第六話 弱点について悩んでみよう
トレーニングと誰へ向けたのか不明な乳酸菌のコマーシャル、さらに納豆を食卓から撲滅しようキャンペーンを脳内で終えて一旦帰宅する。
帰路もクールダウンも兼ねたジョギングなのだが、いくらゆったりとしたスピードとはいえその最中に体力がぐんぐん回復するのは自分でも驚くほどだ。
いや本当に呼吸するたび体中に酸素が送られ、心臓が鼓動するたびに蓄積された乳酸が分解されて足取りが軽くなっていくのが実感できるのだ。
おそらく俺の現在の体はバッテリーが小さい為に長時間は持たないが、充電も素早くできるという事だろう。
軽快なペースで足を運んでいるからと頭をからっぽにするわけでもなく、今までに色々試して分析した現在の自分の能力について思いを巡らせる。
前述したように俺の走力で考えればサッカーでも長いダッシュを繰り返すポジションより、短めのダッシュを小刻みにするポジションが適任のはずだ。
他に俺のストロングポイントとなるのは「鳥の目」だが、これもやはりピッチの中央付近でこそ輝くスキルだろう。スペースの見つけ方やマークの有無など攻撃時にパスを出すにも守る時パスカットで止めるにも役に立つ。サイドではドリブル突破とクロスの精度が必須だが、これらの技術には「鳥の目」はさほど役に立たないのだ。
そしてDFは俺の体格では無理だ。サッカー選手としては日本人の中でも小柄な俺は海外の屈強なFWと競り合ったら吹っ飛ばされてしまう。FWは鳥の目を使えばDFとの駆け引きには有利だろうが、俺の抱えている欠点からするとまず不可能だ。
うん、俺にあったポジションはMFしかも攻撃的とも防御的ともいえないニュートラルな位置のセントラルMFが一番だ。
やり直す前は十番をしょって花形である攻撃的MFを担当したこともあったが、その当時ですら自分に根本的な欠陥があるのには気が付いていたんだよ。
それは攻撃を主とする選手においてあるいは最も必要とされる資質かもしれない。それが俺には備わっていなかったのだ、だから今回もFWを目指すのは無謀だと諦めたのだった。
いや、俺の事情を抜きにしても日本人では持っている選手の方が貴重だろう。その資質とはつまり――決定力だ。
サッカーにおける決定力というのは人によって定義が色々あるだろうが、俺にとっては「決めて当たり前の場面できっちりと決める」ことができる選手を決定力がある選手と認識している。
もっと簡単に言うと「キーパーと一対一で外さない奴」の事だ。
どんなにボール扱いの上手い選手でも一対一に強いかはまた別の問題である。ゴールを決められるというのは野球で言えばホームランを打てる、ボクシングであればKOできる、そういった上手さとは別な所にある特別な能力なのだ。だからこそその能力が高い者は、絶対数が少ないがゆえに希少種のエースストライカーとして世界でも引く手あまたな選手になるのだ。
だが、俺にはそのセンスが決定的に欠けていた。新入生歓迎の試合では上手く点を取れたが、あのようにフリーで時間的余裕もある場面でなければ俺のシュート成功率は激減する。
ギリッと歯を食いしばりかけて慌てて顎の力を抜く、せっかく歯磨きなど毎日入念にして虫歯予防をしているのにこんな所で歯が欠けてしまっては意味がない。
だが無意識に歯ぎしりをするほど悔しいのも事実だ。俺はドリブルが上手い、パスだって正確だ、ボールのコントロールにおいては上級生でさえ及ばない。――シュートを除けば。
原因不明なのだが俺はペナルティエリアでのシュート枠内率が悪い、そりゃもう頭を抱えたくなるほどに。
精神的な問題か技術的に欠陥があるのか判らないが、監督が何も言わないってことは簡単なアドバイス程度で克服できる問題ではないのだろう。これはもはや前世からの俺の欠点を引き継いでしまっている、ある意味呪いと考えた方がいいのかもしれない。
日本人が海外で活躍したかのバロメーターの一つが「何点とったか」であることを考えると、サッカー選手としてかなり致命的に近い欠点である。でもどーしようもねーんだよ! シュート練習では上手くいっても実践するとなるとまるで駄目なんだよ。いや、諦めたらそこで終わりってのも理解しているが不得意な分野にこだわり続けるのも不毛だよな。短所を長所でカバーできる方法を考えればいいだけさ!
