第四十八話 覚悟を決める時間がきたようだ
カルロスが観客席に向けて大きく手を広げ、歓声を全身で迎えているのを呆然とした視線が追いかける。
剣ヶ峰のメンバーはキーパーさえもが彼を祝福しようと駆けつけたのだが、抱きつくなどの直接的なアクションは起こせずにいる。
ピッチの上にいる全員が今のプレイとカルロスの放つ異様な気配に圧倒されてしまっているのだ。
そして今のゴールが矢張SCに与えたダメージは大きい。特に面と向かってやられた俺達ディフェンス陣の傷は深い。
五人がかりで包囲したと思った瞬間に、前にいる二人の間をぶち抜かれてしまったのだ。あれはまるで「彼が戦術だ」とまで言われた、ブラジルの不世出のストライカーを思わせる強行突破だった。
もしかしたら、カルロスも彼のように歴史に名を残すレベルの「戦術級の選手」なのかもしれない。未来の彼の姿を知っている俺でさえ、その潜在能力の高さに驚きを隠せないのだ。ましてや未来の予備知識もなしに目の当たりにした皆の衝撃はいかばかりだろうか、そう包囲に参加したメンバーを見回した。
やはり皆の顔が青ざめて――いやただ一人キャプテンだけはしっかりと顔を上げて、意志のこもった瞳で見つめ返している。
暗い雰囲気を壊す為に「いやー、やられちゃいましたね」とキャプテンに対し意図的に軽く話しかける。
「うん、日本代表のエースが偽物じゃなくて良かったよ」
彼も頷いて賛意を示し、周りのメンバーに「日本最高峰の選手と戦っているんだ、今後の良い経験になるぞ」などと呼びかけて鼓舞している。おかげで換気をしたように、淀んでいた空気は少しはましになったようだ。
「……キャプテンはメンタルが強いですね。あんな抜かれ方した事が全然気にならないみたいです」
俺の賛辞に対して、彼の顔には苦い物が混じった笑みが浮かんだ。
「まあ、今年の四月に初めてボールを触った下級生に、練習試合でテクニック勝負を仕掛けて負けた経験があるからね。抜かれたりするのに慣れる……のはダメだけど、その苦い経験を成長する糧にするのには慣れたよ」
「ご迷惑をかけています」
その下級生が誰だか心当たりの有りすぎる俺は、即行で頭を下げる事しかできない。
しかし、穏やかだとばかり思っていたキャプテンも内心で俺に思う事があったんだな。その感情を昇華して経験にしているのは、サッカー選手というより人間として素晴らしいが。そんな風に学年では上だが、精神年齢では下のはずのキャプテンに尊敬の念を覚える。
「迷惑だなんて思ってないけれど、じゃあ足利には迷惑料としてこの試合逆転してもらおうかな」
「……そんな事でいいんですか? 言われなくてもやるつもりですが」
キャプテンは広い肩をすくめる。
「充分だよ。それにもう一つ、向こうにいる化け物も何とかしないといけないしね」
「そっちの方が難題ですね」
顔を見合わせて同時に振り向いた先には、カルロスが未だ衰えぬ威圧感をみなぎらせてピッチに戻ってきたところだった。
試合が再開されたが、正直まだ俺達の腰は引け気味だ。いくら気勢を上げたとはいえ根本的な問題の解決策――つまりカルロスをどう止めるかの方策が見つかっていないからだ。
まあ簡単に見つかってしまうレベルの選手であれば、年代別とはいえ日本代表のエースにはなれないのだろうが。
とにかくこれまではある程度うまく行っていたように感じられる「カルロスにボールを与えないでください」という動物園レベルの作戦を続行するしかない。
しかし、ただ守り一辺倒ではじり貧は免れない。こちらは一点負けているのだから攻めのアクションも必要なのだ。
思惑通りにいってはいないが、セットプレイでこの試合二点取っているのも事実だ。だからできるだけ敵のゴール近くまで運び、シュートで終わるかファールを貰うかしたい。
そう考えて前線でターゲットになるFWへとロングパスで通すが、相手もそう簡単にはシュートまでは持っていかせてくれないな。俺も上がろうかと考えるが、背後のカルロスを放置する訳にもいかない。
なんとかFWが折り返したボールを山下先輩が強引にシュートを撃つが、マークが厳しい中での無理な体勢からのシュートは、ちょっと角度が悪く距離もあったせいかキーパーの正面をついてしまった。
がっちりとキャッチしたキーパーが、ディフェンスに上がれとの合図も出さずにいきなりキックした。
一体何を?
そう思いつつボールの軌道を見ると、自陣で守備もせずに一人だけ離れていたサイドのDFに渡り、彼もまたすぐにロングキックを放つ。これは大きすぎるな。今大会でのよく飛ぶボールを考えに入れなかったのか、これではうちのゴールキーパーへのパスにしかならない。
そう判断すると、念の為に鳥の目も使って敵の陣形と、俺の背後にちゃんとカルロスがいないのを確認した。え? いないの?
