外伝 とあるブラジル人コーチの憂鬱
「くそ!」
罵る言葉はポルトガル語ではなく日本語だ。とっさに出るこういう場面でカルロスは日本とのハーフだと強く意識させられる。外見だけならこの町で歩いている少年とどこも変わらないのだが、その中に流れる血はどこかエキゾチックで異質な物があるのだ。チームメイトもそれを敏感に感じ取って未だに彼を仲間扱いしていないのだろう。
まあその根底にあるのはチームから特別待遇を受けているカルロスに対する嫉妬だろうが。
リオにあるユースチームのコーチはオーバーな仕草で肩をすくめた。この才能溢れる少年をどう指導するべきか考えあぐねているのだ。
カルロスのサッカー選手としての資質に疑問の余地はない。特筆すべきスピードに加えてパワーにスタミナと、身体能力でいえばこれほど恵まれた少年は短くない彼のコーチ人生でも初めてである。
技術的にも文句のつけようがない。まだ荒削りではあるが、基本的技術はしっかり修得している上に実戦で生かせるだけのセンスも持ち合わせている。これからの成長も考えれば、所属するトップチームどころかブラジル代表の中心になる事でさえ大いに有望だろう。
ただ一つ問題があるとすれば……、
「なんであいつらゴール前の俺にパスを出さないんだ!?」
波の激しいメンタル面だけだ。特に最近はその矛先がチームメイトに向きがちである。
今日行われた練習試合も結果が気に食わないと荒れている。試合には勝ったのだがカルロスは不完全燃焼だったようだ。それも仕方がないだろう、露骨なまでの無視がチーム内で行われていたのだ。
一緒にトレーニングしてカルロスの力量が判断できない程うちのユースの選手レベルは低くはない。だがそれでも拭いがたいわだかまりがうちのユースの生え抜きにはあるのだろう。
しかしこれぐらいは彼を獲得したチームの幹部も想定内だ。新たに加わったチームに中々馴染めない状況など、これから彼がプロになるのならいくらでも出てくる。それぐらい自分に有利にひっくり返せなければ、所詮それまでの器ってことになる。
もちろん手助けはするのだがその助力を生かすも殺すもカルロス次第だな。
ここブラジルはサッカー選手の埋蔵量は世界最大の鉱脈である。過去にもカルロス程ではないが、資質に恵まれていた少年が些細な原因で選手生命を絶たれている例は枚挙に暇がない。その原因には怪我だったりメンタル面での不安定さだったり、ただ単に運が悪かったとしか思えない巡り合わせの無ささえも含まれるのだ。それでも尽きる事なく名選手の予備軍は続々と生まれている。
このカルロスにとってはチーム内で味方のいない厳しいシュチエーションを、今の内に体験できてラッキーだとふてぶてしく考えられるだけの精神的なタフネスがブラジルで一流のプロになるには求められる。
サッカーが上手いだけの子供ならこの国にはごろごろしている。上手い上に身体能力が高い子供も少なくない。その上でさらに向上心があるか、心身両面のタフネスを持っているか、最後に幸運であるかどうかというレベルでまで選別され選手として大成するかが決められるのだ。
まだ年は幼いかもしれないが、プロとしての苛烈な生存競争はすでにスタートしている。
とはいえこのまま放置もよろしくない、彼を獲得するまで少なくない金に加え日本のクラブとトップチームからのレンタル移籍などの様々な取引があったのだ。そんな金の卵を孵化させる手助けができないならば、コーチとしての存在意義が失われてしまうからだ。
だがここで安易に答えは出してはいけない。もしも一言ユースチームの絶対権力者であるコーチが「カルロスにもパスを回せ」と命じれば表面上の問題は解決される。
カルロスにパスを出さないのがマイナス評価になると判れば、プロを目指すユースチームの誰もそんな事はしなくなるからだ。
しかし、もちろんそんな事だけで本質的な問題は解消されるはずもない。むしろチームメイトからすれば「カルロスはひいきされている」という負の感情を募らせるだけだろう。
だからあくまでカルロスが自分の力だけで打開するべき課題なのだ。
ここでコーチがしていいのはアドバイスぐらいだろうか。
「カルロス、とりあえず落ち着いて俺の話を聞いてくれるか」
「ちっ、何だよ」
口を尖らせてふてくされているカルロスに極力ソフトに語りかける。
「カルロスがブラジルに帰ってきて、まだチームに馴染んでいないのは判る。でもカルロス一人で勝てるのか? 帰国するきっかけになったっていう日本での大会の試合を思い出してみろ。俺もビデオで見てみたが、相手はチームとして戦っていたけれどカルロスは一人ぼっちで対抗していたじゃないか」
