカーがしたかったからに他ならない。試合でもなく、トレーニングでもない純粋に楽しむためのサッカーができる俺にとっては貴重な時間なのだ。
その順番争いを任されるのは足の速さでも、好き嫌いなく給食を食べられるという点でも俺が最適だからだ。
だが今日に限っては……、
配膳された中で唯一残っている小さな白いパックを睨む。
俺にとって前世からの宿敵とでもいう腐った大豆が配られたのだ。だが、これを何とかしなければ昼休みの陣取りには参加できない。
下らないことで苦悩する俺を救ったのは、皆に囲まれながらもどこか疲れたような笑顔を見せている真だった。この幼馴染の大好物を思い出すと、すぐさまテロリストに接近する特殊部隊のように気配を消して背後から歩み寄る。
髪に覆われた華奢な肩をつんつんと突っつくと、真が反応する前に「これ好きだろ。食べてね」と納豆のパックを手渡しするのに成功した。
ふう、ミッション成功だ。安堵して大きく息を吐く。
俺からすれば爆発物を危険物処理班に丸投げしたようなものだ。もし実際にそんな事態になったら多少は罪悪感を覚えるかもしれないが、物は納豆で渡す相手は真である。まさに適材適所、あいつは大好物を美味しくいただいてくれるだろう。
試合で得点を決めたようなすがすがしい気分で真に向けて親指を立てると、すぐにグラウンドへと走り出す。
急げ! もう足の速い奴らは集まりかけているぞ。
◇ ◇ ◇
私は愛想笑いを張り付けながら、給食を少しづつ片づけていった。体格からも判るように、私はちょっとだけ小食でほんの少しだけ身長が足りていないのだ。だからその分髪を長くしているんだけど、良く考えたら髪の重さだけ体重は増えるけれど身長は伸びてくれないんだよね。
今更ショートにする気はないし自分の髪形は気に入ってるけど、時々お相撲さんが身長を誤魔化そうとしたみたいに固めてこの長い髪を逆立てて固めちゃうのはダメかなぁと思う。そのてっぺんを身長と認めてくれれば数値上はすらっとしたモデル体型になれるのになぁ。
でもそんな斬新なヘアスタイルを考えるよりも、今日はこれから午後も授業があるんだからエネルギー蓄えないといけないよね。
私を囲んで一緒に食事を取っている女子はみんな優しいけれど、でも知らない人ばっかりだとやっぱり気疲れしちゃうから。
よし、こんな時こそ大好物の納豆で栄養と元気を補給しよう。
ん、ここの給食の納豆は割と当たりだね。コクと風味がちょこっと薄れているのが残念だけれど、それ以外の味や粘りはこの真ちゃんが高得点をつけてあげよう。
……あ、つい調子に乗っていたらもう食べ終わっちゃったよぅ。まだ給食のおかずやご飯はたくさん残っているのに。これからは納豆の援護なしで食事の残りを片づけていかなくてはいけない、そう思うと心細くて震えてくる。
その瞬間控えめな力で私の肩をつつかれた。
――誰? ん、足利君? え、私に納豆をくれるの? うわぁありがとう!
思わぬ贈り物を手にして小躍りしてしまう。周りから少し退いた目で見られているがそんなのは気にならないぐらい嬉しい。
サプライズプレゼントを渡した足利君は、なぜか静かに気配を消してそっと自分の席へ戻って行った。うん、きっと恥ずかしがり屋で照れているんだな。
昨日会った時もさっさと帰っちゃったからあんまりいい印象はなかったんだけれど、どうやら第一印象よりずっといい子みたいで安心だよ。隣の家が苛めっ子とかだったら最悪だもんね。
でも、納豆をくれる人に悪い人は一人もいないよ!
お家に帰ったらなんかお礼してあげよう。
うまうまと二個目になる納豆を頬張りながら、何がいいかなぁと思いめぐらす。
「ね、ね。今の北条さんに何か手渡ししたのアシカ君じゃなかった?」
そんな私に好奇心に満ちた質問がかかる。
「ん、そうだよ」
「えー、そうなんだぁ」
頷く私に尋ねてきた女の子が隣の子と色めき立って話をし始める。ん? なんだか状況が判らないんだけど。詳しく問いただそうとすると、さっきの子が「ごめん、北条さんは今日転校したんだから知らないよね」と言って事情を説明してくれた。
それをまとめると足利君はこの小学校でも結構な有名人らしい。全国大会に出るぐらい強いサッカークラブに入っていて、しかもそこのレギュラーなんだって。まだ四年生なのにだよ! 昨日の台詞も口先だけの物じゃなかったんだ、びっくりだよ。
おまけに学校の成績も赤丸急上昇中のクラスで注目度ナンバーワンの男の子なんだってさ。
「へー、そんなに人気があるんだ足利君って」
私の感想に妙に居心地の悪い沈黙が流れる。さっきの子も「いや注目されているけど、人気があるんじゃなくて……」と言葉を濁している。
どういう意味なの? そう問いを込めてじっと見つめると、やがて根負けしたかのように教えてくれた。
「アシカ君は、サッカーは凄いんだけどクラスのみんなと話が合わないし……。一緒に遊ぶのも男子とサッカーするぐらいで、あたし達女子にむかっては子供扱いしかしないからちょっと浮いちゃってるの」
「そっかぁ」
「だから、そんなアシカ君がわざわざ北条さんに手渡しに来たでしょ。絶対に何かあるんだと思ってたんだ」
「それって……」
勝手に頬が熱くなる、周りからの視線を逃れようと顔を伏せた。それって私の事特別に思ってるって意味だよね? さっきまでは別に意識していなかった足利君の顔を思い出す。