慌ててカルロスを探すとうちのゴールへ向けて疾走している。
まさかあいつ、ここからあのカウンターとは言えないロングボールに追いつくつもりなのか!
「キーパー前へ出てボールを処理しろ!」
そう叫んで必死に俺も追いすがる。キャプテンも俺の少し先を走っているが、どちらもカルロスには追いつけそうにない。
それどころかカルロスは同じロングボールに対して、同時に駆けだしたはずの仲間のFWと矢張のDFを追い抜いている。
ちょっと待て、そいつはセンターフォワードでお前はトップ下だっただろうが。キックに同時に反応したとしてスタートしてほんの数瞬でぶち抜かれるっておかしいだろう。
俺達DF陣の悲鳴が聞こえそうな中、ペナルティエリアから少し出た地点でキーパーが宙へ飛ぶ。同じく空中にまだあるボール目指して一拍遅れてカルロスもジャンプした。
数メートルは離された俺達は見守る事しかできない。
その空中にあるボールを一対一で制したのは――カルロスだった。
エリア外で手の使えないキーパーよりも、ヘディングに慣れているカルロスが落ちてくるボールを頭で上手くコントロールしたようだ。自分の着地するすぐそばにボールを落とすと、ダイレクトでそのままゴールに叩き込む。
豪快なシュートでネットが揺れるのと同時にホイッスルが鳴り響く。
これで二点差なのか? ほんの僅かとはいえ俺の心が絶望に浸食されそうになる。――いや、違う。このホイッスルの音は得点した時の物ではなく、ファールの時に吹かれる音だ。
助かったぁ。今のプレイでカルロスがキーパーチャージしたと審判は判断してくれたんだ。
そういえばうちのキーパーも腹を押さえてうずくまっているし、上のボールに目を奪われている間に接触があったのだろう。相手のチームが抗議しているが、当事者であるカルロスはそれに加わらずにアメリカ人のようなオーバーアクションで肩をすくめているところから、ファールの自覚は多少あったのだろう。
しかし、カルロスは危険すぎる。今のプレイにしても審判がファールを見逃していたら、相手陣からのパス一発で即ゴールになってしまう。
だが引き籠ってばかりいても……頭を悩ます俺にベンチから喚く声が届いた。振り向くと、監督が何やらジェスチャーをしている。え? 時間を見ろ? ええと残り五分か、もうチャンスは少ないな。いや、そうじゃない。監督がハーフタイムで言っていたじゃないか「残り五分で負けていたらパワープレイだ」と。
……このカルロス一人に押されっぱなしの現状で、DFのラインを上げて総攻撃するしかないのかよ。
ただピッチ上で攻め込まれているだけではない。観客席でもカルロスのプレイをもっと見たいのか、彼にボールが渡ると大騒ぎをしている。つまり会場の雰囲気はアウェー状態だ。
こんな四面楚歌の状況で同点に、いや逆転にまで持っていかなければならないなんて――くそ、笑っちまうぐらいに燃えてくるなぁ。
◇ ◇ ◇
「あれは無茶苦茶だ」
想定以上のカルロスの突破力に思わず口からうめきにも似た声が出た。あ、まずい。キャラが壊れている。
幸い隣の監督も、今までのカルロスの一連のプレイに度肝を抜かれているみたいだから、この隙に改めて余裕綽々のうざいキャラに修正っす。こほん、ではテイクツーだ。
「あれはもうほとんど卑怯っすね。チェックメイトをかけたらチェスの対戦相手にぶん殴られて、盤を反対にされたようなもんっす。あんな力技のゴールは頭脳派としては認めたくないっすねー」
「でも、明智が対戦するならどうする?」
監督の質問に「うーむっす」首を捻る。そんな簡単にスピードのあるドリブラー対策ができれば苦労はしないよ。でも聞かれた事には何でも薄っぺらい回答をするのが俺のクオリティだ。
「そうっすねー。ま、まずはこれからの試合展開に期待しましょうか。矢張SCが粘れば粘るほどカルロスも消耗するはずっす。フル出場すれば、いくらなんでも午後までの短時間でカルロスのスピードが完全に回復するはずがないっすよ。だからどうせ負けるんなら、せめて矢張も最後まで俺達の役に立って欲しいっすよ。そう言う訳で、がんばるっすよー矢張SCー!」
「ずいぶんとまあ打算の臭いがする応援だな、おい」
「そんな事はないっす。俺は心の底から矢張SCが勝ち上がり、あの足利って小僧と頭脳戦を楽しみにしている、きりっす」
「いや、最後だけ急に真顔になるのが余計に胡散臭いというか……」
「まあそんな事より面白くなってきたっすよ。カルロスみたいなスピードスターがいるのに、矢張はラインを上げて総攻撃にいくつもりっすね。これは作戦名は「カミカゼ」か「バンザイアタック」っすね。くー勝算がない状態からの最後の特攻っすかー、燃えるっすねー」




