第六十五話 PKは目を瞑って軽く蹴ろう
時間をPK戦の開始時に巻き戻そう。
仲間と監督から、暖かい口調ではあるが「PK戦ではアシカは邪魔だからどいてろ」と幾重にもオブラードにくるんだ言い方でいらない子扱いにされてしまった。
そんな俺ができる事といったら、そりゃもう応援しかない。
特にPKはサッカーの中でもメンタルの比重が大きい。声援と味方には「入れ」と敵には「お空の上へ飛んでいけ」と念を送るのは決して無駄ではないはずだ。
応援だけとは言っても馬鹿にはできない。サポーターなどはそれだけの力で十二番目のメンバーとされているのだから。いや、俺はちゃんとしたチームの一員のはずなんだけどね。
敵の先攻で始まったPK戦は、まず鎧谷の一番手である明智に難なく決められた。キーパーの逆をついた丁寧なシュートでまずは一本先取されたのだ。まあ今の明智はなぜか外しそうな雰囲気はゼロだったから、これは仕方ないと切り替えよう。
今度は矢張の番である。一番緊張すると言われているチームで最初のキッカーの山下先輩は、自信満々の素振りでボールをセットすると、審判の笛の音の合図に躊躇なくシュートを撃ち込む。左へ飛んだ敵キーパーの読みの方向は当たっていたが、先輩のキックのスピードとパワーの勝利でボールはゴールネットに突き刺さる。
よし、ナイスシュートだ。
チームの全員が手を繋いで、一列になって見つめていた俺達が飛び上がる。山下先輩に緊張の二文字はないのだろうか? 精神的にはかなりプロ向きな人材だよな。
とにかく幸先良い一人目だったが、懸念材料もある。試合中から判っていた事だが、向こうのキーパーはかなり優秀だ。こっちが蹴る場合には細心の注意が必要だな。
二人目のキッカーの登場となった。
鎧谷は成功、こっちはキーパーの手で弾かれた。ボールが外れた瞬間に鎧谷からは歓声が、矢張のメンバーからはうめき声が漏れる。
三人目、鎧谷は枠を外し俺達は見事成功。四人目は両チームともゴールした。
五人目、ここまででポイントに差はない。だからこれからは一人ごとに決着がつくかもしれない順番だ。体をガチガチに硬くしているキーパーに「リラックス」と声をかけたが、振り向きもせずゴールへ歩いていく。あれは何も耳に入ってないな。
駄目かもしれんと半ば覚悟していたが、蹴るより早く飛んだうちのキーパーの逆をつこうとした相手がまさかのミスキックで枠を外して膝をつく。対照的にキーパーは「俺のおかげだ!」とばかり胸を叩いてガッツポーズしている。いやお前は緊張でかなりまずいプレイをしていたぞ、でもPKを止めたんだからまあ自慢してもいいか。それがキーパーの特権だ。
こっちの五番目のキッカーはキャプテンである。ここで決めれば矢張の勝利だ。はっきり言ってキャプテンが外す訳がない。PKの成功率なら山下先輩以上の、うちで一番の精神力を持った信頼できるキッカーだ。
いつもと変わらない落ち着いた姿でセットすると、少しだけ早いタイミングで強烈なシュートを放つ。俺達矢張SC全員の祈りを乗せたシュートは……キーパーの手をかすめ、バーを直撃した。
俺だけでなくチームの全員、特にキャプテン自身が信じられないと呆然とした表情で固まっている。初めてこのキャプテンの年相応な顔を見た気がするな。
かたや鎧谷SCはお祭り騒ぎだ。絶体絶命のピンチを切り抜けたとはいえ、まだ同点なのにすでに勝ったような盛り上がり方をしている。
くそ、勢いが完全に向こうに行ってしまったか。
ここからはサドンデスと言われる、お互いのチーム一人ずつのPKで差がついたらそこで決着のルールが適用される。
ただのPK以上にプレッシャーのかかる、技術より一層メンタルが試される場面だ。
だが六人目、七人目はお互いのキッカーが意地を見せて成功。この辺りから俺はどうにも落ち着かなくなってきた。
