第四十六話 セットプレイを頑張ろう
俺の戦闘意欲は最高値にまで上がったが、それでも好き勝手に攻めていける訳でもない。まずはカルロスを抑えられるかどうかがこの試合を左右するのは判り切っているからだ。
そのカルロスについてなのだが、困った事に前半よりも一層攻撃的になったようだ。今まではFWの後ろで攻撃を操るトップ下のポジションだったが、今は少しポジションを上げてもはやMFではなくFWの一種であるセカンドトップのポジションにいるのだ。だが、ここにこいつに陣取られると非常に困る。
純粋なFWではないから最前線にいる訳ではなく、少し下がった位置にいる。したがってDFラインもオフサイドの駆け引きができないのだ。そのオフサイドをかける対象となるのはセンターフォワードだが、彼をターゲットにしているとカルロスはオフサイドラインとは無縁になる。つまり常に前を向いたカルロスがオフサイドの心配なくゴール前にいるって事だ。
確かにポジションを上げた事で、DFと連携してのマークとパスの遮断はまだやりやすくはなった。そして敵の攻撃も単調になったかもしれない。だが、一瞬でも油断してカルロスにボールを渡すとそこで得点されてしまうぞ。
速くて、でかくて、パワーのある人間が虎視眈々とチャンスを伺っていると思うだけでディフェンスしている全員が緊張しっぱなしのプレッシャーを感じている。この緊張感が今のところはいい方向に働いているが、試合終了まで集中力がもってくれるかどうかは幸運を祈るしかない。
そんな訳で、防御の方はDFラインに加えて俺とキャプテンがガチガチにカルロスをマークして、ボールと触れ合えないようにして一応は落ち着いている。
そうなると気になるのは攻撃の方ではあるが、こちらは芳しくはない。
両サイドが上がらずに守備に忙殺されているのが攻撃に厚みがない理由でもある。
さらに俺がカルロスのマークについている為に、いつものボランチの位置よりも下がっているのも原因の一つなのだ。
これまでは、俺とキャプテンと山下先輩の中盤におけるテンポの良いパス交換から、リズムの良い攻撃が生まれて来ていた。それが今は封じられている。そんな状況でいい攻撃ができるわけがないよな。
ひりつくような真夏の太陽の下、両チームの我慢比べが行われていた。
俺がマークしているカルロスも時折自陣までボールを貰いに戻りたそうな素振りは見せるものの、唇を噛みしめてじっと回ってこないパスを待っている。
正直このプライドの高すぎるエースがここまで動かないとは思わなかった。遊ぶのは止めたと宣言しているのだからもっと派手に暴れまわるのかと想像していたが、ハーフタイム中に監督にでも釘を刺されたのかな。
しかしこのままでは当然ながら一点負けている俺達の方が不利になる。なんとか打開策はないかと頭を巡らすが、すぐに思いつくのならもう実行している。
攻撃陣頑張れと念を送っていると、それが通じたのかゴール前で山下先輩が倒された。よし!
あ、いや、別に山下先輩が倒れたのを喜んだ訳じゃない。倒された理由が相手チームのファールによってだからだ。当然俺達にフリーキックのチャンスが与えられる。ここはまた俺のブレ玉の出番だな。
これで同点だ。そううきうきして審判が示す場所へ向かうと、山下先輩はどこか険悪な表情で俺を迎えた。本来であれば彼が自分の身を削って取ったフリーキックだ。当然自分が蹴りたいだろうし、また自信家な先輩の事だからゴールできるとも考えているのだろう。
だからハーフタイムで決められていた通りに俺がキッカーとなるのが気に入らないらしい。「絶対に決めろよ」とだけ言い残すと俺の手に叩きつけるようにボールを渡していった。
やれやれ、これで外しでもしたら何言われるか判んないなぁ。ま、外す気は毛頭ないんだけどね。というよりも外せない。
山下先輩に怒られるのが怖いとかではなく、怖いのはカルロスだ。
あいつはこっちのフリーキックだというのに守りに戻らず、まだDFラインの前に居残っていやがる。俺までキックする為に上がっているんだ。万一失敗してカルロスにボールが回ったらと想像するだけで、流してる汗が粘っこい油汗に変わってしまう。
そんな雑念を頭から消去し、ふうっと一息ついて改めてゴールを狙いをつける。
ゴール前の絶好の角度だ。距離は少し遠いが位置的には一点目を決めたフリーキックの場所と大差ない。
しかも、壁やキーパーのポジションも全く同じなのだ。この時点で俺は相手がブレ玉に対して何も対策を取っていないと確信していた。たぶん、運が悪かった程度にしか思っていないのだろう。いかにもプライドの高すぎるエリート集団にありがちな話だ。
ならばまた、その驕りを利用して得点させてもらおうか!
