第五十二話 未来のことを考えよう
俺達の馬鹿騒ぎを制するように審判が「早く整列しなさい」と促してきた。あ、嬉しさで舞い上がったあまり忘れていたが、試合後の挨拶がまだだったな。
実は、俺はどうにもこの試合後に相手チームと顔を合わせるのは苦手である。これは勝っても負けても変わらない。
まだ練習試合ならまだしも、公式試合ではそれが顕著だ。勝てば相手を見下しているように感じられるし、負ければ悔しさを押し殺すので精一杯だ。少なくとも少年マンガのように勝っても負けてもさわやかに、なんて芸当は俺には不可能な行為なんだよな。
だから審判の矢張SCの勝利を告げる声に頭を下げると、できるだけ早くその場から逃れようとする。
「アシカだったよな、ちょっといいか」
そんな俺の目論見はカルロスのかけてきた声によって崩れさった。
ばつが悪そうにしぶしぶ振り向いた俺に対して、カルロスは何のわだかまりもなさそうな落ち着いた表情だった。むしろ今の俺の挙動の方が礼を失しているだろう。
深呼吸して頭を試合中の戦闘モードから、日常モードの穏やかで丁寧なものへと切り替える。
さて、日本のエース候補様が何の用だろうか?
「ええ、いいですよ。とりあえずナイスゲームでしたね」
「……ああ、まあオレが勝ってればもっと良かったんだけれどな」
と苦笑まじりで話すカルロスの表情は、意外にも年相応にあどけなく柔らかく見えた。こいつはもしかしたら試合中はアドレナリンが出っ放しで、性格が変わるタイプなのかもしれないな。
だとしたらこちらも試合中と違って、友好的な態度を取るのも問題ない。元々俺はカルロスの能力には敬意を払っていたのだ。
右手に付いていた汗をユニフォームで拭い、差し出す。
「改めてよろしく、アシカじゃなくて、足利 速輝です」
「え、お前の名前はアシカじゃなかったのか? そうか、アシカじゃなくてアシカガ。アシカじゃなくてアシカガが」
「……いや、もうアシカでいいです」
なんだか早口言葉になりかけていたカルロスを止めて、俺をあだ名で呼ぶのを許可する。別に握手していた手が痛くなるほど大きく力強い手を放してほしかったからではない。クラブ内でもキャプテン以外には全員から「アシカ」と呼ばれているので、今更カルロスにそう呼ばれてもそれほど違和感がなかったのだ。
「それで、なんでしょうか?」
「いや、アシカが使っているテクニックは、どうもオレの周りの日本人っぽくなかったから気になってな。ブラジルの子供みたいにボールに慣れている感じだった。どこか外国のクラブでフットボールをやっていたのか? それとも小さいころからストリートで遊んでいたとか」
「いえ、そういう訳ではないんですが……」
「じゃあ、どこでフットボールをやり始めたんだ?」
「……今年の四月からこのクラブでです」
歯切れの悪い俺の返答に何か問いただそうとした感じのカルロスだったが、今日が初対面だったと思い直したらしい。はあ、と傍目にも大きなため息を吐くと、肩をすくめて頬をかいた。
「まあ、何か事情があるらしいがその続きは……そうだなUー十二の日本代表に選ばれた時にでも教えてくれ。お前もその内に同じチームに呼ばれるだろうからな」
「はは、そうですね。もし日本代表でチームメイトになれたら全部話しますよ。まあ作り話九十九パーセントの物語になりますが」
「……そいつは楽しみだ。全米が泣くってレベルの話に仕上げておいてくれ。じゃあ、早くアシカもこっちに来いよ、一緒に世界と戦おうぜ」
「はい、必ず!」
俺は力を込めて頷いた。世界一を目指しているのだから、年代別の日本代表が現実味を帯び出している程度で動揺してはならない。とはいえ前世から目標の一人にしていたカルロスに認められたようで、嬉しさを隠すことはできなかった。
――だが結局この約束が果たされる事はなかったのだが。
◇ ◇ ◇
「ふーむ。まさか矢張SCが勝利するとは……予想通りっす」
「え? 明智って剣ヶ峰が負けるのが判っていたのか? でも今まさかって言ったよな」
驚愕して突っ込む監督に、重々しく頷く。
「ええ、監督が剣ヶ峰の勝利を疑ってなかったんで、俺はその逆張りの予想を立てていたっす。あ、まさかって言ったのは一応監督への気遣いっす、監督はカルロスの勝利を疑っていなかったようだったので」
と胸を張る。本当は矢張が勝つなどとは露ほども想像していなかったのだが、監督のみならず他のメンバーも一緒に観戦している状況では虚勢を張らざるえないな。