そっぽを向いているカルロスの表情にばつが悪そうな色が浮かぶ。
「いくらお前が天才だって言っても、仲間からの協力が得られない状態での一人の力ではかなわなかった訳だ。だったら、これからお前がうちのチームでどんな戦い方を身につければいいか判るだろう?」
目を逸らしていたカルロスが何かを理解したかのように、輝く瞳をコーチと合わせてしっかり頷く。どうやらチームメイトと力を合わせて戦う術を学んでくれる気になってくれたようだ。
胸を撫で下ろしかけたコーチに、カルロスは疑問が解消されたすっきりとした表情で確認する。
「つまり次は最初から仲間を当てにせず、俺一人でも敵チームに勝てるだけの力を身につけろって事だな!」
「え、なんでそうなる」
斜め上のカルロスの思考に思わずコーチはどん引きする。そんな彼の態度に気が付くことなくカルロスは「いいアドバイスを貰った」と言わんばかりの曇りのない笑みを浮かべる。
「じゃ、とりあえず十一人抜きの特訓を今からしてくる。またな!」
「いや、ちょ、待てって」
コーチの「お前は何を言っているんだ?」という制止の声を振り切って、生気に溢れた姿のカルロスが足取りも軽く去っていく。
しばらくその後ろ姿を呆然と眺めていたが、やがて首をふると「そのうち間違いに気が付くだろう」と肩をすくめる。それにしてもカルロスがあれだけ直情径行だとは思わなかったな。これから彼をコーチングする場合には、もう少し柔らかい表現を心がけなければならないとメモをとっていた。
◇ ◇ ◇
「ありがとうコーチのアドバイスのおかげだ!」
喜びに輝くカルロスからの賛辞を素直に受け取るわけにはいかない。彼が自分に感謝している理由も推測できるが、できるならこの前に言った台詞でないことを祈りたい気分だ。
「今日の試合は、俺一人で敵を全員抜いてゴールできたぞ!」
「そ、そうか……」
ゴールしたのだから叱る訳にもいかない。でもチームメイトを生かすどころか独力で勝つつもりになってしまっているぞ。よし、俺が企んでいたとりあえず無理やりチームの一員に組み込む方法は棚に上げておこう。
ここで矯正するより、自分で壁に当たって仲間との協力の大切さを思い知ってくれた方が身に染みるはずだ。そう考えてコーチは軽く現実を逃避する。
ここブラジルではユースレベルとはいえ将来プロになる少年がごろごろいる。敵もこのままカルロスの独走を許すはずもない、自分一人の力ではどうしようもない現実にぶち当たってもらおうか。
うん、一人でゴールできる実力を示したのだから、他のチームメイトもカルロスを主軸にしたチーム作りに文句は言わないだろう。それでも不満があるなら、そんな不満分子はうちのユースには不適合の烙印を押して放出するしかない。
これから先の試合にカルロスが敵チームのマークに止められた場合の対処と保険を考えて、今だけは心置きなく褒めてあげよう。
「よくやったな、カルロス」
「へへへ、これぐらいは軽いもんさ。これからも俺に任せておけよ!」
「う、うむ。頑張れよ」
曖昧な言葉で励ましながら、機嫌良く部屋を出て行くカルロスを見送る。
間違ってない……よな? コーチは自問する。
あいつが自分の力が通用しなくなるまで辛抱強く待つのも教育の内のはずだ。
◇ ◇ ◇
「へへへ、今日も誰にも止められなかったぞ」
「そ、そうなのか。カルロスは凄いなぁ」
コーチの褒め言葉にもどこか諦観の念が混じっている。彼の予想を超え、カルロスの高速ドリブルを止めるチームが中々現れなかったのだ。もちろん、対戦した中にはファールしてでも止めようとしたチームもあった。
だが、どこで覚えて来たのか「枯れ葉シュート」という揺れて落ちるフリーキックをこの才能溢れる小僧は武器にしていたのだ。本人曰く「本当ならもっと揺れるはずなのに、日本製に比べるとボールが悪い」そうだが、フリーキックでも得点を量産し始めたこの少年にむやみにファールをする事もできずにどのチームもお手上げ状態だった。
この頃はさすがにチームメイトもカルロスの力を無視できなくなったようで、彼にボールがよく回ってくるようになった。だが、どう見てもチームメイトがカルロスにパスを献上しているようで、協力しているとは言い難い。こいつは協調とかそんな平和的な物ではなく力づくで自分を認めさせ、王様のように自分のやりたいプレイを好きにやってそれが通用してしまっているのだ。
……壁にぶつかるまでは自主性に任せ、温かく見守る。
このモットーに間違いはなかったはずなのに、どこか予想の斜め上へドリブル突破力と得点能力を進化させていく自分の教え子に対し、チームは連勝を続けているのに憂鬱な気分になるコーチだった。