ぼさぼさの頭をして目つきが鋭いぐらいしか特徴がなかったけれど、まあまあ格好いいかもしれない。サッカーが上手いんだし、プレゼントもくれたんだから評価は甘めの「結構格好良い男の子」にしてあげよう。
でも、癖があるとはいえそんな有名人が転校した家の隣で、私に興味をもっているのかぁ……まるで少女マンガみたいだ。
それに昨日会ったばかりの私の大好物まで把握して、今日には貢いでくるなんてこれも私の可愛さがいけないのね。よし、家に帰ったらお返しにわざわざお取り寄せしている水戸納豆の極上品「藁人形二号君」をお裾分けしてあげよう。藁人形の中にタレや芥子が入っていてそのまま食べられる一号君に、世話になった相手にプレゼントする贈答用の二号君。丑の刻参りでもすぐ釘が打てますって表示してある三号君と分かれている優れものだ。ちょっと三号君の表示の意味が判らないけれどあの味は絶品よ。きっと足利君も気に入ってくれるはず。
藁人形二号君を受け取り鋭い目を和ませる足利君を思い浮かべて、クラスにちょっとだけ溶け込めた気がした。
◇ ◇ ◇
「あ、足利君。ちょっと待っててくれるかな、お昼のお礼にプレゼントがあるの」
下校する最中に真からそう誘われた。断ろうにも家は隣で、俺はユースクラブに行くために部活をせずに帰宅しようとしているのがバレている。こんな状況で角が立たずに謝絶するのは難しい。
仕方ないか。溜め息がこぼれる。
「判った。ただしクラブがあるから手短にな。それと別に納豆を上げたくらいでお返しはいらんが」
「ん? それぐらいって……納豆のプレゼントなんて命を助けてもらった次に ランキングされるぐらい重い恩義だと思うけど」
「その、そこまで恩にきられるとこっちが困る。そうだ、それとお返しに納豆はやめてくれ」
「ん? 贈答用にも使える高級品でもダメ?」
「……もしかして藁人形二号君?」
良く判ったねという真の頷きにげっそりする。
「足利君も知ってるんだね!」
「昔、知り合いにバレンタインの日に送られた事があってね。あの時はあいつからどんな恨みをかっていたのか戦々恐々だった」
「二号君を送るとはその知り合いはかなりの通だね! どんな人なの? 私もお知り合いになれる?」
「真にはそっくりだし、いつか鏡ででも顔は見れるはず。と、話が逸れたなとにかく納豆はいらんし気にしないでくれ」
「んー、それじゃ私の気が済まないなぁ。うん、じゃあミサンガをあげよう」
えーとミサンガってあれだよな、切れたら願いが叶うって細い紐でおまじないの道具。また古めかしい――ってこの時代ではそうでもないんだっけ? 確かそんなに高価な物でもないし、クラブの時間も迫っている。さっさと貰って撤収するか。
ごそごそとランドセルの中を探っていた真は「やっと見つけた、はい!」と満面の笑みで手渡そうとする。
だが渡そうとするのはかなり太めの紐状の物で作られた輪で、色は目に痛いほどのショッキングピンクである。ミサンガってこんなのだったかな。
「ほ、他の色とかないかな?」
「このミサンガ特別製だからそれしか残ってないの。でも丈夫で長持ち、きっとずっと使える一生物のアイテムになるよ」
「……切れたら願いが叶うはずなのに、切れないで一生使えるミサンガって意味あるのか? 別に俺は子々孫々に伝えたい悲願とかはないから、もし一生切れなかったらただの呪われたアイテムじゃないか。っとまあいいや、もう時間がないからこれはありがたく受け取っておくな。サンキュー真」
「うん、ちゃんと使ってね。使わないなら藁人形三号君を代わりに上げるから」
頭の中に前世の忌まわしい記憶が蘇る。バレンタイン当日の朝、異臭で目を覚ますと隣に等身大の藁人形が添い寝していたのだ。
叫び声をあげてベッドから蹴り出そうとすると、打ち所が悪かったのか二号君の藁が破れて内容物が飛び出したのだ。飛び散る豆に粘つく糸、おまけに芥子まで入っているのか目にしみて涙は止まらない。後はもう思い出したくもない阿鼻叫喚の一日になってしまった。あんな惨劇は二度と起こしてはならない、素直にミサンガを受け取るのが吉だろう。
「……あー、手は目立ちすぎるから巻くのは足でいいか?」
「うん、一トンまでの衝撃になら耐えられるし、切ろうとしたらダイヤモンド・カッターが必要なはずだからサッカーしてても簡単には切れっこないから大丈夫! 足利君が足に巻いても問題ないよ!」
「なぜそんな素材でミサンガを作るのか疑問が尽きないな。あ、それと俺はお前を真って呼び捨てにしているから、真もアシカってあだ名で呼んでいいぞ」
「ん、判った。じゃあ今日もサッカー頑張ってねアシカ。ついでに私もミサンガを右手に巻いておこう。どっちが先に切れるか競争だね」
「それって競争する事なのか?」
「まあまあ、こっちの私が使うミサンガの願い事はアシカがサッカーで世界一になれるように願っておいてあげるから……一生切れないかもしれないけどね」
「ぼそっと不吉な事をいうなよ。ああ、それじゃまた明日学校でな」
こうして俺は藁人形型納豆を回避し、丈夫なミサンガを右足につける事になったのだ。藁人形よりは縁起がよさそうではあるが、これが幸運を呼ぶのかどうかはこの時点ではまだ誰も判ってはいなかった。
 