八人目はお互いが枠を外しキックした者は顔を覆う。九人目は両チームともゴールネットを揺らすのに成功した。
もうこの時点では、俺はどうか早く勝負が決まってくれとしか考えていなかった。
そして十人目俺の前の最後のキッカーが二人ともに天を仰ぎうめき声を洩らし、十一番目である俺へ出番が回ってくるのが確定した。
まずいな、体ががちがちに緊張で固まっている。試合終了から少し間が空いたので、汗で体が冷えかかっている。今になって明智にファールされた左足首が痛みを訴え出す。
ありとあらゆる不調の言い訳が俺を包んだ。このまま俺が倒れて蹴らなくてすむのなら、それでいいとさえ思った。
せめて敵が外してくれれば、俺がPKを入れれば勝利で外しても次のキッカーに責任が引き継がれるという、気楽なポジションになれるのだが……。
俺の祈りも虚しく、敵の十一番目のキッカーである相手キーパーは、ゴール右隅に入れて飛び上がってガッツポーズを決めていた。
これで俺が入れなければ敗北という所まで追いつめられたって訳か。
弱気の虫を振り払い、セットされているボールの前へ立つ。ここにくると急に敵のキーパーが大きく、そしてゴールマウスが縮んで見えるのが不思議だ。
大きく深呼吸すると目を閉じて、頭の中でイメージと鳥の目によるゴールを重ね合わせる。
俺の足は疲労で力があまり残っていない。全力で蹴ったらどこへいくかコントロールが効く状態じゃなく、それこそ遙か上空に打ち上げてしまいそうだ。それに試合後しばらく動かずにボールにも触れていない、さらにかいた汗で体が冷たく硬くなった状況では、細かいコースを狙えるとも思えない。ましてやこんなプレッシャーがかかった場合ではさらに分が悪くなるだろう。
となると全力ではなく、ハーフスピードぐらいでギリギリのコースを狙わないシュートとなる。……ど真ん中に蹴るしかないな。普通に左右に蹴って甘いコースでハーフスピードなら、キーパーが止める確率の最も高いシュートになってしまう。ならばキーパーが飛ぶのを確認してから真ん中へ蹴り込むのが最善である。
このコースには技術はいらない、ただ一番度胸の必要なコースだ。
審判が短く笛を吹くと俺は固く目を瞑り、三歩だけの助走の後左足を踏み込む。キーパーを先に動かす為、微妙にタイミングを遅らせながら、間違ってもシュートを浮かさないように上体を折り畳む。
キーパーが左に重心を動かすのを確認して、ふり上げた右足をふわりと振り抜く。
力を抜いたボールがあざ笑うかのように、キーパーが飛んだ後の空間を通り過ぎ……なかった。キーパーにも迷いがあったのかダイブが中途半端だったために、まだ反応できる余地が残っていたのだ。
キーパーが空中であがくように、ボールに最も近い己の部位――足を動かす。
俺の撃ったシュートはキーパーの残した左足一本にぶつかり、己の足下にまで戻ってきた。
ころころと転がるボールが俺の足をこつんと軽く叩く。
え? 何? 俺、外したの?
その足先から伝わる僅かなショックで、真っ白になって呆然としていた意識が戻って来た。
俺のゴール方面へ向けた視界からは敵のキーパーが鎧谷のメンバーの方へ走り寄り、誰も映っていない。
そのまま力の抜けた膝をついて顔を覆いたくなるのを必死に我慢して、崩れそうになる体を奥歯が砕けそうになるまで噛んで食い止めた。震えてこの場から逃げ出したくなる足を叱咤して、何とか仲間の方へと振り返る。
皆の顔をとても見る気にはなれず、目を伏せたままチームの全員に頭を下げた。
「すいません……」
喰いしばった口の中から何とか言葉を絞り出す。疲れていた、俺まで回ってくるとは思っていなかった、言い訳は幾らでもあるが、今の俺が言っていいのはこの言葉だけだろう。
「すいません……」
俺はキャプテンに頭からタオルを掛けられ慰めの言葉を受け取っても、ただ謝る事しかできなかった。




