外伝 アシカ君の代表合宿記 下
代表合宿は二日目になり、今日はまず座学から始まるスケジュールが組まれていた。
そして「朝からお勉強かよ」とどんよりとした目の代表候補生一同は、学校の教室に似た部屋で座って講義を受けている。どうも体育会系の少年達はハードトレーニングより、座学が大変らしい。
そんな中、最前列に座って講義の始まりを待つ俺は初日とは違ってかなり落ち着いている。
昨日は各種の体力測定と軽い基礎トレーニングだけだったが、収穫となる情報を手に入れたからだ。
まず行われた体力測定は年代の壁もあり散々だったが、基礎技術はここでも俺がトップレベル――傲慢のそしりをおそれなければ多分ナンバーワンだと確信できたのだ。
代表候補はどんな高い技術を持っているかと内心びくびくしていたが、予想していたよりもそのレベルは低かった。いや、そうではない。俺が無意識の内に比較対象としていたのは十年以上未来の世界の一流プレイヤーの技術だったせいである。しかもその大半がニュースや動画サイトでのスーパープレイ集だ、ハードルを上げ過ぎているのにこの時まで気がつかなかったのだ。
そりゃこの代表候補の技術レベルが低いと言うのは、十年先のオリンピック百メートルの世界記録とまだ小学生であるこの子達の百メートル走のタイムを比べて「こいつら遅ぇ」と嘲笑するのと変わらない行為だ。
自分の中の基準のおかしさと、世間的な目の比較ができただけでもここに来たかいがあったな。
それにしてもやはり代表の合宿はお金をかけて設備がしっかりとしている。
昨日の体力測定にしても、ほとんど陸上の十種競技のような厳密さでデータを取っていたぞ。
今日講義が行われる部屋も、仮にも年代別とはいえ代表の使う教室だから設備はしっかりしているな。俺が通っている市立の小学校の教室よりも塾とか予備校のクラスのように機能的な部屋といった方が正確だろう。
そこで何の講義を受けるかと言うと、フィジカルコーチからのトレーニング理論と食事や睡眠など生活習慣についてだ。
このコーチはトレーニング理論の正しさを自分の肉体で実証しているのか、サッカー選手よりもプロレスラーと言った方が納得できる分厚い筋肉をジャージに包んでいる。半分捲り上げられた袖から覗く腕なんかは、まるで丸太のような太さを誇っている。うん、何の根拠もないが断言できる。このコーチはナルシストだ。
俺からそんな偏見を持たれているごつい体をしたフィジカルコーチの授業は、意外にもきちんと理論立てられたものだった。小学生に言うより指導者か親に話すべきではないかとも思うが、それはまた別の機会にやっているのだろう。
しかし自分で練習メニューを組む俺にとっては、なかなかに興味深い講義だった。実際に曖昧だったトレーニングの意味や食事内容について、理論立ててはっきりと再確認できたのも収穫である。
今までもタンパク質と野菜を多く、バランスの良い食事をと母にリクエストしていたのは間違いではなかった。だが、成人の健康的な食事と成長期の体を作る食事とはまた微妙に異なっていたようだ。手間をかけさせる事になるが、母には今日学んだ事を加えてこれから食事にまた一工夫してもらおう。
そして他にも、成長ホルモンを分泌するのに昼寝などの日中のショートスリープを奨励されるとは思わなかった。さすがに学校がある間は無理だが、休みの日は可能な限り積極的に昼寝をしよう……って何か凄いアグレッシブな感じのする昼寝だな。
これらの各種データを伴った講義は小学生には難しいとフィジカルコーチも判ってはいたのだろう、ざっくりとまとめて話すと後はプリントを配って保護者や指導者に参考にしてもらうようにと言った。イラストとグラフの沢山入ったカラフルなプリントによって、このまま保健体育の授業で使えそうなぐらいきっちりとまとめられている。
山下先輩だけでなく他の少年達にしても半分推奨されている昼寝をしかけているが、俺や明智は耳をそばだてて熱心にメモを取って内容を理解しようとしていた。
村八分にされた偏見かもしれないが、どちらかといえばじっとしているより体を動かすのが得意そうな少年達の中で真剣に聞き入っている俺と明智は目立つのだろう。コーチもこっちに注目して喋っているようだった。
だがその視線に含まれているのは真面目な生徒に対する好意だけではない、どこか別の粘着質の光があったような気がする。
講義の中身はすぐ実践に移せそうな役立つ物だったが、それでも全ての面で賛成できる話ばかりではなかった。
コーチの言う「フィジカル要素はサッカーの中で近年ますます重要度を上げてきている」という意見はいい。「スピードがないと世界の舞台で戦えない」というのもまあ、面白くないが判らないでもない。
でも「テクニックは後からでも身につけられるから、先天的にフィジカルに優れている選手を成長期の子供の代表に選ぶべきだ」というのは暴論だろう。
思わず挙手してから反論してしまう。
「でも神経系統の発達する、いわゆるゴールデンエイジに技術の修得よりも身体能力を優先するのは変では?」
フィジカルコーチはまだ小学三年の俺から真っ向から言葉を返されたのに驚いたのか、若干目を丸くした。
だがすぐに体勢を建て直すと、棘のある口調で答えた。
「技術がゼロで良いとは言っていない。ただ技術よりも運動能力を重視するべきだと言っているんだ。
足利君だったな。君は今回選出された中で最年少だった事もあって、体力測定では総合すると最下位だ。その君が身体能力が重要でないと主張しても説得力がない、ただの負け惜しみにしか聞こえない。正直君みたいな選手が中心になったチームがなんでカルロス君のいるチームに勝てたのは不思議でしょうがないな」