その方法は……現在模索中である、早くいいアイデアが出ればいいのだが。
この時の俺はそんな簡単に決定力を上げる方法があるのならば、サッカー界から決定力不足という単語が消滅しているはずだという事実はできるだけ考えないようにしていた。
だって、ほら考えると落ち込むだけじゃん。これは現実逃避ではなく前向きな戦略的撤退だとやや意味不明に自分に対して言い聞かせ家路を急いだ。
いつもながら朝練をこなしてたっぷりとした朝食をとった後の授業は「眠りの呪文」に抵抗しているような感覚になる。だがここで睡魔にやすやすと敗北するわけにはいかない。
意外に思われるかもしれないが、俺はいつも授業中の態度だけは真面目にしているからだ。
サッカーに集中したいのは山々だが、成績優秀な生徒の評価をもらっておくと色々と便利だと経験から学んでいるのである。
時々先生方から「足利の成績は三年になって急に上がったな、何か特別な勉強でもしているのか?」と尋ねられるが全部「サッカーしていると集中力がついた」と誤魔化している。
体育でも「三年になって体力が上がったな」「サッカーをしてるから」、国語においても「三年になって読解力が上がったな」「作家を知ってるから」とどこかズレていようともサッカー万能説で押し通している。
さすがに「頭脳は大人だから、小学校クラスの問題は余裕っす」と答える訳にはいかないしな。
俺にとってはまさしく義務でしかない授業を終えると、お待ちかねのサッカーのお時間だ。
俺だけでなく入部した皆が楽しみにしている秘密は、うちのサッカークラブの練習はやたらと試合形式の練習が多いせいだろう。
勿論練習前後にはランニングや柔軟を兼ねたストレッチ、個人練習もやるのだが練習の中心をなすのは必ずミニゲームだ。
これは下尾監督曰く、
「試合で必要なものは試合でしか身につかない。試合で自分に必要なものを発見して個人練習でそれを手に入れろ。今の自分に何が出来るのか、また何が必要か常に念頭に置いてプレイしろ。そうすればお前たちは一ゲームごとに成長できる。
それになによりゲームを通じてサッカーを好きになれ。好きこそものの上手なれという格言通りにサッカーを楽しめない奴はそれ以上うまくなれねーぞ」
との方針によりミニゲームは毎日行われているのだ。精神年齢が異なる俺が認めるのは場違いかもしれないが、確かに子供が毎日ゲームをやってればそりゃサッカー好きになるわな。この放任主義というかサッカーは楽しむものという信条を持った監督だからこそ、未来の俺を含めたこのクラブのみんなは現役を離れてもサッカーを嫌うことができなかったのだ。
「では来週の練習試合のスターティングメンバーを発表するぞー。今回は新入部員が参加してから初めての対外試合だけど、いつもの練習と同じで勝負を楽しみながらも怪我しないよう気を付ける事。
あと練習試合だからスタメンに入らなくても八人までは交代させるから、メンバー落ちしたからといって気を抜いたりしないようになー」
練習終わりの下尾監督の言葉に思わず息を止めて唾を飲み込む。前回はこの時期どころか三年生時に俺が試合に出場したことは無かった。ぽつぽつ出番があったのは四年から、レギュラーになったのは五年である。
だが今回は違う。違うはずだ。違わなければならない。
前回を超える為に技術を高めて歓迎試合やミニゲームで監督にアピールし続けたんだ、それが実を結ばないはずがない。自分に言い聞かせじっと耳をすます。
「……で最後にゴールキーパーの山本だ」
自分の名が呼ばれなかった事にため息がもれ膝の力は抜けるのに、掌は爪が食い込むほど握りしめられた。あれだけやってもスタメン入りは無理だったのか……。俺ってサッカーの才能がないのかな、もしかしたら何度繰り返しても無駄なんじゃとネガティブ方面に落ち込みそうだったが監督の一声が救った。
「普通は新入部員は対外試合には出さないんだが、今回は何人かベンチに入れておいた。展開次第だが優先的に交代させて出場させるつもりだから気合入れとけよ」
と自意識過剰かもしれないが監督は俺の目を見て言い聞かせているようだった。
「三年の足利と香川に山形お前たちもベンチ入りだ、初めての試合だがプレッシャーに負けずに楽しんでくるんだぞ。でも楽しみにしすぎて徹夜で体調不良なんかにならないようにな、そんなお調子者も以前いたがもちろん試合に出すどころか家に帰らせたからな」
「はい!」
俺と名前を呼ばれた同級生が声を揃えて返答する。
よし! 前回は初めての対外試合はピッチの外から観戦と応援するだけだったが、今回はベンチ入りできた。しかも途中出場とはいえ実戦デビューできそうな監督の口ぶりだ。
さっきまでの「俺って何回やっても駄目駄目かも」といった折れかけた心が一気に浮上する。
明らかに前回と歴史が変わったとか俺の行動によるバタフライ効果なんて、その時の頭には何一つ浮かばなかった。
ただ一つだけの事柄に心は占められていたのだ――俺は間違いなくサッカーが上手くなっている――そのシンプルな喜びだけしか感じていなかったのだ。