ここで「俺もびっくりっす」と認めてしまえば、「あ、明智にも判らなかったのかぁ」と士気が下がってしまう。午後から矢張との試合を控えた身でそれは避けたいからな。うちのいまいち頼りないクラブの面々の為にも、俺は「間違いのないリーダー」でいなければならない。
それにしても本音で言えば、カルロスを擁する剣ヶ峰SCよりは矢張SCに対戦相手が決まって助かった。
あのカルロスの個人技とスピードでの突破に対しては「ラインを下げて守る」か「マークを数人付ける」か「奴に来るパスを遮断する」ぐらいしか無かったからなぁ。
しかも、そのどれもが今までのチームがやって成功しなかった方法だから、俺としても最後の手段である「試合中カルロスの身に不幸なアクシデント」を起こす覚悟はしていたんだけど、無駄になってよかったなぁ。いやぁ、予定されているアクシデントなんて事故じゃないって? やだなぁ、俺の想定通りの事故が起こったとしても、それはもちろん偶然だよ。
それでも、自分の良心を説得して考えていた「カルロス対策」を実施しなくてすんだ事に内心ほっとする。相手が怪我する可能性の高い作戦はやる方もやられる方もいい思いはしないもんな。
でも今大会だけは負ける訳にはいかなかったから仕方がなかったんだ。優勝以外は全ての努力が無意味になってしまう、優勝しなければ俺はサッカーを続けることができないんだから。
元々学校の成績以外では折り合いの悪い両親が、俺にサッカーをやめさせて学業に専念させようとしたのだ。それを何とか「この大会で日本一になれば続けていい」という条件にまで交渉してくれたのがうちの監督さんだ。
正直全国に行ければ万歳レベルのクラブだから両親も納得したのだ。きっと内心では「我がままも聞いたし、この大会まででサッカーを遊ばせるのは終わりだ」なんて考えていたに違いない。それでも僅かとは言え、サッカーを続けられる可能性を残してくれたのは、この頼りないんすけど信用はできる監督さんなのだ。だからこそ俺の為にも、監督の恩に応える為にも何が何でも優勝しなければならないんだ。
だからまあ、矢張SCが上がって来てくれて有り難いな。こっちの方がどう見ても戦力的には劣っているし、カルロスみたいな超小学生級のプレイヤーもいない。全体的なバランスは整った好チームだとは思うが、正直剣ヶ峰に勝てたのはラッキーと勢いに乗っていた点が多かった。
これならば正面から相手にしても問題はなさそうだな。
「あの矢張SCは主力をこの試合で酷使しすぎたっす。前にカルロスについて言ったと思うけれど、あれじゃ午後からのうちとの戦いにベストの状態で出場するのは無理っすよ。特に三十九番の足利なんか最後の挨拶ではへたり込みそうな様子だったっす」
「ふむ、そいつは助かるな。うちで言うなら明智みたいな体力が無いタイプか。そりゃフル出場させたらきついわなぁ」
「俺は自分の代わりにボールを走らせているから問題ないっす。それに、そうっすねぇ。これからみたいに二試合目でスタミナが残っていない方が俺達のプレイスタイル的には有利っすね」
監督に答えながらピッチから立ち去っていく両チームに目をやる。いっぺんカルロスとは戦ってみたかったんだけど、今回はお預けみたいだな。まあ、絶対に勝たなくちゃいけない試合に、あんな計算外のプレイヤーが紛れ込むと本当に面倒だからここで退場してくれたのは有り難いけれどね。
でもその代わりに上がって来たのは矢張かぁ……。うちの戦力とこの状況ならば負けはしないはずだ。
だが、念の為にも県大会からのビデオを、今からでも手に入るなら目を通しておきたいな。このままでも八割がた勝てると予想しているけれど、弱点を見つければ勝算はさらに上がるからな。
県大会からこの分析や研究が監督よりも俺の担当というのは変わらないスタイルだ。
でも間違っても「俺達の勝つ確率は九十九パーセントっす!」とかは言わないようにしている。それは負けのフラグを立てる気がするからだ。むしろ「相手クラブのエースはこの試合勝利したら幼なじみに告白するんだって言ってたっす!」とチームメイトを焚き付け、勝利より告白阻止の炎を燃やさせて勝ち上がってきたようなクラブなのだ。
――だから次の試合も勝たせてもらう。矢張SCさんも、うちと当たった不運を恨んでくれ。
 