「取れるもんなら取ってみな!」
小さく叫びながら、いつものようにゴールを見ないで上体を伏せた姿勢でキックを放つ。
全パワーを右足に乗せ、キックした反動で宙に浮いた状態の俺はようやく顔を上げて、自分の目で撃ったシュートの軌跡を見つめる。蹴った感触は文句なしだ、上手くキーパーの手前で揺れてくれるはず。
後はキーパーがキャッチしそこなってゴールするか、ファンブルしたところを押し込めばいいだけ。これは壁となってゴールに背を向けている剣ヶ峰のDFより、こぼれ球を押し込もうとチャンスを伺っている矢張の攻撃陣に有利な条件だ。
――よし、同点だ! 俺は心の中ではすでにガッツポーズを取っていた。
そのバラ色の未来予想図が崩れたのはキーパーの行動によってだ。キャッチしやすい胸元のボールであるにも関わらずあのキーパーは思い切りパンチングで防いだのだ。
「な、何でキャッチしようとしなかったんだ……」
パンチングによってゴールラインを割り、コーナーキックのチャンスは続いているが、まだ俺の動揺は収まっていない。ちらりとキーパーの表情を伺うと、いかにもしてやったりという表情を作っている。
くそ、何が高すぎるプライドだよ。敵を見下していたのは俺の方じゃないか! 拳をきつく握りしめて必死に気を取り直す。まだこっちのチャンスは終わっていないのだ、なんとかこのコーナーキックを物にしなくてはならない。
なぜなら、監督が指示していた俺のフリーキックによる得点というプランが崩壊したからだ。
この試合の作戦はよく崩壊しているが、やはり事前に打ち合わせていた作戦が通じないと士気は確実に落ちる。ましてや、一点負けている状態でしかも強力な敵がカウンターの機会を今や遅しと待っている。ここで引くことはできない。だからこそ、今点を取らねばならないのだ。
コーナーキックを蹴るのは矢張SCでは山下先輩である。FKとPKは大体がその反則を受けた者が蹴るのが、全国に出るまではうちの暗黙のルールだった。だが、コーナーキックだけは「エースの役割」だとかでキッカーは立候補した山下先輩となっていたのだ。
正直俺からしたら、割と長身な山下先輩はキッカーよりもゴール前にいてくれた方がチームにとって有益な気もする。だが、先輩のプレースキックは正確でもあるし、文句を言うまでもない。
慌ただしく短いサイン交換を終え。ぴりぴりとした空気の中、短い助走から山下先輩がコーナーキックを上げる。
相手は大柄なDFがゴール前にずらりと勢揃いしている。まともに勝負はできないと、正面の密集地からニアへ流れてきた俺への低くて速いボールだ。
さすがに狙いは正確で、走り込む俺の足元にぴしゃりと照準が合っている。
ただ問題は二つある。一つは混雑するゴール前からサイドへ流れたために、直接狙うには角度がきつい事。もう一つはゴール前から俺にへばりついているマーカーがいる事だ。
こいつはカルロスほどのスピードはもちろんないのだが、ニアへの短距離ダッシュだけでは振り切れなかった。その大きな体の全てを使ってゴールまでのコースを潰している。
このボールが俺に渡る刹那の間に、俺の持つ経験と戦術眼と鳥の目をフル稼働させて厳しい状況を打開してゴールへ結び付けようとシミュレーションする。
俺がボールを受けて、マークをかわしてから改めてゴール前にクロスを送る。駄目だ、ゴール前には敵の長身DFが揃っている上、俺と山下先輩もゴール前にはいない。
このニアサイドへも半分シュートコーナーに近い速く低い弾道のクロスだからつながったようなもので、相手が防御を固め直したらヘディング争いでシュートまで持っていくのは難しい。
では直接ゴールを狙うのか? これも無理だ。俺の位置が角度がきつい上に、マークがゴールへのシュートコースを隠している。こいつを抜いてゴールを狙える位置に行くまでやはり時間がかかってしまう。
時間をかけるだけ、守備は整えられてボールを奪われるリスクは高まる。そこからカウンターくらう未来など想像したくもない。
ならばこれしかない。ボールの軌道より半歩だけ前へ出る。ボールより俺を追いかけているマーカーも当然追随する。その半歩分の後ろのスペースを使い、クロスをヒールで引っかけるようにしてゴール前のDFの壁の隙間を通した。
相手ディフェンスとしては面食らっただろう。
まずショートコーナーに近いぐらいのニアサイドへの低く速いパス。それをノートラップのヒールキックで、勢いはそのままに角度を変えてゴール前に流されたのだ。それも鳥の目による相手DFの間を縫って、だ。
ジャンプする準備を整えていたDFは速く、しかも足元を切り裂くパスに対応できなかったようだ。
そーゆー訳でお願いします先輩FWさん。今まで影が薄かったけれど、ここで決めたら一気に同点の立役者だ!
俺の願いを込めたパスは予定通りにFWへ渡り、ダイレクトでシュートされた。
試合後の彼の言葉によると、混戦中に目の前にボールが来たからとりあえずゴールに向けて蹴ったら偶然入ったらしい。俺にはちょっと真似できない、点取り屋の本能的なワンタッチゴールだ。
あまりに人が密集しすぎてどうなったか判らなかったが、高らかに鳴らされたゴールを告げるホイッスルと右手を上げて走り出すFWでようやく同点に追いついたと知る。FWの先輩、今まで影が薄いだなんて思っていてすいませんでした。
観客席に近寄ると俺達の保護者が固まっている一角に向けて、点を取った先輩が嬉しそうにガッツポーズでアピールしている。
そこへのんびりと歩みよりながら自陣の方へ目を向ける。へへっ、カルロスよカウンターのチャンスなんて無かったぜ。……あれ?
佇んでいるカルロスの青白い炎のような姿を確認すると、思わず目を疑い同点になった高揚感が一瞬で引っ込んだ。
――剣ヶ峰SCではなく、カルロスという怪物の逆襲はここから始まってしまった。