――ああようやくこのコーチや周りのスタッフが俺を敵視している理由が判った。つまりこのコーチの理想像ともいえるフィジカルが優越したプレイヤーがカルロスだったわけだ。その自分が目をかけていた選手がどこの馬の骨か判らない選手に負けてしまった、しかもその負かした選手である俺が自分の理論と異なったフィジカルよりテクニックに傾いた存在なのが気に入らないのだろう。
だから多少こじつけ臭くても俺みたいなタイプに難癖をつけているのか。
この時点で俺は今回の合宿にある程度の見切りをつけた。
すでにトレーニングメニューの改良や食事についての知識など、スポーツ科学的にこの時代の最先端のものは手に入れた。後はここのコーチ達からの評価はもうばっさりと切り捨ててしまおう。多少は扱いにくいと思われようが、小学三年生に嫌みをぶつけているのがここまであからさまだと、俺が反抗してもそれほど悪影響はないはずだ。希望的観測も入っているが「生意気な小僧」ぐらいで済んでくれるはずだ。
そう脳内計算すると席を立ち、堂々と抗議する。
「そうです俺たちがカルロスに勝った事、それこそ反証になるでしょう。サッカーは身体能力も重要ですが、むしろ俺達の年代ならばゴールデンエイジと呼ばれる期間に、しっかりとした技術を身につけるべきじゃないですか?」
俺の袖を引っ張り「もう止めろ」と山下先輩が小声で制止してくる。
だが、ここまで俺がむきになるのにも理由はある。俺は技術を伸ばして世界で勝負しようと予定を立てているのだ。
なにしろやり直したとはいえ俺の体のアスリート的な伸びしろは多くない。前回のこの時点よりはるかにましになったが、成長した時に単純な身体能力では海外の選手――もちろん比較対象はトップクラスの選手である――よりも分が悪いのは判りきっている。
だから「身体能力が技術なんかよりずっと大事」と言われると反発せざるをえないのだ。でないと技術を頼りに世界一を目指す俺の存在理由が揺らいでしまう。
そんな事はもちろん露とも知らないコーチは馬鹿にしたように唇を歪めた。
「テクニックが優れていれば身体能力はどうでもいいのかね? バカバカしい。昔から華麗な勝利にこだわるオランダ代表や、無敵艦隊なんて気取っているスペイン代表のヨーロッパの古豪を見てみろ。変にテクニックや見栄えやプライドにしがみつくから国際的な競争力が落ちていく一方だ。このままだとあの両国がワールドカップで優勝するより先に、フィジカルに優越したアフリカ大陸の代表がトロフィーを掲げているだろう」
――それは違うぞ! 内心で俺は叫びを上げた。一番最近のワールドカップでは例に挙げた二カ国が決勝で戦い、見事に無敵艦隊が世界王者になったのだから。この先の歴史を知っていればいるほど突っ込みどころの多いコーチの台詞だった。
だが同時にそれをこの場で発言しても無駄な事は判っていた。証拠も無しで未来の優勝国を予言するなんて子供の戯れ言でしかない。ましてや、このコーチはフィジカルが重要だと考えているのと同じぐらい俺を論破するのに執心している。俺の言葉が間違っているから正したいのではない、カルロスを排除した奴の意見だから間違っているに違いないと決めつけているのだ。
そしてコーチの鬱憤に火に油を注ぐが如く、俺が抗議をしてしまったのだ。まともな議論になるはずがない。
俺は選択をミスしたんだろう。ここでフィジカルコーチに喧嘩を売っても何にもならない、大人らしくスルーすべきだったんだ。それぐらいは判っていた、でも……我慢できなかったんだ。
ここで黙っていたら俺の目指すプレイスタイルが世界で本当に通用しなくなるんじゃないかって、そんな焦りか恐怖にも似た感情が反発を止められなかった。
やり直した俺が持ち越してきた技術や経験はこれから年を経るごとに、どんどんアドバンテージを失っていくだろう。そうなると俺が否定したはずの身体能力に優れたプレイヤーに追い越されるかもしれない。
だから俺は技術と経験、そして頭脳を鍛えれば圧倒的なフィジカルを持つ天才達と渡り合えると信じて短い期間とはいえ代表候補まで昇って来たのだ。
これで「やっぱりどんなに技術を持っていても、天性の素質を持つアスリート系の選手にはかなわない」なんて認められる訳がない。
同様にこのコーチも俺を認められないのだろう。
後から聞いたのだが、アンダー十二の首脳陣は俺達の年代が世界と戦う為に「カルロスを中心としたチーム作り」を進めていたそうだ。スピードに溢れる前線のカウンター攻撃とフィジカルの強い守備陣が体で止めるチームを目指して。ならば合宿に呼ばれた中でテクニックに主軸を置いた選手が俺や明智に山下先輩ぐらいだったのも頷けるな。俺達は初めからチームカラーに合っていなかったんだ。
そりゃ中心になるはずの選手がいなくなりコンセプトが根底から崩壊し、一からチームを再構築しなければならないのだ、愚痴や文句も言いたくなるだろう。でもそれが俺に向けられるのは、こっちからしたらやっぱり八つ当たりするなと言うしかない。
でもこれですっぱりと思い切れた。今回は良い経験だったと割り切ろう。俺もつい熱くなって口論してしまったが、これ以上コーチなんかの首脳陣と対立しても意味がない。
大人しくしていれば、向こうも小学生相手にねちねちと嫌がらせをすることはなかっただろう。でも、ここで口答えしたことで決定的に印象が悪くなってしまった。
――こりゃあ、このスタッフが居る間はもう代表に呼ばれないかもな。
その予想は嫌になるぐらい的中した。
俺はこの合宿の終了後、小学生の間は二度と代表に招集されることはなかったのだ。二年後に矢張で全国大会優勝したキャプテンであった時でさえも、である。




